「あれ?」

ゲフェンの噴水広場にて、ベンチにぐったり身を寄せている知り合いの姿を見つけ、ヴァレリーは立ち止まると、そちらへと足を向けた。

「オーアくんじゃん。どしたんだ? こんなとこで」

歩み寄り、そう声をかければ、ゆっくりと緋色の瞳が開き、ヴァレリーを捉える。

「おー。ヴァレリー、こん~」
「こんー」

緩慢に手を上げ、ひらひらと振ってみせてから、オーアは口を開く。

「いや、空気の美味さを実感してたとこ」
「はい?」

よく意味の分からない返答に、ヴァレリーは思わず深緑の瞳を丸くする。
その反応に、オーアは苦笑を零した。

「いやな、ちょっとさっきまで、これ、量産すんの、手伝わされてたんだ」

そう言ってオーアが指したのは、彼の隣に無造作に置かれた紙袋だ。
口の開いたそこからは、パウンドケーキやクッキー等の焼き菓子が見える。

「へぇ、美味そうじゃん」

綺麗な焼き色のついたそれらにそう言えば、オーアはぱちりと1つ目を瞬かせた。

「ヴァレリーは甘いの平気なクチか。んじゃ、これ、持ってかね?」
「へ?」

思わぬ言葉に、ヴァレリーは間の抜けた声を漏らす。そんなヴァレリーにオーアは更に言い募った。

「俺作ったの、パウンドケーキと下の方に入ってるブラウニーだけど両方、ソラリスさんのお墨付き貰ってるから、味は保証できるぞ」

クッキーは作ったのソラリスさんだから、味は言うまでもなく美味いはずだし、等というオーアに心底意外だという声が思わず零れ落ちた。

「え? ……オーアって、菓子作り出来んの? まじで?」
「あっははは、見えないよなー。分かる分かる」

人によっては失礼だと憤慨しそうな言葉を笑って肯定してから、オーアは笑みを苦笑に変える。

「アコの時に、仕込まれてなー。簡単なのは何も見なくても作れるし、そうじゃなくてもレシピ見れば大抵はいけるくらいには色々叩きこまれてんだよ」
「……アコライトはパティシエじゃなかったと思うんだけどな?」
「ホントにな。あの時、軽率にやってみたいとか言った俺をホント絞めたい……ほんっきでスパルタでなー。この手の甘い匂い、ダメになったっつーオチがつくんだなこれが。だから、自分からこーゆーの作る事はないんだけど、たまーにこうやって拒否権なしの呼び出しからの菓子作りってのがあってな。よーやく、甘ったるい匂いから解放されて、空気の美味さ噛み締めてた、ってゆー訳」
「なるほど。おつ」
「おつあり~。ま、そんな訳で、良かったら持ってって。今日は俺、胸焼けで何も食えないし、そうじゃなくても、俺1人だと持て余すから」

いつも、適当に出会った知り合いに渡しているのだと言うオーアに、そういう事なら、とヴァレリーは頷く。

「貰ってくれてありがとなー」

そう礼を言ったオーアから紙袋を受け取って、ヴァレリーは片手を振る。

「いやいや、礼を言うのはこっちの方だって。ありがたく食わせてもらうな」

そう笑ってから、ヴァレリーは続けて口を開いた。

「あと、ついでに1つ、お願いがあるんだけど」
「ん?」

首を傾げ、先を促すオーアに、ヴァレリーは片手を立てる。

「今日、オーアのとこ泊めてくれない? 今日はまだ宿決まってなくてさー」

ソファー貸してくれればいいから、というヴァレリーに、オーアは1つ目を瞬かせた後、軽く頷いてみせる。

「それで良いなら、いいぞ。さすがに、ベッドは2人で寝れる広さはないからなー」

あっさりと了承したオーアに、ヴァレリーは破顔する。

「ありがとー! これで宿代浮いたっ。……あ、ついでに、これのお返しに、朝飯くらいは俺が作ろうか」

これ、と紙袋を軽く揺らし、そう提案してみれば、オーアは1つ目を瞬かせ、小首を傾げる。

「別に、いーけど……食材とかないぞ、うち。あ、パンくらいならあるけど」

その言葉に、ヴァレリーは半眼になる。

「またか。前に、俺が酔いつぶれて泊めてもらった時もそうだったろ」
「パンがある分、今回のがましだな!」

キッパリといい笑顔でそう言い切ったオーアに、ヴァレリーは思わず、呆れた目を向ける。

「いや、自慢になんないから」
「だってさー。食材買って作るよか、出来てるの買った方が楽じゃんか」

子供のように軽く頬を膨らませ、オーアはそう言ってみせる。
その言い分は分からなくもないらしく、ヴァレリーはまぁ、確かにな、と軽く肩を竦める。同意を得られた事に、オーアはぱっと破顔する。

「だよな! ――っと、あんま引き留めても悪いな。じゃあ、また夜に、かな?」
「夕飯、一緒に食って帰るじゃダメなのか?」

そう問いかけるヴァレリーにオーアは手を振る。

「ダメダメ。まだ俺、食い物の匂いは嗅ぎたくないもん」

そうは言うが、そろそろ夕暮れ時である。否が応でも民家から夕食の匂いは漂ってきそうなものだが……
そんなヴァレリーの視線を察したらしい。オーアは苦笑を零す。

「あぁ、もうちょい休んだら場所移動するからな。そんなこんなで今日は狩り行けなかったし」

そう言ったオーアに、ヴァレリーは片眉を上げる。

「こんな時間から狩り行く気?」

魔物は夜の方が活発化する傾向にあるものが多い。オーアが普段相手にしている種族は猶更に。その危険度を分かっているが故に、問いかける声には咎める色が滲み出る。が、それを少しも気にした様子を見せずに、オーアは笑って肩を竦める。

「すこーし、な。大丈夫、軽くなつもりだし、長居する気もないから」
「だったら、明日、一緒に狩り行かない? その方ががっつり狩れると思うよ」
「あ。いいなそれ」

ヴァレリーの提案に、オーアは瞳を輝かせる。

「やっぱ、ソロよりも、誰かと一緒のが良いからな」

楽しみにしてる、と口にしてオーアは笑ったのだった。

***

ふと目が覚めた。ぱちり、と瞬き1つして、辺りを見る。まだ、夜の闇は深く、朝は遠い事が分かる暗さだ。もう1度寝直そうとした所で、ヴァレリーの耳が何かを捉えた。小さな、何か、呻くようなその声は……

「……オーア?」

ぽつり、と呟き、音を殺して、オーアの元へと近寄る。

「っ、ぅ……」

すると、ここの部屋の家主であり、ヴァレリーの友人である青年が、眠ったまま深く眉間にしわを寄せていた。唇が戦慄き、時折小さく呻き声が零れ落ちた。どこからどう見ても魘されていると分かる様子に、オーアを揺り起こそうと、ヴァレリーは手を伸ばした。
その刹那。

「っ!!」

バッと飛び起きたオーアは、引き攣った顔のまま、荒い息を繰り返す。

「大丈夫か?」

そう、ヴァレリーが声をかけた瞬間、大げさな程、オーアの肩が跳ね上がり、バッと振り向いたオーアと目が合う。
一拍の間を置いて、ヴァレリーを認識したらしい。引き攣り、強張っていたオーアの表情が、身体が、弛緩する。

「――なんだ、ヴァレリーか。……悪い、もしかして、起こした?」

魘されていた自覚があるのか、オーアは申し訳なさそうな顔を見せる。

「いや、たまたま、目、覚めちゃっただけだな。いびきとか寝言とか、そーゆーの全然なかったぞ」

手を振って軽く答える友人に、なら何で枕元にまでわざわざ来てたのだと、喉元まで出かけるが、それがヴァレリーの気づかいなのは重々承知していたため、言葉を飲み込み、へらりと笑う。

「……そっか、ありがとな」

そう、礼を紡いでオーアは寝台から足を下ろす。

「ちょっと、のどが渇いたから、水飲んでくるわ。まだ真夜中っぽいし、ヴァレリーももう1回寝とけよ」
「はいはーい。オーアもね」
「おぅ」

そんな夜中のやりとりがあった翌朝。

「あ。美味い」

昨日の宣言通り、ヴァレリーが腕を振るってくれた朝食を口にし、思わずといった様子で、オーアが声を零した。

「お、そりゃ良かった」

思わず自然に零れたからこそ、本心と分かる感想に、ヴァレリーは笑って己の分に手を伸ばす。

「でも、悪かったな。食材、わざわざ持ってきてもらって」
「宿代考えれば安いから、そこは全然良いんだけどさ、そー思うなら、常備しとこうぜ?」
「それはそれ、これはこれ。作るのめんどい」

ヴァレリーの言葉をあっけらかんと流し、買ったとしても、腐らせそうだとのたまった青年は、そこで、あ、と声を落とした。

「そだ、忘れてた。ヴァレリー」
「んー?」

ぱちり、と目を瞬かせ、パンをくわえたまま、小首を傾げてみせたヴァレリーに、オーアは申し訳なさそうに眉を下げる。

「……昨日、狩りに行くって話、してたじゃん?」
「おぅ。どこ行こうかって話はしようと思ってたんだ」

と、口の中の物を、咀嚼し飲み込んでから頷けば、ますますオーアは眉を下げ、ぱんっ、と両手を合わせた。

「悪いっ! ちょっと急用入って一緒に行けなくなったっ!」
「ありゃま」

軽く目を見張り、そう声を漏らしてから、ヴァレリーは苦笑する。

「まー、用事出来たんならしゃーない。次、行ける時に、だな」
「っとにすまんっ! 次、行けるとき行こう」

***

むせ返りそうな程、強い緑の匂い。
巨大な樹の上に作られた街、ウンバラにて、オーアは思わず目を瞬かせた。
見慣れたギロチンクロスの制服に、自分のものとはまた違った色合いの金の髪。深緑の瞳。目の前に居た人物は、どう見ても、朝、分かれたはずのヴァレリーだった。相手の方も、自分と再会するとは思っていなかったようで、目を丸くしてこちらを見ていたが、ふっと笑みを浮かべ、軽く手を上げた。

「さっきぶり」
「……おぅ。ヴァレリーもここ、来てるとは思わなくって、びっくりした」

そう言って。へらり、とオーアも小さく笑う。
その笑みが、どこか取り繕うような雰囲気を感じて、ヴァレリーは内心首を傾げる。が、それを表に出す事なく、口を開いた。

「偶然だなー。ここ来てる、って事は、オーアの用事ってニブル?」

ME型のハイプリーストであるオーアでは、1人で狩れる魔物は限定される。
それを思えば、簡単に予測出来るだろう問いかけに、オーアは軽く頷いた。

「ま、そんなとこ。ヴァレリーは?」
「俺もそんな感じー」

オーアの問いかけに、へらりと笑って、そう肯定してみせたヴァレリーは、そのまま、ぽん、とオーアの方を軽く叩く。

「んじゃあ、偶然だけど、目的地同じな訳だし、一緒に行かない?」

笑ってそう言えば、オーアも笑って同意する……かと思いきや、申し訳なさそうに眉を下げ、片手を立てた。

「んー……悪い。遠慮しとくわ。用事ある、って言っただろ。さすがに付き合わせんのもなー」
「別に気にしないんだけどなー」

残念そうに言うヴァレリーに、オーアは苦笑を漏らす。

「さんきゅ。でも、これは俺がやんないとでもあるから」

そう言った後、誘ってくれた事への礼と、次は自分から誘うという約束を紡いだオーアに、ヴァレリーは軽く頷いて見せた。

「ん。分かった。楽しみにしてる。……ま、じゃあ、向こう着いたら、各自、って事で」
「だな。ま、バンジーする前に、基本支援くらいはかけさせてかな」
「お。ありがとー」

そんな言葉を交わし、どちらともなく歩きだした。
カプラサービスによる空間転送位置から、ウンバラ名物であり、ニブルヘイムへの近道でもあるバンジー台まではそう遠くない。故に、何てことない会話をしながら、歩けば、すぐにその場所は見えてきた。

その時、視界の端で何かが動いた気がして、ヴァレリーは何気なく、ちらりとそちらへ視線を走らせる。
そして、気付く。いつもと変りなく、笑って会話をするオーアの手が、きゅっ、と強く握りしめられている事に。

「――オーア?」
「ん?」

その違和感に、思わず隣りを歩くハイプリーストの名を呼べば、きょとんと、緋色の瞳が不思議そうにヴァレリーを見返した。

「どうかしたか? ――って、あ! そか、支援かっ」

小首を傾げるオーアだったが、すぐにはっとしたように手を叩く。確かに、そうこうしている内に、バンジー台は目前で、あと、数歩も進めば飛び降りる事が出来る所にまで来ていたため、オーアがそう判断したのも無理はない。
どの言葉を紡ぐか、一瞬迷ってから、ヴァレリーは、笑みを作って口を開いた。

「ん、よろしく~」
「OK~」

オーアが軽く頷き、ブレッシングの詠唱をしようとした、その時だった。
ずどどどど、と道であり、足場である板が心配になりそうな音を立てて、猛烈な勢いでこちらへと突進してくる人影の存在に気付いたのは。

「行っくぜぇぇええええ!!」

聞こえてくる雄叫びと、緩む気配のないスピードに、ブレッシングを唱えようとした口を止め、オーアはヴァレリーの横から前へと移動する形で、脇へと逸れる。
そうする事で空いた、人1人分が通れるであろう空間を、ロイヤルガードの鎧を纏った男が駆け抜けて行く。そして、オーアとすれ違った、その時だった。

「っ!?」

どんっ、と鈍い痛みと衝撃がオーアを襲う。ロイヤルガードが背負っていた巨大な盾がぶつかったのだと理解すると同時に、衝撃でバランスを崩した身体が傾ぎ、ザッ、とオーアの顔から血の気が引き、総毛立つ。
バンジー台から足が浮き、宙を掻くその瞬間が、嫌にゆっくりに感じた。耳元で鳴る風の音、落下時特有の浮遊感。あの時と同じなそれらに、ひゅっと息が詰まり、記憶がフラッシュバックする。
思わず、ぎゅっと目を瞑った、その刹那

「――!」

誰かの声が、聞こえた気がした。

とん、と気が付けばそこに着いていた。

薄暗く不気味な室内に、埃っぽい陰気な匂い。あの時と変わらないそれらに、更に幼い頃の記憶が混同する。
かたかたと身体が震え、止まらくなる。その場でうずくまり、ぎゅっと自分自身を抱きしめた。
怖い怖い怖いと叫ぶ意識の片隅で、どうにか残った正気の部分が、盛大にかさぶたを引っぺがしてトラウマを抉ってくれた見知らぬロイヤルガードに対して呪詛を送る。そんな中、微かに残った理性が、早くこの場から離れなければ人が来る事、こんな状態の自分を他人に見られたくない事を訴えていた。
理性の訴えはもっともで、オーアは、ギリ、と奥歯を噛み締め、震える身体を叱咤し、どうにかこうにか立ち上がる。そして、歩き出そうとした、その時だった。
声を掛けられ、腕を掴まれる。それが誰で、何と言ったのか。知覚するより先に、過去の記憶がフラッシュバックした。

『――お前……煮込みやすくて……うまそうだ……』

抑揚のない、身の毛のよだつような声が脳裏に響く。

「――っ!!」

ザッと血の気が引き、反射的に掴まれた手を振り払おうと腕を振るが、その手が外れる事はなく、恐怖が一気に膨張した。

「――っだ、やっ! 嫌だっっ!! 離し――」
「――オーア!!」

どうにか逃れようと暴れる中、耳に届いた“単語”に、オーアははっと目を見開き、我に返る。
オーア。
それは、紋章学で、金色を意味するのだと、そう、教わったその言葉は、今の己をあらわす名だ。
改めて、目の前を見れば、薄暗い中でも分かる金色の髪と、ギロチンクロスの制服がオーアの瞳に映った。

「ヴァ、レ、リー……」

強張った舌を無理やり動かし、目の前の人物の名を紡げば、ヴァレリーは、ようやく合った視線に、ほっと小さく息をついた。

「やっと、こっち見たな」
「悪い――おわっ!?」
「オーア!?」

ヴァレリーを認識し、オーアが吐息と共に言葉を紡ごうとしたその刹那、かくん、と足の力が抜け、床へとへたり込みそうになる。それを寸でのところで支えたのは、ヴァレリーの腕だった。かたかたと未だ震えの止まらぬ身体に舌打ちしたい心地になりつつも、自分だけでどうにかしようとするよりも、もう少しだけヴァレリーの手を借りようと口を開く。

「悪い、ヴァレリー。……手、貸してもらっていい……? 他に人、来る前にちょっと……場所、移動したい……」
「良いけど……それより、1回戻った方がいいんじゃ――」

「嫌だ」

本来であればもっともであるし、自分がヴァレリーの立場でも同じような事を言っただろう。けれど、反射的に彼の言葉を遮り、出た言葉は、思った以上に、硬く強く響き、オーアは気まずげに視線を逸らす。

「悪い……でも、もうちょい落ち着けば、大丈夫だから……」

そう言い募ったオーアに、ヴァレリーは小さく息を吐く。

「……そっか。じゃ、移動しよう。ほーら、特別大サービスで肩も貸しちゃうから、頑張って」

そう言葉を紡いで、にこりと笑みを作って見せると、オーアの腕の己の肩へと回し、支えつつも、立てる? と敢えて軽く問いかける。
そんなヴァレリーに頷き返し、オーアは、足に力を入れる。そうして移動を始め、部屋から出たオーアが指したのは、すぐそばにある部屋だ。

「ん。ここで大丈夫。ヴァレリー、さんきゅ、助かった」

空き部屋であるそこへと入り、言ったオーアに、ヴァレリーは少しの間、オーアを見てから、オーアの腕を離す。

「じゃあ、オーア、無理はすんなよ」
「ん。ヴァレリーも、気を付けてな」

そんな言葉を交わして別れた後、オーアは部屋の外から見て死角になるであろう位置まで移動すると、その場に座り込んだ。
両膝を立てて座り、自分自身を抱きしめると、額を膝につけるように上体を倒し、深々と息を吐く。

(……ホンっキで、参ったなぁ)

ヴァレリーのおかげで表面上、取り繕えるくらいにはなったが、怖いと叫ぶ心は変わらず、上手く身体に力が入らないこの状況では、狩りで強制的に慣らすには、ちょっと所ではなく不安だった。

(多少、手が震えてるくらいなら、ここだと普通にあるから強制的に慣らすんだけどなぁ……さっさとそのくらいまでになれよ)

自分自身にそう悪態をつくも、本当は、ヴァレリーの言う通り、1度戻った方が回復も早いだろうことは理解している。
けれど、自分が、オーアで在るために、自身の名を自信をもって紡げるように、ここで狩れなかった、という実績を作りたくなかったのだ。そもそも、ここで、あんな醜態を晒す事自体が、完全に予想外だったのだけど。

(……たった1つ、突き落とされた、って符号が追加されただけなのに……)

きゅう、と自身の服を握りしめる指の力が強まった。大分、ましになっているとはいえ、高所恐怖症なのも、正直、今は克服を諦め放置している落下恐怖症なのも事実だ。その原因であるウンバラバンジーを避けるのは当然で……けれど、冒険者になった後、バンジーでニブルに来たことがない訳でもなかったのに。

(……あの時は、ラスの馬鹿に引っ張りこまれて、だったんだよな……)

つらつらと考える。
こんな状態に陥ってしまった原因と、次、こうならないための対策を。

(あの時は、もっと平気だった……はず、だから、やっぱ、突き落とされたの、ダメ、なんだなー……ただ、最近は、ずっとイグ幹経由だったから、ニブル着くまでに、慣れが出てたのもあるかも……イベントとか、で、転送してくれる人いる時、行くとかして、直でニブル言って慣らした方がいいかもしんない……そういや、ニブルへの転送術式が刻まれた帽子があるって、聞いたような……ちょっと、探して……購入検討も、ありかも……)

そんな事を考えていた、その時だった。
こつん、と不意に響いた足音に、びくっ、と肩を跳ね上げ、バッと顔を上げる。そうして見えた姿は、先程分かれたはずのそれで、オーアは目を丸くした。

「……ヴァレリー?」

どうしたんだ、と問いかけたオーアに、ヴァレリーはへらりと笑う。

「ん。きゅーけー。外だと集られて休憩にならないからなー」

って訳で少し場所借りるな、と言って ヴァレリーはオーアの隣へと腰をおろす。

「そっか……」

ヴァレリーの言葉に小さく返してオーアは何となしに見慣れたギロチンクロスへと視線を向けた。休憩だという ヴァレリーの言葉が、ただの口実なのは、簡単に分かった。
休憩というには、早すぎるのだから。やっぱり、心配させてたかと思うが、そう思われても仕方のない様子を見せた自覚はあるので、自業自得だな、と納得する。が、
ならば、逆に気になる事があった。

「……聞かないんだ?」

ぽつりと、問いかける。静かな空間の中、響いたその声に、ヴァレリーは、ぱちり、と
瞬いてから、なんて事ないように、笑った。

「何がー?」

その問い返しに、オーアは言葉を詰まらせる。それを見て、ヴァレリーは小さく苦笑を浮かべた。

「……面白くもない事、わざわざ言葉にして思い出させる事ないだろ」

深緑の瞳に、労りの色を浮かべ、紡がれた言葉に、オーアは目を丸くする。

「……そっか」

小さく、呟く。
じわじわとしみこんできたその言葉に、もう1度、そっかぁ、と声をこぼし、オーアは、ふんわりとした笑みを自然と浮かべた。

「ヴァレリー、ありがとうな」

その言葉に、ヴァレリーは数拍間を置いてから、何でもないように笑ってみせた。

「……お礼、言われるような事はやってないんだけどなー」
「ん」

予想は出来ていたその返しに、小さく声を漏らし、オーアは再び顔を伏せる。
すると、ぽん、ぽん、と軽く背をたたかれた。
その手の優しさと温かさが、とても心地良いな、とそう思った。

fin

あとがき
グーグルドキュメントに置いてた奴をサルベージ。その4。

そんな訳で、ニブルネタでした! この後は、回復したオーアが普通にニブル回る感じになりそうなので、ここで切り。
ちゃんと、ヴァレリーさんと、ニブルの街を歩くのは、CP成立後になるだろうなぁ。ニブルの街歩きとトラウマ暴露はセットですw 書けるなら、これも書いてみたいけど、ヴァレリーさんの反応が難しそうだなぁ……まぁ、それはともかく
実は、この時、オーアの方で、小さな小さな芽が生まれていたり。というのも、ヴァレリーさんから告白受けて、本気でただの友達って思ってたら、オーア、保留にしないで断ってそうだなーって実は思っていて、無意識に、保留って選択をする何かはそれまでにあったんだろうなーって考えた時、浮かんだイベントがこれだったという裏話。だから、もしかすると、その感情の芽が生えたのは、オーアの方が先の可能性もあるかもしれない。ヴァレリーさんが、本気になったのって、いつなんだろうなぁ? とはいえ、同性での恋愛なんて、露ほどにも考えたことないオーアなので、もし、ヴァレリーさんが告白しなかったら、その芽が成長する機会は永遠に訪れなかったんだろうなぁと思います……w


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使用素材: 篝火幻燈様 蔓 #3

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