「んー……」

目の前で、ちゃぷんと赤い液体が揺れる。
試験管の中にあるそれを見つめるのは、紫がかった青い髪に、深い蒼の瞳の少女だ。しばし、難しい顔で試験管とにらみ合いをしていた少女、ルキナは、不意に肩を落とす。

「だめ、分かんない……」

ぽつり、と漏れた声は力なく、眉もこれ以上無い程に下がっている。
しょんぼり、という表現がぴったりな様子を見せたルキナは、手にした試験管を元の場所へ戻すと、机に広がる紙の中から1枚、手に取った。
それには、数式や構成、付与式、図形に専門用語などで埋め尽くされており、専門外の人間が見れば、首を傾げるしか無いような代物だ。それをルキナは難しい顔で目を通す。
時折、他の紙と見比べ、本で何かを確認しながら、しばし、そうしていたが、再び漏れるのは、小さなうめき声。

「うー……たぶん、これで合ってる、とは思う……けど。これで、ホントにちゃんと大丈夫なのかなぁ……」

ため息と共に、自信なさげな言葉がこぼれた。
製薬にも慣れ、大抵のものであれば、レシピ通りに作れるようになった。そのため、そろそろ次の段階である、自己流のアレンジを加えたものをと思ったのだ。
そうして、自分なりに理論を組み上げ……その成果が目の前に散乱した紙達と、赤い液体。レッドスリムポーションである。

「赤ハーブをポーションにする時に手を加えて、サボ針を変化反応しやすくして……うー、実際、それ使ってこれ作ったら、規定のレシピより反応が早かった……と思うんだけど……うーん。理論上は前よりも怪我の治癒力が上がってるはず…………では、あるんだけど……」

ちらり、と再びルキナの視線が試験管へと向かう。

「飲んでも……大丈夫かなぁ」

呟かれた言葉は、非常に不安げなものであった。

ポーションやスリムポーション。これらは魔法薬と呼ばれる品々である。
魔法薬とは、薬品に術式を組み込む事で、薬品の効果を大きく引き上げたり、別の効果を付与した薬品を指す。

その最大の特徴は、一部例外を除いて、誰にでも扱う事が出来ること。
そして、術式の恩赦を受けられる事だろう。

魔法と違い、魔法薬はその薬品が使用されるまで、薬品に組み込まれた術式、正確に言うのであれば、付与式が保たれたままであるからだ。

既に発動した術式を維持するのならばともかく、未発動の、不安定とも言える術式を長期間保ち続けるのは魔術師でも至難の業である。
にも関わらず、それを可能としているのは、魔法薬特有の調合法だ。

魔力を含む薬草やアイテムを原料とし、調合の過程で付与式を構築する。
その際、特筆すべきは付与式を構成する魔力は、制作者の魔力ではなく、原料が持つ魔力という点である。

原料が持つ魔力を操作し、付与式を組んでいるからこそ、魔法薬は制作者の手を離れても、未発動の――本来ならば非常に不安定な――術式を維持し、条件を満たすと自動的にその効果を発動させるのだ。
しかし本来、他者の魔力を操作する事は不可能である。
にも関わらず、なぜ原料の含有魔力で付与式を構築する事が可能であるのか。

その答えは、一言で言えば、反発である。

人の魔力は他者の魔力と反発しやすい。
それを逆に利用し、微量の魔力を流し、故意に小さな反発を起こす事で含有魔力を操作し、付与式を構築するのだ。
磁石に例えるのが、最もイメージしやすいだろう。
複数の磁石があるとする。そこに、同極側の磁石を近づければ、近づけられた方の磁石は反発し、逃げるように動く。イメージとしては、これが1番近い例と言える。

「……はぁ」

しばらくの間、試験管と睨み合いを続けていたルキナだったが、不意に大きくため息をつくと、ゆるく頭を振って歩き出した。

「うにゅー……」
「……大丈夫? 姉さん」

ふらり、と自室から出て来たと思えば、テーブルに突っ伏し、謎の鳴き声をあげた姉に、カルロは気遣わしげな視線を送る。

「うー、なんとかー」

ぐったりとしたまま、そう声を上げるルキナに1つ息を吐いて、カルロはティーポットにお湯を注ぐとカップを手にテーブルへと歩み寄った。

「……とりあえず、お茶でも飲んだら?」
「……うん」

お茶を差し出し、そう言えば、ルキナは、体を起こし、ちびちびと飲みだす。

「煮詰まってるわねー」

カルロも席につき、お茶を口にしてからそう言えば、ルキナはこくりと頷いた。

「ん。……やっぱり、1回自分で使って――」
「却下」

言い切る前に、すっぱりと切り返され、ルキナはしゅんと肩を落とす。
それにカルロは呆れたようにため息をついた。

「全く。最初に私がそれを言った時、その危険性を力説した張本人が何を言ってるの。そんな危ない事、止めるに決まってるでしょ」
「でも、カルちゃんじゃなくて、私が試すんだし……」
「尚更却下」
「うー……」

ぴしゃりと言われ、ルキナは小さく呻く。
数日前、今と同様に頭を抱えていた彼女に、軽い気持ちでカルロが言ったのだ。自分が試しに使ってみようかと。
その提案に対し、慌ててその危険性を訥々と説明し、却下したのがルキナ自身なため、カルロの言い分はもっともである。

ここで少々、ルキナが言っていた危険性について述べておこう。

先程、魔法薬は薬品に付与式を組み込む事で薬品の効果を大きく引き上げたり、別の効果を付与した薬品を指すと述べた。
これは、組み込んだ付与式そのものがその効果を発揮するタイプと、付与式によって、本来の原料が持つ成分を変化させて効果を発揮させるタイプがある。

前者は、体力の回復という本来の効果に怪我の治癒という魔術的効果を付与した赤・黄・白ポーションや、魔力の回復する青ハーブの効力を引き上げた青ポーションなどが。
後者は、毒キノコの胞子と植物の茎の持つ成分をアンコールへと変化させる手法(どのような理論かは、説明すると長くなるため割愛する)などが例として挙げられる。
そして、スリムポーションは、この2つのタイプ両方を利用して作られる薬品である。

その一例として、今回のレッドスリムポーションでは、何が起きているか述べてみよう。

まず、付与式によって、サボテンの針に含まれる毒性成分を無害な成分へ変化させる。
すると変化させた成分が、赤ポーション(正確には赤ハーブ)の成分と化学反応を起こし、体力回復の効果を更に上げるものへと変化する。
そして、この化学反応が発生する際に、一定量の魔力が放出される。
その魔力を利用し、赤ポーションの付与式を強化するのだ。

このように、科学反応、成分変化付与、術式付与が複雑に絡み合っているため、理論や付与式に誤りが生じていた場合、どのような変化が起きているのか、予測するのが非常に困難なのである。

今回、ルキナが組み立てたレシピでは、通常よりも少し多くサボテンの針を使う。
理論が正しければ問題ないが、もし誤りがあれば、毒性が残るどころか、強化されていたとしても何ら不思議は無いのである。
そんな話を聞かされたカルロが、試飲を許可するはずがなかった。

「でも、ホントにどうしたら大丈夫って証明出来るか思いつかないんだもん……」
「……ホントに煮詰まってるわねー」

眉を下げるルキナにカルロはそう小さく呟いてから、あ、と声を上げ、軽く手を叩いた。

「じゃあ姉さん。ちょっとそれ置いておいて、普通の家庭薬の方、やってみたら? 気分転換に……」

笑って言葉を紡ぐカルロだったが、思わず途中で口を閉じる。ルキナの周りの空気が更にどんよりとしたためだ。

「……姉さん?」
「……それ、は、私も思ったの。……何か、参考っていうか、ひらめく切っ掛けになるかも、って……でも、何からやればいいのか……」

えうー、と声を漏らし、再びルキナはテーブルに突っ伏す。

「……お父さん、本気で尊敬する……」
「あー、そういえば、グレイシアさん。お父さん、医者の勉強、完全に独学でしてたって言ってたっけ……」
「うん。だから、狩りあんま行かなくて、いつもお母さんが引っ張っていった、って」

以前グレイシアが語ってくれた両親の思い出話を口にして小さく笑う。それにカルロも微笑し、息をついた。

「お父さんとお母さんが冒険者してるとこなんて正直想像できないけどねー。まぁ、それじゃあ姉さん」
「ん?」
「ここでぐでっとしててもあれでしょ? だったら、露店巡りでもして来たら? 閃きはないかもだけど、気分転換にはなるんじゃない?」

そう提案すれば、ルキナは、んー、とも、うー、ともつかない声でしばし呻いた後、のそりと体を起こした。

「…………そう、だね。うん。じゃあ、ちょっと行ってみる」

ふわりと暖かな風が頬を撫でる。
何も考えず、歩いていれば、聞こえてきたのは水の音。顔を上げれば、陽の光を受け、キラキラと輝きつつ流れ落ちる噴水が目に入った。

どうやら、無意識に露店の定位置へと向かっていたらしい。
その事に思わず苦笑する。
くるりと周りを見回した。春であることを精一杯主張する柔らかな緑の木の葉に淡い水色の空。
落ち着いた色合いの街並みに石畳。露店の数はぱらぱらと疎らであるが、いつも通りと言っていい数だ。

何となく、噴水に歩み寄り、その縁に腰を下ろす。
南の方へと視線を向ければ、遠くに行くにつれ多くなる露店達があった。これから自分が行くべき所だ。
しかし、妹に勧められて出てきたはいいものの、特に目的もないし、欲しいと思うものもない。
元々、自分の物を買うよりも、妹たちの物を買う方が好きな性分だ。
何か、欲しいものないか聞いてくれば良かったなぁ、と思う。

とりあえず、見回れば、気になるものがあるかもしれないとか、そういえば、そろそろ仕入れもしなくちゃとか、仕入れするならいつものもの以外に何か品物の種類増やしてみようかなとか、それなら、サソリの尻尾辺りがいいかも等々……完全に仕入れ計画になっているが、本人にとっては取り留めのない思考はつらつらと続き、サソリの尻尾を落とすスコーピオンの生息域、モロク方面、ムカーの生息域、サボテンの針へと流れていく。
となれば、当然のように連想されたのは、先ほどの製薬で、再度始まるのはぐるぐるとした思考だ。
しばし、難しい顔をしていたが、不意にはっとしたように頭を振った。

「気分転換、気分転換っ。それは帰ってから考えるべきっ」

自分に言い聞かせるように小さくそう口にして顔を上げる。
と、ぱちり、と目が合った。

「あ」

小さく声が零れる。
そこにいたのは1人の青年。茶色の髪にX字ヘアピン。アルケミストである事を示す制服を身に纏うその姿はルキナの見知ったものだ。

「先輩……」

思わずそう口にすれば、アルケミスト、藍磁はふっと微笑し、ルキナの方へと歩み寄った。

「久しぶり」
「あ、こんにちわ。お久しぶりですっ」

紡がれた挨拶に、慌てて立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。そして、顔を上げると、小首を傾げた。

「先輩は、お買い物ですか?」

その問いに、藍磁は軽く頬を掻き、まぁ、そんなとこ、と口にする。次いでルキナに若干心配そうな目を向けた。

「そっちはどうしたんだ? 何か元気がないようだったけど……大丈夫か?」

藍磁の言葉にルキナはパタパタと手を振る。

「大丈夫です。何でもないので、気にしないでくださいっ」

そう言ったルキナの額に手が伸びた。
ぴたり、と額に手を当てられ、思わずルキナは目を瞬かせる。数秒の間を空け、手を離すと、藍磁は微かにほっとしたような表情を浮かべた。

「また熱があるとかいう訳じゃないみたいだな」

その言葉で、はたと前回会ったときの事を思い出し、同時に、また具合が悪いのかと心配されていた事に気付いて、わたわたと慌ててしまう。

「あっ。だっ、大丈夫ですっ。元気ですっ。ホントにちょっと考え事をしてただけなのでっ! あ、あと、あの時、お薬、ありがとうございました」

もう1度ぺこんと頭を下げたルキナに、藍磁は柔らかく笑う。

「どういたしまして。……あの後、大丈夫だったか?」
「はいっ! 先輩が作ってくれた薬、よく効いたみたいで……」

思わず、途中で口が止まる。脳裏を過るのは初めて会った時の事。

試薬を入れるための試験管を買っていて、もう、自分の研究をしている事に、試薬を作っている事にすごいなと思った。

そして、2度目に会った時の事。

目の前で薬を調合してくれた、その様子。

自然と、思った。

――この人に、教えを請うのは、どうだろう?

「……ルキナ?」

訝しげな様子でかけられた声にはっと我に返る。
自然と俯いてしまっていたらしい顔を上げ、また頭を下げた。

「ご、ごめんなさい。ちょっと、その、考え事、というかなんていうかに、気を取られちゃって……」

そう謝るルキナに、いや、別にいいけど……と藍磁が口にしたその時、声が響いた。

「もう、こんな所にいたのね」

反射的にそちらへ視線を向ければ、こちらへと歩いてくる1人の女性が目に入った。
肩下まで伸ばした水色の髪に、青磁色の瞳。身に纏っているのは、プリーストである事を示す衣服だ。

「選び終わって振り返ったらいないんだもの。どこに行ったかと思ったわ」
「悪い悪い。もう少しかかるかと思ったんだ。……で、買ったのか?」
「えぇ――」

軽く怒ってみせる女性に、藍磁は頬を掻く。
そして、交わされる会話は気安いもので、漏れ聞こえてくるそれから、元々2人で買い物に来ていた事が伺えた。

(……お邪魔、かな)

その光景に、自然と浮かぶのはそんな言葉。
なら、お邪魔するのは悪い、と思い、2人に気付かれないように離れるべく、そろり、と後退ろうとしたその時だ。
ぱちり、と女性と目が合い、後ろに踏み出しかけた足が止まる。

「それで、この娘はお知り合い?」

微笑し、そう問いかける女性に藍磁は苦笑し、1つ頷く。

「うん、ケミギルドの後輩……つったらいいのかな」

そう言った藍磁に、ルキナは、ほぼ反射的にぴょこりと頭を下げた。

「ルキナ、って言います」
「そう。私はアデル。よろしくね」

優しく笑う女性、アデルに、ルキナは、こちらこそよろしくお願いします、ともう1度頭を下げた。
その様子に、アデルは笑みを深め、そして藍磁の方を向く。

「じゃ、私はここで失礼されてもらった方がよさそう?」

小首を傾げ、そう言ったアデルに藍磁は目を瞬かせる。

「へ? 何で?」

その言葉に、アデルは、藍磁からルキナへと視線を移す。

「その娘、何か貴方にお話がありそう。……違うかしら?」

問いかけてはいるが、その響きには確信的な色が含まれていて、ルキナは、思わずわたわたと視線を彷徨わせてしまう。

「あ、……えと、その……」

脳裏を過るのは先程の想い。
けれど、用事の途中なのであれば、その邪魔などしたくないし、そもそも、これは、言っていいか分からないものだ。
先輩を困らせるだけかも、と後ろ向きな考えが何でも無いという言葉を紡がせようとした。
が、それを読んだかのようにアデルはルキナの顔を覗き込み、にっこりと笑う。

「どうぞ。私は構わないから」
「何かあったのか?」
「えっと……」

優しく言葉を紡ぐアデルや、小首を傾げ、問いかけてくる藍磁に背を押され、ルキナは藍磁の方へ体を向けると1つ息を吸い、意を決して口を開いた。

「あ、あのっ! もし、出来たら……わ、私に、製薬、教えてもらえないでしょうか……っ!」

きゅっと手を握りしめ、緊張のためか、体を硬くしてそう言ったルキナに対し、藍磁はきょっとんとした表情を見せた。

「ほえ? 俺に?」

よほど意外だったのか、藍磁はどこか間の抜けた声を漏らし、ぱちぱちと目を瞬かせる。

「……いや、俺、そんな人にもの教えられる程じゃないんだけど」

戸惑ったようにそう口にすれば、アデルは目を瞬かせ、振り返った。

「あら、いいじゃありませんか、教えて差し上げたら」

さらりと言うアデルに、藍磁は息をつく。

「軽く言うなよ」
「貴方なら大丈夫だと思ってるからよ?」

にこりと笑ってそう返せば、藍磁は数かに眉を顰める。

「あのなぁ……」

はぁ、とため息をついてから、藍磁はルキナに目を向ける。

「ルキナ。製薬教えて欲しい、って言ったけど、製薬用品あんなに買い出しに行くくらいには作ってるんだろ?」

なら、大丈夫ではないのかというニュアンスの問いかけに、ルキナは、えっと、と声をあげた。

「あのっ、支給のレシピ通りになら出来るんですけど。その、1人、だと、アレンジとか、加えた時の善し悪しが判断出来なくってっ。あ、と、私、一般家庭薬も調合出来るようになりたくてっ! でもその、そういうのって、何から始めたらいいのか、分からなくて……私、先輩以外に聞けそうな人、いなくてっ。……えと、その……っ」

わたわたと言い募るルキナに、藍磁は難しい顔をする。

「そういう事なら、俺よりももっと上手い人が他に……」

断りに近い言葉に、ルキナはしゅんとする。
やっぱ、迷惑だったよね、と思い、肩を落とすルキナに、アデルは1つため息をつくと藍磁に視線を向けた。

「何ぐちぐち言ってるの。煮え切らない男ねぇ」

そんな言葉と共に、ぺちんっ、と音が響く。音の割に痛かったのか、背中を叩かれ、藍磁はあだっ、と声をあげた。

「何すんだよ」

じろりとこちらを見る藍磁に、アデルはにっこりと笑ってみせる。

「わ ざ わ ざ、貴方に頼みに来てる女の子を見捨てるつもりかしら?」
「っ……!」

アデルの言葉に、藍磁は小さく息をのむ。しばしの沈黙後、はぁ、とため息をついた。

「……解ったよ。巧く教えられる自信ねぇけど、それでも良いなら」

アデルと藍磁のやり取りに、おろわたと2人を交互に見ていたルキナだったが、彼女にとって不意に齎された言葉に、思わずぽかんとした表情を見せる。

「……ルキナ?」
「あっ、ご、ごめんなさい、驚いてっ。断られると思ったから……えっと、あの、本当に良いんですか?」

名を呼ばれ、慌てて弁解した後、確認するように問いかけるルキナに藍磁は苦笑する。

「ダメだったら、言わないって。ただ、ホントに巧く教えられる自信は無いからな」

念を押すように言われた言葉に、本当に了承してくれたのだと理解したらしい。
一拍の後、ルキナの表情がほっとしたように綻んだ。

「ありがとうございますっ」

淡く頬を染め、心底嬉しそうに笑うルキナに、藍磁は具体的にどうするかと決めるべく、口を開く。

「じゃ、ま、……どうする? 俺の部屋だと狭いし散らかってるし……つか、ギルドハウスだからなぁ」

呟くように漏らしたギルドハウス、という単語に、思わずルキナは目を瞬かせた。
少しの懐かしさと共に、先輩、ギルドに入ってたんだと思いつつもルキナは口を開く。

「……あの、じゃあ、うちに来ます?」

私の部屋、半分製薬部屋みたくなっちゃってますし、とそう提案すれば、藍磁は手を振って却下する。

「いや、それもまずいだろう、色々と……」
「まずい?」

特に何も変な事を言ったつもりはないルキナは、きょっとんと目を瞬かせ、不思議そうに首を傾げる。
その反応に、藍磁は一瞬、ぎょっとしたような様子を見せた。

「あのなぁ。女の子が軽々しく男を家にあげるなよ」
「……えぇと、分かりました?」

1つ息をつき、半眼になって言う藍磁に、ルキナはそう答える。
しかし、それは確実に分かってないと思われるきょとりとした表情のままで、藍磁はもう1つため息をついた。そんな様子に、アデルはくすくすと笑う。

「それもそうよねぇ。まぁ、この人だったら、そんな心配全然ないけど」
「……一般論だよ、一般論」

そんなやり取りに、そんな心配、ってなんだろう、とルキナは首を傾げている。その様子に、アデルは苦笑すると口を開いた。

「そうねぇ。なんだったらカフェかどこかで……あぁ、それだと集中できないかしら?」

そう問いかけたアデルにルキナは申し訳さなそうに眉を下げた。

「えと、その……できれば、実際に作ってるところ、見たい、です……」
「じゃ、ケミギルド……あ、でも、研究室ずっと行ってないんだった……」

提案するも、思い出した事実に藍磁は頭を掻く。
掃除しないと使えないよなー、と困ったように呟いて、ルキナへと視線を移した。

「……悪いけど、今日じゃなくてもいいか?」

それにルキナは、こくこくと頷いた。

「あ、はいっ。先輩が都合がいい時に、お願いします」

ぺこり、と頭を下げたルキナに、藍磁は小さく笑う。

「うん。じゃあ、俺の研究室片付けておくからそっちで。日時は連絡するから」

その言葉に、ルキナは嬉しそうに笑って、はい、と頷いた。
次いで、何かを思いついたように表情を変え、藍磁を窺った。

「あ。あの……もし、良かったら、手伝いますか? 私、教えてもらうわけだし……」

おずおずとそう申し出るルキナに、藍磁はぱたぱたと手を振った。

「いやいい、いい。すげー埃まみれだし、ファイルとか、雑然と積んであって解ってないと崩しそうだし……」

藍磁の言葉に、そっか、と納得し、すんなりと引き下がる。
と、ルキナはふわりと笑った。

「じゃあ、連絡、楽しみにしてますね。先輩、本当にありがとうございました」

***

「ただいまーっ」
「あ、おかえり、姉さん」

戸の開く音と共に響く聞き慣れた声に、カルロは振り返り、そして目を瞬かせた。

「姉さん、何か良い事でもあった?」

出かける前よりも明るく見える表情に思わずそう口を開けば、ルキナはぱちくりと目を瞬かせた後、ふふっ、と笑う。

「良い事……うん、そうだね。たぶん、何とかなりそうなんだ」

嬉しそうに笑う姉に、どうやらここ最近の悩みは解消された……かはまだ分からないが、少なくても良い方向に進む手掛かりは掴めたらしい。
その事にほっと息を吐き、カルロも、ルキナにつられるように笑った。

「そっか」

そう言ってから、カルロは姉さん、とルキナに声をかける。

「ん? なぁに、カルちゃん」

小首を傾げるルキナに、カルロは後ろで手を組み、言葉を紡いだ。

「姉さんのそれ、一応、どうにかなりそうなんだよね?」
「? うん。たぶん、大丈夫だと思うよ」

疑問符を浮かべつつもそう答えれば、じゃあ、と声が響く。

「私、2~3日くらい、出かけてきても、いい?」

その言葉に、ルキナは、ぱちくりと目を瞬かせた。

「出かける、って……どこへ?」

狩りに行き、その過程で、泊まってくる、という事はよくあるが、前もってこのような言い方をするのは珍しい。
故にそう問いかければ、カルロは、口を開いた。

「コモド」

はっきりと紡がれたのは、巨大な洞窟の中に存在する街の名。
それが示している事に気付き、ルキナは軽く目を見開いた。
そんなルキナをまっすぐに見つめ、カルロはにっと笑う。

「決めたの。ずっと悩んでたけど、ようやくだけど、決めたから」

強い光を宿した瞳に、ルキナはそっかぁ、と声を漏らし、ぎゅっとカルロを抱き締めた。

「頑張ってね。カルちゃん」

ふんわりと笑って言うルキナに、カルロは大きく頷く。

「もちろん! なるって決めたんだもの。絶対合格してくるわ。ダンサーの転職試験」
「うんっ」

カルちゃんなら、大丈夫、と笑って口にしてからルキナは体を離す。
と、ふと浮かんだ疑問を口にした。

「でもカルちゃん、何で、じゃあ、なの? 決めたのって、ホントはもっと前だよね?」

何故、このタイミングでそれを宣言したのかと問いかければ、カルロは頬を掻いた。

「バレてたんだ」
「んー。バレてたっていうより、この前、何かすっきりしたような顔してたから。カルちゃんが迷ってたのは知ってたし、どっちか分かんないけど、決めたんだろうなぁ、って」

さすがは姉というべきか。
さらりと言うルキナに、カルロは苦笑する。

「姉さんに隠し事は出来ないわね。っていうか、下準備も何もしてない状態で転職試験受けに行くほど無鉄砲じゃないわよ、私」

少し拗ねたように言って見せるカルロに、ルキナは苦笑を浮かべた。

「ごめんごめん。分かってるよ」

笑いながら謝るルキナに、カルロは肩を竦める。

「まぁ、確かに、そろそろ行って来ようかな、って思ったのはもうちょっと前なんだけど――」

そう言うと、カルロは1つ息をつき、ルキナを見る。

「でも、姉さん、煮詰まってたからねー。そっちが落ち着いてからかなー、って思ってた、って訳」

カルロの言葉に、ルキナは眉を下げる。

「……気にしないで、行って来てくれて、良かったのに」
「やーよ。あんな状態の姉さん放っておいたら、私いないし、ってアレ試しかねないもの。プレだと丸め込まれそうだし」
「う……」

思わず、言葉に詰まったルキナに、カルロはやれやれと言ったように息を吐く。

「やっぱりねー。まぁ、少なくても、一歩進んだみたいだから、いいけどさ」

そう言ってから、カルロはにこりと笑って見せる。

「そんな訳で明日行ってくるわね。だからさ、姉さん、プレ帰って来たら今日、どっかに食べに行かない?」

その提案に、ルキナは軽く手を叩く。

「うんっ。いいね。あ、いっそ、皆でコモドに行こう?」
「えー。転職試験に一発で受かったとしても、手続きと講習あるから最低でも数日かかるわよ? 姉さんの時もそうだったじゃない。その間、コモドにいるのもどうかと思うわよ。姉さんはユエがいるからまだしも、プレはあの辺じゃ狩るの、まだきついでしょ?」
「大丈夫っ! カルちゃん見送ったら帰るから。……帰って、ちゃんとここで待ってるよ」

ふわり、と笑うルキナにカルロは苦笑して息を吐く。

「まぁ、別に良いけどね。……あ、あとさ、姉さん」
「んー?」

小首を傾げ、こちらを見るルキナに、カルロは、彼女にしては珍しく、おずおずと口を開いた。

「えーっと……無事にダンサーになったらね、聞いて欲しい事があるんだけど」

そんな事を言うカルロに、ルキナはぱちくりと目を瞬かせる。

「……いいけど。ダンサーになってから?」
「うん。ちゃんと2次職になってから言いたいから」
「そっか。分かった」

どこか意味深なカルロに言葉に、ルキナは微笑って頷いてみせる。
そして、それじゃあプレちゃんに連絡するね、と言って耳打ちを送り始めたのだった。

fin

あとがき
とりあえず半分っ! そして、あまりの長さに前後編にすると決まった途端、ラストに仕舞いのシーンが入った謎。
いや、うん……年表見てもらうと分かるんだけど、時期、かぶってるんですよねー。ダンサ転職と製薬教室。いこーる、こうなるよなぁ。と思った結果です。
カルちゃんが完全煮詰まり中なルキナ放って転職しに行くはずが無い。
となれば、このタイミングが1番切りがいいでしょうしね、カルロ的に。
あ。カルちゃんについての話はまた今度。一応、ネタはあるんだネタは ←

そして、実は、これ書き上げたのは2年前という……。うん、ブログに放り込んでずっと放置しててすみませんっっorz
超過疎サイトだし、わざわざ更新作業しなくてもいいかな、とかちょっとうん、ごめんなさい、要するにサボってましたorz
実は、ブログ漁ると、書き上がってる話、まだいくつかある気がする……。暇見てあげておきたいと思います。


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使用素材: 幻想素材館Dream Fantasy様 春の訪れ

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