プロンテラの南西にある、冒険者からは、通称、清算広場と呼ばれている区域の一角に、その店はあった。

茶寮 Reversi―― リバーシ ――。

そこそこの年季が入っているが、綺麗に手入れされているため、味のある雰囲気を感じさせる小さな店だ。その店の2階、居住区となっているそこの自室で、クレアは目を覚ました。
くぁ、と小さな欠伸を1つこぼし、小柄な身体を起こすと、未だどこか寝ぼけまなこな金茶の目を擦りながらも、寝台から降りる。
顔を洗い、錆色のふんわりとした、率直に言えば癖っ毛気味の長い髪に櫛を入れ、うなじの辺りで一括り。ジェネティックの制服を身に纏えば、身支度は完了である。
階段を下りて、すぐ横手に広がるのは、鈍い銀の輝きを放つ厨房だ。自身の経営するリバーシの心臓部と言える場所。綺麗に片づけられたそこでお湯を沸かしながら、業務用である冷蔵庫を開ける。
昨日と比べ、ガラガラとなっているそこから、昨日の余りものの――という事にして確保しておいた――ケーキを取り出す。

「ツェリルの分がない……って事は、先に食べてったのね」

パタン、と冷蔵庫の戸を閉めつつ、呟く。相方である彼女の分がないという事は、そういう事だろう。ふわ、とあくびをもう1つ漏らし、沸かした湯で紅茶を淹れれば、のんびりとしたティータイム、もとい、休日のブランチの始まりだ。

ふんわりと真っ白なクリームと、それを支える薄黄色のスポンジ生地を同時にひと口分、フォークで切り取り、その小さな口に運ぶ。
甘くとろける濃厚なミルクの味に、しっとりふんわりとした生地が非常によく合う。自然と頬をゆるませつつも、生地と生クリームの甘さのバランスを確かめるのはもう、職業病だろう。前よりも少し、砂糖の量を控えめにしたため、これから暑くなるこの季節でもあっさりと食べやすくなっているはずだ。
そんな事を考えつつ、もうひと口。
今度は、生クリームの中に散りばめられた、カットされたいちごも一緒に切り取れたらしく、先程の味に、甘酸っぱさが加わり、好みの味わいにクリアは舌鼓を打つ。
いちごも、スポンジも、生クリームも、作ってから一晩経っているというのに、少しの味の劣化などなく、それを可能としている要因にただただ感嘆の息が零れるばかりだ。

「……やっぱり、食材と機材はこだわったもの勝ち、って感じだよねぇ」

冒険者が、回復材としても使う食べ物は総じて、含有魔力量が多く、そういった食材は、劣化速度がどういう訳か著しく遅い。ここ、リバーシで作る料理の大半は――自分自身が冒険者だという事と、良い伝手を得られたのもあって――そういった食材を使っているが故に、作り置いても、味の劣化がおきにくいのだ。更に、リバーシの厨房に鎮座する冷蔵庫の1つは、メカニックとソーサラーが共同開発したもの――なんでも時間の結晶を使って、どーにかこうにか……専門用語の乱舞で小難しかったため全く覚えていない――を導入しており、中に入っているものの時間の流れを遅くし、味の劣化が防げるのだ。ただし、時間の流れを遅くするという事は、ゼリーを冷やして固める、生地を馴染ませる、味を沁み込ませる等の時間が働いてくれるものには、いつまでたっても冷えない等、逆効果であるため、もう1つの、普通の冷蔵庫もしっかり活躍している。
そんな訳で、作り置きが可能なのだ。なのだが……非常にありがたい事に、リバーシの生菓子は人気が高く、大半が完売してしまう。そのため、次の日に持ち越されるものは少なく、残念ながら、その機能を十全に発揮する事は極々稀で、主に、こうやって店主たちが余りもの・・・・を味わう時に実感されているのだった。

「……ん~、もう少し作る量増やす……? でも、そうすると趣味に割く時間がねー、減るよねぇ、確実に。仕入れも増やさないとだしなぁ」

ケーキをつつきながら、とりとめもなく、そんな事を考える。
個人的には、量より種類を多く作りたい。同じのばかり作っているとさすがに飽きる。なんて、冒険者もやっているとはいえ、一応仮にもプロの職人にあるまじき結論に至るのは、いつもの事である。休日設定含め――ただし、これは冒険者としての活動もあるためある程度は仕方ないところもあると思っているが――、好き勝手な経営をさせてもらっているなぁ、としみじみ思う。
けれど、休日にしても、ほぼ週替わりとなっているスイーツのラインナップも、お客となってくれる方々が普通に受け入れてくれていて、本当に感謝するばかりである。そんな想いと共に紅茶に口付ける。自分好みの味と香りを楽しんでいた、その時だった。

『クーレアー、起きてる~?』

突如響いた耳打ちは、よくよく知ったもので、クレアはぱちり、と目を瞬かせると、冒険者証に魔力を通す。

『あら、ツェリル。おはよう』

このリバーシの副店長であり、夜の副料理長。そして、己の相方でもある女性に耳打ちを返せば、面白がるような声が脳裏に響く。

『もう、おそよう、な時間だけどね~』
『もぅっ、いいではありませんか! お店も仕入れ狩りも必要ない、久々の完全オフな休日なんですからっ』

思わず頬を膨らませ、店長仕様な口調で抗議をすれば、軽い笑い声が返る。

『あっははっ、ごめんごめん。そんなお休みの店長さんには悪いんだけどさ。ちょっと相談というか、会って欲しい人がいるんだけど、ダメかな?』

思わぬ言葉に、クレアはぱちり、と目を瞬かせる。

『会って欲しい人?』
『そ。もし、気が乗れば、依頼・・したいな~、って』

依頼、その単語に、思わず目が丸くなる。ツェリルがそう言うのであれば、それを指すのは1つしかない。

『……あれは、お仕事じゃなくて、趣味なんだけどなぁ』

つい、零れてしまった呟きに、了承の意を察知したらしい。弾んだ声が返る。

『っし! “お断りします”、じゃないって事はOKね! 今どこ? 店?』
『お店。……まぁ、ケーキでもごちそうしますから、希望を聞いて下さいな。チーズケーキか、シフォンか、タルトタタン、ゼリー、プリン』

在庫がある洋菓子を羅列していけば、不思議そうな声が響いた。

『あれ? ショートケーキ、なかったっけ?』
『今、私が食べましたし、あれは余りじゃなくって私の確保分なので、実質売れきれです! ……私も好きですし、人気もあるみたいだから、イチゴのケーキは種類増やそうかな、やっぱり……』
『……おーい? 連れてくからね? 新メニュー計画で忘れないでね??』
『はっ!?』

チリンチリン、と来客を告げる鈴の音と共に、店の扉が開く。
CLOSEの札がかかっている中、入ってきたのは想像通りの人物だ。

「ただいま、クレア」
「おかえりなさい」

相方である彼女を見上げて、ふわりと、微笑む。
白金のさらりとした髪に飾られるのは狐耳鈴リボン。目鼻立ちはしっかりしていて、ペリドットの瞳は意志の強さを感じさせる。すらりと背が高く、プロポーションの良い肢体を包むのは羽のようなワンダラーの衣装だ。
出迎えたクレアに笑みを返してから、ワンダラー、ツェリルは己の背後を振り返る。

「さ。キアラも入っておいでよ」

そう言って、横へと移動したことで、ツェリルの背後にいた人物の姿がクレアの瞳にも映るようになる。

「……お邪魔します」

涼やかな、それでいて控えめな声と共に、その人物は戸をくぐる。
それは、ツェリルと同様、ワンダラーの衣装を身に纏った女性だった。けれど、ツェリルと違うのは、基調とする色が青である事と、キアラと呼ばれた女性が身に纏うのは、セカンドコスチュームと呼ばれる、近年新しく認められたワンダラーの衣装である事だ。
ツェリルと同じかそれより少し低いくらいの身長である彼女を、クレアは見上げた。
すらりと細い四肢に、ぴん、と背筋を伸ばし、姿勢の良さがよく分かる立ち姿。蒼いバラの飾りがついたふんわりとした帽子をかぶり、その下から流れる淡い金色の髪は、小さな丸い髪飾りを散りばめながら、緩やかな曲線を描き、下へ流れる程、涼しげな青へと色合いを変化させている。切れ長の瞳は淡い空色で、まつげが長く、形の良い唇にすっきりとした鼻立ち、これらのパーツがバランスよく配置されている。簡単に言うのなら、表情があまり動いていないのもあって、クールな印象を抱かせる美人だ。

「……ツェリルといい、この方といい……ワンダラーって、やっぱり、こう……背が高くって、美人さんじゃないとなれないものなんでしょうか……」

150にも届かない低身長に、よく言えば若く見られる、率直に言えば子どもに間違われやすい童顔であるクレアにとって、すらりと背の高い、大人っぽい美人は、憧れの対象である。故にそれを体現している客人を見、己を振り返り、クレアはしょんぼりを眉を下げる。

「……大丈夫。貴女も、とても可愛い」
「うにゅぅ……っ」

そんなクレアにかけられた言葉は、完全な善意からと分かってはいるが、彼女にとっては追い打ちにしかならないもので、がっくりと肩を下げた。その反応に、涼やかなワンダラーは、こて、と不思議そうに首を傾げる。
そんな2人の不毛なやりとりに、仲介役となったツェリルはため息を落とす。静かな店内にそれは案外大きく響き、はっとクレアは我に返って顔を上げる。

「すみませんっ。茶寮、リバーシへようこそ。私、店長のクレア、と申します」

ふわり、と笑顔を浮かべ、片手を胸に当て、軽く腰を折ったクレアに、ワンダラーも軽く頭を下げ、口を開く。

「キアラ……と言います」
「キアラさん、ですね。何はともあれ、立ち話も何ですし、好きなお席へどうぞ。休日なため残り物で申し訳ありませんが、シフォンケーキでも持ってきますね」

ぱちり、と少し驚いたように目を瞬かせたキアラの代わりに、ツェリルが頷き、軽く声を上げる。

「りょーかい。あ。私もシフォンね」
「貴方は今朝食べてるでしょうっ!」

さらりと付け加えられた要望に、厨房へと足を進めていたクレアから、ごもっともな、突っ込みが響いた。

「お待たせしました」

そんな言葉と共に戻ってきたクレアの手には盆。そして、その上には、透明なグラスに入ったアイスティーが3つと、シフォンケーキの皿が2つ。なんだかんだ言って、ツェリルの要望通り、持ってきたらしく、ふちに淡い若草色の葉っぱが描かれた白い皿を、キアラとツェリルの前へと置く。皿の中央に寄り添うようにある、見るからにふんわりとした薄黄色とそれよりも少し色が暗く細かな粒々が入っているものの2切れのシフォンケーキ。その脇には、真っ白な生クリームが添えられていた。

「どうぞ、召し上がれ。シフォンの味はプレーンと紅茶になってます」

配膳が完了し、クレア自身も席に着いた所で、そう告げれば、ツェリルは笑みを浮かべ、フォークを手に取る。

「それじゃ、いただきます」

嬉しそうに宣言し、ツェリルはシフォンケーキを大きく切り取り、生クリームをつけ、頬張る。ん~~、と黄色い声を漏らし、頬に手を当てるツェリルを見、キアラはぱちり、と目を瞬かせてから、己の前に置かれた皿を見、そっとフォークを手に取った。シフォンケーキを小さく切り取り、ぱくり、とひと口。むぐむぐと口を動かすと共に、じんわりとキアラの目じりが下がり、纏う雰囲気がふんわりと柔らかなものとなる。表情こそ大きく変わっていないが、絵で表現すれば小さなお花でも舞っていそうな様子を見るに、どうやら、お気に召してくれたらしい。その事実に、自然とクレアの表情が綻ぶ。作ること自体も楽しいと思えるようになったし、自分で美味しいものを食べるのも好きだが、やはり、1番なのは、自分の作ったもので、喜んでくれる誰かの姿を見る事だ。日々思う事を、また再び確信しつつ、クレアは己の分であるアイスティーに口付けた。

「さて、人心地ついたところで、話を聞きましょうか」

一服したところで、そう切り出したクレアに、キアラは目を丸くし、次いで、店の入口へと目を向ける。

「でも……人……」

誰かを待つかのような素振りに、クレアは不思議そうな顔をして、首を傾げた。が、ツェリルは、キアラが何を思ったのか、察したらしく、あー、と声を漏らす。

「キアラ。ここに来たのは、待ち合わせのためじゃないの。彼女が、紹介したい服飾師なのよ」

ツェリルのその言葉に、キアラはそのペリドットの瞳をまんまるに見開いた。

「そんな大層なものではありませんよ。趣味のものなんですから」
「私が心底惚れこんでるブランドが、大したことない訳ないでしょっ」
「そんなブランド、存在しません」

ぐっと、拳を握りしめ、力説するツェリルと、そんな彼女の言葉を一刀両断するクレア。そんな2人のやりとりを目を白黒させて見守り、キアラは、ツェリルへと視線を定める。

「実績、は……?」

端的に問われた言葉。それにツェリルは自信に満ちた笑みを見せる。

「まずその1。ここ、リバーシの制服。あれ全部クレアの作品よ」

その言葉に、キアラは目を丸くした。リバーシには、甘味やら食事やら、食べに来たことは何度かあった。故に知っている。昼は白を基調とした、夜は真逆の黒を基調としたその制服はどう見ても、素人作品とは思えない完成度だ。しかも、店員1人1人に似合うよう、細かな装飾、差し色、刺繍の柄等が異なっており、非常に手が込んでいる。例えば、ツェリルなど、昼の白い制服では綺麗さを、夜の黒い制服ではカッコ良さを感じさせるデザインとなっているし、名前も知らない小柄な店員では、可愛らしさを強調させていたものもあるなどだ。にも関わらず、制服としてのデザインの統一感は保っているのだから、さすがとしか言いようがなかった。

「その2は、私のライブ衣装。もう、そっちはほぼほぼ引退してるけど、最後の方のはクレアに頼み込んで作ってもらった奴なの」

今でこそ、冒険者とリバーシの副店長をやっているツェリルであるが、元々は、冒険者兼、歌も踊りも嗜むアーティストだ。キアラの所属する劇団の前座を務める事もままあり、その関係で知り合ったのだから。

「その3は、私の私服ね。あぁ、キアラのとこにも依頼してた人がいたはずだから、着てるとこ見たことあるんじゃない?」

そう言って告げられた、同僚の名前とどんな服かの情報は、確かに、覚えがあるもので、それら全て、この小柄な人物が作り上げたのだと知れば、ツェリルが自信をもって推すのも納得だった。

「お話、聞いて……もらえます、か?」

真っ直ぐにこちらを見、告げたキアラに、クレアは微笑み、頷く。

「はい」
「頑張ってね、キアラ。この人、気が乗らないと引き受けてくれないから」
「あら、当然でしょう? 趣味である以上、作りたいと思わなったものは作りたくありませんもの」

さらりと言われた言葉に、キアラは、ぴしりと固まり、次いで狼狽する。

「大丈夫ですよ。ちゃんとお話を聞いて、決めますから」

にっこりと笑って追い打ちに近い言葉を紡ぐクレアに、額をおさえ、ツェリルが軽く手を振る。

「クレアクレア。それ、逆効果。圧力になってるから」
「あら」

目を丸くし、口元に手を添え、すみません、という小柄な店長は大変可愛らしい。が、欠片たりとも甘く見てはいけないのはよくよく分かった。キアラは、くっ、と手を握りしてると口を開く。

「私、は、劇団に……所属してます」
「キアラとも、その劇団との縁で知り合ってるのよね」

口を挟むツェリルの言葉に、頷いて、キアラは続きを口にする。

「次の……公演の劇で使う、舞台衣装を、作って欲しいです……っ」

そう言って、キアラが語ったのは、次回公演予定の劇のあらすじだった。

――それは、1人の冒険者と、とある海の精霊の物語。
好奇心から、人に化け、陸へと上がった海の精霊が、魔物に襲われている所を冒険者が助け、その恩を返すべく、精霊は、人に化けたまま、少し水を操れる不思議な人間として、冒険者と行動を共にし、冒険者の手助けをするようになる。けれど、海の精霊である以上、海から離れれば離れるほどに、精霊は弱っていく。それでも尚、冒険者に尽くした精霊は、ついに、正体を露見し、倒れてしまう。彼女の正体を知った冒険者は、今度は自分が彼女を助けるため、奔走し……といった流れの物語で、キアラが演じるのは、そのヒロインというべき、海の精霊役であり、頼みたい衣装は、本来の姿となった精霊の衣装だという。それらの話を聞いて、きらり、とクレアの瞳が光る。

「――という事は、パッと見で、精霊だと、人ではないと印象付けられる必要がある、という事ですね」

確認するように紡ぐクレアの言葉に、キアラはこくこくと頷く。

「衣装装備の……水の使い手も、使う事に、なってます」
「なるほどなるほど。もってこいですものね。……うん、似合いそう」

そうキアラに応えつつも、クレアの瞳は、じぃっとキアラを見据えている。
どこか獲物を見つけたワイルドローズを彷彿とさせる瞳に、キアラが身じろぐ。そんな様子を見て、ツェリルはくすくすと小さく笑い声を漏らした。

「キアラ、良かったわね」
「え……?」

唐突な言葉に、疑問の声を漏らすキアラだが、そんな彼女に答えず、ツェリルはクレアへと視線を移すと、どこからともなく紙の束と鉛筆を取り出し、クレアへと差し出した。

「使う?」
「ん。ありがと」

端的に礼を言って、クレアの手が鉛筆を握り、真っ白な紙へとそれを滑らせていく。さらさらと描かれていくのは、舞台衣装と思わしき服のラフ画で、そこでツェリルの良かったね、の意味を察し、キアラは目を丸くした。

「今、描いてるのは、話を聞いて、私がイメージしてるものなんだけど、こうして欲しいとか、何か希望は?」
「えと……いい、の?」

問いに問いを返せば、クレアは、ぱちぱちと目を瞬かせた後、キアラの問いの意味を理解し、にっこりと笑う。

「えぇ! 作ってみたいと、思ったもの」

心底楽しそうな笑みを見せ、言ったクレアに、ようやくキアラはほっと息をつき、身体の力を抜く。そして、意識を己が望む衣装へと移す。

「……なら、先に……貴女のイメージを、見てみたい」

ふんわりと微笑って紡いだキアラの言葉に、クレアは瞳を輝かせ、描きかけの紙をキアラにも見えるよう、テーブルの中央へと移動させる。そして、椅子の上に膝立ちになり――座ったまま描くには、悲しいことに座高も腕の高さも足りなかったのだ――そこから、更に書き足しながら、説明を始めた。

「ここは、こう流れるような感じにして――」
「……こう、は?」
「あー、なるほど、なら……こんな感じにしておいてみましょうか」
「あと……ここ、布、多い……?」
「あぁ、この重ねてある部分は透明な布を染色して使おうかと。クリアブルーの薄絹の透明度を高くした感じをイメージしてもらうといいかも」
「なるほど……じゃあ――」

あれあこれやと意見を出し合う2人の姿に、ずっとやりとりを見守っていたツェリルは、ふっと笑みをこぼすと、音を立てぬよう気を付けて、そぅっと立ち上がる。

「ふふっ、この分だと上手くいきそうね。楽しみだなぁ」

舞台も、きっと鮮やかな彩を添えてくれるだろう衣装も。 自然とこぼれ出た笑みをそのままに、ツェリルはお茶のおかわりの用意をするのだった。

最初にクレアが用意したものとは違うフレーバーのアイスティーを用意して、お茶請けはクレアの作った焼き菓子を拝借。ついでに、これからの事を考え、脳裏に浮かぶ顔ぶれに連絡。頼み事を快く了承してもらった所で、出来ることをやっておこうと、ちょいちょい打合せ中の2人の様子を窺いながら、明日以降の営業の下拵えを進ませる。
そんなこんなで時計の針は進んでいき……
クレアとキアラへと出した2杯目のアイスティーが空になり、3杯目が半分程減った所で、キアラの採寸も含めた話し合いが完了したようだった。

「よっし! じゃあ、その方向でやってみるね」

打合せの間に、店長仕様な口調もどこかに飛んで行ってしまったらしく、素のそれで、にっこりと笑い宣言したクレアに、ツェリルは声をかける。と、こちらへと目を向けた後、不意にハッとし、わたわたと無意味に手を動かし始めたクレアに、ツェリルは訝し気な視線を向ける。

「どしたの? クレア」
「えっと、あの、ツェリル。悪いんだけど、明日からの営業……」

なんだけど、と見上げてくるクレアに、何が言いたいのかを察したツェリルは、なんだそんな事かと、拍子抜けした息を吐く。

「何日?」
「えと、7日。……夜の方は、進捗次第だけど、それに加えて10日くらい……かな?」
「OK。連絡しておくね」
「え?」

ぱちり、と不思議そうに目を瞬かせたクレアに、ツェリルは、にっと笑みを見せる。

「昼の臨時休業。入れるの気にしたみたいだけど、打合せ始めた時点で読める事だもの。手伝いしてくれる子達には、明日から急遽シフト変わるから、確定次第もう1回連絡するって言ってあるし、夜抜けの穴埋めもついでにお願いしておくわよ。いつも通り、特別追加報酬か、当確券でいいわよね?」
「う、うん!」

こくこくと頷いてから、クレアは、胸の辺りで手を握りしめ、キラキラと瞳を輝かせる。

「ツェリル、優秀っ!」
「ふっふ~ん、もっと褒めて良いのよ」

胸を張り、腰に手を当て、自信に満ちた、いわゆるドヤ顔を見せてから、まぁ、茶番はこのくらいにして、という言葉と共にツェリルは問いかける。

「――で、素材の方はどうなの?」
「ん~~……今回は、大丈夫、かなぁ。アクアマリンとかサンゴとか、涙の結晶もギリあったはずだし、飾りに使いたくなりそうなのは、在庫残ってたはずだから。取りに行く必要がありそうなのは、柔らかい布と透明な布くらいになりそう」

柔らかい布はまだ少し残ってるし、そんな取ってこなくてもいいかもだけど、透明な方はちょっと試してみたいこともあるし、それなりに取ってきておきたいかなぁ、などと1人呟くクレアの視界に、そろり、と片手を上げたキアラの姿が目に入り、ぱちりと目を瞬かせる。

「あの……説明……」

こちらに気付いてくれた事を認識したキアラが紡いだ言葉に、付き合いの差か、逸早く聞きたいことを察したツェリルが口を開く。

「あぁ。さすがにお店回しながらだと、取れる時間が限られちゃうからねー。依頼受けたときは大体、クレアがメインに作る昼の部の営業は休みにしてるの。夜は私がメインに作るからやるけど、それでも、クレアの手伝いが無くなるならその分の人手は必要になるし、その辺の調整の話」

ツェリルの言葉に、目をまん丸にして、キアラはクレアを見る。そして、慌てて口を開こうとしたキアラの肩に、ぽんっ、と軽い音を立ててツェリルの手が置かれる。

「だいじょーぶよ。迷惑にも、負担にもなってないから。だって、その為に私がいるんですもの」
「え……?」

不思議そうな色を滲ませたキアラに、ツェリルは笑う。

「私が、この店の、クレアの手伝いをするようになったのは、もっと、クレアに、作品を作って欲しかったからだもの。せっかく、彼女がやる気になってくれたんだから、最大限サポートするのは当然なのよ」

きっぱりと言ったツェリルに、金茶の瞳をふわりと細め、クレアも微笑む。

「恩人から受け継いだこのお店を疎かにする訳にはいきませんから。ツェリルには感謝してます。幸いな事に、こういった臨時休業をしてもお客さんは許してくれましたし」
「というか、地味に楽しみにしてる常連は絶対いると踏んでるわよ」
「へ?」

常連が臨時休業を楽しみにする、とは……?
意味の分からぬ言葉に、キアラは思わず間の抜けた声を上げた。そんなキアラに、微笑を苦笑に変え、クレアが頬を掻く。

「こういう風に、依頼を受けて、集中して服作った後はね……反動っていうか、すごく、お菓子、作りたくなって……だから、何日かスイーツバイキングをね、開催してるの」
「スイーツバイキング用のミニケーキも、普段お店で出してる通常サイズも両方出すから結構人気なのよ。ま、だから、普通にやったんじゃ、いくら作っても足りない状態になっちゃうっていうんで、昼営業休業中にお店に来てくれた人で、希望者に抽選券を配布して、後日当選者の張り出しと開催日のお知らせをしてるんだよね」

そんな訳で、お客さんの方も気にしないから大丈夫。好き勝手してるのにありがたい事だよね、と言い合う、店長と副店長の姿を見て、ようやくキアラもほっと息を零す。

「そっか……」

そう言ってから、はたと、気付いたようにキアラは小首を傾げ、問いかける。

「私も……手伝う?」
「いや、ありがたいけど、キアラ。舞台稽古があるでしょ」
「うん。だから……少し、だけど」

キアラの役は、海の精霊役だ。それは先程キアラが語った通りだが、正確には本来の姿になった海の精霊役で、精霊が化けた人間の役は別の人のものらしい。故に、出番は重要な場面ばかりになるが、そう多くはないらしい。
だから、少しは手伝う余裕があるはずと、申し出たキアラに、ふわりと笑みを返したのはクレアだった。

「じゃあ……お言葉に甘えても、いいかな?」
「ん!」

大きく頷くキアラに、クレアは口を開く。

「あのね、柔らかい布、集めるの手伝ってくれるかな?」
「柔らかい布……?」
「うん。衣装の材料。市販の布でもダメではないんだけど、やっぱり染色するなら、絹の方が染まりが良いし、色々相性も良いし。……でも、それ落とすの、コンロンの天仙娘々くらいで、しかもよく落ちるっては言い難いし……」

透明な布の方なら、同業者の人が集めてたりするから買えるんだけど、柔らかい布はそれもないから、自力じゃないとで……と、頬を掻き、苦笑するクレアに、ぐっと、キアラは握りこぶしを作ってみせる。

「ん。頑張る……!」
「ありがとうっ」

ぱぁっと、花開くかのような笑みを浮かべ、頬に手を当て、クレアははしゃぐようにその場でくるりと一回転する。

「私だけだと、スポアエクスプロージョンで、たまに、ドロップ品の布までちょっと焦げ付かせちゃう事もあったから、嬉しい。これなら蛍光色の液体の補充もイケるかも」

その子供っぽい仕草は、本人にとっては不本意であろうが、違和感がないどころか、似合ってるとしか言いようのないもので、キアラはぱちくりと目を瞬かせた後、くすくすと笑みを零す。

「……可愛い」
「はっ! わわ忘れて下さい~~~っっ!!」

思わずこぼれ出たキアラの声に、我に返ったクレアは、気恥ずかしさに頬を赤く染め、こちらを見上げ、意味もなく腕を振る。その様子は、最初、この店で出迎えてくれた時と比べると随分と気安いもので、それを嬉しいと感じると共に、その更に子供っぽい動作に、笑いのツボが刺激されてしまう。どうやら、それはツェリルにも感染したようで、しばらくの間、リバーシ店内には、笑い声が響いたのだった。

*****

それからしばらく……

完成したとの連絡を受け、キアラはリバーシへと足を運んでいた。CLOSEの札がかかった戸を慣れた様子――柔らかい布狩りや、細かいサイズ調整等で、度々訪れていたためだ――で開き、チリンチリン、と涼やかな音色の下を潜り抜けていく。

「あ。キアラさん、いらっしゃいませ」

にこにこと可愛らしい笑みを浮かべ、出迎えるクレアに、ふっと、キアラも微笑を返す。

「完成、見に来た……」
「はいっ!」

キアラの言葉に大きく頷き、じゃあ、行きましょう、と手を引かれるままに、関係者以外立ち入り禁止な厨房を抜け、2階へと上がる。
そして、作業場と化していた部屋の戸を開き、見えた光景に、キアラは軽く目を見開いた。
壁にすらりと並ぶ棚に、きっちりぎっしりと詰められた布や素材たち。前回進捗を見に来た時、床一面に散乱していたものたちを片づけるとこんなにすっきりするのかと、少し驚く。けれど、キアラの目を引いたのはそれではない。作業部屋の奥に鎮座するトルソーにかけられた蒼に目を奪われた。ジプシーの衣装にも似たそれは、浅瀬の水色から、海の蒼、深海の藍へと移り変わるグラデーションが美しく、また、いくつもの縫い付けられた小さな飾りが、部屋の光をキラキラと小さく弾いていた。

「……どうかな?」

自然と衣装に歩み寄り、まじまじとそれを見るキアラへと、小首を傾げてクレアは問う。

「綺麗」

衣装から目を離す事なく零れ落ちた言葉に、クレアは嬉しそうに微笑んだ。

「そう言ってもらえると、私も嬉しい。とても楽しく作らせてもらったし」

そう言ってから、クレアは、そうそうと呟くように口にして、衣装の足元にあった平べったい大きめの箱を手に取ると蓋を取り、キアラへとそれを差し出した。

「ついでに、こんなものも作ってみたのだけど……どうかしら?」
「これ……羽衣?」

箱の中身を手に取り、キアラは小首を傾げる。それは透明な布を蒼く染めたのであろうクリアブルーの羽衣だった。全体的にラメのような煌めきがあるそれは、正直に言うなら、あっても邪魔にはならないだろうが、なくても問題ないような品である。
そんなキアラの反応に、クレアは悪戯っぽい笑みを見せる。

「あのね、その羽衣に、軽く魔力を通してみてもらえるかな?」

クレアの言葉に、キアラはぱちりと目を瞬かせる。そして、不思議そうな雰囲気を滲ませつつも、言われた通り、魔力を通し……目を丸くした。魔力を通した途端、羽衣の色が揺らめき、変化したのだ。蒼から淡い空色へと。驚いて、魔力を止めると、羽衣は淡い空色のまま、そこにあった。もう1度、魔力を通せば、また色は揺らぎ、淡い空色から、鮮やかな水色、青、深みを増した蒼、藍色、そしてまた蒼、青、水色、と魔力を通し続ける限り、色彩が揺らぎ続ける羽衣に、つい、まじまじとそれを眺めてから、キアラは顔を上げ、クレアへと視線を向ける。

「これ、は……?」

その問いかけに、待ってましたとばかりにクレアは瞳を煌めかせる。

「輝く草の色が揺らめく原理を参考にして作ったオリジナルの魔法薬……というか染料で染めたものなの。これ、構想は前からあったんだけど、衣装装備でもないただの服や小物の色が変わっても実用的じゃないかなぁって、ずっとお蔵入りしてて、舞台衣装の小道具くらいになら使えるんじゃないかって思ってちょっと試してみたの。……どうかな? 使えそう……?」

もし、使えそうなら、これも一緒に使ってくれると嬉しいな、と言うクレアに、キアラは、再び羽衣に視線を落とす。じっと羽衣を見つめ、沈黙するキアラにクレアが首を傾げたその時、キアラから、ぽつりと声が零れる。

「これ……」
「ん?」
「……違う色も、作れる?」

それにクレアはにっこりと笑って頷いた。

「えぇ、もちろんっ」
「……これと、これよりも、もっと、くすんだ……暗めの色になるものがあると、良い、な」

そうしてキアラが口にしたのは、依頼を受けるときに聞いた舞台のあらすじ。物語の途中、弱ってきている精霊が、冒険者の前では元気に見せていても、観客には弱ってきていることを印象づけるのに、鮮やかな色に変化する羽衣と、くすんだ暗い色に変化する羽衣を使い分けると良いかもと思いついた事を話せば、クレアはきゅっと両手を握り大きく頷いてみせる。

「分かった。作ってみるね」
「うん。……でも、衣装については任せてもらえてる、けど……小道具の方は、実際に使うかは……団長次第、だから」
「うん。却下されたら、その時は気にしなくっていいよ。これはおまけみたいなものですし」

ふんわりと笑って、そう言ってから、クレアは本来の目的である言葉を口にした。

「ね。この衣装、試着してもらっていいかな? 実際に着てみて、何か気になるところがあったら教えて欲しいし」

その言葉に、キアラも、笑って頷いた。
彼女が、この衣装を纏い、舞台へと上がるのは、これから、もうしばらく先の事である。


fin

あとがき
去年に引き続き、RO夏の創作交流企画2019に参加させていただきました!
去年同様、またしても、ギリギリの完成……成長してなくてすみません>< ←ホントニナ
あと、今回は……うん、書き途中辺りかな、ん?とは思ったんですけど……うん、割と、どこROな話になってしまってすみませんっっ! いや、本当は、素材集めという名の狩りパート入れようかとも思ってたんですけど、締め切りまでの時間と、あと……3次職でコンロンじゃあ特に特筆するような事は、起きなさそうだな、って……(;¬д¬)ユエニサクットゼンカット
でも、クレアのお話は割と書きたかった話なので、反省はしても後悔はしてn(殴打


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使用素材: 幻想素材館Dream Fantasy様 Border

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