シュバルツバルド方面に行っていたため、数日ぶりに帰ってきた家。
けれど、その時、姉は出かけていて留守であり、妹も自分が帰ってきて早々に友人に連れられ、出かけて行った。そのため、酷く静かな部屋の中、私はお茶を沸かし、手土産にと買ってきた茶菓子の箱を開ける。

「せっかく買って来たのになー。ま、いっか」

そう呟いたその時、戸の開く音がした。

「ただいま~」

そんな、若干間延びした声と共に聞こえてくる足音。
振り向けば、紫がかった青い髪に蒼い目の少女がこちらに向かって歩いてくる所だった。

「おかえり、姉さん。また仕入れ?」
「あ、カルちゃんおかえり。うん、華麗皮が品切れちゃったから、テントウムシ狩りに行ってたの。プレちゃんは?」

部屋の隅にカートを置きながら、小首を傾げて問う姉さんに、私は苦笑する。

「あの子も狩りよ。えっと……シアンとクルトだったっけ? 2人に連れられて行ってたから、たぶん廃坑あたりじゃないかな?」

私の返答に、そっか、と呟いて、姉さんはにこりと笑う。

「プレちゃんも、お友達が出来て良かったよね」
「そうね~。あの子、人見知りするし、なんだかんだで良かったと思うわよ。あ、そうそう、姉さん、お土産買ってきたからお茶しない?」

そう誘えば、姉さんは嬉しそうに微笑った。

「わ。ありがとカルちゃんっ。なーに?」
「クッキーとかマカロンとか色々。焼き菓子の詰め合わせ。あ、あとケーキはもうしまってあるから。夕飯の時にでも皆で食べない?」

そう提案してから口に出すのは、リヒタルゼンで美味しいと評判のケーキ屋さんの名前。
それを聞いて、姉さんの目が丸くなる。その反応に思わず、笑みが浮かんだ。

「前に、食べてみたい、って言ってたわよね?」
「う、うんっ! カルちゃんありがとうっ!」

私の言葉に、姉さんはこくこく頷いて目を輝かせる。

「どーいたしまして。蝶の羽って、何気に便利よね~。遠くまで行っても、すぐに帰って来れるんだから。――っと、姉さんの分のカップ持ってくるから、姉さんは着替えてきたら?」
「あ、うん。そうする」

そう言って、姉さんは装備を外し始める。
姉さんの返事を聞いてから、私は、くるりと踵を返して台所へと向かった。
戸棚から、淡い青色のカップと縁に薄紅色の花びらが描かれたお皿を取り出し、戻る。と、丁度、姉さんが、外したクリップをカートへとしまい、アルケミストのマントに手をかけた所だった。
するりと外されるマント、と同時に見えたそれに、つきんっと、心臓に冷たい痛みが走った気がした。

「それじゃあ、カルちゃん、着替えてくるね~」

マントをかけた姉さんは笑ってそう私に声をかけると、私の脇を通り過ぎ、自室へと向かっていく。
姉さんが視界から消えてから、私ははっとして、思わず止めてしまっていた足を動かし、テーブルまで歩く。手に持っていた食器を置き、深く息を吐いた。
目をぎゅっと瞑り、歯を噛み締める。脳裏に浮かぶのは、マントを外した姉さんの後ろ姿。
彼女の後ろ肩。普段はマントに隠れ、見えない部分。そこにくっきりと刻まれた傷痕。
……まだ自分がノービスだった頃、自分を庇って……受けた傷。浅はかだった……私を、庇って……

… … … … … … …

「カルちゃん、いっしょに狩り、いってみない?」

それは、私が冒険者登録して間もない頃だった。その日、にこり、と商人服を身に纏った姉さんがそう声をかけてきたのだ。

「え?」

思わず、目を瞬かせる私に、姉さんは笑う。

「カルちゃん、ノービスになったでしょ? だから、せっかくだし、いっしょに狩りにいってみようよ。大丈夫、最初から、危ない魔物がいるとこにはいかないから」

そう言った姉さんに、私は、少し考えてから、小さく頷いた。

「ん。じゃあ、行ってみる」

行ってみる、と答えた私を連れて、姉さんが向かったのは、プロンテラ北東に位置する森、迷いの森と呼ばれる所だった。

「お姉ちゃん、ここ?」

森の入り口で足を止めた姉さんに、小首を傾げてそう問えば、姉さんは笑って頷く。

「うん、ここ。とりあえず、プロの東門にいたのと同じモンスターは、カルちゃんでも1人で大丈夫だと思う。けど、蝶々には手を出しちゃダメ。あれは意外と危ないから……あと、マンドラには気をつけてね」
「……マンドラ?」
「マンドラゴラっていう食人植物の生息域なの、ここ。あれは自分が攻撃出来る範囲に人が来ると容赦なく襲いかかってくるからね。……まだ、慣れてないカルちゃんじゃ、危ないと思うから、気をつけて……あ、でも、マンドラゴラも植物であることには変わりなくて、だから、移動はしないの。だから、自分から近づかなきゃ大丈夫だよ」

そう説明し終わると、姉さんは私の手を引いた。

「それじゃあ、行ってみようか」
「あ、うんっ」

にこり、と笑って言った姉さんに、私は大きく頷き返すと、初めて訪れた森へ、躊躇いなく足を踏み出した。

「よっ、と」

透き通った桃色のぷよぷよしたゼリー状の魔物に向かって、初心者修練所から貸し出されたマインゴーシュを振るう。数回切りつければ、魔物、ポリンは、ぽよん、とどこか間の抜けた音を立てて崩れ落ちた。じわじわと溶けていく桃色の欠片を流し見ながら探すのは、通称ドロップ品と呼ばれるアイテムだ。

「えっと……あ、あったあった」

桃色の欠片達に紛れるように、柔らかな草の上、ころんと転がる、淡い青色の欠片を見つけて、私はそれに手を伸ばす。ルートという、様々なものを溜め込む性質を持つポリンだ。他に何かないかと思い、探してみたが、残念ながら、何も溜め込んではいなかったらしい。それに1つを吐いてから、しっかり握りしめたそれに視線を移す。ポリンそのものよりも、硬めで軽い小さなそれは、ポリンなど、一部の魔物が体内で生成する結晶で、ゼロピーと呼ばれている代物。それは、私みたいな駆け出しの冒険者でも狩れる魔物から取れる事が多い。つまり、そう大した値がつく品ではない。けれど、それでも、自分自身の力で手に入れたものだ。
それは、少しでも、私やプレを養おうと頑張っている姉さんの手助けが出来るようになった証。自然と頬が緩む。
つい、手にしたゼロピーを少し眺めてから、荷の中に放り込んだ。
よし、と小さく声を上げ、きょろきょろと辺りを見回す。探すのは次のターゲットだ。

「できるだけ、いっぱい、集めたいな、っと」

歌うようにそう呟いたその時、視界の端に、のそのそ動く、黄緑が過ぎり、はっと振り返る。
茂みの中に消えていこうとしているのは、ポリンほどの大きさもある幼虫、ファブルだ。それを目にし、きゅっと武器を握りなおすと、たっと駆け出した。
そして、ファブルを追い、茂みへと足を踏み入れた、その時だった。

「きゃああああっ?!!」

しゅるりと音を立てて、足に何かが絡み付く。そう感じた時には、思い切り引っ張られ、尻餅をつくと同時、足に絡みついた何かが、植物の蔓のようなものだと気付いた。目で蔓を辿っていけば、その先にいたのは、ドクロに似た模様の浮かぶ植物。初めて見たそれに目を見開きつつも、森に入る前、姉さんが口にしていた、食人植物という単語が脳裏を過ぎる。強い力で引っ張り、更に伸ばしてくる蔓に、慌ててマインゴーシュを振るうが、尻餅をついたままの状態だからか、まだ冒険者としての経験が足りないからか、それが蔓に当たる事はなく、ずるずると引きずられ、湧きあがるのは強い恐怖。

「お、お姉ちゃんっ、お姉ちゃんっっ!!」

思わず、近くにいるはずの姉さんに助けを求めれば、慌てたような声が背後から響いた。

「カルちゃんっ!」

その声と共に、私の横を駆け抜けた姉さんは食人植物に向かって、斧を振りかぶると、叩きつけるように振り下ろした。が、それは、当たらず、食人植物の掠めただけ。そう見えた。
ガッと斧が地に突き刺さる音と共に、ふっと、引っ張る力が消えた。驚いて立ち上がると同時に、姉さんが地面から斧を引き抜き、少々重そうに、それを今度こそ、食人植物へと叩きつける。続けて、振り回すように切りつけられ、食人植物が怒ったように姉さんへと蔓を伸ばす。姉さんの腕に、足に絡みつく蔓に、思わず声が上がった。

「お姉ちゃんっ!!」
「大、丈夫……っ!」

そう答えた姉さんは、パッと斧から手を離すと、まだ自由だった右手で素早く、腰から短剣を引き抜く。左腕を拘束する蔓を、足に絡みつく蔓を次々に切り落とす。
そして、そのまま短剣を食人植物へと、深々と突き刺した。その瞬間、じゅっと音を立てて、食人植物から軽く煙があがると、それがトドメとなったらしい、くたりと食人植物が崩れ落ちた。

「たお、した……?」

その様子を見て、思わず声を洩らすと同時、たっと姉さんが駆け寄ってくる。

「ごめんね、カルちゃん、大丈夫だったっ?!」

慌てたように問いかけられる言葉に、こくん、と小さく頷けば、姉さんはほっと肩の力を抜く。

「よかったぁ……ごめんね、すぐに気付いてあげられなくて……怖かったでしょ」

眉を下げ、申し訳なさそうに謝る姉さんの言葉に、私は、小さく頷く事で肯定する。本当に、怖いと、感じたのだ。

「……何で、お姉ちゃん、ここに来たの。ポリンとかなら、街の近くにもいるのに」

そのせいで、小さく、拗ねたようにそう言えば、姉さんは苦笑して私の頭を撫でる。

「ごめんね。怖い思いさせちゃって……でも、1人じゃいけないとこに連れて来てあげたかったし、あと……見せてあげたいものがあったの」
「……見せたい、もの?」

姉さんの言葉にぱちくりと目を瞬かせ、顔を上げれば、姉さんは優しく微笑って私の手を取った。

「うん。……まぁ、上手く見つけられるかは、分からないけどね」
「……見つける?」
「うん」
「なぁに?」

小首を傾げ、そう問いかければ、姉さんは、それは上手く見つけられてからのお楽しみかな、と応えて、私の手を取ったまま、歩きだした。引っ張られるように進む私だったが、その、どことなく楽しそうな姉さんの様子につられたように、さっきの恐怖が薄れ、少し、楽しくなってきたのは確かだった。

姉さんは、食人植物を、私はポリンやプパ等、倒せるものを狩りながら、しばらく進むと、不意に姉さんは、あ、と声を上げて立ち止まった。

「お姉ちゃん?」

それに思わず声をかけると、姉さんはそろそろと崖に近づく。慎重に、崖下を覗き込んでから顔を上げ、私に向かって手招きする。
どうしたんだろう、と思いつつも姉さんの元へ向かい、同じように下を覗き込むと、下には透き通って綺麗な水の湧く泉が見えた。泉から少し離れた場所は木の陰で少し薄暗い。
……だからだろうか、泉を囲む樹の中の1つ。その根元がぽうっと光っているのに気付けたのは。

「わぁ……」

ここからじゃ、はっきりとは見えなかったけど、それでもそれは、淡い光を放つ植物のように見えて、姉さんを振りかえり、その光を指差す。

「お姉ちゃん、あれっ」
「うん、輝く草っていうハーブだよ。あのハーブは中に溜めこむ魔力が常に変動してて、微量の魔力を放ってる、っていう特性があるの。その変動して放出されてる魔力で、ああやって光ってるんだって。上手く、たくさん魔力を溜めこんでるのを上手く採取できれば、すごく質のいいものが手に入るとか、たまに、珍しい実をつけるとか、色々聞いてるけど……って、ごめん、あんまり面白い話じゃないかな」

苦笑して、頬を掻く姉さんに、私は首を横に振る。

「うぅん。お姉ちゃん、なんか、お母さんみたいだった」

母さんも、集落で薬師みたいな事をしていたからか、薬草に詳しく、幼い私達に色々話してくれた。
それを思い出して口にすれば、姉さんは小さく、そっか、と呟き私の頭を撫でる。その後に見たのは微苦笑。そんな表情を見せた後、姉さんは再び崖下へと視線を戻す。

「んー、大丈夫かなぁ。……でも、うーん」

何か考えてるような、迷っているかのような声に、私は小首を傾げる。

「お姉ちゃん?」

どうしたの? と声をかければ、姉さんは輝く草を指差す。

「あれ、取りに行こうかどうしようか、って思って」

その言葉に、てっきり、これから、あれを取りに行くのだと思っていた私は目を瞬かせる。

「行かないの? 私、近くで見てみたい! ……それに、見せたいのって、あれじゃないの?」

初めて見る不思議な植物。だから、あれが見せたいものなのかと思い、そう言ったのだが、どうやら違うらしい。姉さんは首を振る。

「うぅん。違うの。見せたいのはね、別のなの。……ホントは、私も、ハーブ、取りに行きたいんだけど……何か、行かない方がいい予感がするんだよね、何となく」
「?」

よく意味の分からないその言葉に、首を傾げたその時、あ、と姉さんが声を上げた。

「カルちゃんカルちゃん」

とんとんと私の肩を叩いて、姉さんが指差す。そちらに目を向け、私は思わず目を丸くした。
茂みからルナティックの群れを引き連れた青い毛のルナティックのような魔物が現れる。もふもふと柔らかそうな青い毛のルナティックは、他のルナティックよりも、一回りも二回りも大きく、普通のルナティックがまるで子ウサギのよう。そんな青いルナティックがぞろぞろと白い小さなルナティックを連れて歩いている様子は正に親子をいう風情だった。

「かわいいでしょ?」

じっと、青いルナティックを見つめる私に、姉さんが囁くように問いかける。
小さく頷くと、横でふわりと笑んだ気配がした。

「あれはね、エクリプスっていうの。この辺を縄張りにしてて、ルナちゃんたちのリーダーみたいな……もしくはお母さんかな。あ、でも、近づいちゃダメだよ。エクリプスって、縄張り意識がものすごく強いから、見つかったら、追いかけてくるから。……あれは、まだ、私も追い返すのはきついから、見つかったら逃げないといけなかったんだよね」

頬を掻き、苦笑して姉さんは言葉を続ける。

「でもね、ホントに親子みたいで可愛かったでしょ。だから、カルちゃんに見せてあげたいな、って、思ってここに来てみたの。ちょうど上手く見せてあげられてよかったー」
「……お姉ちゃん、それ、あぶなくないの?」

にこにこと、そんな事を言う姉さんに、少し不安になってそう問えば、姉さんは大丈夫、と笑う。

「この森、迷いの森って言われるくらい入り組んでるから、気を付けて、ゆっくり進めば、エクリプスに見つからないで、見せてあげられるって思ったの。それに、もし、見つかっても、走れば逃げ切れると思うし、そうじゃなくても、カルちゃんが蝶の羽使って戻るくらいの時間ならちゃんと稼げるから大丈夫。ちゃんと、カルちゃんが危ない事のないように考えてきたんだから。だから、大丈夫。カルちゃんは、ちゃんと、私が守ってあげるから」

そう言って笑う姉さんに、私は目を瞬かせてから、つられたように、笑った。

それから、エクリプスを見た後、輝く草の元へ行ったら、輝く草はm物の見事にエクリプス――もしくはルナティック――に食べられいた。そうだと思ってはいたけど、と呟きつつも、姉さんが、ちょっと肩を落としていたり。
プパを叩いてたら、急に姉さんに止められて、どうしたのかとと思ったら、プパが孵化してクリーミーになった所を見たり。
と、色々あったが楽しかった。
もちろん、狩りな以上、無傷って訳にはいかなかったし、一度、先ほど見たエクリプスと鉢合わせて、姉さんと2人で慌てて逃げるような事もあったけど、そんなひやひやも含めて、楽しかったと感じた。
それは、きっと、ある種の安心感があったから。
姉さんと一緒なら、大丈夫なんだと、何の根拠もなく、思ってしまっていたから。

だから、忘れていたのだ。

冒険者修練所で言われていた注意事項。

魔物を見た目で判断してはいけない。
そして、見知らぬ魔物と遭遇した場合、警戒を怠ってはいけない。

この、2つの心得を――

それは、しばらくすれば、空が赤くなってくるだろう時間帯。
今日はもう帰ろうか、と姉さんに言われ、迷いの森を抜けて、もうそろそろ、プロンテラの東門が見えてくる頃の事だった。
姉さんと2人、他愛のない事を話しながら歩いていたその時、何かが目の端を過ぎった気がして、私は足を止め、振り返った。

「カルちゃん? どうしたの?」

ぱちくりと間を瞬かせ、小首を傾げて問う姉さんに、私は何かが見えた方へと足を踏み出しながら口を開く。

「何か、見えた気がしたの」
「? ポリンとか、ルナティック?」
「ん~……」

一瞬しか見えなかったが、それは柔らかな茶と黒色をしていた。
という事は、ピンクのポリンでも、真っ白なルナティックでもない。私は、その正体が知りたくて、ずんずんと進んでいった。
姉さんは、少し戸惑いつつ、帰ろうって言っていたけど、私はそれに、もう少しだけ、と頼んで、付近を探した。
そう、その時私は、それを探していたのだ。一瞬だったけど、見た事のないモノのように思えたから。
もし、それが珍しいものだったら、今日、色々見せてくれた姉さんへのお返しになると、そうじゃなくても、見つけたら、きっと褒めてくれるだろうと、そう思ったのだ。

その後、そう考えてしまった事を、ずっと後悔することになるとも知らないで。

時たまに思う。
どうして、それを見かけたのが姉さんじゃなかったのかと。もし、見かけたのが姉さんだったら、見なかったことにするか、もしくは急いで私を連れて、その場から離れただろう。もしかしたら、その頃の私たちには少し高価だった蝶の羽を迷いなく使っていたかもしれない。
どうして、と思う。
どうして、私は、あの時、あれを、見つけてしまったのかと。

「あ」

それはここから少し離れた茂みの向こうに居た。
柔らかな茶色の体、頭にはくるんと曲がった黒いヤギの角のようなものが生えていて、首周りにはもふもふとした長くて白い毛に覆われている。ちらりと見えた目はつぶらな赤で、簡単に抱き上げることが出来そうな大きさの、そんな生き物がそこにいた。
可愛らしい見た目のそれに、それが危険かもしれない、なんて事は少しも思いつかなかった。
何度かプロの東には来て、狩りをしていたから、ここには危ない魔物はいない。そんな先入観もあったのだろう。
とにかくその時は、探していたものが見つかったのと、それが無害そうな可愛らしいものだった事で、嬉しくなって、姉さんの方を振り向いて、笑顔で声を上げた。

「お姉ちゃんっ! 見てみてっ」

そういって指をさすと、遅れてやってきた姉さんは私の指差す方を見、そして、息を飲んだ。

「――っ!!! カルちゃんっ、ダメっっ!」
「え?」

押し殺した叫びに、私が思わず目を瞬かせた、次の瞬間だった。それが、こちらに気付いたのは。
それは、あっという間の出来事。
あの、小さな体で信じられないほどの速さでこちらに向かってくる魔物。姉さんの私を呼ぶ声。茂みに隠れていて、こちらに向かって来る時初めて気づいた魔物の持つ鎌が振り上げられ、私へと振り下ろされる。
その瞬間、それが、光を反射して輝いたのが、妙に目に焼き付いた。

「――んんーーーっっ!!」

「……おねぇ、ちゃん……?」

反射的に閉じてしまった目を開くと、私は、ぺたんと座り込んだ状態で姉さんに抱き締められていた。
正直、何が起きたのか、分からなかった。
膝をつき、私を抱きしめる姉さんは、苦悶の表情を浮かべ、声を出すまいと、唇を噛んでいたらしく、切れて血が出ていて……そして、気づく、姉さんの肩越しに見える鈍い光を放つモノを。
ずるりと、姉さんの左腕が私から離れ、と、同時に時間が動いた。ぴっ、と嫌に生暖かい液体が頬にかかる。
え、と思う間もなく、視界に入ったのは赤く濡れた鎌。その赤が一体何なのか、なんて、言われなくても分かる。

そして、その時になってようやく、私は何が起こったのか、理解したのだ。

「――っ!! お姉ちゃんっ! お姉ちゃんっっ!!」

私が声を上げると同時、振り上げられた鎌が、再び振り下ろされる。

「やめ――!」

その刹那、ぐっと、頭を姉さんの胸へと押し付けられて、視界から凶刃が消える。
次の瞬間、小さく呻く声が聞こえ、痛いくらい姉さんの手に力がこもる。

「……カル、ちゃ……羽……にげ、て……」

ぎゅっと右腕で私を抱きしめたまま、途切れ途切れに姉さんが囁く。同時にそっと私の左手に姉さんの手が触れた。
私に何かを渡す姉さんに、視界は真っ暗のままだったが、蝶の羽だと、直感的に思った。
私に羽を持たせ、その上から姉さんの手が、私の手を取った、その時だ。

「っああああああぁぁっっ!!!」

不意にすぐそばで響いた悲鳴に、びくりと体が震えた。
私の手から、姉さんの左手が力なく滑り落ちる。その悲鳴に、離れた手に、怖くなって、抱き締めるように押さえつける姉さんの腕を振りほどく。
あんなに強く押さえつけていたにもかかわらず、嫌にあっさり顔を上げることができた私が見たのは、真っ赤に染まった姉さんの背中と、左の後ろ肩、先程よりも深々と鎌が突き刺さっている、その光景だった。

「っっ!!」
「……ルちゃ……ね、使っ……逃げ……っ」

目を見開き、息を飲む私には目もくれず、魔物は、掠れた声で私に逃げてという姉さんの肩から、鎌を引き抜く。と、魔物はまた、姉さんへと鎌を振り下ろそうとする。止めを刺そうとさそうとしてるのか、その狙いが、首へと向いた。

「――っ!! だめ、やめてっ、ダメーーーーっっ!!!」

私の叫びと共に凶刃が振り下ろされようとした、その時だった。
不意に、バシッという音が響き、魔物が弾き飛ばされる。

「!!」

思わぬことに目を見開くと同時、知らない声が響いた。

「チャージアロー!!」

その声と共に、さらに魔物が弾き飛ばされる。
振り向けば、そこに立っていたのは、金色の髪の、姉さんよりもいくつか年上のハンターだった。
攻撃を受けたことで、攻撃対象が姉さんから、金髪のハンターさんへ変わったらしく、魔物は、一直線にそちらへと向かっていく。それに動じることなくハンターさんは、素早く3本の矢をつがえる。

「チャージアローっ! ダブルストレイフィングっ!!」

そして、そのまま、もう2回ほど、ダブルストレイフィングを叩きこむと、魔物が崩れ落ちた。
それは、あっという間の出来事で、信じられないような気持ちで呆然としていたのは、ほんの数秒。
すぐに、はっと我に返ると、慌てて姉さんに声をかける。

「お姉ちゃんっ、お姉ちゃん!! 大丈夫っ?! ねぇ、お姉ちゃんっっ」

ただただ必死に声をかけ、姉さんの顔を覗き込む。
と、きつく眉を寄せ、硬く閉じられていた瞳が、ふっと開く。

「……カルちゃん、……無事?」

そっと、囁くようにか細い声で問いかける姉さんに、私はこくこくと頷いた。

「チャージアロー!!」

その声と共に、さらに魔物が弾き飛ばされる。
振り向けば、そこに立っていたのは、金色の髪の、姉さんよりもいくつか年上のハンターだった。
攻撃を受けたことで、攻撃対象が姉さんから、金髪のハンターさんへ変わったらしく、魔物は、一直線にそちらへと向かっていく。それに動じることなくハンターさんは、素早く3本の矢をつがえる。

「チャージアローっ! ダブルストレイフィングっ!!」

そして、そのまま、もう2回ほど、ダブルストレイフィングを叩きこむと、魔物が崩れ落ちた。
それは、あっという間の出来事で、信じられないような気持ちで呆然としていたのは、ほんの数秒。
すぐに、はっと我に返ると、慌てて姉さんに声をかける。

「お姉ちゃんっ、お姉ちゃん!! 大丈夫っ?! ねぇ、お姉ちゃんっっ」

ただただ必死に声をかけ、姉さんの顔を覗き込む。
と、きつく眉を寄せ、硬く閉じられていた瞳が、ふっと開く。

「……カルちゃん、……無事?」

そっと、囁くようにか細い声で問いかける姉さんに、私はこくこくと頷いた。

「大丈夫っ。ハンターさんが、魔物、倒してくれたし、お姉ちゃん、まもっ――」

ハンターさんがこちらへと駆けてくるのを視界の端で認識しながら、なんとか口を動かしてると、姉さんはほっと息を吐いた。

「……そっ、か……」

そして、ふわりと、浮かべたのは心の底からほっとした、というのがありありと分かるような、優しく、どこか儚い微笑。

「よかっ……た……」

痛みも何も、全て忘れたかのような微笑を浮かべ、小さな吐息をもらした。
次の瞬間。ふらり、と姉さんの体が傾ぎ、私へと倒れ掛かった。
突然の事で、姉さん諸共倒れそうになった私だったが、咄嗟に後ろ手をついてそれを防ぐ。恐る恐る、声を、かけた。

「お、姉……ちゃん?」

返事はない。
先程とは違う、力なく閉じられた瞳に、青ざめた顔。まだ止まる事のなく広がっていく赤に、ざわりと背筋が泡立った。刹那、せわしない足音に気づく。

「大丈――っ!!」

駆け寄ってきたハンターさんが、間近で姉さんを見、一瞬息を飲み立ち竦む。
が、すぐに姉さんの傍らに膝をついた。

「そっちの子は無事ねっ?!」

慌ただしく自身の荷を漁りながら、叩きつけるように発せられた問いに私はぎこちなく頷いた。

「わ、私は……っ、でもっ、お姉ちゃんがっ!!」

どうにか開いた口から出てきたのは、まるで、泣き出す寸前のような震えた声。
……いや、事実、その時私は、今にも泣きだしそうな表情をしていたのだろう。

「分かってるっ! 今、人を呼んだからっ」

見た事のない緑の葉を取り出しながら、そういうハンターさんの様子。握った姉さんの、嫌に冷たく感じられるぬるりと濡れた手。鉄くさい、血の嫌な臭い。それらが不安を掻き立て、きゅうっと心臓が凍りついたかのような感覚に襲われる。

「そのまま、その子支えててね!」
「え?」

不意に至近距離から響く声。顔を上げると、ハンターさんは姉さんの顔を上げさせ、何かを飲ませていた。

「お願いだから、ダルシャが来るまで、頑張って」

姉さんに何かを飲ませ小さく息を吐いてから、祈るようにそう囁くと、ハンターさんは、私から姉さんを抱き留める。
そして、姉さんをうつ伏せに寝かせ、テキパキと服を裂いて患部を露わにさせる。と、再び、その傷の状態にか、小さく息を飲んだ。

「あーもうっ、さっき、あんなのに出くわさなきゃ、回復薬もあったのにっ」

舌打ちをし、そんな事を零しながら、止血を試みるハンターさんの様子を、私は、ただ、見ていることしかできなかった。
怖かった。このまま、姉さんが……いなくなってしまうような気がして、とても、怖くて、でも、何もできなくて、動けなかった。
その時だった。

「リナ!」

低い声が響き、顔を上げると、薄紫色の髪のモンクが駆けてくるのが目に入った。

「遅いっ!! 何してたのよっ! こんな時にっっ」

振り向き様に怒鳴るハンターさんに、モンクさんは眉を寄せる。

「そうは言うが、これでも、テレポと速度使って急いだんだぞ。――それより、どけ」

そう反論してから、2人は立ち位置を入れ替える。
姉さんの傍らに膝をついたモンクさんは、傷を見、舌打ちと共に、酷いな、と小さく呟いた。続けて紡がれるのは、ヒール。
ふわりと温かく柔らかな光が姉さんを包み、すぅっと背の、肩の傷が塞がっていく。もう1度、癒しの光が姉さんを包むと、背の傷はうっすらと線を残すのみとなったが、肩の傷は大分深いものだったらしい。出血は止まったものの、未だどうにか傷口が塞がっただけという状態で、痛々しい様を見せていた。モンクさんは、そこで、一旦ヒールを止め、姉さんを診ていたが、微かに眉を顰め、ここまでだな、と漏らす。
その声に、ハンターさんが、弾かれたように顔を上げた。

「ちょっとっ!! まだ怪我、治りきってないじゃないっ! こんな状態で放り出したら――」
「――傷跡は残るだろうな。……けどな、リナ、この子にイグ葉使っただろ? その上、この子はまだ体が完成していない子供だ。まだ、魔法による悪影響、後遺症を残しやすい。これが限度だ。ヒールで傷を治しても悪影響が出ないギリギリなんだよ」

これは、後々知った知識だが、ヒールによる治癒は、魔法によって傷周辺の細胞を活性化させ、自然治癒力を一時的に引き上げた結果である。魔法が働きかけたとはいえ、傷を治したのは自身の体なので、本人が知覚できないだけで、体力はそれなりに消耗されている。そして、治癒力を大幅に引き上げるという、体にとって不自然な事をしているため、多用すると、元々の自然治癒力が衰える危険性がある。モンクさんはこれを懸念していたのだ。そのため、ヒールは、死にかけた――傷を治す体力が既に無い――人は回復できない。
その場合は、命が尽きる前に、リザレクションかイグドラシルの葉を、使用し、命を繋ぎ止めると共に、最低でもヒールが使える程度の体力の回復をさせるらしい。
リザレクションを極めたプリ―ストの場合は、リザレクションだけで、大体の傷を回復させる事が出来るらしいのだが。

「……悪影響?」

不穏な単語に思わず声を漏らせば、モンクさんとハンターさんが揃ってこちらを見る。
不安なのが顔にも出ていたのだろう。私を見て、モンクさんは安心させるように、ふっと表情を緩めると、私に視線を合わせ、ぽんぽんと軽く頭を叩いた。

「大丈夫だ。もう、この子の命に別状はないから。……ただ、今すぐ無理矢理全部傷を治すと、この子の体に負担がかかりすぎるんだ、だから、後は、ゆっくり治していった方がいい、ってことをそこのお姉さんに説明してただけだ」

モンクさんは、そういって意識を失ったままの姉さんを傷に障らないよう慎重に抱き上げると、再び私を見る。

「さて、と。悪いんだけど、君の、もしくはこの子の家に案内してくれるか? 傷は塞いだけど、さっき言った通り、完全に治したわけじゃないし、このまま、この子をここに置いとく訳にはいかないからな」
「あ、はいっ」

その言葉に大きく頷いて、慌てて立ち上がると、私は家へと急い――

「カルちゃん?」

不意に響いた声に、はっと顔を上げる。
目の前にいたのは私服の姉さん。

「……どうかした?」

小首を傾げ、どこか心配そうな色を瞳に乗せて問いかける姉さんに、私は笑って首を振る。

「んーん、何でもない」
「そう……?」
「まぁ、ここ数日、あっちこっち行ってた訳だし、ちょっと疲れた、っていうのはあるかもしれないけどねー」

椅子に腰を下ろしながら、少し苦笑してそう言ってみせれば、納得したらしい。そっか、と声を漏らして、姉さんも向かいの席に座る。

「遠くに行くのはいいけど、危ない事とか、無茶しちゃ、ダメだからね」
「分かってるって。っていうか、むしろそれ、私が姉さんに言いたいんだけど。特に無茶」

ティーポットに手を伸ばしながらそう言えば、姉さんは、淡い青色のカップを手に取る。

「えー? 無茶なんてしてないよ?」

小首を傾げ、軽く持ち上げられたティーカップに紅茶を注ぐと、そっとポットを下ろし、私は、溜息をついてみせた。

「この前、我が身顧みないて、テロの鎮圧に参加した姉さんのセリフじゃないわね」
「むぅ。でも、カルちゃんだって参加してたじゃない」
「私はあの後、狩り禁止令くらわなかったし。無茶してたのは姉さんでしょ」
「う~……そんな前の事、引っ張り出さなくったって……」

困ったように眉を下げ、ちびちび紅茶を飲む姉さんに、私は1つため息をつく。

「だって姉さん、反省してないでしょ」
「えー? 一応してるよ? ……まぁ、またあったら、同じことをするけど」
「それは反省してるって言わない」

後半、小声で付け足された言葉に、思わず、ぴしゃりと返すと、姉さんは何も言わずに、ただ、苦笑した。
それは、あの時の、優しく、どこか儚い微笑によく似ていて、その表情に思わず口を閉じる。ふっと、会話が途切れ、流れる沈黙。
1つ息を吸い、ゆっくりと、問いかけた。

「……姉さん。……まだ、約束、守ってるの?」

その言葉に、姉さんはぱちくりと目を瞬かせる。

「約束?」
「うん。約束」

意外なことを聞いた、と言うような表情を見せる姉さんに、そう答えれば、姉さんの深い蒼の瞳がゆるく細められ、頬がふわりと緩んだ。

「よく、覚えてるねぇ……話したの、ずっとずっと前なのに」
「――忘れられる訳、ないでしょ」

小さな吐息と共に呟く。

それは、モンクさん達と家に戻ってきた後の事。
大怪我をして、帰ってきた姉さんに、当然のことながら、驚き、心配するプレを宥めて、一足先に戻るというハンターさんを見送った、その後の事。

私は、姉さんの様子を見に、部屋へと向かった。姉さんには、怪我を治してくれたモンクさんがついていてくれて、姉さんの意識が戻ったら、呼んでくれると言われてたが、私は、それをただ待ってる事が出来なかったのだ。
そろそろと、姉さんの部屋に向かって……その扉に手を伸ばそうとしたとき、声が、聞こえた。

「――んだろう?」
「そっかぁ……よかった……本当に、良かった……」

聞こえてきたのは、姉さんの声。
目が覚めたんだ。そう思って、酷く安堵した。その思いのまま、扉を開けようとした手は、次に聞こえていた言葉で、凍りついた。

「けど、もう、こんな無茶はするなよ? 今回は、本当に、奇跡的って言ってもいいくらい、運が良かったんだ。もう少し、その肩の傷が深ければ、左腕は使い物にならなくなっていた。もし、あと少しでも、リナの助けが遅れていれば、首を掻き切られていた。そして、もう少し、手当てが遅れていたら、君は、出血多量で死んでいた。そんなギリギリの状況だったんだ」
「……そっか」
「怖がらせるようなことを言ってすまない。けれど、それは事実だ」

部屋からは、まだ会話が続いていたが、それが私の耳に入ってくることはなかった。
モンクさんの言葉が、頭の中でぐるぐる回る。……もし、あの時、助けが入らなければ、姉さんが――きっと私も――助からなかったかもしれない。確かに、それは感じた。けれど、それを他人の口から、事実として改めて聞かされて、背筋が凍った。まざまざと蘇るのは、真っ赤に染まった破れた商人服。青褪めた顔、力無く閉じられた瞳。それを目にし、感じた恐怖。……そう、実際に魔物に襲われた時よりも、姉さんに庇ってもらった時よりも、ずっとずっと、ハンターさんやモンクさんが姉さんの手当てをしてる時の方が、怖かった。
不意に、扉が開き、びくっと体が跳ねた。それと同時に、部屋から出てきたモンクさんと目が合う。軽く目を見開いて、少し驚いたような顔をするモンクさんに、何故か、頭が真っ白になって、でも、口は勝手に、言葉を紡いでいた。

「あ、あのっ、お姉ちゃん、目、覚め、た……?」

パニクった頭では、何で分かっていることを聞いているんだと疑問に思った自分の言葉だったが、それを聞いて、どこかほっとした表情を見せたモンクさんを見て、気づく。
私は、目の前のこの人に、そして、姉さんに、今のを聞いてた事を知られたくないと感じていた事を。

「あぁ、もう起きているよ。俺はもう戻るから、あの子にも言ったたが、お大事にな。あと、ちゃんと医者に診てもらうんだ」
「うん」

モンクさんの言葉に、大きく頷いて、私はモンクさんと入れ違いに部屋へと入る。
本当は、モンクさんの見送りをするべきだったのだろうが、それよりも、姉さんが心配だったのだ。

「お姉ちゃんっ!」

部屋へ飛び込むように入ると、寝台の上で、上半身を起こした姉さんの姿が目に入った。

「あ、カルちゃん」

飛び込んできた私を見、姉さんはそう声を上げた後、ほっとしたように笑った。

「よかったぁ。ケガ、ない?」

私、途中から何も覚えてなくって、だから心配だったんだ、と、完全に自分の事などお構いなしで、そんな事を聞いてくる姉さんに、私は思わず絶句する。

「……カルちゃん?」

そんな私を見て、表情を心配そうなものに変え、大丈夫? やっぱりどこかケガとかしたの?と問いかけてくる姉さんに、私は姉さんの傍へと駆け寄った。

「それはこっちのセリフだよっ!! お姉ちゃんっ、ケガっ、すっごくひどかったんだからねっっ!!」

私の剣幕に、姉さんは驚いたように目を瞬かせた後、笑みを見せる。

「私なら、大丈夫だよ。カルちゃん」

そう言って、私の頭を撫でようと伸ばす姉さんの手を、私は反射的に払っていた。

「ウソっ!!」

キッと姉さんを睨み付け、私は叫ぶように言葉を叩きつける。

「うそうそうそっ!!! だって、お姉ちゃん、いっぱいいっぱい、血、出ててっ、服、まっかで……っ! 呼んでも、……返事してくれなくて……っ!! ~~~~っっ、ご、ごめんなさい~~~っっ」

あの時の光景を口にすればする程、鮮明にその光景を思い出してしまい、ぼろぼろと涙がこぼれる。そして同時に口から出たのは――謝罪。

「か、カルちゃんっ?! 大丈夫、私は大丈夫だからっ、ね、泣かないで、ねっ」

泣き出してしまった私に、姉さんが慌てた声を上げたが、私はそれに答える事は出来ず、ぶんぶんと首を横に振る。

「だって……だって……っっ、わたっ、わたし、ちゃ……と、お姉ちゃん、言う、とーりっ……っ、か、帰って、たら……っっ」

ずっと思ってた。
姉さんがあんな怪我をしたのは、私のせいだと。もし、私が、大人しく、まっすぐ帰っていれば、こんな事は、起こらなかったと。
ごめんなさいと謝りながら泣く私の頭に、不意に、ぽふりと手が置かれた。
ぽん、ぽん、と落ち着かせるように、軽く叩くその手は温かく、段々と私に、落ち着きを取り戻させてくれるようだった。
しばらくして、私が泣き止むと、柔らかな声が問いかける。

「……落ち着いた?」

私がこくりと頷くと、姉さんが私から手を離し、あのね、と口を開く。

「カルちゃんは気にしなくていいんだよ。あんな所に、あんなのがいるなんて、普通思わないもん。もし、危ないって分かってたら、私、絶対、カルちゃんの事、止めてたよ。だから、気にしないで。……心配、かけてごめんね」

穏やかな声色で紡がれるその言葉に、私は、そろりと顔を上げる。
顔を上げた私に、姉さんはほっとしたような笑みを浮かべ、それにね、と言葉を続けた。

「私、カルちゃんが、無事で、本当に良かった、って思ってるんだよ? ……守れて、カルちゃんと約束、守れて良かった、って」
「……やくそく?」

引っかかった単語を思わず口にすれば、姉さんは優しい笑みをどこか悲しげな苦笑に変えて頷いた。

「うん、約束。……あの時、お父さんとね、約束したの」

その言葉に、思わず私は目を見開いた。そして、思い出す。
あの夜、1度姉さんが1人、私たちと分かれて、集落に戻っていた事を。

「……お姉ちゃん、……約束って?」

私や、プレが知らない父さんの言葉。一体何だろう、そう思って問いかけると、姉さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……お父さんとお母さんがいない間、私が代わりにカルちゃんとプレちゃんを守る、って、そう、約束したの」

そう言って、姉さんはにこりと微笑う。

「だからね、何回も言うけど、守れて良かったって、カルちゃんが無事でよかったって、ホントにそう思ったんだ」

そう口にして浮かべた微笑は、あの時と同じ、とても優しくて、けれど、どこか儚く見える微笑。
それを見て、すぅ……っと、体の芯が冷たくなったような気がした。
分かってしまったから、本当に姉さんが大けがを負ったことなど――たとえそれが、一歩間違えば命を落としていた程のものだとしても!――気にしていない事が。本当に、私が無事だったことに安堵し、喜んでいる事が。……予感がした。

――このままじゃ、姉さんは、いつか、私達のために、いなくなってしまう……っ

(……だから、私は強くなることを望んだんだけど)

守られるままじゃ、いつか失うと直感したから。
自分も守れるように、姉さんが、無茶をしなくていいように、強くなりたいと思ったから。そんな事を思い返し、心の中でそう呟くと、私は紅茶を飲み、姉さんの返答を待つ。

「ん~、そうだなぁ……守ってると言えば守ってるし、守ってないと言えば守ってない、かな?」
「何よそれ」

姉さんから帰ってきたのは、そんなあやふやな返事。思わず、突っ込めば、姉さんは口元に指を当てる。

「んー……昔はね、やっぱり、頭で分かってても……心のどこかで思ってたんだ。私が、ちゃんと約束守っていれば、お父さんたちも約束守って、いつか、帰って来てくれる、って」
「……姉さん」
「ちゃんと、分かってはいたんだけどね。グレイシアさんから、話、聞いてたし。……でも、やっぱり……どこか、信じられなかったんだよ。……お父さんもひどいよね。私がちゃんと、約束守ったら、迎えに来てくれる、って……そう約束したのに、約束、破っちゃうんだもん」

悲しげな苦笑を漏らしてから、姉さんは言葉を続ける。

「だからね、約束は、もう破られて、なくなっちゃってるんだよ。……でもね? ……だからこそ、私は、もう、誰にもいなくなってほしくないの。私の今を作る人、誰1人、欠けて欲しくない。だから、それを守るためだったら、私は何でもするよ」

そう言って、ふわりと笑った姉さんに、思わず息を詰めるが、それを誤魔化すかのように、わざとらしく溜息をついた。

「だからって、無茶はやめてよね、無茶は。私の寿命縮める気?」

いつもの調子でそう言えば、姉さんは軽く頬を膨らませる。

「むぅ。だから、そんなに無茶なんてしてないのにー」
「はいはい。……ところでさ、今日って夕飯、何にするの?」

姉さんの言葉を受け流して、そう話題を変えれば、姉さんはぱちくりと目を瞬かせる。

「今日? んー、そうだなぁ。何か食べたいの、ある?」
「んー、パスタかなぁ。スープかクリームソースの」

そう言ってみれば、何か思いついたらしい、小さく声を上げると、姉さんはこちらを見て、首を傾げた。

「じゃ、鳥とキノコのクリームスパゲッティ、とかどう?」
「あ、いいなー。それ」
「じゃあ、それで決定っ。……あ、そういえば、カルちゃんが買って来てくれたケーキって、ばら? ホール?」
「悩んだんだけど、ちょっと綺麗なのがあって、小さめのホールにしちゃったけど……何で?」
「プレちゃんって、シィちゃんとクルちゃんと狩り行ったんでしょ? だから、聞いてみようかな、って」

目的語が抜けた言葉ではあったが、姉さんが考えてる事は容易に予想が出来、私は、思わず苦笑する。

「じゃあ、丁度良かったかもね。別にいいわよ? あ、でも、あの2人って親とかいないの?」
「あ、そっか。帰り待ってる人がいるなら、夕ご飯、誘えないよね。それも含めてプレちゃんに聞いてみる」

そう言って、片耳に手を当て、プレへ耳打ちを送る姉さんに聞こえないように、私は小さく呟いた。

「……無茶なんて、してない、か……」

それは、先程聞き流す振りをした言葉。

「……本当に、姉さんはそう思ってるのよねー。性質の悪い事に」

姉さんの無茶の殆どは、姉さん自身は、無茶と自覚していない。
それを分かっているからこそ、口を出すのは、止められない。

「むしろ、姉さんが無茶って自覚するような無茶なんて、考えたくないわね。そう思ったとしても、姉さんなら、迷わずやりそうだから、余計に……」

そう小声で呟いて、溜息をつくのと、耳打ちを終わらせたのだろう。姉さんが顔を上げたのは同時だった。

「……カルちゃん? どうしたの、溜息ついて」
「何でもないわよ。で、どうだったの?」
「ん? シィちゃんも、クルちゃんも、ご飯、食べるって」

にこり、と笑って言う姉さんに、じゃあ、今日は5人分かー、と呟くと、姉さんはこくりと頷いた。

「うん、だから私、お買い物行って来るね? 疲れてるんだったら、カルちゃんは休んでて」

少し心配そうに、眉を下げる姉さんに、私は笑って手を振る。

「大丈夫だって。私も行くよ。手伝いはあった方がいいでしょ? プレいないし」

留守番してるのも退屈だし、と付け足せば、姉さんはじっと私の顔を見てから、分かった、と頷いた。

「じゃあ、お手伝いしてもらおうかな。夕ご飯作るときも」

悪戯っぽい笑みを零し、そう口にする姉さんに、思わず、げっと声が漏れる。

「滅多に、その手の事しない私に言うっ?!」
「滅多にしないから言ってるんじゃない。たまには一緒に作ろ? 覚えて損はないんだし」

立ち上がり、にこりと笑って、ね?、と、私の手を取る姉さんに、思わずつられて笑みが浮かぶ。

「しょうがないなぁ。手伝うって言っちゃったし、今日はやってみるかー。……ま、とりあえず、買い物からね。何買うの?」
「んっとねー、パスタと牛乳が切れてたはずなの。あとは――」

そんな事を話しながら、私は席を立ったのだった。

fin

あとがき
お、終わったぁ……っorz
ずっと更新停止しててすいませんでしたっ!!
これ書き始めたのって、たしか、まだ日常の崩壊は突然に、の執筆が終わってない頃なんですよねー……普通に年単位で時間が経過してそうだー(汗
……にしても、長い。一体何回前後編にしてしまおうかと悩んだか……っ! まぁ、結局、こうやって1話にしたけど……うん、やっぱり長かった。
でも、初期の頃から書こうと決めてた話なので、書ききれてほっとしてたり。……これ、半分というか、元ネタは実話なんですよねー。私がRO初心者の頃はBOTが横行してた時代で、プロ東に出没してたBOTのせいで、プロ東が危険地帯になってたんですよ。いっろいろ、いましたからねー。ラーヴァゴーレムとか、深淵様とか、レイスとか、Jrとか……えぇ、実際にいたんですJr。あれ見た時は、「な、なんかやな予感がす……って、何コレ何コレ足速いーーーっっ!!??」って感じでした。ついでに当然なむりました。あの時の事は、今でも印象的です(笑
……実はこの話、あと2つくらいの話とリンクする予定だったり。1つは、回想でルキナとカルロを助けてくれた方々視点の話。ある意味裏話? そして、もう1つは、プレナsideの話で、シアン、クルト、プレナの狩り話的なナニカ。最後がああいう締め方なのは、それの布石です。……とはいえ、他にも大っ量にネタは溜まってるので、書き切れるのはいつになるやら……(遠い目
だからこそ、ここで、ぼそぼそっと話してたりもするんですが(マテ
まぁ、何はともあれ、長いあとがきに付き合ってくださり、ありがとうございましたっ!


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