その日は、朝から不思議な感覚がした。
耳鳴りがするような、何かに軽く引っ張られているような……呼ばれているような、微かであやふやな、不思議な感覚。

「あ、おはよう、姉さん」
「おはよう、カルちゃん。今ご飯準備するね」

起きてきた妹、カルロとそんな会話をし、朝食を作る。
お湯を沸かし、食パンを切って、トースターへ。温めていたフライパンに投入するのはソーセージと卵。そうこうしている内に、末の妹、プレナが起きてきて、ティーポットにお茶の葉とお湯を注ぐ。

けれどその日は、そんないつもの朝でもあった。

「えっと、たしかプレは今日アカデミーで……姉さんは、今日どうするの?」
「ん~、仕入れかな。華麗皮の在庫が切れてるし」

朝食の席で何気なく聞かれた言葉にそう答えれば、カルロは眉を顰める。

「ゲフェンか……姉さん、気を付けてよ? 今、こことか、ゲフェンに、あんまり良くない人たちが来てるって話だから」

カルロの言葉に、ルキナはぱちくりと目を瞬かせた。
と、黙々と朝食を口に運んでいたプレナが手を止め、こてり、と首を傾げる。

「……プロンテラに良くない人、来て、治安悪化してる、っていうのは、聞いてた、けど……ゲフェンもなの?」

妹の言葉にカルロは1つ頷く。

「モロクから、こことゲフェンは同じくらいの距離だし、プロには騎士団もいるからね。性質が悪いのはゲフェン方面に行きやすいから気を付けろ、って、ファルクもディアボロスも言ってたわよ」
「そっか…………モロク、って、まだ立ち入り禁止……なんだよね」

シーフ系の友人2人の言葉に、眉を下げた後、プレナは確認するかのように言葉を紡ぐ。
それにルキナは沈痛な表情で、頷き返した。

「うん。……もう、1ヶ月くらい、経つんだけどね……」

約一ヶ月前の出来事だ。とある日の深夜、モロクの街中、その中心部に突如魔物が現れたという報が入ってきたのは。

それはただの魔物ではなかった。その場にいた者達では太刀打ちできず、町の住民は逃げ惑う事となった。しかも、それは大量の魔物を生み出した。生み出された魔物達も強力で、それらによって、一夜で、モロクの街は壊滅に追いやられてしまったのである。
その夜の事は、3人共、強く記憶に残っている。夜中、地が揺れ、飛び起きた。そして、その後、テロかと思うほどに外が騒がしくなったのである。慌てて外に飛び出せば、ポタによって転移してきたのは大量の重症者。それは、冒険者、非冒険者関係なく。何が起きているのかも分からず、ただ、分かったのは、モロクの街がナニカに襲われている事。現地のプリ―スト系の冒険者が救助のため、自力で動けない人を避難させようと、ワープポータルを繋いでいたという事だった。……けれど、そのプリ―スト達も少なくない数の死傷者を出したらしい。
避難先の場でさえ、あの時、血と死の匂いに包まれていた。実際、襲撃を受けていたモロクは、あの比ではなかっただろう事を思うと、背筋は震えた。

そして、夜が明け、分かったのは、モロクの中央、その地下深くに封印されていた魔王モロクが復活した事。己の分身を大量に生み出し、街を蹂躙したという事だった。
動ける街の住民は、モロクの西へと避難し、とっさにモロクの魔物侵入阻止の結界を反転。魔物を街から出さないようにすることで、魔物の追撃を防いだ。

が、それは、つまり、魔物にモロクの街を奪われたと同義だった。
そんな非常事態にもかかわらず……否、非常事態であったが故か、王国の対応は遅れた。
対応の遅れた王国の代わりに、騎士団や各職ギルドからの選抜メンバーに有志の冒険者達を集め、コンチネンタルガードという組織を編成。どうにか、モロク奪還へ打って出た。
現在は、モロク内を闊歩している魔物、魔王モロクの現し身と名付けられた複数種類のそれらへの有効打を探るための調査、討伐中らしい。討伐と、戦力が整い次第、街の結界を解除し、街の東へと魔王モロク達を押しだし、戦場をモロク東へと移行させると共に、モロクの東門に防衛線を構築するらしい。詳しい作戦その他は当然の事ながら秘されているが、その程度の大まかな作戦なら、そう、発表があった。
そんな事を思い出し、ルキナはそっと息を落とす。そして、緩く首を振り、思考を切り替える。自分達に、出来ることはないのだから。

「大丈夫。ちゃんと狩り、気をつけるから。それに、そういう悪い人が目をつけそうなものなんて持ってないもの。カルちゃんが心配するような事は起こらないよ」

にこり、と笑って話を戻せば、カルロとプレナも息を吐く。
未だ鮮明なあの一夜から、現在へと意識が戻ってきたが故の息だった。

「まぁ、そうかもしれないけどね。でも、気をつけるにこしたことないんだから」
「うん、分かってる。ありがとう、カルちゃん」

***

とん、と軽い音を立て、ゲフェンに降り立つ。
そのまま東へ、慣れた道を進めば見えてくるのは、のどかな風景、水の音とぽよぽよと動き回るポリンの音を耳にしながら、ほっと息をついた。治安が悪くなっていると聞いてはいたが、街も、ここも、いつも通りだ。

キーーーン……

その時、耳の奥で高い音が響くような感覚を受けた。

耳鳴り。

今朝も感じたそれに思わず微かに眉を顰める。
が、耳鳴りはすぐに治まり、何事もなかったかのように、周りの音が戻ってくる。

「んー……疲れてでもいるのかなぁ」

耳鳴りって何が原因で起こるんだっけ、なんて思うものの、すぐに治まったが故に害もない。
故に、まぁいいかと結論づけたところで、ふと、思い出す。

「……そういえば、あのおじいさん、今日は居なかったなぁ」

ゲフェンにいた不思議な老人。彼の頼みを聞いて、少し、不思議な体験をした。
それを思い返していると、ふと、マミーと別れる時、彼が言っていた言葉が脳裏をよぎる。

『……その気持ちは嬉しいけど、しばらくモロクには来ない方がいいよ』
『え?』
『たぶん……近いうちに、良くない事が、起きる気がするから』

「……もしかして、これの事、言ってたのかな」

モロクのダンジョンを住処にしていたのだ。何か、もしかしたら、何かを感じていたのかもしれない。
既に目的地に着いている事も気づかず、考え込んでいたルキナの背後から、不意に、手が伸びた。

「――っ!!」

悲鳴は出なかった。声が口から零れる前に、大きな手が彼女の口を覆い、強く押さえ込んできたためだ。
次いで、右腕を後ろに捻り上げられる。

「つーかまえた、っと」

同時に響いたのは、軽薄だが、悪意に満ちた背筋がざわりとするような声。
それに反射的に身を固くする。が、次の瞬間にはハッと我に返る。拘束を解こうと身を捩り、自由な左手で口を覆う手を外そうと藻掻く。けれど、力の差は歴然で、びくともしない。
拘束をしている男の方も、その程度では、抵抗とも感じないのか、今更暴れちゃってかっわいー等と、揶揄いを含んだ笑い声をかけてくる。

「な? やっぱ簡単だっただろ?」

次いで、男は何もいないはずの眼前に向かって声をかけた。すると、ふっと、景色が揺らぎ、2人の男が姿を表す。
ローグである事を示す衣装を身に纏う彼らの姿を見て、クローキング、という単語が脳裏をよぎる。

「ちぇー、せっかく隠れてたのにムダ骨かよ」
「お。ポーションはっけ~ん。やっぱ、そっちの予想通り、製薬ケミちゃんだぜ、この子。ルキナちゃん、だってさ」

男のうち、1人はつまらなそうに口を尖らせ、もう1人は、ルキナの引いていたカートを我が物顔で漁り、ポーションを取り出す。

「やっぱりな~。絶対戦闘じゃねーと思ったんだ。体つきとかさぁ、動き方が見るからにそんな感じだったじゃん」
「うっせーっ! 1回そーゆー見るからに、な奴に返り討ちにされて見ろ!! 見た目で判断すんのはヤバイって思うからっ!」

ルキナを拘束している男と、ハイディングをしていた男の片割れが頭上でそんな事を言い合う中、カートを漁っていた男がルキナに視線を合わせ、にたりと笑う。

「――にしても、もったいねーよなぁ。なかなかイケる見た目してるし、製薬ならそっちの使い道もある。ルートが生きてりゃ、絶対買い手ついたろーに……」
「それなー」
「え、売んねーの?」
「バーカ、あっちがああなのに、出来るかよ」

ルキナを拘束してる男がそう言えば、ハイディングをしていた男が、あー、と納得の声を漏らす。

「確かになー……えー、もったいな。んじゃ、これ、どーすんの?」

珍しいものを拾ったが、よくよく見れば、ガラクタだったかのような。
そんな落胆の色を含ませ問う男に、ルキナの頭上から答えが返る。

「決まってるだろ。貰うもんもらって、ぽい、だよ。……あぁ、でも」

笑いを含んだ男の声がざらりと空気を撫で、淡々とした色をじわりと変える。

お楽しみ・・・・くらいは、ありかもな。その方が黙っててくれるだろ? イロイロと」

その声に、言葉に、2人の男が、下卑た笑みを浮かべた。
男達の言葉の意味はルキナには理解出来ないものだ。けれど、彼女を拘束している男の一言によって、変わった男達の雰囲気に、本能的な身の危険を感じ、ルキナはびくりと身を竦ませた。

――その時だった。

「――白昼堂々、一体何をやってるんですかねぇ」

そんな声が響いたのは。
思わず視線を向ければ、そこに居たのは1人の青年だった。
青年の姿を目にし、ルキナは状況も忘れ、目を丸くした。口を押し塞がれていなければ、ぽかんと開いていた事だろう。

(……綺麗な人)

状況も忘れて、思わず、そんな事を思う。
そのくらいには、美しい人だった。

すらりと背が高く、華奢といって良いほどに細い。
きらきらと陽の光を弾く白銀の髪は、長く腰に届きそうな程だ。顔立ちは非常に整っており、切れ長の瞳は紅玉の如き深紅。
妖精の耳を付けているらしく、耳が尖っていた。
妖精の耳中段装備をつけている。という事は冒険者なのかな、と内心ルキナは首を傾げる。

(でも、職業服じゃない……私服、なのかな)

冒険者として活動する際は、職業服を着用することを義務づけられている。
彼の服装はそれではないという事は、私服なのだろう。
ゆったりとした袖の割に比較的動きやすそうであり、見たことの無い、深い翠の珠が嵌った杖を所持している所を見ると、私用であるため、職業服ではなく、私服で狩りに来たという所だろうか。
だがしかし、狩りの際に、職業服を着ていないというのは、珍しいことに変わりない。
故に、だろうか、男達もどこか訝しげにしつつも、目の前の青年を睨め付ける。

「なんだぁ、てめぇは」
「強いて言うのなら、ただの通りすがりですよ。……けれど、目の前の明らかな犯罪行為を黙認出来るほど、人を捨ててはいませんので、ね。――その人を放していただきましょうか?」

穏やかな口調だが、有無を言わせぬ色を滲ませた言葉を紡ぎつつ、青年は男達に近づく。そして、一定の距離まで来ると立ち止まる。
そんな青年に男は嘲笑を返した。

「はっ、そう言われて、はいそうですかっつー奴がどこにいんだよ」
「ちょーどいい。兄ちゃんにも色々置いてって貰おうか。このお嬢ちゃんを助けに来たっつーんなら、目の前で殺されたくはねーだろ? おとなしくすんのはそっちの方――」

「それは、貴方がたには出来ないでしょう?」

ルキナを拘束している男の言葉を、青年は途中で遮る。
さらりと髪を揺らし、小首を傾げた青年に、男の口から、あ? と声が零れた。

「途中から聞こえて来た会話。それを聞く限り、元々貴方がたには、彼女を殺すつもりはない。けれど、同時に口止めは行いたい。死人に口なしと言いますし、単純に犯人に関して自分達の口止めだけであれば、殺してしまった方が手っ取り早いはずです。けれど、そうしないのは、それが出来ないから。口止めの対象が、自分達の事ではなく、事件そのものなら、死者、という明確な被害者が出る殺人は避けたいはず。まぁ、そうでなくても、単純に強盗よりも殺人の方が罪は重くなりますしね」

故に、貴方がたに、その人は殺せない。そう言い切った青年に、男の口から舌打ちが漏れる。
青年の言葉が的を射ていたからだ。
ここがモロクであるなら、話は簡単だった。売るにしてもルートがあったし、殺すにしても、近くにピラミッドダンジョンやスフィンクスダンジョンがある。冒険者証を奪った上で、そこに放り込んでおけば、もしくは、冒険者証を付けさせたままそこで殺せば、魔物に殺された、で簡単に物事が終わる。あそこには、刃物を使う魔物が多いから尚更だ。
けれど、ゲフェン近くであるこの付近ではそうもいかない。魔物に殺された風を装うにしても、グラストヘイム方面ならともかく、この付近の魔物はそこまで凶暴な魔物はいないため不可能。
そして、モロクからこちらへ流れてきた輩は少なくなく、治安が悪化しているのは周知の事実。
周知の事実であるにもかかわらず、騎士団が動いていないのは、モロクやプロンテラのごたごたもあるが、それ以上に、凶悪犯罪に分類される事までは起きていないからだ。
要するに、治安が悪化している物取りや恐喝程度ならば見逃されているという事だ。
そして、こちらも、それを踏まえた上で、どの程度までならば見逃されるかは十分よく分かっている。
故に、今の状況、この場所で冒険者の殺人はまずい。
それは、騎士団が動く代物になるからだ。そして、騎士団をドンパチする程、男達に余裕はない。ホームでもないのだから尚更だ。

「っ、だったとしても、んなひょろひょろの魔法職に何が出来るってんだっ」

その言葉と共に、2人の男が短剣を手に、襲いかかってくる。
が、対する青年は平然と口を開いた。

「そちらこそ、何を言ってるんですか。決まっているでしょう。私は、魔術師なんですから」

そう言葉を紡ぐと、青年は、ひらりと、男達の凶刃を回避する。
続けざまに振り抜かれる刃を危なげなく回避しながら、何かを口ずさむ青年。詠唱をしてるのだろう、その姿に、ふと、ルキナは目を瞬かせた。

(……あ、れ? 今、あの人。指先が、光ったような……)

見間違えか、光の錯覚でなければ、あれは魔力の光だ。己が製薬を行う際、毎回目にしているそれだ。
何で、とルキナは思う。それは当然の事だった。
アルケミストが行うファーマシーとマジシャン系が使う魔術は根本的に術の組み立て方法が異なる。
マジシャン系の魔術は、術式を組み上げてから顕現する、所謂、内側で組み上げるタイプのものだ。
対して、ファーマシーなどは、放出した魔力を操作して術式を組み上げる、所謂外側で組み上げるタイプのものである――といっても、ファーマシーは、自分の魔力を使って素材の魔力を組み上げるため、また少し特殊な部類の入るのだが――。
つまり、今の光が魔力のそれだとしたら……
その先を思うより前に、青年が、凜とした声で言霊を紡ぐ。

「――テンペスト」

青年が聞き覚えのない言の葉を紡いだその刹那、風が、吹き荒れた。
それは瞬きの間で、無数の鎌鼬へと姿を変え、嵐のように男達に襲いかかる。
そう、彼らだけを襲ったのだ。
男に捕らえられ、男と密着している状態にも関わらず、ルキナ自身には、風の刃は掠りもしない。
と、声を上げて、ルキナを捕らえていた男が倒れ、その拍子に拘束が解ける。が、急な解放と衝撃に巻き込まれるように、ルキナも両手足を地に着けた。

その刹那、キン、と硬いもの同士がぶつかるかのような音が小さく響く。
反射的に、そちらに目を向ければ、土に半分埋もれた石の上に、見慣れた楕円形のプレートがついたブレスレットがあった。
己の名前が刻まれた、冒険者証だ。バッと己の腕を見れば当然のあるはずのそれが無くなっていた。
ルキナは慌てて、手を伸ばし、ブレスレットを拾う。ほぼ反射的に検分するが、ブレスレットは壊れた様子もなく、ただ留め具が外れているだった。

狩りで着けていても大丈夫なようになっているブレスレットだ。
偶然に外れるような代物ではないし、当然自分で外してもいない。それはすなわち、気づかない内に、外されていたという事だ。
ルキナは、パッと、痛みに呻く男へと視線を向ける。タイミングから考えれば、いつの間にか――おそらくは拘束されている時にだろう――冒険者証を盗られていた、という事だ。
それが男が倒れた際に落ち、運良く石に当たって音がしたため、ルキナが気づく事が出来たのだろう。
その幸運に、ルキナはほっと息を零す。

と、術の効果が切れたらしい。風の刃がすっと霧散していく。
後に残ったのは、地に伏せ痛みに呻く男達と、座り込んだルキナ、そして、平然と立つ青年だ。

「――こちらへ」
「あ、はいっ」

男達を油断なく一瞥してから、ルキナの方を見、青年は手を差し伸べた。
はっとして、ルキナは立ち上がり、青年の元へと駆け寄ろうとし――ふと、立ち止まる。
そして、カートへと足を向けると、いくつかの白ポーションと青ポーションを取り出す。
それらを男達から少し離れたところに置き、改めて、カートと共に青年の方へと駆け寄った。
一連のルキナの行動を見ていた青年は、複雑そうに小さく苦笑を浮かべる。

「……ここではなんですから、場所を移しましょうか」

そう言って、くるりと身を翻し、歩き始めた青年に、ルキナは何の躊躇もなく、その後を追ったのだった。

「……さて、このくらいで良いでしょう」

しばし、歩いたところで、そんな呟きと共に、青年は足を止め、振り返る。
温度のない視線を受け、ルキナは、ぴっと背筋を正すと、勢いよく頭を下げた。

「あのっ、助けてくれて、ありがとうございましたっ」

ぺこん、と頭を下げたルキナに、青年はふっと、視線を和らげた。

「いえ、お気になさらず。当然の事をしただけですから」

そう言ってから、青年は苦笑を浮かべ、もう1度口を開く。

「――けれど、余計な事かもしれませんが、その人の良さは、時に仇となりかねませんよ?」
「ふぇ?」

きょっとんと目を瞬かせ、不思議そうな表情で小首を傾げたルキナに、青年は苦笑を深める。

「去り際に、ポーションを置いていたでしょう? 自分に危害を加えようとした相手なのにも関わらず。それに、初対面である私に、何の警戒もなくついてきたでしょう?」

もう少し、警戒心を持つべきだと思いますよ、と青年は忠告する。
ルキナは、んー、と小さく声を漏らし、ゆっくりと口を開いた。

「……確かに、あの人達が怖くなかったって言ったら嘘になります。――でも、あの人達も、街が無くなって、大変なの、分かるから……」

彼らは元々モロクを拠点とし、そして、ゲフェンに流れてきた人なのだろう。
それを思えば、ある意味自業自得とはいえ、怪我をしてるのをそのままにしておくのは、出来なかったのだ。
朝も会話に上がった、モロクの惨状。それを思い出し、自然と俯いてしまった顔を上げ、ルキナはにこりと笑う。

「それに、あなたは、良い人ですもん。警戒する必要なんてないでしょう?」

無垢と言っても過言ではない笑みを浮かべ、言い切った少女に青年は息を吐く。

「それが人が良いと……甘いと言ってるんです。親切を装い罠にかける、そんな輩だっているのですから。――私も、多少、下心がありましたし、ね?」

すっと目を細め、口の端を上げ、だから、貴方を助けたんですよ、と、青年は告げる。
そんな青年に、ルキナは、ぱちくりと目を瞬かせた後、ふんわりと、嬉しそうに笑った。

「お礼、したいって思ってたんですっ。私に出来ることなら、何でも言ってください」

通常であれば、逃げるか警戒の色を浮かべるべき台詞に対して、そう返したルキナに、逆に青年の方が呆気にとられたようだった。
数秒の間、沈黙が流れた後、深々と青年はため息を落とす。

「…………貴方ねぇ」

ため息の後、どうにか絞り出した声に、ルキナはきょっとんと小首を傾げた。

「どうかしましたか?」
「だから、もう少し、警戒心を持つべきだと言ってるんです。そんな調子では、本当に酷い目に遭ってしまいますよ」

深紅の瞳に懸念の色を浮かべ、懇々と諭す青年に、ふふっ、と小さな笑い声が少女の唇から零れた。

「大丈夫ですよ。あなたは良い人ですもん」
「だから――」

繰り返し、無条件の信頼の言葉を紡ぐ少女に、青年が口を開こうとしたのを遮って、ルキナは言う。

「――だって、あなたは良い人だなって、思ったんですもん。それに、もし、あなたが、ホントは悪い人で、私を騙そうとしてるんだったら、そんな事は言わないでしょう? そのまんま、騙しちゃえばいいんですもん。そんな事言ったって、何にも良いことないじゃないですか」

でしょ? 少女は屈託無くと笑う。
青年は、紡ごうとしていた言葉達を押しとどめ、代わりに1つ息を吐き出してから、苦笑を漏らした。

「全く……私の負けですよ。でも、本当にちゃんと気をつけてくださいね」
「はーい」

青年の言葉に、所謂良い子な返事をしてから、ルキナは、ちょん、と首を傾げた。

「――それで、して欲しいことって、何ですか?」

先程、青年は多少の下心はあると言っていた。
ルキナに警戒心を持たせるための方便の可能性もあったが、もし、そうでないのなら……何か自分に出来ることがあるのならしたいと思うのは、彼女にとっては至極当然の事だった。
そんなルキナの言葉に、青年はしばし沈黙した後、息を吐く。

「……そう、ですねぇ。お願いしましょうか」

小さく苦笑して紡いだ言葉に、ぱぁっと嬉しそうにルキナの顔が輝く。
その反応に、青年は苦笑を深めつつも、口を開いた。

「いくつか、聞きたい事があるんです」
「何ですか?」

私に分かることであれば、と口にするルキナに、青年はおそらく貴方からすると困惑する事かもしれませんが、と言い置いて言葉を紡ぐ。
そして、それは、青年の言葉通り、少女の目を丸くさせるものだった。

「――ここは、どこでしょうか?」
「ふぇ?」

ぱちくりと目を瞬かせるルキナに、青年は、困ったように眉を下げ、笑う。

「……実は、何故自分がここにいるのか、分かっていないのです。……まぁ、おそらく、これが原因だとは思うのですが」

そう言って青年が取り出して見せたのは古めかしい黒い本だった。
ぱちくりと目を瞬かせるルキナの前で、青年はちらりと本に視線をやり、嘆息する。

「元々は、生家の書庫に居たのですけどね。急にこの本が光り輝き、気が付いたらここにいた、という訳です」

荷を降ろしてなかったのは幸いでした、と零す青年に、ぽんと、ルキナは手を叩いた。

「そっか。元々お休みだったから、職業服じゃなかったんだ」

納得、と1人頷くルキナに、今度は青年の方がきょとりとする。

「職業服?」
「はい。だって、あなたも冒険者さんでしょう?」
「えぇ、ウィザードをしております」
「へー! そっか、だから風の魔法なんて使ってたんだ。私、初めて見ましたっ」

私に分かることであれば、と口にするルキナに、青年はおそらく貴方からすると困惑する事かもしれませんが、と言い置いて言葉を紡ぐ。
そして、それは、青年の言葉通り、少女の目を丸くさせるものだった。

「――ここは、どこでしょうか?」
「ふぇ?」

ぱちくりと目を瞬かせるルキナに、青年は、困ったように眉を下げ、笑う。

「……実は、何故自分がここにいるのか、分かっていないのです。……まぁ、おそらく、これが原因だとは思うのですが」

そう言って青年が取り出して見せたのは古めかしい黒い本だった。
ぱちくりと目を瞬かせるルキナの前で、青年はちらりと本に視線をやり、嘆息する。

「元々は、生家の書庫に居たのですけどね。急にこの本が光り輝き、気が付いたらここにいた、という訳です」

荷を降ろしてなかったのは幸いでした、と零す青年に、ぽんと、ルキナは手を叩いた。

「そっか。元々お休みだったから、職業服じゃなかったんだ」

納得、と1人頷くルキナに、今度は青年の方がきょとりとする。

「職業服?」
「はい。だって、あなたも冒険者さんでしょう?」
「えぇ、ウィザードをしております」
「へー! そっか、だから風の魔法なんて使ってたんだ。私、初めて見ましたっ」

ウィザードならば、研究中の魔法というのもあるだろう。
本によって転移したと言うことは、元々魔術の研究をしてた人なんだろうなとあたりをつけ、ルキナはにこにこと笑う。そして、はたと気付く。自分が聞かれたことに答えていない事に。
わたわたと慌てていた故に、少女は見逃した。
風の魔法を初めて見たと、そう紡いだルキナの言葉に、青年が軽く目を見開いていた事を。

「えと、ここの場所ですよね。ここは、ゲフェンの北東辺りです」
「……ゲフェン?」
「はい」

こっくりと頷いたルキナに、青年は難しそうに眉を寄せる。
その反応に、ルキナは、あれ、と思った。
ゲフェンは、冒険者であり、ウィザードであるならば、当然知っている場所だ。そこに行かねば、転職することが出来ないのだから。
けれども、ゲフェンの名を聞いても、青年の表情は晴れない。その反応は、まるで、相当ゲフェンに向かいたくない事情があるか……もしくは、ゲフェンという名を初めて聞いたように見えたのだ。
あり得ないはずの考えに、思わずルキナは眉を寄せる。
と、指先を口元に当て、何やら考え込んでいた青年が顔を上げた。

「もう1つ、聞かせてください。ここの国名と、大陸名を教えてもらっていいですか?」
「えと、ここは、ミッドガルド大陸のルーンミッドガッツ王国です」
「……予想はしていましたが、エリンディルどころか、アルディオンや南方大陸ですらありませんか……」

苦く苦く息を吐き出した青年の言葉に、ルキナは一瞬きょとんとする。
けれど、すぐに青年の発した聞き覚えのない単語が、彼の知っている地名だと気付き、首を横に振った。

「どれも、聞いた事無い名前です」
「……そうですか」

そう言って、青年はふつりと黙り込む。色々と、考えているのだろう。
それが分かるため、ルキナは青年を見上げ、じっと待つ。
少しの間を置いた後、青年は顔を上げた。

「……もう1つ、質問です。貴女は、今、自分が居るこの大陸以外の土地を知っていますか?」

そうして問われた青年の言葉に、ぱちり、と目を瞬かせ、ルキナは小首を傾げる。

「……周辺都市の、事ですか?」
「周辺都市?」
「はい。えっと、海の向こうにある色々な街で、それぞれ皆違うところにあるから、文化とか雰囲気とか、皆バラバラで独特なとこです」
「あぁ、それですね。教えていただいても?」

そう言った青年にルキナは笑顔で大きく頷く。
そして、アマツ、アユタヤ、コンロン等、周辺都市の名を挙げていけば、青年は、その街の気候や文化など細かい所まで問いかけてくる。それにルキナが知りうる限りの知識でそれに答えていく。

そんなやりとりはしばらく続き……

「――ん~。私が知ってる周辺都市は、こんな所かなぁ」

人差し指を顎先にあて、視線を上向けて言った少女の言葉で、一旦の終わりを迎えることとなった。

「なるほど。ありがとうございます。助かりました」

ふ、と微笑して言葉を紡いだ青年に、ルキナは、少し眉を下げ、小首を傾げる。

「あの……私、言ったの、役に立ちましたか?」

乞われるがまま質問に答えてはいたが、言えたのは、一般的に知られていることばかりだ。
故にだろう、少々不安そうなルキナに、安心させるように頷いて、青年は口を開く。

「とても、参考になりました。……次から次へと申し訳ないのですが、最後にもう1つ、お願いしても良いですか?」
「はいっ」

大きく頷いたルキナに、礼を言って、青年は再び古びた本を取り出した。

「これを、読む事は出来ますか?」

そう言って開いてみせたのは、何故かその本の最後のページだった。
わざわざそこを開いたことに小首を傾げつつも覗き込み、ルキナは眉を寄せた。

「なに、これ、暗号……? でも、う~~ん……読める文字もあるけど、配置が……って事は、同じ形の別言語……? でも、共通語に近い別の言語なんて……なら、やっぱり暗号? でも……」

うんうんとしばらく悩み、考え込んでから、ルキナはそろりと顔を上げた。

「……ごめんなさい。分からない、です」

青年を見上げ、ルキナはしゅんと眉を下げる。
そんな少女に、青年は短く、いえ、と口にして一拍置いた後、今度は、その本の最初のページを開いた。

「では、こちらは?」

同じ本であれば、使われている言語は同じなのではなかろうか。

青年の行動を訝しく思いつつも、もう1度本を覗き込み、ルキナは目を丸くした。
そこに書かれていたのは、普段見慣れた共通語だ。少し、他と違うとすれば、文字の崩し方が本同様古めかしいくらいか。
けれど、技術書系は、古い書き方のまま記されている本が多いため、これはこれでよく目にするものだ。
故に、少女は、今度は迷うことなく、言葉を紡いだ。

「――帰りたい、と思った。何も分からぬこの場所で、愛しいと心から想う者が出来ても、その想いは消えなかった。故に私は、この手記を残す。私の全てを、ここに遺す。そして、誓う。私に、あの子に誓う。必ず、必ず逢いに行く事を。何があっても、必ず逢いに行く事を、ここに誓う。……これ、手記?」

前書きであろう文章を読み、ルキナは首を傾げる。
どうして、こんな普通に読めるものを見せてきたのだろう、と疑問に思った。
その時だった。
深々と、本当に深々と、青年が息を吐いた。

「確定、ですか。厄介な……」
「へ? え?」

眉を寄せ、不穏さの混じった声を落とした青年にルキナは戸惑いの声を上げる。
その声に、青年は、はっと瞳を開くと、不安そうに見上げてくる少女に笑いかけた。

「すみません。あとは、もう大丈夫です。助かりました」

穏やかな笑みを浮かべて見せ、では、私はこれで、と立ち去ろうとする青年に、ルキナは瞳を見開いた。

――行かせてはだめ。

何故か、直感的に思った。

「ま、待ってくださいっ!」

その直感に突き動かされるまま、ルキナは、青年の腕へと抱きつく。
無意識の行動だったが、声を掛けただけでは、青年は足を止めてくれないと、何故か確信していたのだ。

「あのっ、ど、どうしたんですか? 確定、って何か分かったんですか? でも、厄介って?」

思いつくままに言葉を並べ、話してくれるまでは離さないとばかりに、ぎゅっと腕の力を強める。
と、青年は困ったように眉を下げ、白銀の髪を揺らす。
至近距離から見上げることで視界に映った深紅の瞳が、微かに揺れ動いている事に、ルキナは気付く。

(動揺、してる……)

間近で見たからこそ気付けた反応に、ルキナは小さく目を見張る。

刹那、脳裏を過ぎる青年の言葉。

頭が答えを出すよりも先に、勝手に口から言葉が零れた。

「――最後のページ・・・・・・何て書いてあるんですか・・・・・・・・・・・?」

その言葉に、青年は目を見開いた。その反応で、確信する。

「やっぱり、読めるんだ」

そして、思う。
自分が普通に読めたあの手記を、きっと、この人は読む事が出来ないのだろう、と。

「何を……」

青年の言葉を遮り、続けて問う。

「帰る方法、分かってるんですか?」

言葉に詰まった青年に、返答が否である事を察して、ルキナは口を開く。

「うちに、来ませんか?」
「は?」

思わぬ言葉に、青年は、目を丸くする。対して、ルキナは提案を補強する言葉を紡ぐ。

「生活拠点はあった方が良いと思うんですっ。それに、文字とか、お金とか、情報とか、知るなら――」

思いつくままに言葉を並べるルキナを遮ったのは、白く細い指だった。
そっと、ルキナの唇に人差し指を当て、言葉を止めさせた青年は、ふわりと微笑する。

「ありがとうございます。けれど、そこまでお世話になる訳にはいきませんから、お気持ちだけ、いただいておきますね。心配しなくても大丈夫ですよ。荷はありますし、1人旅には慣れてますから」

ね、と安心させるかのように笑いかけた青年に、少女はぱちり、と1つ目を瞬かせ――

「だ・め・で・すーーーっ!!」

更に強く、抱え込んだ青年の腕を抱きしめる。
しがみつく、と表現した方が良いかもしれない。

「だめですっ! 絶っ対に、ダメですっっ!!」

そう叫び、きっ、と眦を吊り上げ、青年を見上げる。

「周りが全部なくなるって、すごく大変な事なんですよっ! 大事なモノが残ってたって、せめて、それだけでも守りたいって思ったってっ! どうすればいいのかなんて分かんなくてっ! 現状維持だけで、それだけじゃどうにもならない、時間稼ぎにしかならないって分かっててもっ! そうする事しか、出来なくなっちゃうんですからっっ!!」

ルキナの脳裏を過ぎるのはあの日・・・の記憶。

幼く、無力だった自分達と、目の前の青年を一緒にするのは間違っているだろう。
知恵も、体力も、戦闘技能も、あの時の自分達と比べる方がおかしい程の差があるはずだ。
けれど、状況は青年の方が厳しいはずだ。

あの時の自分達は確かに子供だった。
けれど、それでも、両親から、食べることが出来る野草や薬草、文字の読み方など、そこそこ生きていくのに必要な知識を教えてもらっていた。
だが、青年はそれすら知らないはずだ。
青年との会話で認識違いが発生した項目を思い返すと、青年がいた所とこの辺りとでは、植生も生息している生き物も何もかもが違うはずである。
街に入ったとしても、文字や物、相場の知識がなければ生活するのは難しいはずだ。

それは、青年も分かっているであろうに、1人で立とうとしている。
そんなの放っておけるはずがない。
ひしっと青年の腕にしがみつく少女に、青年は困ったように眉を下げる。

「……貴女はなんで……貴女には、そこまでする理由はないでしょう?」

その言葉に、ルキナはバッと顔を上げると、ぶんぶんと首を大きく振る。

「そんな事ないですっ!! お兄さんだって、私の事、助けてくれたじゃないですかっ。それを言ったら、お兄さんだって、私の事、助けてくれる理由はなかったでしょうっ。それとおんなじですっ!」

真っ直ぐにこちらを見る蒼の瞳に、青年は数拍押し黙り、1度、深々と息を吐く。
そして、先程とは微かに変わった色を湛えた瞳でひたと、ルキナを見返した。

「……クリムと、呼んでください」
「へっ?」

ぽかん、と間の抜けた声を返してから、はたと、自分も名乗ってなかった事を思い出し、ルキナも慌てて口を開く。

「あ、わ、私はルキナ・ディアレントですっ」
「ルキナさん、ですね。では、ルキナさん。1つお聞きしますが、私が貴女の所で世話になるというのは、現実的に可能なんですか?」

ようやく紡がれた前向きな言葉に、ルキナは顔を輝かせ、大きく頷く。

「はいっ! お部屋は余ってますっ! うち、貸し家で、1階は私と妹の3人で住んでるんですけど、2階は誰も使ってないんです。前は管理人さんが住んでたんですけど、今は引っ越しちゃって。その時に、2階のお手入れする代わりに、2階も好きに使っていいよ、って言われてるのでっ」

使ってくれる人がいれば、私もありがたいです。
そう言えば、クリムは、分かりましたと1つ頷く。

「出来るだけ早急に、帰りたい理由があります。ですので、すみませんが利用させていただきますね」

手を借りる、や、言葉に甘える等、他にも言い方があるにだろうに、わざわざ青年はそんな物言いをする。
ルキナはぱちりと目を瞬かせてから、くすくすと笑い声を漏らし、にっこりと笑った。

「はい。よろしくお願いします」

「じゃあ、まずはうちに帰りましょうか」

笑って言ったルキナに、クリムも微笑を返す。

「えぇ、よろしくお願いします」
「はーい。……んー、蝶、使った方が早いし、そうしようかな」

口元に人差し指を当て、呟いてから、ルキナはクリムを見上げた。

「クリムさん、クリムさん。ぎゅっ、って、抱きついていいですか?」
「はい?」

唐突に、意味の分からぬことを言われ、クリムは間の抜けた声を漏らす。
当然であろう反応を返した青年に、ルキナは、えっと、と説明するべく口を開いた。

「帰るのに、蝶の羽、ってアイテムを使おうと思うんです。これを使うと、位置セーブした街に帰ることが出来るんですけど、基本的に1人用なので……」
「あぁ、転送石の個人用ですか。たしかに、1つあれば済むものを普通はいくつも持ち歩きはしませんからね」

どうやら、青年にも思い当たる物があるらしく納得の息を零す。
そんなクリムに、ルキナはぱちりと1つ目を瞬かせ、ふるりと頭を振った。

「いえ、羽はいくつか持ってます。何かあった時の予備は大事ですもん。ただ、えーっと、クリムさん、使っても大丈夫かなというか……」
「……?」

もごもごとはっきりしない物言いをする少女に、クリムは不思議そうに首を傾げる。

「うぅーーん。クリムさん、試しに1つ、使ってみます?」

そう言って、ルキナが手渡してきたのは、縁が薄黄色で、所々に青が入った淡い水色の美しい蝶の羽を象ったものだった。
それを受け取り、クリムは小首を傾げる。

「これは、どこに跳ぶものなのですか?」

角度を変えながら蝶の羽をまじまじ見つつ紡がれた問いかけに、ルキナは首を振った。

「使った人のセーブ地に跳ぶので、その人によって、どこに跳ぶか、変わっちゃうから分からないです。私だとプロンテラなんですけど……」
「ふむ。となると、完全に転送石とは別物ですね。……すみませんが、位置セーブの説明をお願いしても良いですか?」

クリムの問いかけに、あ、はい、と返事をして、ルキナは記憶をひっくり返しつつ、口元に人差し指を当てる。

「えっと……ざっくり言うと、魔力質による位置情報の書き換えなんだけど……根本的な所から説明した方が良い……ですよね?」

小首を傾げて、クリムに問いかける。
青年から頷きが返ってきたのを確認し、ルキナは更に記憶をひっくり返しながら、続きを紡ぐ。

「んっと。私もあんまり詳しくはないんですけど、昔、帰巣本能に土地が発する魔力が関わっているんじゃないか、って考えた人がいて、研究した結果、特徴的な魔力を帯びた場所、っていうのが点在していて、そこに長くいると……えーっと、ごめんなさい名前忘れました、何とかって所に、土地の魔力の波長が記録されるって事が、判明したんです。で、蝶の羽は、使用者の中に記録された波長と同じ場所に転移するってアイテムなのも分かって……だから、人為的に、街のある場所に特徴的な魔力を放つポイントっていうのを作って、それを人為的に、人の方にもそれを記録させることで、任意の場所の位置情報を刷り込んで、蝶の羽で、その場所に戻れるようになったんです。で、それを通称、位置セーブって呼んでいて……正式名称、は、なんだっけ……転移情報位置登録……? いや、なんか違うなぁ、たしか、魔力って単語も入ってたはずだし、どっか間違ってる、なぁ……」

むぅ、と眉を寄せ、真剣に考えこむ少女に、青年は苦笑すると、桔梗色の頭に手を伸ばした。

「分かる範囲で、十分ですよ。ありがとうございます」

ルキナの頭を撫で、そう微笑めば、ルキナは一瞬、驚いたように目を丸くした後、ふにゃり、と笑う。
どことなく、嬉しそうな、気持ちよさげなその表情に、クリムは、思わず目を瞬かせた。と、ルキナはハッとして、クリムから1歩分飛び退く。

「あああ、えっとそのっ、今のは何でもないんですっっ! お姉ちゃんだもんっ、だからえっと、あのですねっっ」

わたわたと手を彷徨わせ、そんな声を上げるルキナだったが、その慌てぶりに見かねたクリムが口を開きかける。
が、それより先に、深呼吸する事で、自ら落ち着きを取り戻すと、ルキナは、あのですね、と言葉を紡いだ。

「それで、えっと、話を最初に戻すと、蝶の羽って、本来は1人用って言われてるんですけど、裏技というか、使用者と密着していると、密着してる人も一緒に転移する事が出来るんです」
「あぁ、なるほど。効果範囲は正確には、使用者の周囲にも及んでいるんですね」
「ですっ。だから、一緒に帰るのに、ぎゅってしていいですか?」

再度、そう問いかけた少女に、クリムは、そういう事であれば、と頷いたのだった。

***

ちょっとした裏技を使い、プロンテラへと2人で帰還する。
一瞬の浮遊感の後、とん、と地に足が着くのを感じる。共に、がやがやと喧騒に包まれたのが分かる。
軽く辺りを見回せば、それは、いつもと変わらぬプロンテラの光景だ。

「ここが、私達が住んでる街、プロンテラです。あちこち、案内もしたいんですけど、まずは先に家まで案内しちゃいますね」

そう笑いかけて歩き出せば、ゆっくりと辺りを見回していた青年も微笑を返して共に歩く。
行きかう人々、立ち並ぶ露店、レンガ造りの建築物。
見慣れた街並みが歩く速度に合わせてゆっくりと流れていく。そんな中、ふと、青年から、ぽつりと声が零れた。

「……珍しい、ですね」
「ん?」

ぱちりと目を瞬かせ、ルキナは小首を傾げる。

「何か、ありましたか?」

きょとん、と不思議そうな色を瞳に乗せて見上げてくる少女に、クリムは口を開いた。

「いえ、ここまで大きく、活気がある街であるというのに、ヒューリンしか、いない、の、は……」

言葉を紡ぐ最中、不意にクリムの顔色が微かに変わり、ふつり、と言葉が途切れる。

「……クリムさん?」
「あぁ、いえ、すみません。何でもないです」

緩く首を振り、そう言葉を返してから、クリムは続けて問いかける。

「ただ、少し聞きたい事が出来たので、後で教えてもらっても良いでしょうか?」

その言葉に、当然の如くルキナは大きく頷いて了承の意を返す。

「もちろんですっ。――あ、こっちですよ」

そう言って、路地を曲がるルキナについて歩けば、程なくして目的地へと到着したらしい。
彼女の足が止まった。

「ここです」

にこりと笑って言ったルキナの背後にあるのは、これまで見てきたものと同様のレンガ造りで、2階建ての建物だ。
どうぞ入って下さいと扉を開いたルキナに促され、クリムが中に足を踏み入れる。

真っ先に目に飛び込んできたのは、ぽっかりと空いた空間。
その奥には、2階へと続く階段と、1階の部屋へと続いているであろう扉があった。
古いがよく手入れされてるという印象を受ける玄関ホールを通り抜け、ルキナは奥の扉を開く。

「ただいまー。プレちゃんいるー?」

扉をくぐると同時にそう声を上げれば、ルキナの視界に緋色が過ぎった。

「おかえり、姉さん」
「あ。カルちゃんただいま。早いね、帰ってたんだ」

緋色の髪を左右でお団子にした少女に、ルキナは笑いかける。
が、常であれば、まだまだ狩りなどで外に出てるはずの妹がこの時間に帰ってきているのは、珍しい。
それはすなわち、帰らざるを得ない何かが起きた可能性が高いという事だ。
それに思い至って、ルキナは心配そうに眉を下げる。

「カルちゃん、何かあった? 怪我したとかじゃないんだよね……?」

不安げに瞳を揺らして、ルキナは問いかける。
その答えは、問われたカルロ本人ではなく、その背後から響いた。

「――大丈夫だよ、ルキ姉。カル姉、お客さん、連れてきただけだから」
「お客さん?」

ぱちり、と目を瞬かせ、声の主である末の妹に視線を向ける。
と、カルロの2歩ほど後ろに立っていたプレナの、その傍らに見覚えのない人影があるのに気づく。

それは、小柄な少女だった。
黒茶色の髪を左側でサイドテールにしたその子は、背が高いとはお世辞にも言えないプレナよりも更に、頭1つ分程低い。
ぱっちりと大きな琥珀色の瞳にまろみを帯びた頬。
10歳程度だろうか、まだ冒険者登録可能年齢12歳には達していないように見えた。

「はじめまして、セピアっていいます」

頭を下げてそう言った少女の後に続けて、カルロが口を開く。

「この子、何か訳ありっぽくって、行くとこないみたいなのよ。探してる人もいるみたいだし……だから、うちに来たら? って誘ったんだけど……いいよね? 2階とか、空いてるし」
「えっ」

目を丸くし、つい驚いた声を上げたルキナに、カルロも意外そうに目を瞬かせ、眉を下げる。

「……だめだった?」
「う、うぅん! 違うの、大丈夫そうじゃないのっ」

不安そうな顔を見せた妹達に、ルキナは大慌てで首と手を振る。

「違うの、都合が悪いとか、ダメとかそういうのじゃホントになくてねっ。私の方でもね、行くとこないならうちに来てくださいっ! って来てもらった人がいてね」
「え」

ルキナの言葉に、今度はカルロが声を漏らす。
その横で、プレナはぱちりと目を瞬かせ、こてりと首を傾げた。

「ルキ姉、その人って、どこ?」
「え?」

プレナの言葉を受け、思わず声を零したルキナは、バッと振り返る。
そこに、白銀の青年の姿は、当然のように――ない。

「ちょ、クーリームーさーんーー!?」

その光景の意味に理解が及ぶと同時に、ルキナは即座に身を翻し、自身が今入ってきた扉へと駆けていく。
故に気付かなかった。
彼女が紡いだクリムの名に、セピアが軽く息をのみ、目をまんまるに見開いていたことに。

「もう、クリムさん、ちゃんと一緒に来てくださいよ。……どこか、行っちゃわなくてほっとしましたけど」
「ここには、貴女以外も住んでいるのでしょう? ならば、女性ばかりの所に、急に入っていく訳にはいきませんよ。家族をびっくりさせたい訳ではないのでしょう?」
「うにゅ……はぁい。で、でも、もう、説明はしたのでっっ!」

ルキナが閉め忘れ、半開きとなった扉の陰からそんな会話が漏れ聞こえる。
聞き慣れた姉の声と共に聞こえてきたのが、聞き覚えのない穏やかな、おそらくは男性の声に、カルロは自然と眉を寄せた。
おそらく、とつけたのは、その声が女性にしては低いが、男性にしては若干高めに聞こえたからだ。

こちらも、セピアという訳ありの客人を連れてきた手前、頭ごなしに反対は出来ないが、少しでも怪しい素振りを見せたら容赦はしない、男なら特に。
そう、カルロが心に決めていると、ひょこりとルキナが戻ってくる。
柔らかな笑みを浮かべた彼女に手を引かれ、現れた姿。そうそうお目にかかれないと断言できる美貌の青年に、カルロとプレナは思わず目を丸くした。
そして、セピアだけは、2人とは別の理由で目を見開いていた。

「……し」

戦慄く唇から、ぽろり、と震える声が零れ落ちる。

「しっしょーーーーーーっっっ!!!」

次の瞬間、セピアは駆け出す。カルロとプレナの脇をすり抜けるように、一直線に飛び出した。

「っ、セピアっ!」

弾丸のように突撃してきた少女を若干よろめきつつもどうにか受け止め、クリムは驚きの声を上げる。
が、そんな声など聞こえてはいないかのように、ぐりぐりと頭を押し付け、セピアはしがみ付く。

「師匠師匠ししょーーっ! 無事でよかったよぅっ」

じわりと濡れた声でそう訴える少女に、クリムは苦笑を零す。そして、ぽんぽんと宥めるように軽くセピアの頭に手を置く。

「心配させてしまって、すみません」
「う~~……ホントだよぉ……」

安堵の息を吐く少女と、それを宥めつつもほっとした様子を見せる青年の様子は聞くまでもなく、既知のものである。
が、確認の意味も兼ねて、ルキナは問いかける。

「お知り合い、ですか?」

その声で我に返ったらしい。
ぴゃ、と声を上げ、セピアがクリムから距離をとった。その反応に、くすくすと笑いを零してクリムは頷く。

「えぇ。先程、早急に帰りたい理由があると言ったでしょう? この子がそうだったのですよ。あの時、私とは少し距離がありましたし、気が付いた時、共に居なかったので、大丈夫かと思いましたが、貴方も巻き込まれてしまってたんですね」

良かったのか、悪かったのか……と小さく零すクリムに、あ、とセピアが声を上げた。

「今、ここにはいないけど、スノウとトトも一緒だったよ。今はね、この街、回ってくるみたい」
「おや……となると、全員揃ってはいるのですか」
「うんっ」

大きく頷くセピアを視界に収めつつ、ルキナはカルロの隣りへと移動すると、こそりと問いかける。

「ねぇ。スノウさんと、トトさん、って?」
「あー。猫。上品そうな白猫と、真っ黒な仔猫だったわよ。ペットみたい。まぁ、あの子は自分と師匠の使い魔だって言ってたけど」
「……つかいま」
「訳ありなのは分かってるんだけど、なーんか、噛み合ってるようで噛み合ってないような気がするのよねー」

1人呟き、腕を組んで首を傾げたカルロに、そうかもね、と小さく返して、ルキナは1つ息を吸うと口を開いた。

「クリムさん」

呼びかけられた声によって、クリムの深紅の瞳と視線が交わる。
こちらを見たクリムに、蒼の瞳を細め、ふんわりとルキナは微笑した。

「せっかくですから、座って、色々お話し、しませんか?」

皆で、テーブルを囲むように席に着く。
この建物は元は元は小規模のギルドハウスだったため、ここに入居した時からあるこのテーブルがは6人掛けだ。
故に無理なく全員が座れたことに密かに感謝しつつ、ルキナは己の正面に座ったクリムを見る。
そして、彼の隣りに座るセピアへと視線を移した。

「まずは、自己紹介からかな。私はルキナ。ルキナ・ディアレントって言います。隣に座ってるカルちゃんとプレちゃんのお姉ちゃん、やってます」

己の右隣に座るカルロとプレナを手のひらで軽く指し、ルキナは言う。
と、その後を引き継ぐように、カルロが口を開く。

「私がカルロ・ディアレントで、隣のこの子がプレナ・ディアレント。見て分かると思うけど、3人とも冒険者をやってるわ」

そう言ってから、次はそちらの番かしら、とカルロは言葉を紡ぐ。と、はーい、とセピアが応える。

「さっきもちょっと言ったけど、私はセピアっていいます。ファミリーネームはなし! で、師匠は、私の師匠で、育ての親みたいなものかな。再会させてくれてありがとうっ! あ。私も冒険者してるよ。水魔術師です」

最後は師匠、と笑うセピアに、1つ苦笑を零して、クリムは口を開く。

「クリム、と言います。セピアと同じく、冒険者として、活動していました」

いました、と過去形で言葉を紡いだクリムに、セピアは、ぱちり、と目を瞬かせた。そして、不思議そうにクリムを見る。
それも当然だろう。彼もセピア同様、現役の冒険者なのだから。

「師匠……何で過去形? 冒険者辞めたりしてないのに」

疑問の声を上げるセピアに、クリムは薄っすらと口の端を引き上げる。

「えぇ。セピアの言う通り、エリンディルの・・・・・・・冒険者だという自負は今もあります。けれど、おそらくここでは、冒険者・・・の定義自体が異なり、その定義に引き合わせると、今の私達はそちらの・・・・冒険者ではない可能性が高いと判断しました」
「へ?」
「……どういう事?」

きょとん、とした顔を見せるセピアとプレナ。眉を寄せ、腕を組むカルロ。そして、心配そうなどこか不安げななんともいえない表情を浮かべたルキナを見、クリムはゆっくりと、けれどはっきりと言葉を紡ぐ。

「今の所、それを証明する方法はないので、推定ではありますが、私とセピアは、こことは別の世界から来た人間です」

突拍子もない言葉に、驚愕の声が上がる。
その中で、声こそ上げなかったものの、目を丸くしたルキナに気付き、クリムは片眉を上げた。

「おや。ルキナさんは、気付いていたのだと思ったのですが……」
「いえっ、いや、その、共通語が通じないくらい遠くの場所から来たんだろうな、っていうのは分かってましたけど、そこまでは……っ」

わたわたと手を振るルキナに、カルロは訝し気な視線を送る。

「姉さん、共通語が通じない、ってどういう事? 今、普通に会話出来てるじゃない」
「えっとね、使う文字が違うの。クリムさんが持ってた本、見せてもらったんだけど、なんか、似てはいるんだけど、根本的な所が違う感じで、読めそうで全然読めない文字だったから」

そう説明したルキナを見、クリムを見、ずっと口を閉ざしていたプレナがおずおずと口を開いた。

「……あの、推定、って事、は……そう判断する理由があった、って事……だと思うんで、す、けど……あの、……どうして……そう思ったのか、って……教えてもらえたり、とか、出来ま……す?」

身体を縮こませ、若干、カルロの方へ身を寄せつつも、少女は問いかける。おどおどとした少女をクリムは怯えさせまいと、優しい微笑を返してから、軽く頷いて口を開く。

「えぇ、もちろん。当然の疑問ですから」

そう言って、クリムは1つづつ、己の考えを述べていく。

「まず、最初に違和感を持ったのは、ルキナさんが発した“職業服”という単語です」

その言葉に、セピアはきょとんと首を傾げた。

「職業服?」

ってなーに? と不思議そうな様子を見せたセピアに、カルロは目を丸くする。

「え!? 冒険者でしょ!? ないの!? 職業服っ!」
「カルちゃん」

驚愕の声をあげた妹の名を、窘めるように紡いでから、ルキナはセピアたちへと視線を戻す。

「――えっとね。職業服っていうのは、冒険者が冒険者である事を示す制服の総称なの。たとえば、私が今、着ているのは、アルケミストである事を示す服で、カルちゃんが着ているのがダンサー、プレちゃんのがマジシャン。こんな風に、一目で職が分かるようになってるの。こっちでは、ある一定以上の力量が認められると、上位職への転職が許可されるから、職で大まかに力量をはかる事もできるの」

と言っても、私みたいに2次職でも戦闘苦手な人もいるし、転職許可が出ても、1次職のままって人も居たりするから、簡単な目安にしかならないけどね。
そう口にするルキナに、きょとんとセピアは首を傾げた。

「何で、わざわざそんなの分かるようにするんだろ? 確かに、私たちの方でも、装備である程度、傾向と力量は分かるけど、そんなはっきり分かるようにしたら、危なくないのかなぁ? 悪い人が、あ、あの服は駆け出しの人が着てる服だから、狙いやすいぞ! みたいなのが、分かっちゃう、って事だよね?」
「確かに。でも、分かりやすくしないと、依頼する人が困っちゃうでしょ?」
「依頼?」

こてん、と傾げていた首を反対側に倒して、セピアは声を紡ぐ。
それに答えるべく、ルキナは口を開いた。

「そう。例えば、こういう素材を取ってきて欲しい、って人がいたとして。その素材が誰にでも狩れるようなものならいいけど、ある程度力量が必要だった場合、相手の力量が分からないと、誰に頼んでいいか、分からないでしょう? 適当になので……頼まれた人が、ちゃんと自分はそれを倒す事が出来ないって判断できるなら、断られるだけだからいいけど、本当に駆け出しの子だと、その判断も出来なかったりするから、余計な被害が出てしまうでしょ?」

その説明に、納得したように、クリムが軽く頷く。

「あぁ、なるほど。私達の所では、神殿が依頼を集め、力量に合った者へとそれを斡旋していましたが、こちらではそういった機関がないのですね。と、なれば確かに、依頼人側で大体の力量の把握が必要であるため、職が明確である方が良い、と。確かに、それが分かるのなら、駆け出しでも出来る依頼は下位職……一次職ですか? の服を着ている者に依頼し、そうでなければ上位職へ……同じ職でも力量差はあるのでしょうが、最低でも転職許可が下りるだけの力量と経験を積んでいるのであれば、力不足かどうかは、本人が判断できる、という事ですね」
「はいっ! あと、職業服は、冒険者が冒険者として活動するための許可証の役割もあるの。だから、緊急時以外は職業服、もしくはそれに類する制服の未着用時のスキル使用は禁止で、違反者は最悪冒険者・職業資格の剥奪もありうるから、本当にお休み!って時以外は、皆、職業服を着てる事が多いかな」

小首を傾げて言うルキナに、クリムはなるほど、と口にする。

「ルキナさんも冒険者を名乗っていましたが、いえ、名乗っていたからこそ、このように認識の齟齬による違和感があったのです」

クリムの言葉を聞いて、あ、とカルロは声を零した。

「それは、私も思った。最初に森でセピアを助けた時、どう見ても養子だったから、養子でしょ、親は? って聞いたら、セピア、きょっとんとしてたもんね」
「あぁ、それは……」

こちらからすれば、当然の反応ですね、と息を吐くクリムにルキナは解説する。

「ちなみに、冒険者間で使われている養子、っていうのは12歳未満の冒険者の事なの。そもそも、冒険者登録可能年齢は12歳以上なんだけど、一部例外として、保護者が冒険者である場合、保護者と行動を共にする事を条件に、冒険者の仮登録が出来るの。元々は、それぞれの事情で、狩場に子供を連れていきたいけど、危ないから自衛手段を教えたいし、耳打ちとかするのに冒険者証が欲しいって話から、出来た制度なんだって。養子、って名称なのは、そういう登録するの、もちろん実の親子が多いんだけど、保護したり、孤児院にいる子を引き取って、って事も珍しくないから、らしいよ?」
「ほぅ。先程の職業服の話でも思いましたが、こちらでは、資格とその証が非常に重要視されてますね」
「うん。冒険者と非冒険者、しっかり分けられてる感じはあるかな。冒険者は武器や防具の購入制限はないけど、一般の人は購入手続きして、許可がもらえないと買えないし。あと、カプラさんで倉庫利用手続きも、冒険者だと簡単で安く済むから」

そう言った後、あ、と声を上げ、わたわたと意味もなく手を振り、ルキナは続きを口にする。

「もちろん、一般の人の方が良い点もあってね。えっと、まず、何か、テロとか、そういう危ないことが起きた時は真っ先に守ってもらえるし、そういうごたごたで、家が壊れたとか、何か使えなくなったとか、ケガをしたとかしても、普通に暮らせるように保護してもらえ……あー、うん。街全体が壊滅状態とかにならない限りは、保障して貰えるよ。あとは……税金? が安いんだって。家賃とか、宿泊費とか、冒険者用の値段、高いのは、その違いらしいよ。あ、でも、冒険者でも、駆け出しの頃なら、色々補助して貰えるから、大丈夫っ」

ぐっと、軽く手を握り言ったルキナの言葉に、クリムは口元に手を当てる。

「なるほど。私達の方では、いくつか魔術やスキルを会得したら冒険者を名乗って良い事になってましたから、その辺の境界はかなり曖昧でしたね。私自身、幼い時から冒険者を名乗りはしていましたが、神殿で手続きを踏み、正式に冒険者であるという証を得たのは、かなり後の事でしたし。……そもそもセピアは持っていないのでは?」

小首を傾げ、セピアの方を見てみれば、当の本人は、彼女の名と同じ色の髪を揺らし、大きく頷いて肯定する。

「ん! あんまり使わないというか、持ってなくて困った事もないしねぇ」

セピアの言い分に、カルロは頬杖をつき、珍しいものと見るかのような眼差しをセピアに向ける。

「はー……なるほど。確かに、常識の違いってのを実感するわね。こっちじゃ、冒険者証がなかったら活動出来ないわよ? 決まりとかそれ以前の問題で」
「どーゆー事?」

きょとんとして、首を傾げるセピアに、カルロは己の冒険者証を取り出して見せる。
鉱石の欠片が埋め込まれ、名前らしき文字が刻まれた小さな楕円型のプレート。
じんわりと魔力を感じはするものの、ただの飾りにしか見えないそれに、セピアは、ぱちくりと目を瞬かせた。頭上に疑問符を浮かべているのがありありと分かるその様子に、くすり、と笑みを零し、カルロは口を開いた。

「これが、私の冒険者証。見て分か……んないんだっけ。えっと、ここに書いてあるのが、私の名前。で、その上に、ちっちゃい欠片が半分埋め込まれてるでしょ。これ、特殊な鉱石の欠片でね。これに、相手の冒険者名と簡単な術式と魔力を込めると、その相手に声を届けてくれるの。私たちは耳打ち、って呼んでる」
「……声を届ける?」
「そう。簡単に言えば、冒険者同士なら、まったく別の場所。例えば、それぞれが別の街に居たとしても、話ができるし、パーティを組んでいれば、大体どの辺りにいるのかも分かったりするし」

軽い口調で紡がれた言葉に、セピアは琥珀色の瞳をまん丸に見開く。

「すごいね! それ、とってもすごいっ!!」

音を立ててテーブルに手をつき、身を乗り出したセピアの食いつきに、カルロの方も驚いたようだった。ぱちくり、と目を瞬かせている。

「すごいというか……便利よね。冒険者登録時に初めて魔力の扱いを覚えた人でも、すぐ普通に使えるようになるくらい簡単だし、消費魔力もほんの少しだし」

便利と、簡単に口にするそれが、どれだけ凄い事なのか。
こちらの世界の冒険者にとっては当然の品であるが故の反応の鈍さなのだと、ついさっき、カルロが口にした常識の違いをこちらも実感しつつ、それでも、自分の驚きを伝えたくて、セピアはぎゅっと両手を握りしめる。

「すごいよ! だって、それがあったら、パーティっていうの、組んでたら、私、師匠がどっちに行ったか分かったし、そうでなくても、いつでもお話出来た、って事でしょ! 私、どこに居るか分かんない師匠探して、何年も旅してたんだよっ! もし、そんな事出来たら、真っ直ぐ、師匠のこと追いかけられたのにっ!!」

力説するセピアに、クリムは苦笑する。

「それは……当時のセピアにとっては……いえ、今でも、あちらの方面には、行って欲しくないですねぇ。……非常に、危険な場所でしたから」
「だからって、何の説明もないで置いてけぼりはひどいよ師匠っっ」

軽く頬を膨らませるセピアに、はいはい、すみませんでしたとクリムは答える。
その、どこか慣れたように思える様子から、このやりとりは、2人の間で、割とよくあるものである事が察せられた。故に、カルロもはいはい、と軽く声を上げる。

「話を戻すわよー。……と言っても、やっぱ、こう、話してて常識、私たちの当たり前、とそっちの当たり前が違うんだな、って感じるし、異世界って言われて……まぁ、納得できるかな、って思うんだけど」

カルロの言葉に、ルキナも頷く。

「うん。街とかも、全然知らないみたいだったしね。クリムさん、ウィザード、って言ってたのに、ゲフェン、分からないみたいで、あれっ? って思ったもん」

それにカルロは納得した声を漏らす。

「あー、それは確かに。マジシャンも、ウィザードも、ゲフェンに行かないと転職出来ないもんね」

その言葉に、セピアは目を丸くし、クリムは興味深そうに声を漏らす。

「え。じゃあ、その街に行かないと、そのクラスの勉強出来ないの!? 不便じゃないのっ?!」

セピアの言葉に、3姉妹は顔を見合わせる。

「……特に、不便、って思った事はないよね?」
「うん。……指南書、借りに行って、……返して、が、少し面倒な……くらい?」
「えー。そこまで面倒でもないでしょ。蝶も空間転送もあるんだから」
「カルちゃんカルちゃん。今はアカデミーの支援があるから良いけど、駆け出しの子に、カプラさんのは、結構高いよ? 私、露店開けるようになるまでは、ちょいちょい歩いてアルベルタまで行ってたもの。まぁ、それでも、定期船も使えた分、駆け出しの他の職の子よりは楽だったと思うけど」
「あ……そっか。って! 姉さんはともかく、プレはそんな苦労してないでしょっ!」
「わ、私も、何回か歩いてゲフェンまで行ってるもんっっ」
「そのくらいなら、私もあるわよ」

わいわいと言い合う妹たちの声を聴きながら、ルキナは、頬に人差し指を当てる。

「……もしかして、クリムさんの所だと、街から街への移動、って結構大変だったりします?」
「私の感覚ではそうでもありませんけど……そちらと比べてどうなのか、は、少々答えかねますね」

さらりと白銀の髪を揺らし、答えたクリムに、あ、そっか、とルキナは声を漏らす。

「えっと……こっちだと、カプラサービス、っていうのがあるんです。各主要都市には必ずあって、さっき、少し話した位置セーブの登録や、倉庫の貸出、あと、空間転送サービス、っていうのをやっていて、お金を払えば、あちこちの都市に一瞬で行ける感じです。料金は、ある程度稼げるようになった冒険者なら手軽に、非冒険者の人でも、小旅行に行く感じで使えて……駆け出しの冒険者だと、ちょっと高いと言うか、それなりに痛い出費かなぁ。でも、最近、冒険者アカデミーって所で、色々支援してくれてるから、前よりも、駆け出しの人でも、空間転送は手軽になってるよ」

にこにこと笑って言うアルケミストの少女に、セピアの口から、ほえーと間の抜けた声が零れる。

「すっごいね……こっちだと、基本は、歩いてとか、馬車だよ」
「……ばしゃ?」
「うん。乗り物を、馬に引っ張ってもらう奴」
「うま…………ペコペコみたいな感じかな?」

ぱちぱちと目を瞬かせ、ルキナは首を傾げる。
完全に未知のものだという反応を見せたルキナに、セピアも目を丸くする。

「馬、こっちには居ないんだ。猫は居るのに」
「……んっと…………伝説の中、には、出てきたり……する、よ?」

そう、恐々と口を挟んだのは、プレナだ。その言葉に、プレナへと視線が集中する。
向けられた視線に落ち着かなさそうに、藍色の瞳を瞬かせ、そわそわと視線を揺らしつつも、プレナは言葉を紡ぐ。

「えと、本の中、それもとっても古いお話の中にしか出てこない生き物。で、えと、ゲフェンダンジョンにいるナイトメアとか、グラストヘイムの深淵の騎士が乗ってる魔物によく似た生物らしい……よ?」

落ち着かなさそうに、まるで隠れる場所を探す小動物を彷彿とさせる様子を見せつつも、プレナはそう紡ぐ。

「私の所には、普通に居たのに、こっちには居ない、ってなんか不思議。……けど、ここに来るまでの魔物、見たことないのばっかだったもんなぁ」

琥珀色の瞳をまんまるにして、そうしみじみと呟くセピアの隣で、クリムはその形の良い眉を寄せ、浮かない表情だ。

「……ここには居ない、生き物、ですか」
「クリムさん? どうかしましたか?」

そんなクリムに気づき、ルキナが声をかける。
セピアも、どうしたのししょー、と下からクリムをのぞき込むように見上げる。
そんな2人の様子に1つ息をつくと、クリムは、ひたと、ルキナを見つめた。

「ルキナさん、1つ、お聞きします」
「はい」

何でもどうぞ、と頷くルキナに、1つ息を吸い、クリムはゆっくりと言葉を紡いだ。

「こちらで……この世界で、人間と、認められている種族は、何ですか?」

「へ?」

クリムの言葉に、ルキナの口から素っ頓狂な声が零れる。
蒼の瞳を丸くし、ぱちぱちと瞬かせ、問いの意味をのみ込もうとしているルキナの隣で、不思議そうに、カルロが首を傾げた。

「何それ? なぞなぞか何か? 認められてるも何も、人間が種族名でしょ?」

それ以外に何があるのよ。と言う緋色の髪の少女に、セピアは思わず、テーブルに身を乗り出し、声を上げた。

「えっ!? 人間って、ヒューリン、エルダナーン、ネヴァーフ、ドゥアン、ヴァーナ、フィルボル、神の子って言われてる6種族の総称でしょ!? っていうか、カルロさん達はヒューリンじゃないのっ!?」
「じゃないの、って言われても……」

困惑したように、カルロは肩を竦める。

「知らないわよ。ヒューリンも他の名前も、聞いた事もないわ。人間は人間でしょ?」
「えぇぇぇぇ…………。ヒューリンは火の時代に太陽神アーケンラーヴ様が作った種族だよぅ」
「アーケンラーヴ? 聞いたことない神様の名前だわ。こっちだと……確か、大聖堂が信仰してたのって、オーディンよね? 別に私達は信仰してる訳じゃないから、ふわっとしか知らないけど」
「……確か、ラヘルの方だと、フレイヤって神様……だったと、思う」
「どっちも知らない……えぇぇぇぇ……」

カルロ、プレナと会話を交わし、セピアは情けない声を漏らすと、眉をへにょん、と下げ、クリムを見上げる。

「ししょー、どうしよ。ホントに異世界だ……」
「だから、そう言ったでしょう」
「だってー。すっごく遠いとこかな、って言うのは分かってたけどぉ……師匠はなんで分かったの?」

普通、急に異世界と言われても、信じられないのは当然だろう。
故にクリムは、苦笑して口を開く。

「私も、始めは互いの大陸名も伝わっていない程離れた場である可能性を考えました。それを、違うと判断したのは、ルキナさんから、今いる大陸とは海を隔てた先にある場所、地方都市と呼ばれる街々の話を聞いた時です。地方都市の中に、南方大陸に近い気候の街がありました。けど、南方大陸の話は聞いても、その地方都市の話は聞いた事がなく、また、逆にルキナさんも南方大陸の話を聞いた事がないと言っていました。もちろん、お互いに未知の大陸を発見していないだけ、という可能性も、消えてはいませんが、気候から考えて、もしも同世界線であるのなら、その2か所は比較的近くにある可能性が高い。にも関わらず、互いに認知しているのなら、そもそもの世界線が違うのではないか、と」

そう紡いだクリムに、おず、と小さく手が上がった。

「あ、あの……」

プレナだった。
クリムの視線が人見知りする少女へと向くと、プレナはそわそわと落ち着かなさそうな素振りを見せつつも、問いかける。

「あの、何で……別の世界、って思ったんですか……?」
「はい?」

今、その理由を説明したと思うのですが。
不思議そうに瞬くクリムに、ぴゃっとなりつつも、プレナは言う。

「あのあのっ、そのっ。すごく遠いところにも似た気候の場所があるから、お互いに発見出来てない、ってよりも、先に、違う世界って思ったの……なんでだろ、って……あの、えっと……なんか、他の世界がある、って、知ってた、みたい、って…………そっちも、それが常識なのかな、っても、思ったんだけど……セピアさんは、そういう感じ、じゃ、なかったから……」

その言葉に、クリムはその深い紅の瞳を軽く見開いた。

「……そう、ですね」

良い洞察力だと、素直に思う。そして、迷う。

これ・・は本来、知られてはならないものだ。隠さねばならぬものだ。
けれど……なんとなく、ただの直感でしかないし、普段の自分であれば、考えられない程の軽率さでもある、と思う。そこまで自覚していて尚、目の前の少女たちであれば、口にしても大丈夫だと。何故か、そう思えた。

「……この世界で、これ・・がどの程度の意味を、価値を持つのかは、分かりません。けれど、これから話す情報は、私の生家で、秘し、隠し、守り人をしていたものの一部であり、根幹です。故に、口外しないでいただけると幸いです」

重々しく紡がれたその前置きに、カルロは薄い水色の目を見張る。

「ちょっ!? そんな事、会ったばっかな私達に言っていい訳?!」
「本来であれば、良い訳がないですし、口にしようとは欠片も思わないくらいには、あり得ない選択でしょうね」
「ならっ!」

テーブルに手をつき、身を乗り出すようにして言う、緋色の少女に、クリムはくすくすと微笑を零した。

「ありがとうございます。けれど、大丈夫ですよ。私が大丈夫と判断したからこそ、こうして口にしているのですから」

そう言ってから、クリムは人差し指を立てて見せる。

「第一に、ここが別の世界である可能性が高い事。これは、私の居た世界だからこそ、隠し、守る必要があった、と言えますので、別の世界であるのなら……という事です。第二に、これ・・が、私達がここに来た原因の可能性が非常に高く、情報共有の必要性を感じた事。そして最後に……これが1番大きな理由ですが。……貴女達ならば、口にしても大丈夫だという、直感ですね」

にこり。と、非常に整った顔立ちに、綺麗な笑みを乗せ、紡いだ言葉に、カルロは呆気にとられる。そして――

「――っ!! バッカじゃないのっ!? 1番の理由が! 1番信用しちゃダメな奴じゃないっっ!!」

叫ぶカルロの、想定通りの言葉に、クリムはころころと笑う。

「えぇ、本当に。先ほども言いましたが、自分でも考えられない選択だと思いますよ。ですが――」

クリムは、自分の胸に手を当て、自分の胸中を探るように軽く目を伏せ、紡ぐ。

「どうしてか、確信してしまっているのです。私が遺言の地を見つけた時のように。貴女達ならば、大丈夫だと。……もう少し、理屈を捏ねるのであれば。初対面でこちらが心配になる程、無防備でお人好しな様を見せたルキナさん。私の言葉に対し、このように本気で心配の声を上げてくださったカルロさん。慎重且つ、鋭い洞察力を見せたプレナさん。貴女達であれば、軽率には口にしないでくれると判断した。というのもあります」

その言葉にカルロは目を丸くし、沈黙する。
そして、少しの間を置いてから、深々とため息を落とした。

「……もしかして、試された?」

じとりとした視線を向けてくる少女に、クリムはくすくすと控え目な笑い声を零す。

「いいえ? 全て本音ですよ。言ったでしょう? 理屈を捏ねるなら、と。どちらかと言うと、それらは後付けの理由です」

けど、きちんとした理由にはなっているでしょう? と深紅の瞳を細めて、クリムは笑う。
と、どこか面白くなさそうな顔をしているセピアに気づく。

「セピア、どうかしましたか?」
「べっつにーー。ししょー、私には、何にもないんだ。とか、思ってないもん」

ぶー、と軽く膨れるセピアに、クリムは1つ瞬いてから、苦笑した。

「何を子供みたいな拗ね方をしているんですか」
「拗ねてないもーん」
「……全く。セピアに何か言う必要はないでしょう? 貴女を、あの場に、私の生家に連れてきた時点で、全てを教えるつもりだったのですから」

その言葉に、セピアは、え、と声を漏らし、弾かせたように、クリムを見上げる。
そんな養い子に苦笑を深めて、クリムは告げる。

「あの場所は、あの場所自体がすでに秘するべきものの一端。限られた者しか入れない、隠された場だったのですから」

琥珀色の瞳を丸くするセピアを一瞥してから、クリムは3姉妹の方へ向き直った。

「さて……元から、別の世界があるのを知ってるみたい、と言いましたね。結論から言いましょう。えぇ、私は知っていました。私の世界で、一般には秘されている事実。本来であれば、私など到底及ばない、英雄と呼ばれるに相応しい方々のみが、知る事実。私の世界では、こことはまた違う、別の世界にある存在から、侵略を受けているのです。それを日々撃退し、世界を守る方々がいるから、私達の日常があった訳です」

そこでクリムは1度言葉を切り、目を白黒させているセピアに微笑みかける。

「その辺りの詳しい話を知りたければ、あとで教えますので、今は、そのままで」

同じ世界の住人であっただけに1番驚いているだろう少女へ、そう告げてから、クリムは続きを紡ぐ。

「さて。今言ったように、これは世界を守るにふさわしい英雄のみが知る事実。それを私が、私の生家が知っていた理由。それは、生家が、時間と空間に干渉する魔術の研究を行っていたからです。特に、初代から数代は……異世界へ行く術を研究していましたから。それが、敵の、妖魔の手に渡れば大変な事になる、と、生家に接触した守護者の方より、この事実を伝えられ、有事の際には、協力する事、そして、その研究を秘し、守り、何があっても、妖魔の手に渡る事がないようにすることを条件に、研究を保持する事が許されたそうです。
……と、ここまでが、私が、生家が異なる世界を知っている表向きの理由になります」
「表向き、って事は、他にも理由がある、って事?」

小首を傾げたルキナに、クリムは頷く。

「えぇ。そして、ここからが私達がここへ来てしまった原因とつながっていると推測している理由にもなります。……先程、私の生家の初代から数代は、異世界へ行く術を研究していた、と言いました。それを知ったが故に守護者は生家に接触した、と。……つまり、生家は、守護者から告げられるよりも前から、異世界の存在を知っていた。何故、知っていたのか。何故、異世界へ行く術を研究していたのか。その答えは、帰る・・ため。初代は、侵略を行っている所とはまた別の異世界の人間だったそうです。故に、異世界の知識が混ざっているが故に、生家の研究成果である術式は独特で、それもあって、生家の研究内容は異世界に関わるものでなくとも全て秘す必要があったそうです」

思わぬ言葉に、少女たちは目を見開く。そして――

「あの読めなかった本!」
「帰りたいって書いてあった手記!!」

セピアとルキナが、ほぼ同時に声を上げた。そんな2人に、クリムは1つ頷いてみせる。

「えぇ。おそらくあれは、初代の手記であり、彼が帰るための何か。……初代はとうとう帰る事は叶わず、次代、3代目程までは、研究を引き継ぎましたが、直接初代を知る者が居なくなると、必然的にそれを研究する必要性も薄れていったそうですから……。この可能性が脳裏を過った時はまさかと思いましたよ。けれど、そう考えるのが、今現状では1番可能性が高いかと」

そうクリムが締めくくったあと、僅かな間、沈黙が広がる。
それを破ったのは、この中で、1番小柄な人物だった。

「あの、師匠……あの、気のせい、かもしれないんだけどね。あの時、本の光で、目の前が真っ白になった時ね、誰かの声、聞いた気がするんだ。ありがとう、って」

その言葉に、クリムは軽く目を見張る。

「それは……あぁ、そういえば、あの本を見つけて、持ってきたのは、貴方でしたものね。もしも、初代が魂となって尚、帰る事を望んでいたのなら……そういう事なのかもしれませんね」

何とも言えない複雑そうな微苦笑。
クリムの脳裏に過るのは、桔梗色の髪の少女が読み上げた文章だ。

『――帰りたい、と思った。何も分からぬこの場所で、愛しいと心から想う者が出来ても、その想いは消えなかった』

自分には読めなかった文章。敢えて、初代の故郷の言葉で、記す程に、彼はそれを切望していたのだろう。
それが、ひし、と感じられた、どこか、しんみりとした空気が漂う。
そんな空気を振り払うように、緋色の髪の少女が声を上げ、テーブルに手をついた。

「それはともかく! セピア達は、これからどうするつもり?」
「あ、えと……」

カルロが発した音で、ハッと我に返ったセピアは、わたわたと視線を彷徨わせた後、琥珀色の瞳をクリムへと向ける。

「ししょぅ……」

どぉしよう……と、ぺしょりと眉を下げる養い子。クリムは1つ息をつくと、手を伸ばし、黒茶色の頭を撫でる。

「大丈夫ですよ。さすがに数日中とはいかないでしょうが、帰る術は私が見つけます。来る事が、しかも人為的に出来たのであれば、帰る事も出来るはずです。私達は、エリンディルの住人なのですから」

穏やかな声でセピアを安心させるように、そう紡いでから、クリムはルキナへと視線を移す。

「改めて、しばらくお世話になります。そして、現実的にこちらで暮らしていくために、知恵を貸していただけますか?」
「うんっ、まずは、文字かな?」

大きく頷き、次いで、こてりと小首を傾げたルキナに、クリムは苦笑する。

「それもですが、まずは身を立てる方法ですね。こちらでも冒険者として活動するつもりですが、こちらには神殿……依頼の受注と斡旋を行う場はないのでしょう? どのようにして依頼を受けているのですか?」

その言葉に、こちらの冒険者である3姉妹は揃って、きょとんとした表情を浮かべた。
それぞれ違う雰囲気を纏う3人だが、そんな様子を見ると、血の繋がった姉妹なのだとよく分かる。
そう思うくらいには似通って見えた。

「ん-……クリムさんのとこ、ってもしかして、あんまり狩りってしない感じです?」

こてり、と首を傾げ、ルキナは問う。その動作につられたかのように、クリムも小首を傾げた。

「狩り、ですか?」
「こっちだと。どこそこに行って、そこに居る魔物を狩って、その魔物からとれるもの、ドロップ品を集めて、それを売る、ってゆーのが、冒険者の主なお金の稼ぎ方になるわね」
「依頼、受ける事もあるけど、お金のやり取りする方が稀ですね。ボランティアに近いです。非冒険者より冒険者の方が行動範囲が広いし、戦える分、出来る事も多いんだから、困ってる人がいたら、出来るだけ協力してあげてね。って感じです。あ、でも、お礼に、ってお菓子とか、何かくれる人もいますよ」
「……それって、なにもくれない人もいる、って事……?」

あり得ないモノを見ているような表情を浮かべ、怖々と聞いてくるセピアに、カルロは肩を竦める。

「割と普通に居るわよ。ありがとう、ってお礼だけの人。こっちも、元々そんなものだと思っているし、本当に感謝してくれてるのは伝わるから、それに不満を持つ人はいないわね。というか、そもそも、それが不満な人は依頼なんて受けないわ」
「依頼を遂行することで体験した事は、貴方を成長させる糧となる。故に、その経験そのものが、依頼の報酬だと心得なさい。って、修練所でも、そう教わるし」
「まぁ、冒険者として、魔物狩ってるだけじゃ出来ない事とか、知らない事に触れられるのは確かよね」
「あ、あと……えと、そういう、色んな体験をした方が、ただ鍛錬を続けるより、転生資格を得られやすい傾向がある、って言われてる、よね……?」

口々にそんな事を言い合う3姉妹を見て、セピアの口から、えぇぇぇ、と情けない声が零れる。

「ししょー、どうしよ。ホントに異世界だ……」
「セピア、そのセリフ、全く同じものを口にしたばかりの自覚はありますか?」
「だってぇ……」

へにょん、と眉を下げた姿は、まさしく、少し前の再現だ。
それに、つい苦笑を漏らした後、クリムはセピアへと言葉を紡ぐ。

「依頼のあり方が大きく異なるのは少々驚きましたが、エリンディルでだって、ただの人助けとなる事は、そう珍しい事でもないですよ。旅をして入れば、尚更に。ほぼほぼ自給自足をしているような小さな村では、依頼料が用意出来ないケースもありますし、実際、それを引き受けた事もありますから」

言いながら、ふっと、不意にクリムの目が遠くを見る。
あの時の戦闘は、まぁまぁ大変だったはずなんですが、それよりも、あの村の老人の方々の相手の方が大変でした、なんて呟いているのを見るに、その時の記憶が蘇ったらしい。
そして、それは、どうやらセピアの記憶にはないもののようだ。小柄な少女の頬が、分かりやすく膨れている。

「師匠、私それ知らないーー」
「別行動している時の話ですからねぇ。まぁ、トラブルに発展する可能性もあるので、よく考える必要はありますが、神殿を介さない依頼なら、当人同士が納得していれば、無報酬、またはそれに近い額での依頼受注は普通にエリンディルでもありますよ、というだけの話です。あと、ダンジョン攻略を主な活動としている冒険者は、依頼ではなく、ダンジョン内で見つけた品やドロップ品を収入源としていますから、この世界の冒険者は、それに近い、と考えると良いと思います」
「あー……そっか、確かに、テルルさん達はコロシアムで活躍することで、お金稼いでたっけ。私は参加してなかったけど……なるほどー」

セピアが元の世界でクリムを探すための旅をしていた頃、ギルドにお世話になっていた時期がある。クリムを探すため、ほぼほぼ不在にしていて、そのギルドのメンバーと共に居た時間は短い。それでも少しは、メンバーと交流もあった。
それを思い出し、納得したらしい。セピアは1人、ふむふむと頷く。

「じゃー、なにはともあれ、こっちでも冒険者はやるって事で! えっと、こっちだと、とーろくしないとだから、まずは、そこから?」

こてん、と首を傾げ、問うセピアに、答えたのはカルロだ。

「そうね。冒険者登録はしないとだけど、その前に文字じゃない? 名前くらいは書けた方が良いと思うわよ」
「でも、カル姉、字の読み書き、出来ない人も、登録、出来た……よね?」
「うん、出来るよ。登録の時、代筆もしてくれるし。……でも、その場合、文字の読み書きの講習受ける事が義務付けされるはずだよ。読み書き出来ないと、悪いコトに巻き込まれる危険性が高まるし、そもそも、指南書も読めないから、絶対色々困る事になるから、って。だから、しっかり習いたいなら、読み書き覚える前に冒険者登録するのもいいんじゃないかな、って思うよ」

そう言ってから、ルキナは眉を下げ、ただ……と、懸念点を紡ぐ。

「クリムさん達、元の世界の文字は書けるでしょ? 間違ってそっちの文字使っちゃったら。何で、共通語は出来ないのに、それは出来るの? そもそもそれ、どこの言語、ってならないかなぁ、って……異世界から来たって言うならいいのかもしれないけど……どう思う?」

クリムを見上げる少女に、ふむ、と白銀の青年は、息を零す。

「まず、私たちの事情は、異世界の住人である事を含めて、公言するつもりはありません。これは、私の問題ですので。それに、特異な立場は余計な事を招きかねませんから。……なので、そうですね。ルキナさん達には負担をかけてしまいますが、基本の読み書きの教授をお願いします」

その言葉と共に、クリムは頭を下げる。

「もちろんっ、大丈夫ですっ! だから、あのっ、頭上げてくださいっっ」

わたわたと意味もなく腕を振り、ルキナは言う。
それを受けて、クリムが頭を上げた所で、カルロは口を挟む。

「異世界から来たって事、隠すなら、街の名前とか、非冒険者も知ってるような魔物の事とか、そーゆー一般常識も覚えないとじゃない?」

頬杖をつき、言うカルロに、ルキナは口元に人差し指を当てると、ん-、と視線を軽く上げる。

「でも、冒険者登録する人は、訳アリの人も多いから、冒険者登録しに来た人自身の事は、滅多に聞いてこない、って聞いてるよ? 雑談程度になら普通に会話に出てきたりはするけど」
「何故か普通なら知ってる事を知らない、って滅多な事じゃないの?」
「そう言われると……」

ルキナは腕を組み、悩むように、うーん、と呻いて、首を捻る。
そんなルキナの方へ、ちょん、と頭を傾け、プレナが口を開く。

「あとは……知らなくても不思議じゃない理由、考え、る?」
「あー……」

プレナの提案に、そう声を漏らしたのは、カルロだ。
ダンサーの少女は薄い水色の瞳でじぃっと、セピアを見、次いで、クリムを見た後、1つ頷いた。

「うん。ありかも。セピアは何もしなくてもいいけど、クリムさんは何か、用意してた方が良さそうね」
「えー、何で師匠だけっ!?」

不満げに頬を膨らませるセピアに、カルロは不思議そうに、小首を傾げる。

「だって、セピアくらいの年なら、世間知らずな子なんて、普通にいるでしょ? 私達だって、グレイシアさんに保護されて、プロンテラに来るまで、プロンテラの事も、冒険者の事も、他の主要都市の事も、何も知らなかったし。むしろ、セピアの場合、年齢制限に引っかからないか、の方が心配だわ」

まー、そこは、12歳です、って言い張るしかないわよね、とカルロは息を吐く。
そんなカルロを見、1つ瞬いた後、クリムは口を開いた。

「この子が子供っぽいのは、その通りなんですか――」
「ちょっと、ししょー!」
「――先程、こちらの冒険者登録可能年齢は12歳以上と言ってましたよね。セピアはその年齢を当の昔に超えていますよ」

「「「えっ?」」」

思わぬ言葉に、3人の視線が揃ってセピアの方を向く。
3対の視線に、セピアはこっくりと頷き、右手の人差し指で、自分自身を指す。

「うん。私、今、19歳だよ」

小柄な体。細く柔らかそうな手足。丸みを帯びた頬の輪郭はどうみても幼い子供特有のものに見てる。
声は、少女のようにも、変声期前の少年にも聞こえるアルト。凹凸のない胴体だって、第二次性徴前のそれにしか見えない。
つまり、どこをどう見ても、19歳には到底見えない。
一拍の間の後、3人から、驚愕の声が上がったのは、至極当然と言えるだろう。

「うっっそでしょっ!!? 19!? セピア、姉さんより、年上なのっ!?」

ガタっと音を立てて、立ち上がったカルロは、テーブルに手を突き、そう叫ぶ。
そんなカルロを窘めるのも忘れて、ルキナはわたわたと口を開く。

「え、え、セピちゃん、あっ、年上なら、ちゃんとセピアさん、って呼んだ方がいい?」
「好きに呼んでいいよー。ルキナさんが呼びやすいので」

子供だと思われるのは、よくある事だし。
あっけらかんと言うセピアの様子を見て、ルキナも落ち着きを取り戻したらしい。
胸に手を当て、1つ深呼吸する。そして、改めて、セピアを見、問いかけた。

「セピアちゃん、もしかして、転生してる人?」
「転生?」

きょとりと琥珀色の目を丸くし、セピアは首を傾げる。
疑問符が浮かんでいそうな表情を浮かべたセピアとは反対に、カルロとプレナは、ルキナの言葉に軽く目を見開いた後、納得の表情を見せた。

「そっちじゃ、名称が違うのかしら? 神様の名前も違かったしね。えっと、私もあんまり詳しい訳ではないんだけど……冒険者として、色々な経験を積んで、強くなると、ヴァルキリーに認められるのよ。そうすると、転生の儀、ってゆーのが受けられるんだって。で、転生の儀を受けると、身体の年齢、見た目が、冒険者登録した年齢まで遡るの。習得した知識や技術は覚え直しになっちゃうんだけど、代わりに、転生する前よりも……えっと、何だっけ、才能、じゃなくって……あ、そうそう、ポテンシャルっ。ポテンシャルが格段に上がってるらしいわ。あと、転生すると年が取りにくくなるんだって。だから、見た目じゃ年齢が分からなくなるのよ」

ぴっと、人差し指を立てて、言ったカルロに続いて、ルキナが口を開く。

「確か、昔、冒険者修練所が出来る前、冒険者登録所しかなかった頃は、転生の儀を受けると、本当に転生……生まれ変わりをしちゃってたらしいよ? でも、知らない誰かの子供として、しかも赤ちゃんからやり直しは、すっごく困る!って事で、色々やって、冒険者登録した時の年齢になるようにして、ついでに、修練所も出来たらしいよ? ファラさん、あ、修練所の人ね、が言ってた」

これは、カルロとプレナも知らなかったらしい。ルキナが語った内容に妹2人も含めた皆が目を丸くする。

「まぁ、そんな訳で、カルちゃんが言ったみたいに、転生してるなら、見た目と年齢合ってないのは、むしろ当然だから、そうなのかな、って」

クリムとセピアからすれば、常識外の事を当然のように紡いで、アルケミストの少女はセピアを見る。
その様子に、クリムは感嘆と驚愕の混ざった息を吐く。

「そのような話を聞くと、セピアではないですが、本当に異世界なのだと、しみじみ実感しますね。こちらには、そのようなものはありませんよ。少なくとも、私もセピアも知りません」
「えっ!? じゃあ、ホントに、ものすんごい童顔で幼児体型なだけなのっ!?」

再度、驚いた声を上げたカルロに、へにょ、とセピアの眉が下がる。
もにょもにょと複雑そうに口が小さく動き、幼児体型……と、微かな呟きが零れた。
さすがに、失言だったと思ったらしい。あ、とカルロが慌てて、自分で自分の口を押える。

「カルちゃん」
「いや、あの、ごめん、つい……」

気まずげに、視線を彷徨わせてから、カルロは謝罪する。

「むぅ、まぁ、しょうがないのは、分かってるから、いーけどぉ……」

分かってはいても、思う所はあるらしい。
むにゅむにゅと頬を動かしてから、セピアは言う。

「私、ネヴァーフのハーフブラッドなの」

と、言われましても。

3姉妹はきょっとん、と目を瞬かせる。疑問符がいくつも浮かんでいそうな様子だ。
それを見て、クリムは苦笑する。

「先程、少し、セピアが口にしていましたが、私たちの世界では、6つの種族の総称を人間と呼んでいます。別の種族と見なされる程、見目や特性が違うのです。セピアはヒューリン。貴方方と同じ種族です。ヒューリンの特性は、種族的な得手不得手がないため、それぞれの努力と才によって何にでもなりうる可能性を秘めている事。そして、他種族と子を成した場合、ハーフブラッド、他の種族の特性を持った子が生まれる事です。つまり、セピアは、ネヴァーフという種族特性を持つヒューリンなんです」

ちなみに、ヒューリン以外の他種族同士で子を成した場合は、両親のどちらかの種族として生まれてくるんですよね、なんて付け足してから、クリムは続きを口にする。

「ネヴァーフの種族特性は、筋力が高く、器用な者が多い事。見目は、ヒューリンの子供くらいの背丈で、男性はガッシリとした体つきに髭が生えているのですが、女性はそうはならないどころか、童顔の傾向にあるので、ネヴァーフの女性は、ヒューリンの子供と間違えられやすいですね」

そんなクリムの説明に、セピアは1つ息をついて頷く。

「で、そんなネヴァーフの特性を継いじゃってるから、この見た目のまま、変わんないんだよね」
「なるほどねぇ……。ねぇ、異世界から来た事、秘密にするなら、種族の事も、隠すことになるわよね?」
「あ、確かに。私はハーフブラッドだけどヒューリンだからいいけど、師匠はエルダナーンだもんね」

まるで他人事なセピアの言葉に、カルロは頭を押さえる。

「そうじゃない。聞き逃しちゃダメそうなコトも言ってたけど、ひとまずそれは置いとくわ。セピア、異世界関係を隠すってゆーなら、実年齢は隠しなさい。転生もしていないのに、その見た目でその年齢言ったら、良くて信じてもらえないか、悪くて出身地とかあれこれ調べられてバレるわよ」
「う……分かった。今度から、15才って言うね」
「12。絶対15歳には見えないわ」
「う~~……」

不満げな声を上げるセピアに、ルキナは苦笑する。

「幼く見積もっていた方が、色々教わりやすくて良いと思うの。あと、冒険者登録した年月日とその時の年齢は記録されるから、登録した後なら、何かあっても、冒険者登録所が証明してくれるから、何度も年齢を誤魔化す必要はなくなるよ。とっても童顔! って事で押し通せるようになると思う。そもそも、たぶん、2次職になったら、もっと言うなら転生したら確実に、年、聞かれなくなると思うし」

転生した冒険者、特に女性に、実年齢聞くのは、NG、みたいな風潮があるから。
ルキナの言葉に、セピアが問う。

「転生してるかどうか、って見て分かるの?」
「転生すると職も変わるから、当然、職業服も変わるよ。転生した人しか、なれない職になるの」
「なるほどー」

納得の声を上げ、最初だけ、ってゆーなら、まあ、いいかなぁ、なんてセピアは呟く。
そんなセピアに、カルロは1つ息をつく。と、カルロの視界の端で桔梗色が揺れた。

「クリムさん。エルダナーン、って?」

ルキナの紡いだ問いはカルロも気になっていたものだ。故に、セピアから、クリムへと視線を移す。
そんな2人に、クリムはにこり、と笑みを向けた。

「察しているとは思いますが、私の種族名になります。エルダナーンの種族特性は、知力、魔力が高く、反面筋力がつきにくい。故に、物理よりも魔法が向いている種族ですね。身体的特徴は、細身で長身。髪の色は金か銀、瞳の色は青か緑が多いです。が、私自身が赤目なように、多い、というだけで必ずそうだという訳ではありません。必ず引きついている特徴は耳ですね」

そこで、クリムは言葉を切ると、さらりとした白銀の髪を耳にかける。
そうして露わになった青年の耳は、なるほど確かに、人のそれより細長く、尖っていた。

「妖精の耳じゃなかったんだ」

特徴的と言えるだろうそれを見て、ルキナがぽろりと呟く。
その言葉に、クリムは小首を傾げた。

「えと、妖精では、ないですよ?」

どこか不思議そうな表情を浮かべたクリムに、ルキナは慌てて手を振る。

「あ、ちがっ、えと、そうじゃなくって、妖精の耳、って装備品があるんです。それが、丁度クリムさんの耳みたいな感じの付け耳なの。最近は、装備品としての効果がない、ファッション用のも出回り始めてる、って聞いた事あるし。だから、クリムさん見ても、妖精の耳、つけてるだけって、本物の耳だっては思われないんじゃないかな、って」
「なるほど……」

ルキナの説明に、クリムは若干肩の力を抜く。

「なら、これに関しては、特にごまかしの必要はなさそうですね」

そんなクリムに、セピアが声をかける。

「師匠が隠さないとなのって、私とおんなじで、年齢でしょ。私も知らないもん。師匠の年。と、いうか、そもそも師匠、自分の年齢、覚えてるの?」

その言葉に、ルキナは瞬き、クリムとセピアを交互に見る。

「セピアちゃん、どういう事?」
「師匠はエルダナーンだもん。エルダナーンの人って長生きでね。平均寿命が200歳って言われてるし、中には全然年をとらない、不老の人も居るんだ。そーゆーエルダナーンの人のこと、イモータリィって言うんだけどね? 師匠もイモータリィなの。だから、私、赤ちゃんの時に師匠に拾われて育てて貰ったけど、師匠、ずーっと見た目、変わってないよ」

そう言ったセピアにクリムは息を吐く。

「確かにセピアの言うとおり、私はイモータリィですが、私自身は、エルダナーンの中ではまだまだ若輩者でしょうし、そこまで見た目が剥離してるわけではないと思うのですが……」
「いーから、クリムさん、今いくつな訳?」

腰に手を当て、詰問じみた調子で問うカルロに、クリムは視線を上向かせる。

「そう、ですね……セピアの歳が19、で、あの頃は……旅を始めて……それより前は…………」

記憶をたどっているらしい。
何やら1人呟いてから、クリムは視線を戻した。

「覚えている限りでは、50年程は生きているかと」

その途端、3姉妹の口から、息が零れる。

「転生してる人なら、その年齢でそのくらいの見た目の人、普通に居ると思うけど……転生してないんだから、すごいというか、不思議というか……」
「異世界なんだなー、って思うよね。異世界なんだから、私達とは別の種族の人が居たって不思議じゃないし、別の種族なら違うところがあっても、不思議じゃないと思うよ」
「まーねぇ」

和気藹々とそんな会話をしてから、ルキナはちょんと小首を傾げる。

「でも、クリムさん。なんで、覚えてる限りでは、なの?」
「ん? 単純に年ちゃんと数えてなかった、って事じゃないの?」
「数えて無くても、生まれた年知ってれば、逆算出来るんじゃないかなーって」
「私、プロンテラに来るまで、自分の生まれた年も知らなかったわよ? というか、そっちって暦とかどうなってるの?」

そっちと同じなのかしら。
そう口にしたカルロに、クリムは額を抑える。

「あぁ、確かに……冒険者登録前にすり合わせすべき常識は多そうですね……」

頭が痛いとばかりに、クリムは呻く。
無理もない。
街の名前やお金の単位、物の名前、社会の大雑把な仕組みだけではなく、年月日などの暦や時間、季節など、無意識に当然だと思っている常識も、ルキナとカルロの会話で一気に揺らいだのを自覚する。
つまりは、それらも1つ1つ確認していかなければならないという事なのだから。
はぁ、と大きく息をつき、クリムは顔を上げる。

「ご負担をかけますが、ご協力よろしくお願いします。それと、カルロさんの問いですが、エリンディルにも年暦はありました。けれど、子供の頃、両親と死に別れた上に記憶喪失に陥りましてね。おおよその年齢しか分からないのですよ」

軽く肩を竦めて、クリムは言う。
そういう事にした・・・・・・・・
否、嘘は言っていない。幼い頃、両親と死に別れたことも、その際、記憶を封じられ、記憶喪失になっていた事も、本当の事だ。
ただ、死に別れた事を知っている・・・・・・・・・・・・。それはつまり、既に封じられていた記憶は取り戻しているという事だ。
別に、自分の正確な年齢を誤魔化した訳ではない。自分の正確な年齢が分からないのも本当の事だ。
ただ、それが、記憶喪失とはまた別の要因からであるだけで。けれど、それを説明するのは、少々複雑で、早い話が面倒だった。
けれども、当然、そんな事を知る由も無いアルケミストの少女は、青年の言葉に、さっと顔色を変える。

「あ……ごめんなさい、クリムさん。嫌なこと……」

彼女が発した問いではないというのに、しょんぼりとルキナは視線を下げ謝罪する。問いかけた当人であるカルロも気まずげに視線を逸らした。
そんな非常に素直な反応に、つい、クリムの口元に苦笑が浮かぶ。

「お気になさらず。元々、あまり、自分の年齢という物を重要視していませんでしたから」

そんな時だった。
不意に、ぽつりと、少女の声が落ちてくる。

「――そうだ。記憶喪失」

少々か細いその声は、プレナが発した物だった。
先程から、会話に参加すること無く俯いていたマジシャンの少女は、今はしっかりと顔を上げ、クリムの方を見ていた。

「記憶喪失は、どうでしょう?」
「はい?」

どうでしょう、と、言われましても。
まず、何の話だとクリムは首を傾げる。
一拍遅れて、言葉足らずであったことを自覚したらしい。

プレナはあわあわと意味もなく腕を振りながら口を開く。

「あのっ、さっきのっ、普通なら知ってる事、知らなくても不思議じゃない理由……えと、その、記憶喪失、って事にすれば、いいの、かな、って……」

最初は、こっちの大陸知らない地方都市出身って、思ったんだけど、普通に冒険者の人行くから、地方都市でも色々知られてるし、冒険者の人が行かないような所は、私も知らないし等々。
緊張に藍色の瞳を潤ませ、それでも、懸命にプレナは言葉を紡ぐ。
その様は先程、問いを発していた時よりも、格段に不安げだ。
そんな様子を見ていて、ふと、クリムは気付く。

(提案が苦手というよりも、疑問や考察ならば、好奇心や知識欲が先立っていたため、あの程度で済んでいた、という事ですか)

第一印象で感じたもの以上に、実際は人見知りする気質だったらしい。そんな納得と共に思考するのはプレナの提案の中身だ。
ありかなしかで言えば、申し分なくありだろう。この手のものは作り話ごまかしが多ければ多いほど露呈しやすく、後々面倒なことになりやすい。潜入など、短期間のものならばともかく、そうでないのなら、尚更だ。
それを踏まえれば、記憶喪失と言うことにしてしまえば、あれこれ言い訳を作る必要はない。知らぬ存ぜぬで押し通せる。嘘をつく必要がないのも気が楽だ。
記憶喪失だって、この世界の・・・・・記憶がない、という意味であれば、決して誤りではないのだから。
ただ1つ、懸念があるとすれば……
クリムはセピアへと、視線を向ける。

「セピア。プレナさんのこの案はとても良いものだと思います。可能なら、その案を採用したいのですが、貴方は大丈夫ですか?」
「へ?」

間の抜けた声を漏らし、きょとんと琥珀色の瞳を丸くする養い子に、クリムは言葉を添える。

「私が記憶喪失と公言した場合、セピアは私を師匠とは呼べなくなります。私は貴方の事も、ここで初めて会う事になるのですから」
「あ!!!」

言われて気がついたらしい。
セピアは大声を上げた後、おろおろわたわたと忙しなく視線を彷徨わせる。

「えぇぇぇぇ。ししょーがししょーじゃなくなるのはヤだよぅ。けど、外では、だったら、そのくらいなら、でもでもぉ……」

うんうんと、しばし狼狽した様子を見せてから、セピアはぐっと手を握り、拳を作る。

「だい、じょぶ!! ししょーをししょーって呼ばないようにすればいいんだもん、出来るっ、頑張るっ!」
「まぁ、クリムさんもセピアも上に住むんでしょ? なら一緒に居るうちにクリムさんに懐いた、って事にすれば、対応を変える必要もないでしょうしね。大丈夫じゃないかしら」

軽く肩を竦め、カルロも言う。
それを受けて、クリムは1つ息をついた。

「そう、ですね。少々不安はありますが、どうにかなると信じてその方向で進めさせて頂きますね」
「ししょー、その言い方、信用あるように聞こえないんだけど!」
「なら、大いに不安ですが、と言い換えましょうか?」

ガタっと音を立てて、立ち上がったカルロは、テーブルに手を突き、そう叫ぶ。
そんなカルロを窘めるのも忘れて、ルキナはわたわたと口を開く。

「え、え、セピちゃん、あっ、年上なら、ちゃんとセピアさん、って呼んだ方がいい?」
「好きに呼んでいいよー。ルキナさんが呼びやすいので」

子供だと思われるのは、よくある事だし。
あっけらかんと言うセピアの様子を見て、ルキナも落ち着きを取り戻したらしい。
胸に手を当て、1つ深呼吸する。そして、改めて、セピアを見、問いかけた。

「セピアちゃん、もしかして、転生してる人?」
「転生?」

きょとりと琥珀色の目を丸くし、セピアは首を傾げる。
疑問符が浮かんでいそうな表情を浮かべたセピアとは反対に、カルロとプレナは、ルキナの言葉に軽く目を見開いた後、納得の表情を見せた。

「そっちじゃ、名称が違うのかしら? 神様の名前も違かったしね。えっと、私もあんまり詳しい訳ではないんだけど……冒険者として、色々な経験を積んで、強くなると、ヴァルキリーに認められるのよ。そうすると、転生の儀、ってゆーのが受けられるんだって。で、転生の儀を受けると、身体の年齢、見た目が、冒険者登録した年齢まで遡るの。習得した知識や技術は覚え直しになっちゃうんだけど、代わりに、転生する前よりも……えっと、何だっけ、才能、じゃなくって……あ、そうそう、ポテンシャルっ。ポテンシャルが格段に上がってるらしいわ。あと、転生すると年が取りにくくなるんだって。だから、見た目じゃ年齢が分からなくなるのよ」

ぴっと、人差し指を立てて、言ったカルロに続いて、ルキナが口を開く。

「確か、昔、冒険者修練所が出来る前、冒険者登録所しかなかった頃は、転生の儀を受けると、本当に転生……生まれ変わりをしちゃってたらしいよ? でも、知らない誰かの子供として、しかも赤ちゃんからやり直しは、すっごく困る!って事で、色々やって、冒険者登録した時の年齢になるようにして、ついでに、修練所も出来たらしいよ? ファラさん、あ、修練所の人ね、が言ってた」

これは、カルロとプレナも知らなかったらしい。ルキナが語った内容に妹2人も含めた皆が目を丸くする。

「まぁ、そんな訳で、カルちゃんが言ったみたいに、転生してるなら、見た目と年齢合ってないのは、むしろ当然だから、そうなのかな、って」

クリムとセピアからすれば、常識外の事を当然のように紡いで、アルケミストの少女はセピアを見る。
その様子に、クリムは感嘆と驚愕の混ざった息を吐く。

「そのような話を聞くと、セピアではないですが、本当に異世界なのだと、しみじみ実感しますね。こちらには、そのようなものはありませんよ。少なくとも、私もセピアも知りません」
「えっ!? じゃあ、ホントに、ものすんごい童顔で幼児体型なだけなのっ!?」

再度、驚いた声を上げたカルロに、へにょ、とセピアの眉が下がる。
もにょもにょと複雑そうに口が小さく動き、幼児体型……と、微かな呟きが零れた。
さすがに、失言だったと思ったらしい。あ、とカルロが慌てて、自分で自分の口を押える。

「カルちゃん」
「いや、あの、ごめん、つい……」

気まずげに、視線を彷徨わせてから、カルロは謝罪する。

「むぅ、まぁ、しょうがないのは、分かってるから、いーけどぉ……」

分かってはいても、思う所はあるらしい。
むにゅむにゅと頬を動かしてから、セピアは言う。

「私、ネヴァーフのハーフブラッドなの」

と、言われましても。

3姉妹はきょっとん、と目を瞬かせる。疑問符がいくつも浮かんでいそうな様子だ。
それを見て、クリムは苦笑する。

「先程、少し、セピアが口にしていましたが、私たちの世界では、6つの種族の総称を人間と呼んでいます。別の種族と見なされる程、見目や特性が違うのです。セピアはヒューリン。貴方方と同じ種族です。ヒューリンの特性は、種族的な得手不得手がないため、それぞれの努力と才によって何にでもなりうる可能性を秘めている事。そして、他種族と子を成した場合、ハーフブラッド、他の種族の特性を持った子が生まれる事です。つまり、セピアは、ネヴァーフという種族特性を持つヒューリンなんです」

ちなみに、ヒューリン以外の他種族同士で子を成した場合は、両親のどちらかの種族として生まれてくるんですよね、なんて付け足してから、クリムは続きを口にする。

「ネヴァーフの種族特性は、筋力が高く、器用な者が多い事。見目は、ヒューリンの子供くらいの背丈で、男性はガッシリとした体つきに髭が生えているのですが、女性はそうはならないどころか、童顔の傾向にあるので、ネヴァーフの女性は、ヒューリンの子供と間違えられやすいですね」

そんなクリムの説明に、セピアは1つ息をついて頷く。

「で、そんなネヴァーフの特性を継いじゃってるから、この見た目のまま、変わんないんだよね」
「なるほどねぇ……。ねぇ、異世界から来た事、秘密にするなら、種族の事も、隠すことになるわよね?」
「あ、確かに。私はハーフブラッドだけどヒューリンだからいいけど、師匠はエルダナーンだもんね」

まるで他人事なセピアの言葉に、カルロは頭を押さえる。

「そうじゃない。聞き逃しちゃダメそうなコトも言ってたけど、ひとまずそれは置いとくわ。セピア、異世界関係を隠すってゆーなら、実年齢は隠しなさい。転生もしていないのに、その見た目でその年齢言ったら、良くて信じてもらえないか、悪くて出身地とかあれこれ調べられてバレるわよ」
「う……分かった。今度から、15才って言うね」
「12。絶対15歳には見えないわ」
「う~~……」

不満げな声を上げるセピアに、ルキナは苦笑する。

「幼く見積もっていた方が、色々教わりやすくて良いと思うの。あと、冒険者登録した年月日とその時の年齢は記録されるから、登録した後なら、何かあっても、冒険者登録所が証明してくれるから、何度も年齢を誤魔化す必要はなくなるよ。とっても童顔! って事で押し通せるようになると思う。そもそも、たぶん、2次職になったら、もっと言うなら転生したら確実に、年、聞かれなくなると思うし」

転生した冒険者、特に女性に、実年齢聞くのは、NG、みたいな風潮があるから。
ルキナの言葉に、セピアが問う。

「転生してるかどうか、って見て分かるの?」
「転生すると職も変わるから、当然、職業服も変わるよ。転生した人しか、なれない職になるの」
「なるほどー」

納得の声を上げ、最初だけ、ってゆーなら、まあ、いいかなぁ、なんてセピアは呟く。
そんなセピアに、カルロは1つ息をつく。と、カルロの視界の端で桔梗色が揺れた。

「クリムさん。エルダナーン、って?」

ルキナの紡いだ問いはカルロも気になっていたものだ。故に、セピアから、クリムへと視線を移す。
そんな2人に、クリムはにこり、と笑みを向けた。

「察しているとは思いますが、私の種族名になります。エルダナーンの種族特性は、知力、魔力が高く、反面筋力がつきにくい。故に、物理よりも魔法が向いている種族ですね。身体的特徴は、細身で長身。髪の色は金か銀、瞳の色は青か緑が多いです。が、私自身が赤目なように、多い、というだけで必ずそうだという訳ではありません。必ず引きついている特徴は耳ですね」

そこで、クリムは言葉を切ると、さらりとした白銀の髪を耳にかける。
そうして露わになった青年の耳は、なるほど確かに、人のそれより細長く、尖っていた。

「妖精の耳じゃなかったんだ」

特徴的と言えるだろうそれを見て、ルキナがぽろりと呟く。
その言葉に、クリムは小首を傾げた。

「えと、妖精では、ないですよ?」

どこか不思議そうな表情を浮かべたクリムに、ルキナは慌てて手を振る。

「あ、ちがっ、えと、そうじゃなくって、妖精の耳、って装備品があるんです。それが、丁度クリムさんの耳みたいな感じの付け耳なの。最近は、装備品としての効果がない、ファッション用のも出回り始めてる、って聞いた事あるし。だから、クリムさん見ても、妖精の耳、つけてるだけって、本物の耳だっては思われないんじゃないかな、って」
「なるほど……」

ルキナの説明に、クリムは若干肩の力を抜く。

「なら、これに関しては、特にごまかしの必要はなさそうですね」

そんなクリムに、セピアが声をかける。

「師匠が隠さないとなのって、私とおんなじで、年齢でしょ。私も知らないもん。師匠の年。と、いうか、そもそも師匠、自分の年齢、覚えてるの?」

その言葉に、ルキナは瞬き、クリムとセピアを交互に見る。

「セピアちゃん、どういう事?」
「師匠はエルダナーンだもん。エルダナーンの人って長生きでね。平均寿命が200歳って言われてるし、中には全然年をとらない、不老の人も居るんだ。そーゆーエルダナーンの人のこと、イモータリィって言うんだけどね? 師匠もイモータリィなの。だから、私、赤ちゃんの時に師匠に拾われて育てて貰ったけど、師匠、ずーっと見た目、変わってないよ」

そう言ったセピアにクリムは息を吐く。

「確かにセピアの言うとおり、私はイモータリィですが、私自身は、エルダナーンの中ではまだまだ若輩者でしょうし、そこまで見た目が剥離してるわけではないと思うのですが……」
「いーから、クリムさん、今いくつな訳?」

腰に手を当て、詰問じみた調子で問うカルロに、クリムは視線を上向かせる。

「そう、ですね……セピアの歳が19、で、あの頃は……旅を始めて……それより前は…………」

記憶をたどっているらしい。
何やら1人呟いてから、クリムは視線を戻した。

「覚えている限りでは、50年程は生きているかと」

その途端、3姉妹の口から、息が零れる。

「転生してる人なら、その年齢でそのくらいの見た目の人、普通に居ると思うけど……転生してないんだから、すごいというか、不思議というか……」
「異世界なんだなー、って思うよね。異世界なんだから、私達とは別の種族の人が居たって不思議じゃないし、別の種族なら違うところがあっても、不思議じゃないと思うよ」
「まーねぇ」

和気藹々とそんな会話をしてから、ルキナはちょんと小首を傾げる。

「でも、クリムさん。なんで、覚えてる限りでは、なの?」
「ん? 単純に年ちゃんと数えてなかった、って事じゃないの?」
「数えて無くても、生まれた年知ってれば、逆算出来るんじゃないかなーって」
「私、プロンテラに来るまで、自分の生まれた年も知らなかったわよ? というか、そっちって暦とかどうなってるの?」

そっちと同じなのかしら。
そう口にしたカルロに、クリムは額を抑える。

「あぁ、確かに……冒険者登録前にすり合わせすべき常識は多そうですね……」

頭が痛いとばかりに、クリムは呻く。
無理もない。
街の名前やお金の単位、物の名前、社会の大雑把な仕組みだけではなく、年月日などの暦や時間、季節など、無意識に当然だと思っている常識も、ルキナとカルロの会話で一気に揺らいだのを自覚する。
つまりは、それらも1つ1つ確認していかなければならないという事なのだから。
はぁ、と大きく息をつき、クリムは顔を上げる。

「ご負担をかけますが、ご協力よろしくお願いします。それと、カルロさんの問いですが、エリンディルにも年暦はありました。けれど、子供の頃、両親と死に別れた上に記憶喪失に陥りましてね。おおよその年齢しか分からないのですよ」

軽く肩を竦めて、クリムは言う。
そういう事にした・・・・・・・・
否、嘘は言っていない。幼い頃、両親と死に別れたことも、その際、記憶を封じられ、記憶喪失になっていた事も、本当の事だ。
ただ、死に別れた事を知っている・・・・・・・・・・・・。それはつまり、既に封じられていた記憶は取り戻しているという事だ。
別に、自分の正確な年齢を誤魔化した訳ではない。自分の正確な年齢が分からないのも本当の事だ。
ただ、それが、記憶喪失とはまた別の要因からであるだけで。けれど、それを説明するのは、少々複雑で、早い話が面倒だった。
けれども、当然、そんな事を知る由も無いアルケミストの少女は、青年の言葉に、さっと顔色を変える。

「あ……ごめんなさい、クリムさん。嫌なこと……」

彼女が発した問いではないというのに、しょんぼりとルキナは視線を下げ謝罪する。問いかけた当人であるカルロも気まずげに視線を逸らした。
そんな非常に素直な反応に、つい、クリムの口元に苦笑が浮かぶ。

「お気になさらず。元々、あまり、自分の年齢という物を重要視していませんでしたから」

そんな時だった。
不意に、ぽつりと、少女の声が落ちてくる。

「――そうだ。記憶喪失」

少々か細いその声は、プレナが発した物だった。
先程から、会話に参加すること無く俯いていたマジシャンの少女は、今はしっかりと顔を上げ、クリムの方を見ていた。

「記憶喪失は、どうでしょう?」
「はい?」

どうでしょう、と、言われましても。
まず、何の話だとクリムは首を傾げる。
一拍遅れて、言葉足らずであったことを自覚したらしい。

プレナはあわあわと意味もなく腕を振りながら口を開く。

「あのっ、さっきのっ、普通なら知ってる事、知らなくても不思議じゃない理由……えと、その、記憶喪失、って事にすれば、いいの、かな、って……」

最初は、こっちの大陸知らない地方都市出身って、思ったんだけど、普通に冒険者の人行くから、地方都市でも色々知られてるし、冒険者の人が行かないような所は、私も知らないし等々。
緊張に藍色の瞳を潤ませ、それでも、懸命にプレナは言葉を紡ぐ。
その様は先程、問いを発していた時よりも、格段に不安げだ。
そんな様子を見ていて、ふと、クリムは気付く。

(提案が苦手というよりも、疑問や考察ならば、好奇心や知識欲が先立っていたため、あの程度で済んでいた、という事ですか)

第一印象で感じたもの以上に、実際は人見知りする気質だったらしい。そんな納得と共に思考するのはプレナの提案の中身だ。
ありかなしかで言えば、申し分なくありだろう。この手のものは作り話ごまかしが多ければ多いほど露呈しやすく、後々面倒なことになりやすい。潜入など、短期間のものならばともかく、そうでないのなら、尚更だ。
それを踏まえれば、記憶喪失と言うことにしてしまえば、あれこれ言い訳を作る必要はない。知らぬ存ぜぬで押し通せる。嘘をつく必要がないのも気が楽だ。
記憶喪失だって、この世界の・・・・・記憶がない、という意味であれば、決して誤りではないのだから。
ただ1つ、懸念があるとすれば……
クリムはセピアへと、視線を向ける。

「セピア。プレナさんのこの案はとても良いものだと思います。可能なら、その案を採用したいのですが、貴方は大丈夫ですか?」
「へ?」

間の抜けた声を漏らし、きょとんと琥珀色の瞳を丸くする養い子に、クリムは言葉を添える。

「私が記憶喪失と公言した場合、セピアは私を師匠とは呼べなくなります。私は貴方の事も、ここで初めて会う事になるのですから」
「あ!!!」

言われて気がついたらしい。
セピアは大声を上げた後、おろおろわたわたと忙しなく視線を彷徨わせる。

「えぇぇぇぇ。ししょーがししょーじゃなくなるのはヤだよぅ。けど、外では、だったら、そのくらいなら、でもでもぉ……」

うんうんと、しばし狼狽した様子を見せてから、セピアはぐっと手を握り、拳を作る。

「だい、じょぶ!! ししょーをししょーって呼ばないようにすればいいんだもん、出来るっ、頑張るっ!」
「まぁ、クリムさんもセピアも上に住むんでしょ? なら一緒に居るうちにクリムさんに懐いた、って事にすれば、対応を変える必要もないでしょうしね。大丈夫じゃないかしら」

軽く肩を竦め、カルロも言う。
それを受けて、クリムは1つ息をついた。

「そう、ですね。少々不安はありますが、どうにかなると信じてその方向で進めさせて頂きますね」
「ししょー、その言い方、信用あるように聞こえないんだけど!」
「なら、大いに不安ですが、と言い換えましょうか?」

にこり、と笑って紡がれた言葉に、師匠ひっどーいっ、とセピアは憤慨する。
それをころころと笑って受け流しつつ、深紅の瞳は冷静にセピアを見る。
養い子であるこの子は、純真で根が素直だ。それをクリムはよくよく知っている。追加で言えば、見た目に引きずられているのか、どうにも子供っぽさが抜けない。
そんな彼女は、ある意味当然かもしれないが、嘘や隠し事、誤魔化しが不得手だ。
クリムは当の本人以上に、それをよくよく知っていた。

(しばらくは、彼女達以外の人目がある所でこの子に会うのは避けて……後は何か、言い訳セピアが師匠と呼べる理由作って考えておきましょうか)

そんな事を考えていると、よっし、とカルロの声と椅子を引く音が響く。
クリムが視線を向けると、カルロは立ち上がり、腕を上げて軽く伸びをしてから言った。

「姉さん、私何か食べるの買ってくるわね。今日はこのまま勉強会になりそうだし、作るより簡単に食べれるものの方が良いでしょ」
「あっ。カルちゃんありがとう。じゃあ、お任せしちゃうね。好きなの買ってきて」

カルロの申し出に、ルキナは笑って礼を言う。
それを受けて、歩き出そうとしたところで、ふと、カルロは足を止めた。そして、視線を向けるのは、妹であるプレナだ。

「そういや、プレ。時間は大丈夫なの? もうお昼過ぎてるけど」

それは、今朝聞いたプレナの予定を思い出したが故の言葉だった。その言葉にプレナはバッ、と時計を見る。
そして、針が示す時刻を目にし、サァァァ、と青褪めた。そして、大人しい彼女にしては珍しく、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。

「だっ、大丈夫じゃないっっ。い、いってくるぅっっ」

そう言い置いて、ぱたぱたとプレナは駆け出す。
そんな彼女を視界に収め、クリムは瞬時に魔力を編んだ。

「ヘイスト」

「わわっっ」

ふわりと優しい風を感じたと同時に異様に足が軽く感じて、プレナは慌てた声を上げる。

「支援魔法です。持続時間は短いので、お気をつけて」
「ありがとうございますぅぅぅ」

端的に説明したクリムへと礼を紡ぎつつ、プレナは足を止めることなく駆けてゆく。
その速度は普段よりも格段に速く、プレナの背中を見送って、カルロは1つ息を吐いた。

「今の、こっちで言うと速度増加かしらね?」
「じゃないかなぁ。やっぱり、世界が違っても似てるものがあるんだねぇ」

のほほんとした笑みを浮かべ、ルキナも言う。
そんな姉妹のやりとりに、クリムは意識をそちらへと向けた。

「カルロさん、速度増加、とは?」
「あー……姉さんパスー。私お昼買いに行かなきゃだし」
「はーい。いってらっしゃい、気をつけてね」
「うん!」

視線を彷徨わせながら言ったカルロにルキナは笑って頷く。
それにカルロはあからさまにほっとした安堵の息を吐くと、ぱたぱたとプレナを追うように外へと駆けていく。
それを見送って、クリムは首を傾げた。
不思議そうな眼差しで、カルロが去った後もそちらを眺め続ける青年に、ルキナはくすくすと笑みを零す。

「気にしないであげてください。カルちゃん、たぶん、自信なかっただけだと思うので」

その言葉に、クリムはルキナへと視線を向ける。

「自信?」

ルキナは大きく頷いた。

「はい。速度増加って、アコライトの支援スキルなんですけど、カルちゃんも私も、今、身近にアコライトさん居ないから」
「あぁ、なるほど。……ですが、それなら、貴方も同じはずでは?」

当然の問いに、ルキナはふんわりと微笑む。

「私はお姉ちゃんですから。子供の時、私達を保護してくれた人がプリーストさんで、一時期お世話になってた頃に、色々聞いてたのを覚えてるのと……割と、お勉強好きなので」
「それは……少し、分かります」

ルキナにつられるように、くすりと小さく笑い、クリムは蒼の瞳を穏やかに見返した。
おそらく、目の前の少女も、知的好奇心が強く、知る事が好きな部類なのだろう。

「さて、では、話の続きをお願いします」
「あ、はいっ! えと、速度増加は、今言ったとおり、アコライトのスキルで――」

クリムに促され、ルキナは己が知っている限りのことを説明していく。
そこから、冒険者の職についての話題となり、割と共通していた職の名前に会話が弾むのは、この後すぐのこと。

転職についての話題になり、似てると思っていた冒険者の職のあり方が実は全く異なる事が発覚し、その場に居る全員が頭を抱えることになるのは、それからもう少し後の事。

新たに冒険者が2人、増えることになるのはもうしばし先の事となる。

fin

あとがき

そんなこんなで、クリムトセピアの登場話でした。
この2人は、TRPG ARAでのmyキャラで、ARAはほぼ引退、けど、この子達はまだ動かしたい! でこっちに連れてきたという。
いわゆる異世界トリップですね!! それが可能な下地となる設定をクリムが持ってたが故に、実現出来たとこはある。……や、まぁ……RO割とほいほい異世界繋がってるから、なくてもどうとでもなったかもしれないけれども。
あぁ、でも、ルキナに特殊設定つくことになったのは、間違いなく、クリムが戦犯だったりはする。初期設定は、本当に何もない平凡なただ製薬の才能があるだけの女の子だったのにねぇ?
ディアレント家に特殊設定ついたのは、間違いなくクリムのせい……正確にはクリムがこっちに来たせいだからなー。やー、代々冒険者の家系ってだけだったのに、その秘められた理由ってことでしっくり、ぴったり嵌まっちゃったからねぇ。意図しないところで元から誂えたかのように設定が嵌まるのが、とてもとても面白い。
まぁ、それはともかく。
ちなみに、2人のARA時代の活躍リプレイこちらのサイトで読めたり。読み物の「リカルド」がクリムの、「天下一武道会」がセピアのお話。
この2人のARA時代の小話は子猫のメモ帳にパラパラあったりもする。
……にしても、長くなったぁ…………っ。やー、会話が長くなる長くなる……永遠に終わらないかと思ったもん。
ちなみに、ROとARA世界の差異な会話、想定からはかなり外れていて、あわあわしてた中の人です。ホントは職についてとか、こっちで冒険者どの職になるかとか、そーゆー話になる事を想定してたんだよー。でも実際は、それ以前に、って感じだったねー。
あのまま続き書いてたらそっちまで話行ったと思うけど、さすがにそっちまで書いてると文字数6万くらいいきそうなので、ここで切り! 切りったら切り!! ってした次第。
ちなみに裏話として、セピアはスパノビになるんだけど、元々マジ志望だったのに、♀マジ服が嫌で男として冒険者登録。男装しつつ、その後スパノビに転向。って流れが初期設定。
だったんだけど、女性でそのまま登録して普通にスパノビになります。
というのも、そもそもセピアをRO内に実装した時、枠空いてるのが♂垢しかなくて、当時性別固定時代だったから、当初♂キャラとして作ってたのよね、セピア。故に初期設定に男装してるってのがついた。んだけど、性別指定実装後、♀キャラとして作り直してるので、そのまま素直に登録で問題ないだよなー、となった次第。
まーぁ、性別バレネタってそれはそれで美味しいので、ちょっと惜しく思うとこもあるんだけどねぇ


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