手に乗った丸い瓶の底から、淡い光が立ち上る。
ゆるり、ゆるり、ふわふわと、細かい光の粒がゆったりと、瓶の中、澄んだ色の薬液の中で泳ぐ。
が。
「あっ」
やらかした。
そんな感情に濡れた一音が、不意に部屋の中に響いた。同時に、ぱちん、と光の粒が弾け。一切の光が、薬液から消え失せた。後に残るは、どろりとした不気味な色に濁った薬液だったものがあるだけだ。
「あー、もうっ」
これ以上ないほど分かりやすい失敗に、瓶を持っていた手の主。レンは若草色の頭を掻き、苛立った声を漏らす。
生まれ変わり、なんて、おとぎ話みたいな奇跡をこの身に体験して、前世とは比べ物にならない程の魔力を得て、今のこの身体に――成り立ちはどうあれ――感謝する事は多い。
が、どうしたって、不満は出て来るものだ。
製薬成功率の大幅な低下。
生まれ変わりという名の転生を果たし、クリエイターとなったレンの数少ない不満がこれだった。
今世は夢魔の半人半魔に生まれたためだろう。魔力の癖が強い。魔力の癖はそのまま瘴気耐性の強さに繋がるため、悪い事ではないのだが、自分以外の魔力も扱う製薬には向かない魔力質である。前世は、癖がなく、瘴気耐性が低めな代わりに、製薬向きな魔力質だった。その違いから生じるギャップはかなり大きい。
頭では理解していても、感覚が付いていかず、大きな壁となってレンの前に立ち塞がっていた。
アルケミストだったあの頃とは違い、どうしても、研究し、完成させたいものがある訳ではない。
いっそのこと、研究や製薬から手を引いてしまうのも手だろう。転生し、己の型、習得スキルなど、出来る事を変えた冒険者なんて、いくらでもいる。それは、レンも承知している。
それでも、製薬や研究を続けているのは、半分人ではない今の自分だからこそ、作れるものがあるのではないか、という知的好奇心と――
その時、こんこん、と小さなノックオンがその場に響く。
「レン、起きてる?」
かちゃり、と小さな音を立てて、扉が拳1つ分程、そっと開かれる。その隙間から、そろりと覗き込んでくる蒼の瞳。控えめに掛けられた柔らかな声に、つい、頬が緩みそうになる。が、それを悟られぬよう、表情を整えて、何てことない顔で、扉を開いた。
「どしたの、ルキナ。こんな時間に」
現在時刻は、少し前に日付が変わったところだ。つまりは真夜中。同居しているとはいえ、異性の部屋を訪ねるには不適切な時間帯だ。
……なんて、一般論は重々承知している物の。自分もルキナも研究にのめり込んで時間を忘れる事は多々あるので、今更ではある。現に彼女は、扉が開かれたことで、入っても良いと判断したらしく、何のためらいもなく、するりと部屋の中へと入りこんでくる。
ふわりと、甘い香りがレンの鼻腔を擽った。
「一応言うけど、こんな時間に、男の部屋に来るもんじゃないからね?」
そんな言葉にも、ルキナはお構いなしだ。
「レンも、夜、来ることあるじゃない」
「それを言われると痛いとこだけどね。時計見てなかったのと、ルキナの意見も聞いてみたくって、ついね。あの後、2人してクリムさんからお小言もらったの忘れた? それにルキナ、今回は研究関係じゃないでしょ。資料持ってないし、部屋にみて欲しいものがある時はキミ、耳打ち使うじゃない」
そんな小言じみた事を口にするレンだが、何よりも大事な相手と共に居られるのは純粋に嬉しい。
本当、我ながら単純なもので、ルキナを前にした事で、先ほどの苛立ちが淡雪のように溶けていくのを自覚する。
どうしても成し遂げたい目標を失い、製薬向きだった魔力質を失って尚、製薬型の、研究者の立ち位置にしがみついている、もう半分の理由が、目の前の存在だった。
ルキナにとって、良き相談相手であり、頼れる共同研究者であり続けたい。そう、思っている。
もう、純粋な製薬技術では、完全にルキナの方が上だが、オリジナルの魔法薬を作る上での、理論構築、付与式構築の方面でなら、まだまだ互角以上だ。意地でも、そう簡単に、負けるつもりはない。
そんな自分に、胸中で苦笑を漏らしつつ、レンは再度問いかける。
「で? も1回聞くけど、どうしたのさ」
用事はそれ? と、レンは指をさす。その先には、白い箱。ルキナが片手で抱えるようにして持っているものだ。
「あっ、うん。あのね、これ作ってみたの」
とっ、と控えめな足音を立てて、ルキナはレンのすぐ隣にまで寄って来る。そして、箱のふたを開け、顕わになった中身ごと、箱をレンへと差し出した。
ふわり、と甘い、ミルクの香り。箱の中には、油紙に包まれた1口サイズのものが満杯に詰め込まれていた。
「これ、飴……じゃないな。キャラメル?」
包み紙の両端がキャンディのように捩じられていることから、パッと見、飴のように思えたが、1粒手に取って、違うと分かる。
思ったことをそのまま口に出せば、ルキナは紫がかった青の髪を揺らして、こくりと頷いた。
「うん。ほら、前に話してたでしょ? だから、作ってみたの。魔力入りのキャラメル」
その言葉に、レンは軽く目を見張る。
脳裏を過ったのは、いつぞやの何気ないやりとり。
『……レン。研究中とか、いっぱい製薬してる時の方が痩せやすいのは同感だけど……魔力で代用しないで、ちゃんと、カロリー、取ろ?』
『ぐ……努力は、します……。いっそ、カロリーと糖分と魔力が摂れる錠剤みたいのが欲しい……』
『…………キャラメルでも、作る? 魔力水作る要領で、ミルクに魔力込めたら、出来るんじゃないかな。チョコパイとか手作りチョコみたいな感じで……』
そんな会話を、確かに、した。
少々注視して見れば、なるほど、確かに。油紙の向こうに、よくよく知った心地よい魔力を感じる。わざわざ、ドロップ産の油紙を使ったらしい。油紙自体もうっすら魔力を帯びているため、言われるまで気が付かなかった。
「食べていい?」
「うんっ」
一応確認を取れば、ルキナは嬉しそうに、表情を綻ばせ、大きく頷く。
その様子を目にしてから、手にしたキャラメルの包み紙を開く。油紙の両端、ねじられている部分を引っ張れば、ころり、と中身が転がり出る。白に近い、柔らかな茶色のそれを直で見れば、しっかりと強く、ルキナの魔力が込められているのが分かった。
「すごいね。魔力が濃い」
「許容量ギリギリまで、めいっぱい魔力込めたからね」
がんばったっ。と少々得意げな色を乗せ、笑うルキナに、どこか微笑ましい気持ちを味わいながら、キャラメルを口の中へと運ぶ。
口に含んで真っ先に感じるのはルキナの魔力。無力透明で、さらさらと流れる清水のような心地よい魔力。次いで、口内の熱と唾液でキャラメルが溶け始め、じんわりと濃厚な、けれども優しいミルクの甘さが、口の中に広がっていく。
「うん。美味しい。ありがとね、ルキナ」
自然と緩んだ頬をそのままに、そう礼を紡げば、ルキナはほっと息を吐く。
「口に合ったなら、良かった」
「ルキナも食べる?」
そう口では問いつつも、レンの手は既にルキナに渡す分のキャラメルを手に取り、包み紙を剥がしている。
えっ、とルキナがきょとんとした声を上げた頃には、彼女の眼前には、キャラメルを摘まんだレンの指があった。
「ほら、口開けて?」
はい、あーん。なんて、何てことないような顔で言うレンに、ルキナは思わずたじろく。そして、たじろいだ事に、戸惑った。
だって、あーん、なんて、そうやって一口貰う事も、あげる事も、妹達や他の親しい人相手に、普通によくある事なのに。
どうして、こんな、どきどきと落ち着かないような心地になるのか。ルキナには、さっぱり、分からなかった。
けれどもレンは、自分が口を開けるのを待っているのだ。何故か慌てふためく内心を押し隠し、ルキナは口を開いてみせた。
本当に、何てことない、軽い気持ち、ちょっとした悪戯心のつもりだったのだ。
包み紙ごとキャラメルを渡しても、きっと受け取らないだろうと思ったから。こうすれば、ルキナも受け取らざるを得ないと思って。
まぁ、ルキナが割とこーゆー事をしているのはよく見ていたので、自然とやってしまった、というのもある。
つまりは、予想外だったのだ。菓子を摘まんだ己の指を見て、ルキナが、軽く目を見張るのも、少し戸惑ったように、深い蒼の瞳を揺らすのも。さらには、どこか恥ずかしそうに、頬が淡く染まるのも。
その表情の全てが、レンにとっては不意打ちでしかなくて、どくん、とレンの鼓動が強く高鳴った。
しかも、そんなレンに追い打ちをかけるように――否、彼女にそんなつもりが欠片もない事は十二分に分かっているけども――、わずかに潤んだ瞳が軽く伏せられ、ぁ、とも、ん、ともつかない微かな声をもらして、小さな口が開く。そこから、ちろりと覗く赤い舌に、白い歯。
それら全てが、妙に艶めかしく見えて、レンは息を呑む。目が離せなくなりそうなそこから、無理矢理視線を外し、軽く開いたそこへ、キャラメルを押し込んだ。
「ん」
小さな声を漏らし、キャラメルと含んだ口が閉じる。
むぐむぐと唇が動き、その甘さにか、頬が緩む。その白い頬を両の手で包み込み、その口に口付けられたら、それはどんなに――
そこで、ハッと我に返る。視線を逸らしたつもりで、無意識にまた、ルキナを見つめていたことを自覚する。それに伴い、這い寄ってきた煩悩を、追い払う。
だと、いうのに。
「むぅ。これ、レンの為に作ったのに」
口の中にある甘さに、頬を綻ばせつつも、ちょっと不満げな、複雑な表情で、私が食べたら意味ないのに、なんて。追い打ちを。
自分のためだけに作ったのだと、実感させるような、蜜のような言葉を紡ぐから。
くらり、と思考が揺れた。
「ねぇ、ルキナ」
「ん? なぁに、レン」
本当は、じゃあ、無くなったらまた作ってよ、なんて軽く口にするつもりだったのに。
「じゃあ、その分、ルキナの魔力、ちょうだい?」
気付けば、そう、口にしていた。
「ん。いいよ」
その言葉に、ルキナは何のためらいもなく、承諾する。
まぁ、ある意味仕方ない。魔力水の融通なら、よくあるやりとりなのだから。
「じゃあ、試験管1つもらっていいかな? あ、それとも、空きビンに作った方がいい?」
小首を傾げ、口元に人差し指を当てて、ルキナはそんな事を問うてくる。
案の定、魔力水の融通だと思ったらしい。
けれど。
「今回は、どっちもいらない」
そう答えれば、きょとんと、不思議そうに、蒼の瞳が瞬く。その様子に少し、悪戯気な笑みを口の端に乗せて、レンは続きを口ずさむ。
「直接、貰うから」
その言葉と同時に、ルキナの手を取り、掬い上げる。
そして、その白く華奢な手の甲に、そっと口付けた。瞬間、ぴゃっ、とひっくり返った声が、ルキナから響く。
口付けた顔をそのままに、ちらりと視線だけをルキナへ向ければ、ルキナは、目をまんまるにし、顔を赤く染めていて、つい、笑みがこぼれる。
「魔力、くれるって言ったの、ルキナだよ」
「う、ん。そう。そう、なんたけ、ど……ふぇ、え、何で、びっくり、って、いうか、どきどき、っていうか、ふぇ、あぅ」
別に何も、恥ずかしい事なんて、してないのに、何で、と混乱しているルキナの声を聴いていると、こちらにまで照れが移ってきそうだったため、手に取ったルキナの手、魔力、そちらの方へと意識を傾ける。
するすると、ルキナに負担などかからぬように気を付けて、手から直接、魔力を貰う。
さらさらと心地よい、彼女の魔力。
よく融通してもらってるのもあり、魔力水でなら、とても、馴染みのある魔力だ。
けれど。
口付けた唇から伝わる肌の滑らかさ。血の通った人の温かさ。キャラメルを作っていたからだろう、ふわりと強く香る甘い香り。その奥に染み付いた薬草の香り。
ただでさえ、心地よい魔力だというのに。それが、誰よりも愛しい相手のものだと、強く実感できるそれらが加わると、いつもの魔力水とは、比べ物に、ならない。
――――それは、痺れるほど、甘い。
fin
あとがき
何か短い話をざくっと書きたい、と衝動的に書いた代物。
やっぱり、お題は楽しいね!
両片思い(ルキナの自覚待ち)なレンルキは、お互い、相手が無意識にしてる行動や仕草に、クリティカルくらってると可愛いと思う。そして、そんな2人とにこにこ見守ってるクリムさんの図ですね、分かります。(だーから、キミ保護者言われるんだよ、とも思いつつ……)
このお題が決まって、CPがレンルキ、シチュが夜、って決まった時、どっかの書き散らしで、魔力入りのキャラメルをリクエストしてた事あったなー、と思いだし、そこらへんでいってみるかー、と決定したあと、お題のキーワードの1つ、煩悩、から、ふわっと、で1つのキャラメルを2人で味わう、みたいな、ディープキスが一瞬脳裏を過ったんだけど、この段階で、レンがルキナに手を出す事は、絶対に、絶っ対にないので、断念。
それはレン自身が絶対に赦さない……作中のように、妄想でさえ、あそこで直前でストップかけたくらいだからねーー……
使用素材: Atelier Little Eden様 Colorful Blocks