「姉さんっ」
「あ、カルちゃん」

ルーンミッドガッツ王国首都、プロンテラ。
この街の中心にある噴水の東側で、そんな声が響いた。
見ればそこには2人の少女がいた。
1人は、紫がかった青い髪を邪魔にならないよう、耳の横の部分だけ後ろで括っており、頭に鮮やかな青の羽の小鳥を乗せている。瞳は海を思わせる深く澄んだ蒼で、ふんわりとした雰囲気を纏っている事もあり、どこか幼さを残しているように見える顔立ち。アルケミストの制服を纏い、露店中なのだろう、地に敷物を敷き、自身の前に、商品と思わしき品々を並べて座っていた。
もう1人の少女は、他の客が来た場合を考慮しているのか、アルケミストの少女の正面ではなく、斜め前に立っていた。すらりとした体躯を惜しげもなく晒したダンサーの衣装を身に纏い、緋色の髪を左右でお団子にし、金色の鈴をつけている。瞳は薄い空の様な水色で、意思の強そうな印象を受けた。

「おかえり、どうしたの?」

ふわりと嬉しそうに笑い、問うアルケミストの少女、ルキナに、ダンサーの少女、カルロも小さく笑う。

「ただいま。帰って来てみたら、家に居ないから。プレに露天しに行ったって聞いて、じゃあ、ここかなーって。売れ行き、どう?」
「んー、そこそこかなぁ。今日は、コンバーターの材料が欲しい人いないみたいで、ポーションがちょこちょこ売れたくらい」
「そっか。――姉さんもここじゃなくって向こうで露店すればいいのに」
「ん?」

小首を傾げるルキナにカルロは、だってと言葉を続ける。

「露店多いのって、南門から、ここの入り口くらいまでの大通りでしょ? 大体露店見に来た人はそっちに行くし、こんな端で露店するよりも、そっちの方がいいんじゃないかなーって」

商人系の冒険者が出す露店はプロンテラ南門から中央広場までの道沿いに多く、広場の中心、噴水付近にある露店は疎らである。
当然、露天を目当てに歩く人の数もここよりも、大通りの方が多く、カルロの言葉はもっともと言えた。それを聞いて、ルキナは、唇の下辺りに人差し指を当てると、んー、と何事か考えるように声を漏らす。

「んー、たしかにそうかもしれないけど……ここ、初めて露店、開いた場所だから。噴水の水の音がなんかほっとするし。……うん、私はここでいいよ。たぶん、ここ以外でお店開いても落ち着かなそう」

ふんわりと笑い、そう答えるルキナに、カルロは苦笑する。

「姉さんらしいわ」
「それに、ここでお店してても、ちゃんとお客さん、来てくれるから。大丈夫だよ、カルちゃん」
「ん、それは分かってる」

カルロがそう言ったその時、ルキナの傍らで丸くなって眠っていた青い鳥が、ふと、頭を上げる。と、軽く羽ばたき、ルキナの膝の上に降り立った。彼女の頭上にいる鳥と非常によく似たそれは何かをねだるように軽くルキナを突く。

「あ、ユエちゃん、お腹空いた?」

ルキナがそう声をかけると、それを肯定するかのように、ユエと呼ばれた青い鳥がきゅ、っと鳴く。
それを受けて、ルキナは腰のポーチから布袋を取り出すと、そこからユエの餌であるガレットの欠片を取り出した。食べやすいようにとわざわざ砕かれているそれをユエに手ずから食べさせると、今度は自分の頭上にいる鳥を降ろし、優しく微笑う。

「セイちゃんも、お腹空いたよね? はい、どーぞ」

ユエに食べさせた時と同じように、ガレットの欠片を摘み、それをセイと呼ばれた鳥の嘴の先へと運ぶと、セイは小首を傾げてじっと欠片を見た後、ぱくりと食べる。
ふと、カルロは苦笑した。その様子をどことなく面白くなさそうな雰囲気で見てるユエに気付いたからだ。ユエは、ルキナが創ったホムンクルスである。同様に、セイもホムンクルスだ。しかし、セイは、ユエとは違い、彼女が創ったものではなく、2か月前にルキナが諸事情で引き取ってきた子である。ルキナの扱いが上手いのか、既に懐くような様子を見せるセイが、ユエは気に入らないらしい。
要するに、新しく来た同類にご主人様を取られたような気がして、面白くないという事だ。
そんなユエの様子に一拍遅れてルキナも気付いたらしい。どこかしょうがないなぁ、といった風に微苦笑を漏らす。そして、また1つ、欠片を摘んでユエへと差し出した。

「順番、だよ。ユエちゃん」

優しく言い聞かせるように言葉を紡ぎ、ルキナはユエとセイに交互にガレットを食べさせる。
その和やかな光景を微笑して眺めていたカルロだったが、はたと何かを思い出したかのように声を上げた。

「あ、姉さん」
「ん? なぁに?」

視線を、2羽のフィーリルからカルロへと移し、ルキナは。小首を傾げる。そんな姉に、カルロは本来の目的だった言葉を口にした。

「んっとさ、ゲフェンで美味しいお店見つけたんだけど、今日、プレと3人で食べに行ってみない?」

小首を傾げて問いかけるカルロに、ルキナは笑顔で頷く。

「うん、分かった。じゃあ、売れても売れなくても、いつもより早めにお店片付けるね。プレちゃんには伝えた?」
「もちろん。姉さんが行くなら行くってさ。あの子ももう少し姉さん離れしてもいいと思うんだけどねぇ」
「そう? プレちゃん、もう、基本的にソロ狩りしてるよ?」
「そうじゃなくって、あの子、あんまり知り合いとか作らないじゃない。知らない人が多い所苦手だし」
「まぁ、人見知りの気はあるからねぇ。しょうがないんじゃないかなぁ」

苦笑して言うルキナにカルロは不満げな声を上げる。

「しょうがなくないわよ。姉さん、プレに甘すぎ」
「そうかなぁ?」
「そうよ。いっそ、今度臨時広場に放り込んでみようかしら」
「……あんまり、プレちゃん、いじめちゃ駄目だよ?」
「何言ってるの。これも全てはあの子のためよ」

にっこりといい笑顔でそう言い放ったカルロに、ルキナは苦笑して頬を掻く。
その時、ふっと1人の男性が声をかけてきた。

「話中、すまないね。カタシムリの皮はあるかい?」

セージの制服を身に纏った彼は、コンバーターの材料であるカタシムリの皮を買いに来たらしい。

「あ。いらっしゃいませ。カタシムリの皮、ありますよー」

セージの男性の問いかけに、ふわりと柔らかい笑みでルキナはそう口にする。
慣れた様子で、数言のやりとりをし、品物と代金を交換。そんなルキナの姿をカルロはなんとなしに眺める。当たり前だけど、手慣れてるなぁ、とのんきな感想を心の中で漏らしてから、カルロはくっと伸びをする。
とりあえず、姉への用事は果たしたし、穏やかな昼下がりをこのまま無為にするのは惜しい。話は夕方、3人で出かけた時にも出来る。そんな事を考えて、カルロは呟くように声を上げる。

「よし、私も夕方までちょっとどこか行ってこようかな」

その声に、ありがとうございましたと、セージを見送っていたルキナがぱちくりと目を瞬かせ、カルロを見上げた。

「狩り?」

小首を傾げ、問うルキナに、カルロは軽く頷く。

「うん。まぁ、近場にするつもりだけどね。何か必要なの、ある? 希望があれば取ってくるけど」

その言葉に、ルキナは思い返すように、視線を宙に向ける。
んー、と小さく声を漏らしてから、ゆっくりとカルロへ視線を戻し、おずおずと口を開いた。

「……じゃあ、茎か胞子、お願いしても良いかな? アルコールの材料、切れてるの」

茎こと、植物の茎を取るのであれば、マンドラゴラかフローラ。胞子こと、毒キノコの胞子を取るのであれば、ポイズンスポア。どちらにしても、カルロにとっては、容易すぎる相手である。
それをわざわざ頼むのは危ない所へ入って欲しくないという思い故だろう。それが分かってしまって、カルロは苦笑する。

「別に、もっと姉さん1人じゃ難しい物、頼んでくれていいのに。白ハブとか魔女砂とか」
「うぅん、大丈夫。あんまり、危ない事、して欲しくないし……それに、近場、でしょ?」
「あ、そっか。その辺だと、時計とかになりそうだもんね。ステムも生息域結構遠いし」
「うん。それに大丈夫だよ。私も、どうにかだけど、ちゃんと狩れるもん」

にこりと笑っていうルキナに、カルロは溜息をつく。

「……姉さんの大丈夫ほど、信用できないものはないんだけどなぁ」

ルキナは製薬型と言われるタイプのアルケミストである。
その名の通り、戦闘に関する技術よりも、ポーション等薬品の精製や知識に重きを置いているため、戦闘は不得手とされているタイプだ。特にルキナは製薬関係に関しては優秀であるが、その代わりとでもいうかのように、戦闘方面に関してはからっきしだった。それこそ、戦闘型の1次職の方がまだ強い、と言えてしまうくらいに。
にも関わらず、この姉は、他人に対する警戒心が低く、それに加えて、必要だと判じてしまえば、傍から見れば無謀だと思われるような事でも平気で行う。そんな、妹達への危険には敏感であるというのに、自身に対しては全くの無頓着である彼女の大丈夫が信用できないというカルロの言葉は至極当然であると言えた。

「本当に大丈夫だってば。ジオちゃんも、ユエちゃんもいるし――」

苦笑してそう返そうとしたルキナだったが、その言葉は途中で消える。
ガレットを食べ終え、再び丸くなっていたユエが、不意に羽ばたき、飛び立ったからだ。ルキナの傍に浮かんだまま、視線は真っ直ぐに、南門へと続く大通りへと向かっている。
視線を下げてみれば、同じようにセイもじっとそちらを見ている。

「ユエちゃん、セイちゃん……?」

その様子は、狩りに出ている時に良く目にしていた。自分がまだ気が付いていない魔物に気づき、警戒している時様子だ。

故に、声をかけたその時、ざわり、と空気が変わった。

初めは小さな違和感。喧騒に混じり、何かが聞こえた。
それはすぐに驚愕の声、悲鳴と分かり、続いて聞こえてくるのは剣戟や魔法の発生音。そして、だっと何かに追われるかのようにこちらへ駆けてくる人々と、その向こうに垣間見える魔物の姿に息を飲み、立ちあがった。

「っ!」
「なっ、テロっ?!」

魔物を召喚する力を持つ古木の枝をばらまき、その騒ぎを楽しむ悪質な行為。
テロと呼ばれるそれが起きたのだと瞬時に理解する。と共に、ユエとセイ、2羽の様子に得心がいった。
ホムンクルスであるユエとセイは、人などより遥かに魔物の気配に敏い。枝が折られ、魔物が姿を現した時から、気配を感じていたのだろう。

「ユエちゃん、ストップ」

今にも飛び出しそうなユエを止めつつ、ルキナは手早く露店を片づけ、カートの中からソードメイスを取り出した。
その行動にぎょっとカルロが目を見開くと同時、こちらへと向かって来た黒い毛並みの熊、チャッキーを指差す。

「ユエちゃん、Go! カルちゃんは逃げてっ」

ルキナの声に、ユエは一直線にチャッキーへと襲いかかる。
その様を見据えつつ、ルキナはカートを後ろ手に掴み、ユエに続こうとする。が、後ろから肩を掴まれ、たたらを踏んだ。

「わっ! 何? カルちゃん」

軽く驚いた声を上げ、振り返るルキナに、その肩を掴んだまま、カルロが口を開く。

「それはこっちのセリフっ! 鎮圧に参加する気なのっ?!」
「当たり前でしょ。このままにしておけないもん。……それに、まだ逃げてる人がいる」

軽く辺りを見回し紡いだルキナの言葉通り、非冒険者や、まだ経験の浅い一次職などが魔物に追われるように逃げ、また今も幾人かが、2人の傍を駆けて行く。
この付近で露店をしていた者たちも、慌てて露店を片づける者や、露店を放置して逃げる者、逆に武器を手に取り、向かっていく者等と様々だ。テロが起きてからまだ間もない。テロ鎮圧のため、他の場所から、冒険者が集まってくるにはもうしばし時間が必要だろう。
その間、魔物による被害が広がらないようにするため、確かに、足止め役は必要だ。

そこまで考え、はぁ、とカルロは溜息をつく。
次の瞬間、キッと瞳に強い光を宿すと、続々と現れる魔物たちを睨みつける。そして、素早く弓を構え、背負った矢筒に手を伸ばした。

「危なくなったら逃げるからねっ!」
「って、カルちゃんも参加するのっ?!」

カルロの言葉に目を見開くルキナの横を、空気を切る音と共に2本の矢が通り過ぎて行く。

「当たり前っ! 姉さんを置いていける訳ないじゃないっ!」

素早く次の矢を番え、魔力を込め放つカルロに、ルキナは何か言いかける。が、それどころではないと判断したらしい。口を閉じると、くるりとカルロに背を向け、ユエの元へと走る。

「ユエちゃん、ムーンライトっ!」

駆け寄りながら、標的へと腕を向け、声を上げる。それに応え、ユエは逃げる商人の少女を追っていたドリアードへと飛び掛かる。
攻撃を受けた事により、ドリアードはユエへと標的を変える。同時に、ルキナはプラントボトルを取り出すと魔力を込め、ドリアードの付近へと投げつけた。

「出てきて、ジオちゃんっ」

パリン、と音を立てて割れたボトル。その中から、まるで、ルキナの言葉に応えるように、驚異的なスピードで、芽が出、植物が生長する。
そうして現れたのは背の低いひまわりに似た植物、ジオグラファーだ。
ガッと、牙をむくジオグラファーとユエにドリアードを任せ、ルキナはその傍をふよりと漂うウィスパーにへとソードメイスを振りおろす。
その間をカルロが放つ矢がすり抜け、ドリアードへと突き刺さり、それ幾度か繰り返された後、甲高い悲鳴を上げて、青々としていた植物の女性が枯れ果てた。

続けて近くの魔物へと襲いかかるユエに、ジオグラファーも攻撃を始めるが、ふと、動きを止める。と、近くにいた傷を負ったナイトの女性へとヒールを唱えた。
傷を癒してくれたのが魔物だった事に、女性が驚いた目を向ける。が、その傍に居るルキナに気付くと、そのジオグラファーが何であるか悟ったらしい。軽く頭を下げ、また新たな敵へと向かっていく。

テロ発生の知らせを受け、段々と増えてきた冒険者の数にカルロは内心ほっと息をついた。

(……今回は、そんなに規模の大きいテロじゃなさそうね。まだ、結構いるけど、ヤバイのは出てきてないみたいだし、この分なら、どうにかなるかな?)

そんな事を考えながら、新たに大通りから姿を現したミストケースへと魔力を込めた2本の矢を放つ。
と、その時、ざわりと、辺りに動揺が走った。
何事かと目を向ければ、ミストケースに続いて姿を現したのは、赤い帽子をかぶった小人、クッキーや、銃を持ったおもちゃの兵隊人形のような姿のクルーザー、カラフルなボールに乗ったピエロ、ジェスター等の群れだ。
そして、その中心に見え隠れするのは水色の丸い体に小さな白い羽。つぶらな瞳のポリンに良く似た魔物。

「――っ! アークエンジェリングっ!!」

それを目にして、カルロが息を飲む。見た目こそ可愛らしいが、その実、非常に凶悪で、自分たちではとてもじゃないが手を出せない相手だ。

「姉さんっ!」

さすがに、これは逃げるべきだ。
そう判断して声を上げると、さすがに、ルキナも同じ判断をしたらしい。飛びだそうとするユエを引きとめ、カルロの元へと駆け寄ってきた。

「カルちゃんっ」
「さすがに、あれは無理。人も増えて来てるし、そろそろ逃げ――」

カルロが言い終える直前、ドッと空気が揺れた。
そして、広場の北から、挟み撃ちにするかのように、新たな魔物の群れなだれ込んで来る。
その様を目の当たりにして、さっと、カルロから血の気が引く。その数は今までのものより数段多い。

「なっ……まだ、枝があった訳っ?!」

咄嗟に弓を構え、矢を放ちながら、声を上げるカルロに、新たにプラントボトルを取り出し、魔力を込めつつも、ルキナが口を開く。

「……むしろ、これが本番だったのかも……人集めてから、事を起こした方が、大事になるから。そこそこの、中規模程度のテロを手始めに起こして人集めて…………もうそろそろ終わりかなって時なら、多少、皆、油断するだろうし……っ!」
「誰よ、首謀者っ。本っ気で性格悪いっ!!」

アークエンジェリングの出現に続いて現れた大量の魔物に、一気にこの場は焦りと緊張感に包まれる。
今までよりも一際激化する剣戟や、モノの壊れる音。すぐ近くから響く悲鳴。
北からの襲撃により、退路を断たれたのも、焦りを助長させる原因となっていた。しかも、魔物の群れの中には、グラストヘイムにいる深淵の騎士や、ピラミッドダンジョンの頂上にいると言われるオシリス、氷でできた巨大な狼のような見た目の魔物ハティーと、ルキナやカルロにとっては、本の中でしか見た事のないような魔物が見て取れた。
新たに現れた魔物の数が、今までより多いのは、ばら撒いた古木の枝の量もあるのだろうが、それらが取り巻きを召喚しているせいもあるだろう。

「~~っっ、何、あれっ! 何でよりによって今ここで、あんなのが出てくる訳っ! 血枝も折ってたの!?」

首謀者いい加減にしなさいよっ、と。思わず悪態をついたカルロへ、口を開こうとしたルキナだったが、背後から妹へと釣竿を振りかぶる河童の姿が目に入り、言おうとした言葉が消えた。
反射的に地を蹴り、カルロと河童の間に割り込む。

「カルちゃんっ!」

次の瞬間、ガッと鈍い音がし、ルキナの頭を衝撃と痛みが襲う。

「痛っつぅ……」
「っ! 姉さん大丈夫っ?!」

ふらついたルキナの額からつっと血が流れ、左目の視界を奪う。
それを見たカルロが息を飲み、ユエが再び竿を振りおろそうとした河童へと飛びかかり、その攻撃を妨害する。

「大、丈夫。ジオちゃんっ」

ルキナが声を上げると、ジオグラファーがルキナへとヒールを唱える。
痛みが薄れた事により、手の甲で目の付近の血を拭い、視界を取り戻す。刹那、はっとして身を捻る。
その腕を掠めたのは、イズルート海底洞窟の奥に生息するストラウフの矛。ここから少し離れた所、視界の端に映るのは、アークエンジェリングが放つグランドクロスの光だ。
他にも人はいるものの、大量の魔物に囲まれているこの状況は劣勢以外の何物でもない。
それでも、冒険者は増えてきているらしい。視線を走らせれば、大通りからこちらへと流れてくる魔物はいなくなってきた。けれど、向こうからも激しい戦闘音に包まれている事から、こちらへの増援となるまでは、まだ時間を要するだろう。

「カルちゃん、セーブ地、どこ?」

こちらをターゲットに定めたらしいストラウフを見据えつつ、ソードメイスを構え、問いかける。
露店で入手したソードメイス。フレイムハートが使われている故に、火属性を帯びたそれは、水属性であるストラウフにはダメージを与えられない。が、あいにくこれ以外の武器は無い。
まぁ、仮にそれ以外の武器があったとしても、そもそも、私が倒せるとは思ってないけど。と心の中で呟くルキナの背後で、どこか戸惑ったようなカルロの声が返る。

「え……ここの、東門、だけど……」

東門。そこならば、確実にテロの範囲外だ。
その言葉に、ルキナは心の底から安堵の息をつく。
良かった、と小さく呟いてから、声を、上げた。

「じゃあ、すぐに蝶使って! 危なくなったら、逃げるって言ってたでしょっ」

ルキナの言葉に頷きかけてから、カルロは、はたとルキナを見る。
ストラウフに立ち向かう彼女からは逃げる素振りは見られない。攻撃役は完全にユエとジオグラファーに任せているらしく、手に持った武器は、相手の攻撃を防ぐのにのみ使われていた。
けれど、元々戦闘が不得手であるルキナだ。それでも、完全に防ぐ事など出来るはずもなく、怪我を負っては、それを彼女が呼びだしたジオグラファーに治してもらうというのを繰り返している。

「ちょ、ちょっと待って、姉さんはっ?! 私より先に、姉さんが飛ぶべきでしょっ!!」
「――残念だけど」

ちらりと、少しだけ振り返ったルキナが苦笑を見せた。

「露店だけのつもりだったから、蝶の羽、持ってないの。それに、ここの市場付近にいるカプラさんのとこなんだよね、セーブ地」
「な……っ!」

ルキナが口にした場所は、テロ真っただ中だ。それでは、蝶の羽を使っても、この危険から脱する事はできない。

「……大丈夫。ハエはあるから、カルちゃんが飛んだら、私も逃げるよ」

蝶を使おうとしないカルロに、続けてルキナがそう言う。が、嘘だ。カルロは反射的にそう思った。
露店だけのつもりでいたから蝶の羽を持ってないと、ルキナは言った。
という事はすなわち、狩り用の品が入ったポーチを持ってきていないという事だ。
事実、いつもなら、大きさの違う2つのポーチがあるはずのルキナの腰には、現在、1つしかない。よくよく思い返してみれば、プラントボトルを使う際も、予備にと入れてたカートの中から使っていた。
なのに、そんな事を言う姉に、ギリ、と歯を食いしばった。

「……姉さんの、馬鹿」

呻くように言葉を漏らすと、数種類の矢が混ざって入っている矢筒から正確に、風属性を持つ矢を引き抜き、弓を引く。

「ダブルストレイフィング!!」

魔力が込められた2本の矢がルキナの脇をすり抜け、ストラウフへと突き刺さる。続けざまに魔力を込めた矢を放つカルロに、ルキナは目を見開くと、ほぼ反射的に振りかえった。

「カルちゃんっ?!」
「馬鹿姉っ! さっきも言ったでしょっ! 姉さん1人置いていける訳ないっ!」
「~~っ!! ユエちゃん、ムーンライトっ!」

カルロの言葉に、ルキナが反論しようと口を開くが、そこから言葉が紡がれるより先に気づく。
今の矢によってストラウフが、視線を自分からカルロへと向けた事に。
故に、きゅっと武器を持つ手に力をこめると、カルロへではなく、ユエへと指示を紡ぐ。
ユエとジオグラファー、そして、カルロの攻撃により、ストラウフが倒れる。
その一拍後、淡い光を放ち、ルキナの喚び出したジオグラファーが消え去った。
急激に成長させる代償なのか、独特の枯れ方をするジオグラファーに、一瞬、痛ましげな表情をルキナは見せる。が、すぐに次のプラントボトルへと手を伸ばし、今度こそ、カルロに逃げるよう説得しようと口を開く。
けれど、それより先に目に入った光景にはっと息を飲んだ。
それは、こちらの姿を認識してしまったらしく、アンデットとは思えない速度で向かってくるオシリス。そして、それに挑みかかるユエの姿だ。

「っ! だめっ!!」

反射的に叫ぶ。が、遅い。
飛びかかったユエを襲う強力な一撃。ユエの小さな体が、石畳に叩きつけられ、声にならない悲鳴が喉から漏れた。

「――っ!! ユエちゃんっ!」

その声に反応して、ユエがぴくりと体を動かす。
良かった、生きてる、と安堵したのは一瞬。ユエが生きている事に気付いたのか、再び腕を振り上げるオシリスを見て、瞬間的に思考が流れる。

もう一度、あの攻撃を受けさせる訳にはいかない。
ユエちゃんが危ない。
飛びだしても間に合わない。
なら――

幾つもの言葉が瞬時に過ぎり、反射的に、口を開いていた。

「安息っ!!」

その言葉と共に、ふっとユエの姿が消え失せ、オシリスの攻撃が空振る。
ほっと、息をついた。

「良かった。間に合った……」

ホムンクルスを事前に登録した地点へと避難させるスキル、安息。
ユエの登録地点は自宅だ。家には、もう1人の妹であるプレナがいる。怪我の状態が気になるが、ユエに気付けば、彼女が手当てをしてくれるだろう。
完全に安全地帯へと避難させる事の出来たユエを思い、ルキナは心底安堵する。
しかし、ルキナのその咄嗟の行動に、カルロは目を見開いた。

「ばっ、馬鹿姉っ! この状況でユエを戻したりなんかしたら――」

ユエは、ルキナの身を守るモノだ。
こんな、危険真っただ中なこの状況でユエを戻すという事は、自殺行為以外の何物でもない。
思わず声を上げたカルロだったが、その声は不自然に途中で途切れる。暗い紫色の包帯の隙間から覗く、禍々しい光を放つ眼。
ユエというターゲットを見失ったオシリスと、目が、合った。

「――っ!!」

ぞわっと悪寒が恐怖と共に背筋を駆け抜ける。
次の瞬間、取り巻きを引き連れ、こちらへと猛スピードで向かってくるオシリス。冒険者として培われた危険に対する条件反射が咄嗟に身体を動かし、蝶の羽を掴む。
そして間髪を入れず、それを握りつぶそうとした、その瞬間、ルキナの姿が脳裏を過ぎり、手が止まった。一瞬の逡巡。
しかしそれは、オシリスの接近を許すのに十分すぎる間だった。

「やば――っ!」

引き攣った声が零れたその時、不意に腕を掴まれ、ぐいっと思い切り引っ張られる。
オシリスの腕が、カルロの横を掠める。
攻撃が外れた事にほっとしたのは一瞬。
正面に映った紫がかった青い髪に、全身に氷水を浴びせかけられたかのような感覚に襲われた。

「ね、姉さんっ!」
「逃げて! 早くっ!!」

カルロを背後に庇い、無謀にもオシリスの前に立ち塞がったルキナの、叩きつけるように叫ぶ声。
カルロからルキナへと視線を移し、腕を振り上げるオシリス。

それが振り下ろされる様子が妙にゆっくりに感じた。
ルキナの肩越しに見えるその光景は、まるで、“あの時”のようで、カルロは息を飲んだ。

『……カルちゃん、……無事?』

今聞こえているはずの周囲の音が消え、耳の奥に蘇る声。

同時に脳裏を過ぎるのは、商人服を自らの血で真っ赤に染めながらも、心底安堵したように微笑むルキナの姿。
そして、その直後に意識を失い倒れたその光景。
失うかもしれないという強烈な恐怖。それらが一気に蘇る。

もう、あんな思いは嫌だ。

――そう感じるのに。

あの時とは違う。

――そう思うのに。

身体が、凍りついたかのように動かない、動けない――っ。

「――っっ姉さんっ!!」

悲鳴に近い声がカルロの喉から漏れ、オシリスの腕が、真っ直ぐにルキナの身体へと叩きこまれようとした――その刹那
不意にルキナの足元から薄赤色の光の膜が立ち上り、ルキナの周囲を囲み、オシリスの攻撃を弾く。

「……え?」

一拍遅れて、同じ光がカルロを囲む。そして気付く。

「セイフティウォール……」

近距離物理攻撃を完全に防御する光の膜を張る魔法。
カルロと同様、気付いたらしい。目を瞬かせたルキナが呟いたその時、爆音が響く。

驚いて視線を向ければ、新たにやってきたらしい冒険者たちの姿が目に入った。
手に2つのボトルを持った、赤い髪をしたクリエーターの女性がチン、と2つの瓶をぶつかり合わせる。
その涼やかな音が耳に届いた直後に響くのは先程と同じ爆音。その爆発に怯むことなく特攻するのはペコペコに乗った柔らかな茶色の髪のロードナイトの女性と、銀髪のアサシンクロスの男性。
その後に続くのは2組のロードナイトとハイプリースト。
それが、見知った人達であるのに気付き、ルキナが目を丸くした、その時。

「大丈夫? ルキナちゃん、カルロちゃん」

そんな声と共に、たっと、こちらに駆けよってきたのは、金色の髪を背の中程まで伸ばしたハイプリーストの女性だった。

「グレイシアさん……」

8年前、故郷を失ったルキナ達を保護してくれた女性。
転生したためか、出会った頃より若返った姿で、グレイシアは問いかける。

「2人とも、一応は無事ね? プレナちゃんは?」
「あ、えと、プレちゃんは、家、です」
「そう。じゃあ、テロに巻き込まれたのは2人だけなのね?」

その問いに、ルキナとカルロは頷く。それにグレイシアはほっと息を吐いて、青い結晶のようなものを取り出した。

「じゃあ、ポタを出すから乗って。一旦ここから離れるわよ」

一瞬の浮遊感の後、目に入ったのは、プロンテラの西門。
まだ、広場の方からは戦闘音が響いているが、この辺りには、魔物の1匹もいない。
とりあえず、危険区域から脱した事に、ルキナとカルロは息をつくとへたり込んだ。

「つ、疲れたぁ……」
「同感……」
「……大丈夫?」

そんな2人に、背後から掛けられた声。
それに2人は同時に振りかえる。当然のようにそこに立っていたのはグレイシアで、ルキナは戸惑ったように声をあげた。

「グ、グレイシアさんっ、大丈夫なんですか? 1人、抜けちゃって……」

心配そうに、広場を振り返るルキナに、グレイシアは笑う。

「大丈夫よ。皆強いから。それに、今回はトヘルクさんとファイネさんもいるし。あの2人、ボス狩りが趣味だから、任せておいて大丈夫。それに、一時離脱は既に報告済み」

その言葉に、呆気にとられつつも、先程の光景を思い返せば、確かに、戦いの指揮を執っていたのは、ギルドのマスターである銀髪のアサシンクロスではなく、黄緑色の髪のハイプリーストとロードナイトだった。
グレイシアが所属するこのギルドは、メンバーの殆どが転生職という、ある意味とんでもないギルドだが、その実態は、各々自由に暮らしている、どこかのんびりとした雰囲気を持つギルドである。
故に上下関係は無いに等しく、だからこそ、その場で1番適していた2人が、今回の指揮を執ったのだろう。

「そっか。……グレイシアさん、ありがとうございました」

グレイシアに保護されルキナが冒険者になるまでの3年間、このギルドハウスで世話になっていた頃を思い返し、ルキナは納得したように声を漏らしてから、改めて、ぺこりと頭を下げ、礼を言う。と、慌ててカルロも頭を下げる。

「どういたしまして。……といっても、偶然、ギルドハウスに人がいたから、鎮圧に参加出来たようなものだけどね。……さて、と」

苦笑してそう言ってから、不意にグレイシアは真剣な表情になって、ルキナとカルロを見る。
そして、ふっと、カルロに歩み寄ると、ヒールを唱えた。その癒しの光によって、身体のあちこちに刻まれた傷が綺麗に姿を消す。

「……カルロちゃんは軽傷みたいだからいいけど、問題はルキナちゃんね」

微かに厳しい色を乗せた瞳で、こちらを見るグレイシアに、ルキナはぱちくりと目を瞬かせる。

「えと、……私は、大丈夫ですよ? ジオちゃんがいてくれたから」
「分かってるわ。でも、それが問題だと言っているの。ルキナちゃん、あなた、かなり無茶な戦い方をしたでしょう」

その指摘に、ルキナは気まずげに眼を逸らす。その横でカルロが何度も頷いた。

「確かに、ヒールに頼って、自らの傷を顧みないで戦うのも戦略の1つだとは思うわ。ああいう、どうしようもない局面なら尚更ね。けれど、ヒールの多用は、自己治癒力を衰えさせる。それは分かっているでしょう?」
「う……分かって、ます。……強力な回復力を持つ白ポーションも、同じような注意項目があるし……」
「まぁ、ポーションの方が、薬草を使っている分、そう言った弊害は少ないはずだけどね。……私が言いたい事、分かるわね?」
「……はい」

しゅんとして頷いたルキナに、グレイシアは、しばらく狩り、特にジオグラファーを喚ぶ可能性のあるような場所へはいかないようにと言い渡す。
それを神妙に受けてから、ちろりとルキナは視線を上げる。

「……でも、グレイシアさん、何で、分かったんですか……?」

その問いに、グレイシアは1つ溜息を零した。

「そんな恰好で、分からない訳がないでしょう?」
「あ……」

自身の身体を顧みて、ルキナは思わず声を漏らした。
土埃と血に汚れ、衣服のあちこちが切られたその姿。アルケミスト服は暗い色をしているため、分かり難いが、よくよく見れば、広範囲に血が染み込んでおり、かなりの出血があった事を示している。

「とりあえず、テロの鎮圧は私達に任せて、2人は家に帰りなさい。着々と人も増えてるし、もうすぐけりがつくだろうから」

その言葉に、カルロは素直に頷いて立ち上がった。

「そうします。私も姉さんも、この格好、どうにかしないとだし。ヒール使わない方がいいなら、姉さんの手当てもしないといけないし、正直、私達じゃ手に負えないのばっかだし」
「ん、そうだね」

カルロの言葉に同意し、ルキナも立ち上がる。
が、その瞬間、くらりと眩暈がし、ふらりと身体が傾ぐ。

「っ! 姉さんっ?!」

慌てた声を上げるカルロに、ルキナは額を抑え、緩く頭を振ってから、顔をあげた。

「……大丈夫。ちょっと、眩暈がしただけだから」
「……気が抜けた、っていうのもあるとは思うけど、それ以上にたぶん、貧血ね。ヒールで怪我は治せても、流れた血は戻らないから。……本当に無茶したのね、ルキナちゃん」

心配と呆れと微かな怒りが滲んだ声色に、ルキナは思わず苦笑いし、頬を掻く。

「えと……無茶、したつもりは……あんまり、ないんだけど……」
「姉さん……あれを無茶って言わないなら、何を無茶って言うのよ」

がっくりと肩を落とし、心底呆れたように言うカルロに、だって、色々必死だったんだもんと、ルキナは言い訳のように反論する。
それにカルロは、だからって、いくら攻撃役がいるからって火武器でストラウフと戦ったり、オシリスの前に立ちはだかったり、本当に何を考えて等と説教じみた事を言い始めた。話の内容については、心底同意するが、このままでは、いつまでも2人がここにいそうである。
そう瞬時に悟ったグレイシアは、1つ息をつくと、ルキナとカルロの妹であるプレナに、耳打ちを送って、目の前の2人にとって必要であろうお風呂の用意を頼む。そして、こちらに注目させ、帰宅を促すために、パン、と手を叩いたのだった。

空が赤く染まる頃、ゲフェンの街に3人の少女の姿があった。
1人は、紫がかった青い髪の少女。もう1人は、緋色の髪を左右でお団子にした少女。ルキナとカルロである。2人と共にいるのは、青い髪を腰近くまで伸ばし、それを背の中程で緩く括った、大人しそうな顔をした藍色の瞳の少女だ。
昼間の予定通り、外食に来ただけらしく、3人は、職業ごとに定められた制服ではなく、私服を身に纏っている。
そんな中、プレナは少し心配そうに、ルキナを見た。

「ルキ姉、ホントに大丈夫?」

魔法や、ポーションに頼らず手当てをしたため、あちらこちら包帯を巻いてあるルキナの姿。そんな姉に、やっぱり、出かけるのは、今度にした方がよかったんじゃ、とプレナは口にする。
そんなプレナに、ルキナは笑って手を振った。

「大丈夫だってば。ちゃんと手当てもしたし、そもそも、そんなに酷い怪我はしてなかったんだから」
「まぁねぇ。だから、グレイシアさんもヒールしないで帰したんだし。でも、グレイシアさんが来る前はかーなーり、無茶してたけどねー」
「……ルキ姉」
「もうっ、カルちゃんも、プレちゃんが心配するような事言わないのっ」
「言われるような事する姉さんが悪いんでしょ」
「そんな事言われたって……」
「カル姉もだよ。私、テロが起きたって聞いて、ユエちゃんが傷だらけで帰ってきて……すごく、心配したんだからね」

カルロを見て言うプレナに、カルロは気まずげに頬を掻く。

「う……ごめん」
「……ちゃんと、戻って来てくれたから、いいけど。……そういえば、ルキ姉、ユエちゃんも大丈夫なの?」

ふと、ルキナの肩にとまっているユエに視線を移し、問いかければ、ルキナは微笑して軽く頷く。

「うん、大丈夫。ちゃんと治したから。ほら、元気でしょ?」

ルキナの言う通り、ユエは、ゆったりと自身の毛繕いをしていて、先程の大怪我が嘘だったかのようだ。その様子を見て、プレナは軽く頷く。

「ホムンクルスは自己治癒力が強いから、傷の治りが凄く早いの。それに、核が壊されない限りは、リザレクションホムンクルスで怪我治してあげられるから」
「……そっか」

ほっとしたように、そう零すプレナに、ユエちゃんの事、心配してくれてありがとう、とルキナは柔らかく笑む。そんな事を話しながら歩き、ゲフェンタワーへと差し掛かった、その時だった。

「そこの君、ちょっといいかい?」

不意に声をかけられ、3人の視線がそちらを向く。
そこに居たのは、薄緑色の髪をし、緑の服を身に纏った男性だった。

「はい? 何ですか?」

律義に足を止め、小首を傾げて男性を見るルキナに、カルロは小さく舌打ちをするとさりげなくルキナの前に立つ。

「……何の用?」

不信感と警戒心が多分に含まれた声色に、男性は、軽く手を振る。

「あぁ、別に怪しいものじゃない。これを、見て欲しくてね」

そう言って男性が差し出して来たのは1枚の紙。それを受け取り、カルロは軽く眉を顰める。

「……冒険者アカデミー?」

訝しげな声を上げたカルロに、男性はルキナとプレナにもその紙を渡しながら頷いた。

「そう。私服を着てるけど、そこの鳥、ホムンクルスを連れてるって事は、そこの子は……君達もかな、冒険者だろう? 冒険者アカデミーは、文字通り、冒険者の為の学校だ。戦闘技術や知識の伝授。狩りのサポートなどをしている。来月に入学受け付けがあるから、その旨を知らせる広告配りをやっているんだよ。冒険者アカデミーは新入生を歓迎する。よかったら、考えてみてくれ」

そう言って軽く会釈すると、男性は別の方向から歩いて来たマジシャンの少女へと向かっていった。
それを見送ってから、ルキナ達も、目的地である店へと再び歩き出す。

「……冒険者アカデミーねぇ、そんなのあったんだ。知らなかった」

ひらひらと軽くチラシを振りながら言うカルロに、プレナは頷く。

「うん。私も、初めて聞いた」
「……冒険者アカデミー、ねぇ」

呟くようにもう1度口にしてから、カルロは再びチラシに目を向ける。
そこにあるのは、アカデミーの説明。
授業料に関する事、来月の初日に入学希望者の集合場所等が書かれていた。
説明を見る限りでは、怪しいものではなさそうである。
その授業というのが、どの程度役に立つのか、正直不安ではあるものの、先程の男性は、ルキナがアルケミスト、所謂2次職の冒険者であると分かっていて、このチラシを配った。……という事は、ある程度、冒険者として経験を積んだ者であっても教える事が出来る自信があるという事だ。

カルロの脳裏に昼間の事が蘇る。
オシリスの前に立ち塞がった姉の姿。
もう、あんな思いはしたくなくて、強くなる事を望んだ。望んでいたのに、また、何も出来なかった。その想いだけが強く残る。

(……アカデミーに行く事で今よりも、強くなれるなら――)

行ってみても、いいかもしれない。
そう心の中で呟いた。そして、ふと、気づく。男性と別れてからルキナがずっと無言である事に。
カルロがそちらへ視線を向ければ、じっとチラシを見るルキナの姿があった。

「……ルキ姉?」

そんなルキナにプレナも気付いたらしい。小首を傾げ、声をかける。

「あ。なぁに? プレちゃん」

その声に、はたとルキナは、顔を上げる。

「んっと、どうしたのかなって思って」
「……んー、と、ね。……私、冒険者アカデミー、行ってみようかと思うの」
「え?」

ぱちくりと目を瞬かせるプレナに、ルキナは続けて口を開く。

「ほら、私……修練所の講習受けただけで、戦う事に関しては完全に自己流っていうか、誰かにちゃんと、習った事、なかったな、って。商人組合でも、錬金術師ギルドでも、教わっていたのは知識だったから。だから、そういうの、教わったら、今みたいに、ユエちゃんとジオちゃんに頼り切りっていうのが、ちょこっとは少なくなるかな、って」
「……いいんじゃない?」

どうやら、自分と似たような事を考えていたらしい。そんな姉に、カルロが苦笑しそう言えば、ぱちくりと目を瞬かせ、ルキナとプレナは揃ってカルロを見る。

「私も、ちょっと、興味あるしね、アカデミー。……あ」
「カルちゃん?」
「カル姉?」

そう言ってから、不意に声をあげると、カルロは、にんまりと笑みを浮かべ、プレナを指差した。

「そうだ。ついでに、プレも入学しなさい。他にも結構生徒はいるんだろうし、色んな人と交流する良い機会だわ」
「え、えぇーっっ」

カルロの言葉に、プレナは困り声を上げる。

「で、でも、私は……っ」
「いいじゃない。私も、姉さんも行くし。……それとも、1人だけ、行かないでいる?」
「う……」

言葉に詰まるプレナに、カルロは、にまりとした笑みを浮かべたまま言い募る。

「べっつにそれでもいいけどねー。私は。私と姉さんがアカデミー行ってる時、1人で留守番してるっていうなら止めないわよ?」
「……うぅ~。カル姉のいぢわる。ルキ姉とカル姉が行くなら、私もいくっっ」
「よし、決まりっ」

にっこりと笑って言ったカルロに、ルキナは小首を傾げて問いかける。

「……カルちゃんも、アカデミー、行くの?」

その言葉に、カルロは、ルキナの方を振り向いた。

「当たり前でしょー。さっきも言ったけど、私もアカデミー、興味あるし」

姉さんだけ行かせるのもちょっとどころかかなり心配だし、と口には出さずに呟くカルロに、ルキナはふわりと微笑する。

「……そっか」

どことなく嬉しそうなそれに、カルロも笑みを返してから、ふと、目的の店が見えた事に気付き、指を差した。

「あったあった、あそこのお店」
「へー。カルちゃん、何かおすすめなのってある?」
「んー、そうねぇ。魚料理とか、あとは、スープ系が美味しかったわよ。あと、果物のジュースとか、プレとか好きそうかも」

そんな事を話しながら、3人の少女は店の中へと消えていった。
昼間にあった騒動など忘れたかのように流れる穏やかな時間。
何気ない日常とも言えるこの時が、大きな運命の分かれ道だったと気付くのは、ずっとずっと後の事である。

fin

あとがき
お久しぶりな更新です。……うん、更新停滞しててすいませんorz
そして、これ、実は戦々恐々な話です……
ちまっとしか出てきてないけど、名前も微妙に結構変えてるから大丈夫だとは思うけど、ちょっと、実際にいる人をモデルにした方々を出したので(苦笑
……まぁ、たぶん、あの方々が見に来るなんて、そんな事は無いだろうと楽観視。うん、楽観視させてください。
まぁ、今回の話は、メインがテロになってはいますが、アカデミー入学の前提となる話。アカデミーを知る事と入学への決意。そんな感じです。
前半に起きたテロの方がよっぽど印象に残りそうなくらい、本当に、日常の中の、些細な出来事。けれど、その些細な出来事が、後々思い返した時に、大きなターニングポイントになっていた。運命の分岐点は、どこに潜んでいるか分からない物なのです。そういう感じを書きたくて、敢えてこんな感じにしてみました。まぁ、成功してるからは、微妙かもしれませんが……(苦笑


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使用素材: Atelier Black/White様 Glass Craft-2

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