ただいまー、と声を上げて家に駆け込むと、既にテーブルは綺麗に片づけられ、台所にはリシアの姿があった。
「お母さん、ただいまっ」
「おかえり、ルキナ。ごはんは今作ってるからもう少し待っててね」
「うんっ。……お手伝い、ある?」
こてん、と首を傾げて問うルキナに、リシアは笑う。
「大丈夫よ。……あぁでも、それじゃあ、プレナと一緒に居てあげて頂戴? また、ふらっと外に行っちゃうと大変だから」
優しい笑みを浮かべ、そう言葉を紡いだリシアに、ルキナは大きく頷く。
「うんっ。分かったっ!」
そう声を上げると同時に、ルキナはぱたぱたと駆けて行った。
「プレちゃーん。……プレちゃん? どうしたの?」
母に言われたとおり、プレナの姿を探すと、妹は暖炉の前に立っていた。
もう既に、気候は暖かくなってきたため、暖炉に炎はない。もう温まったり、炎を観察したりなどは出来ないはずだ。
冬の間、小さな妹がよくしていた行為を思い出し、ルキナは小首を傾げるが、妹の目的は暖炉ではないと、すぐに察する事になる。プレナはお役御免となった暖炉に背を向け、暖炉の向かいの壁をじっと見上げていたためだ。
駆け寄ったルキナが不思議そうに問いかけると、プレナはルキナへと視線を移す。
「きれい」
そう言って指差すのは、壁に飾られている2本の剣と1本の杖。
黒い柄には網目状に金細工が施され、柄頭と鍔に当たる部位には紅い宝玉が嵌めこまれた直線的な剣。鍔には嵌めこまれた宝玉を炎に見立てた装飾が施されている。
それに並ぶのは黒い柄にストライプ状に銀細工を施し、鍔の付近には、氷を模した水晶の様な装飾を施された緩やかな曲線を描いた剣だ。
対称的な2つの剣から少し離れた所に飾られているのは、橙黄色の宝玉が半球状に埋め込まれたシンプルな銀装飾を施された細身の杖。
それらを見上げ、ルキナは納得したように頷いた。
「うん、きれーだよね」
「ルゥねぇ、とって」
指差して言う妹に、ルキナは困った顔をする。
「だめだよ、プレちゃん。あれは危ないんだって、お父さんもお母さんも言ってたもん。だから、勝手に触っちゃだめなの」
ルキナの言葉にプレナはきょとんとした表情で小首を傾げる。
「あぶないの?」
「うん。危ないんだって」
「なんで? きれいだよ?」
「キレイだけど、危ないんだって。それに、とっても重いんだよ」
「おもいの?」
「うん。前にお父さんにおねがいして、持たせてもらったの。そしたら、重かった」
こくりと頷いてそう言えば、プレナは眉を下げる。
「……ルゥねぇ、ずるい」
プレももちたい、と呟くように紡がれた言葉。それを聞いて、失言に気付いたルキナは、あ、と小さく声を上げ、困った様に頬を掻く。
「んー……じゃあ、お父さんにおねがい、してみる?」
そう提案してみれば、小さな妹は嬉しそうに笑って大きく頷いた。
「うんっ!」
「じゃあ、お父さん探しに行こっか。……お父さん、まだお外かな?」
そう言って、プレナの手を取ったその時、カルロがひょっこりと姿を現わす。
「お姉ちゃん。プレ。お昼ごはんできたよー」
「あ、カルちゃん」
「……ごはん?」
「そう、ごはん。だから行こ?」
そう言って駆け寄り、ルキナとプレナの手を取ったカルロに、2人は笑顔で頷いたのだった。
テーブルに並ぶのは、卵と野菜のサンドイッチ、先程貰ったパウンドケーキ、そしてミルクティーだ。
パタパタと笑いあいながら席に着くと、先に座っていた両親と共に、いただきます、と唱えてサンドイッチに手を伸ばす。両手でサンドイッチを持ち、あむあむと食べる子供たちの様子に笑みを零してから、ラルスはふと真剣な表情になって妻へと口を開く。
「リシア」
「何? ラルス」
「さっき、子供たちが、この近くでロッカーの群れを見つけた。……もしかすると、大移動か何か、異変の前兆かもしれない」
静かに告げたその言葉に、すっとリシアの表情も真剣なものになる。
「……それ、ワルズさんには?」
「まだ言ってない。前兆かもしれない、とは言ったが、ただ単にロッカーの群れがこの辺まで迷い込んできただけの可能性も十分あるからな」
「そう……」
「何かあった時すぐ動けるよう、少し警戒しつつも様子見、っていったとこだと思う」
1つ息をついてそう言ったラルスに、リシアはそうね、と呟くように相槌を打ってから頬に手をあてる。
「そうすると、明日はどうしましょうか? 残り少ない物もいくつかあるし、出来れば行きたかったのだけど……」
少し困ったように言ったリシアの言葉に、今まで両親の会話を聞き流していたルキナは、ふと、食べる手を止め、母を見上げる。
「いや、何かあった時、材料が足りなくて調合出来ないという事態の方が怖い。後でワルズさんに今の事を報告して、予定通り出発しよう。あの人は僕らなんかよりずっと長くここに住んで、しかも、魔物の大移動前の集落移動を経験してる人らしいから、判断は彼に任せるべきだと思うしね」
その言葉にリシアは納得したように頷く。と、つんつんと服を引っ張られた。自然と視線を斜め下に移せば、衣服の裾を掴み、どこか期待に瞳を煌めかせたルキナを目が合った。
「お母さん。薬草とり、行くの?」
よく分からない両親の会話。
自分達には関係がなく、そして、口を出していい事ではないと分かっていたので聞き流していたが、母が言った、「残り少ない」という言葉。そして父が言った、「材料」、「調合」、「出発」と言った単語には心当たりがあり、そう問いかければ、リシアの表情がふっと緩む。
「えぇ、明日から、一週間から10日間くらい、薬草取りに出かけるから、後でちゃんと準備してね」
その言葉に、カルロの手も止まる。目を丸くしてルキナと二人、顔を見合わせた後、唐突に上がるのは歓声だ。
「やったーーっ!!」
「カルちゃんっ、楽しみだねっ」
「うんっ!」
薬草取りとは、そのままの意味で、薬草採集の事である。年に数回、先程、リシアが言ったようにそこそこの日数をかけて行うそれは、集落から出る機会が全くないルキナ達にとって、旅行であり冒険であり、楽しむべき非日常なのである。
きゃっきゃと無邪気に笑い合うルキナとカルロに、プレナはきょとんとした表情を見せる。
「なぁに?」
不思議そうな顔でそう口を開けば、にこにこと笑顔でルキナが口を開く。
「おでかけするんだよっ」
「……おでかけ?」
「そう、おでかけっ!」
「そっかぁ」
おでかけという言葉に、プレナの表情がふにゃりと緩む。嬉しそうなそれに、ルキナは笑顔で楽しみだね、と繰り返した。そんな子供たちの様子に、リシアとラルスも穏やかな笑みを浮かべる。
「ルキナ、カルロ。嬉しいのも楽しみなのも分かったから、ちゃんとご飯食べなさい」
「母さんの言う通りだぞ。今はご飯の時間なんだから。悪い子はお留守番だからな」
笑ってそう注意すれば、ルキナとカルロは慌てて、テーブルに向き直り食事を再開する。
その素直な反応にもう一度笑みを零しながらも、穏やかに、食事の時間は過ぎて行った。
午後の時間は、あっという間に過ぎて行った。
ぱたぱたとお泊りの準備を早々に終えたカルロは、空になった籠を持って、午前中に約束した通り、鶏の世話の手伝いをしに駆けて行く。ラルスも、昼食中、話に出ていたワルズという人物の元へと出かけて行った。
ルキナは父について行こうか迷った素振りを見せていたが、結局は行かない事を選択した。
ルキナにとって、ワルズは普段は気の良いおじちゃんである。が、怒るととても怖い人物でもある。
自分には分からない話について行く事は、父達の邪魔になる。邪魔になれば、ワルズに怒られる。
そんな思考回路が働いたため、家で母の手伝いをする事にしたのだ。それを、理由もつけて母に話せば、リシアはころころ笑ってルキナの頭を撫で、母やプレナの荷造りの手伝いを頼んだ。
それにルキナは当然のように笑って頷く。プレナと一緒に妹の分の小さな荷袋に着替えを入れ、母の荷には、大量の保存食を詰め込んだ。その量に、ルキナが疑問の声を上げれば、母は、前回言った時は向こうで色々採れる時期だったけど、今は暖かくなってきたばかりで、向こうで十分な食料が採れるか分からないから、念のためにね、と笑って教えてくれた。
荷造りの後は明日からしばらく留守にする家の中の掃除をして……
……気が付いたら空が赤くなっていた。窓の外に見えた赤に、ルキナは思わず、ぱたぱたと外に出ると空を見上げる。
「真っ赤っか……きれい……でも、何か、昨日の夕やけの方が好きかも……」
真っ赤すぎて、何か怖い、と吐息と共に小さく呟く。
昨日の夕日は柔らかな赤で、空はオレンジ色だった。けれども今日は、太陽も空も、血のように赤い。段々と日が落ち、空の赤が徐々に夜を示す藍色に浸蝕されていく様をなんとなく眺めていると、パタパタと言う足音と共に、どん、と背後から衝撃を受ける。
「わっ!?」
「お姉ちゃんっ!」
「あ。カルちゃん、おかえり」
「ただいまっ! 楽しかったよ、お手伝いっ、鳥さん、可愛かったっ」
「そっか、よかったね」
後ろから飛び付き、笑顔でそう語るカルロに、ルキナも驚いた表情を一変させ、笑みを浮かべて返事を返す。
その時、ふわりと甘い匂いを感じ、ルキナはぱちくりと目を瞬かせ、小首を傾げた。
「カルちゃん。……何か、……甘いにおい、する?」
不思議そうなルキナの声に、カルロは、あ、と声を上げると、パッとルキナから離れる。そして、腕にかけていた籠を、手に取り、視線と同じ高さまで持ち上げて見せた。それは、カルロが家を出る時に持っていたものよりも小さく、返却しに行った籠とはまた別の物である事は明白だ。
「あのね、鳥さんのお世話した後、明日から、薬草取りにおでかけするの、って言ったら、じゃあ、おでかけに持ってくおやつ作りましょうか、って、ルーシーおばさんといっしょにクッキーつくったのっ!」
嬉しそうに報告するカルロに、そっか、と納得したようにルキナが頷く。
「ルーシーおばさん、おかし、作るの上手だもんね」
「うん。作るの好きって言ってた。えと、おかし作りはおばさんのシュミだからね、って。シュミって好きな事だったよね?」
「うん、そーだよ」
そんな事を2人できゃいきゃいと話した後、ふと、カルロが首を傾げる。
「お姉ちゃん」
「ん? なぁに?」
「プレは?」
こてん、と首を傾げて問いかけるカルロに、ルキナは寝てるよ、とさらりと返す。
「お母さんとおそうじしてる時にね、ねちゃったの。つかれちゃったみたい……あっ!」
「……どうしたの?」
突然声を上げたルキナにカルロはぱちくりを目を瞬かせる。ルキナは少し慌てたように手をぱたぱたと動かしながら、口を開いた。
「あのね、お母さんが、ずっとねてたら、夜眠れなくなっちゃうから、夕方には起こしてあげてね、って言ってたの忘れてたっ!」
「じゃあ、プレのとこ行かなきゃ」
カルロがそう言えば、ルキナは大きく頷く。
「うんっ、もう、プレちゃん起きてるかな? 起きてるといいなっ」
そんな事を口にして、2人の少女はぱたぱたと家の中へと駆けて行った。
その日の夕飯は、いつもより少し、早い時間だった。
食事をしながら話すのは、何時もならその日あった出来事や何気ない話題だ。けれど、今日はその限りではなく、主に明日についての話だった。
「3人とも、明日の準備は出来てるわね?」
「うん、だいじょーぶっ」
「そう、ならいいけど、でも、何か忘れ物してるといけないから、ご飯食べたら、一応荷物の確認はしてね?」
リシアがそう言えば、はーい、と三つの返事が返ってくる。
たのしみだねー、とはしゃぐ子供たちに、ラルスは笑みを浮かべると口を開く。
「楽しみなのはいいけど、ちゃんと早く寝るんだぞ? 明日は朝早くに出発するんだから、はしゃいでて、眠れなくて起きられないようだったら、置いて行くからな?」
「はーい」
「ちゃんとねるから大丈夫だよー」
「プレちゃんは大丈夫? けっこうお昼ねしてたよね」
「だって、ねむかったの」
「大丈夫っ。ねてたら、私がおこしてあげるっ」
私も、プレのお姉ちゃんだもん、と、笑顔で言ってから、カルロは最後の一口を口に放り込むと、手を合わせる。
「ごちそうさまでしたっ! 私、お荷物かくにんしてくるねっ」
椅子から飛び降り、軽い足音を響かせて駆けて行くカルロに、プレナも慌てたように椅子から降りる。
「まって、わたしもー」
「プレナ、ご飯は?」
「もう、ごちそーさまするの」
リシアの言葉にそう返事をして、プレナもカルロの後を追って走っていく。
その様子を眺め、リシアは苦笑した。
「全く……まぁ、仲が良いのは、いい事だけどね。……ルキナは行かなくていいの?」
小首を傾げてそう問うと、ルキナは最後の一口を飲みこむとカルロ達同様、椅子から降りる。
しかし、妹たちの後は追わずに、母の元まで行くと、唐突に抱きついた。
「あとで行くー」
そう言って、えへへ~、と笑うルキナに、リシアは目を瞬かせた後、ふっと微笑するとその頭を撫でる。
「ルキナは甘えっ子ね」
撫でられ、気持ちよさげに、ふにゃりと笑うルキナにラルスは苦笑する。
「一応、一番お姉ちゃんのはずなんだけどなぁ」
「いいのー、甘えっ子だけどお姉ちゃんなのー」
ルキナがそう答えたその時、ぱたぱたと足音が近づいてくる。ラルスがそちらに視線を移すと、扉からひょこりとカルロが顔を出した。
「お姉ちゃん、まだー?」
「あ、ごめんカルちゃん。今行くね」
ルキナを呼びに来たらしいカルロにルキナはそう声を上げると、パッとリシアから離れる。そして、ぱたぱたとカルロの元へと駆け寄った。
「じゃあ、行こっか」
「うんっ」
2人の少女は笑って頷き合うと軽い足音を響かせて駆けて行った。
それからしばらく、リシアが子供部屋へと足を運ぶと、ルキナとカルロは床に座り込んでいた。
2人の周りに散らばっているのは裏返しにされたいくつものカード。2人はそれらに楽しげな視線を向けていた。
「ルキナ、カルロ」
声をかけると、2人は、ぱっと顔を上げる。
「あ、お母さんっ」
「あのね、薬草とりしてたのっ」
カードいっぱい取れたー、とにこにこと笑うルキナの手には、草花のイラストと名前が描かれたカードがあった。
それは、文字を読む練習にとリシアが作ったお手製のカードである。ついでに、覚えるのならば、絵柄は役に立つ物にすべき。そう考えたリシアがカードに描いたのは全て食べられる植物か薬草である。そのため、そのカードを使った神経衰弱の事をルキナ達は薬草とりと呼んでいるのだった。
「あら、良かったわねぇ」
普通、神経衰弱で遊ぶのであれば、対戦形式なのが普通だが、見たところ、2人で協力する形で遊んでいたらしい。そんな仲睦まじい姉妹にリシアが笑って言うと、ルキナとカルロは大きく頷く。
「2人でいっしょにやってたの」
「最初はプレちゃんと3人でやってたんだけど、眠いって言ってねちゃった」
そう言ってルキナが指さす方に視線を移せば、寝台の上、丸くなって眠るプレナの姿が確認できた。
「そう。……2人とも、ちゃんと荷物の確認はした?」
床に片膝をつく事で、視線の高さを二人に合わせ、問いかければ、ルキナとカルロは大きく頷く。それにリシアは笑みを浮かべ、二人の頭を撫でる。
「2人ともいい子ね。じゃあ、カードを片づけて、そろそろ寝なさい。明日は早いって、言ったでしょ?」
笑ってそう言い聞かせれば、はーい、という実に素直な返事と共に、2人の少女はカードを片づけ始める。散らばったカードを一つに纏めると、あ、そだ、と声を上げ、ルキナが振り返った。
「お母さん、これ、持っていってもいい?」
小首を傾げ、問いかけるルキナにリシアは苦笑を零す。
「いいわよ。でも、汚したり、無くしたりしても知らないからね?」
「うん、気をつけるっ」
許可を貰った事に嬉しそうに笑って、頷くとルキナは自身の荷に、カードを仕舞う。そして、荷を自分の寝台の横に置くと、これでよし、と言わんばかりに1人大きく頷いた。
「じゃあ、お母さんおやすみなさい」
一足先に寝具に潜り込んだカルロがそう声を上げる。それを聞いて、ルキナも慌てて寝具へと潜り込む。そんな娘たちの様子に、リシアは微笑んだ。
「お母さん、おやすみなさーい」
「おやすみ、ルキナ、カルロ」
ふわりと優しく微笑んでそう言葉を紡ぐと、リシアは部屋の明かりを消す。ふっと暗くなった部屋の中、小さな音を立てて閉まる戸の音を聞きながら、ルキナは静かに瞳を閉じた。
……これが、平和で穏やかな日常の最後の時とは知らずに…………
それは、本当に突然だった。
「ルキナっ! 起きなさいっ」
鋭い声と共に体を揺さぶられ、はっと意識が覚醒する。
「……お母さん?」
起き上がり、辺りを見回してみるが、まだ暗い。夜明けには程遠い時間帯のようだった。
今度はカルロとプレナを起こす母を見、一体どうしたのかと思うが、その声は今までになく焦りと緊張感を孕んでいて、ざわざわとした何かを感じた。
そして気付く。家の外から聞こえる音と声に。
「……なに……?」
何かが起きた。それも、とても、良くない事が。そう悟ると同時、リシアが口早に言葉を紡ぐ。
「ルキナ、カルロ。プレナを連れて、荷物を持って、ここから逃げなさい。薬草採りの洞窟、そこに向かって」
「え?」
どこかきょとんとしたカルロの声に、ぴしゃりと母の声が響く。
「早くっ! 魔物が襲って来たの!」
「っ!!」
魔物、その単語に息を飲む。母がこんな様子を見せているのだ。昼間見たロッカーのような魔物ではなく、本当に危険な魔物がやってきたのだと分かる。
「わ、わかったっ」
カルロはそう答えると、目を擦るプレナに荷を持たせ、自分も荷を持つと、プレナの手を引き、走りだす。
「ルキナ、私の荷物も持てるなら持って行って。重くて無理なようなら、途中で捨てて行って構わないから」
「分かった。……お母さんは? あと、お父さんも……」
自分の荷を持ったルキナに、リシアはそう言って、もう1つ荷を持たせる。
渡された母の荷は、確かに重かったが、持てない程ではない。それよりも、自分達3人だけを逃がそうとする母に、不安になってそう問えば、リシアはルキナの背を押しながら口を開く。
「私は他の人を逃がしてから行くから、お父さんはもう他の人を助けに行ったわ。さぁ、早く行って!」
母の言葉に、ルキナは弾かれた様に走りだした。家を飛び出し、集落を囲む柵の外へと出ると、声が響いた。
「お姉ちゃんっ!」
「カルちゃん、プレちゃんっ!」
どうやら、集落から出た所で待っていたらしい2人に近づくと、不安そうな顔が見えた。
「お姉ちゃん、お父さんとお母さんは?」
「みんなといっしょに行くから、先に行ってて、って。だから――っ!!」
母に言われた事を伝えようとしたその時、何かが壊れる音と誰かの悲鳴が集落から聞こえ、3人は息を飲む。じわり、と染みだした恐怖は急速に広がっていく。
「行くよっ!」
ルキナが口を開くや否や、3人はたっと駆けだした。
3人で夜道を駆け抜ける。
母に言われた場所、本当ならば家族全員で行くはずだった場所へ向かうために。
しかし、不意に最後尾を走っていたルキナが立ち止まる。そして、どさり、とルキナの持っていた荷が音を立てて地に落ちた。その音に気付き、幼い妹の手を引いて先頭を走っていたカルロが振り向く。立ち止まっているルキナに気付き、慌てたように口を開いた。
「お姉ちゃん、どうしたのっ? 早くどうくつに行かないとっ」
言われた事を忠実に守ろうとするカルロに、ルキナは迷ったように背後とカルロの顔を交互に見ていたが、きゅっと手を握り締めると口を開いた。
「……カルちゃん。プレちゃんといっしょに、先に行ってて」
「お姉ちゃん?」
「私……私っ、お父さんとお母さんたちの様子、見てくるっ。……だって、心配なんだもんっ! だから、見に行ってくる」
迷いながら口にした音は、言葉にした途端、想いと共に勢いよく溢れ出た。
集落から離れるにつれ、恐怖は不安へと変化していき、耐えられなくなったが故の事だった。その言葉に、カルロはしばし迷ったような素振りを見せていたが、不安に思っていたのは同じだったのだろう。こくりと頷いた。
「分かった。私も心配だから、お姉ちゃん、よろしくね。……でも、すぐ来てね、絶対だよっ!」
不安げに言い募るカルロに、ルキナは大きく頷いた。
「うん、すぐ追いつくよ、絶対っ! ……だから、カルちゃん、プレちゃんをよろしくね」
「うんっ、まかせて!」
カルロがそう頷き返したのを見てから、ルキナはたっと身を翻し、元来た道を走っていく。
それを見たプレナが、くいくいとカルロの服を引く。
「……ルゥねぇ、どこいっちゃったの?」
不安げな表情でカルロを見上げ、そう問いかける妹に、カルロはプレナの頭を撫でる。
「大丈夫。すぐもどってくるから。……だから、私たちは先に行って待ってるの。いいわね?」
「……うん」
素直にこくんと頷いたのを見てから、カルロはプレナの手を引き、二人の少女は再び走りだした。
元来た道をひた走る。どうしても、どうしても心配で、不安で……
きっと大丈夫。途中でお父さんとお母さんがこっちに来てる所を見つけて、そして、いっしょにカルちゃんとプレちゃんの所まで行くんだと、心の中で何度も何度も唱える。
しかし、道中で両親の姿を見る事は無く、集落が見えてきたその瞬間、ルキナは目を見開き、思わず立ち止った。
赤、赤、赤。
夜の闇の中、自分の家が真っ赤に浮かび上がる。
周囲を鮮烈に染め上げる赤い炎。深紅の雪のように火の粉が舞い、ガラガラガラと家が崩れ落ちる音が聞こえる。
思いもしなかったその光景に、体の力が抜け、座り込みそうになった。
「……おうちが……何で……」
喘ぐように呟いたその時、はっとする。
燃えた家……じゃあ、お父さんとお母さんは……どこにいる?
「っ! お父さんっ、お母さんっ!」
炎に包まれた我が家へ向かおうと、止まってしまっていた足を無理矢理動かす。たっと走ると、家の傍らに人影が見えた。近づくにつれ、はっきりと見えてきたその姿は見慣れたもので、ルキナは、ほっとしながら声をあげた。
「お父さんっ!」
その声に、ばっと人影、ラルスが振り返る。炎の照り返しによって映されたその顔には驚愕の色が見えた。
「なっ、ルキナ! 何でここにいるんだっ!」
思わず声を荒げたラルスに、ルキナは小さく肩を跳ねさせる。けれど、そのまま、ぎゅっと父に抱きつくと、言い訳のように口を開いた。
「だ、だって、お父さんとお母さん、心配だったんだもん……」
そう言って父を見上げ、ふと、気付く。ラルスが手に何か持っている事に。
棒のようなそれは、よくよく見ると、家の壁に飾られていた杖である事が分かる。何で、そんな物を持っているんだろうと不思議に思ったが、口には出さず、それよりも、ずっと気になる事を問いかけた。
「お父さん……お母さんは?」
不安げに問うルキナに、ラルスは安心させるように左手をルキナの頭へと乗せる。
「母さんは、他の人を助けに行ったよ。父さんもすぐ行かないと……ルキナ、カルロとプレナはどうした?」
この場にルキナ1人しかいない事に遅れて気付いたのだろう。不意にラルスの声が硬質になり、鋭く問う。
「カ、カルちゃんとプレちゃんは先に行ったよ。私だけ、戻ってきたの」
ラルスの声にびくりと肩を竦めつつもそう答えると、ラルスの表情がほっとしたように和らぐ。
「そうか……じゃあ、ルキナも早く行くんだ」
「いやっ! 私もお父さんとお母さんと――」
いっしょにいる。そう言ったその時、家が崩れる音が響き、ルキナの声をかき消した。
音に反応して、反射的に家の方を振り向いたその瞬間、ルキナの目が大きく見開かれる。
「……何、あれ……おうちに、何かいる……」
炎の中、蠢く巨大な影に、ルキナは怯えたように父の服を掴む。それと同時、焦りを含んだ父の声が聞こえた。
「ちっ、薬品と油撒いて、ボルトぶつけてやったのに、まだ生きてるかっ」
そんな事を口早に呟いてから、ラルスはルキナの両肩を掴む。
「ルキナ、逃げなさい」
「でもっ!」
上げかけた反論は、自分の肩を掴む父の手の力が強まった事で音にならずに消える。
「逃げるんだ。父さんと母さんなら大丈夫だから。……ルキナ。ルキナは、1番お姉ちゃんだろう?」
真剣な声。それにルキナはおずおずと頷いた。
「うん……」
「なら、父さんと母さんがいない間は、父さん達の代わりに、ルキナが2人を守るんだ。……頼めるかい?」
静かに、けれど、はっきりと紡がれた言葉に、ルキナは軽く目を見開いた。そして、きゅっと、小さな手が握り締められる。
「うん。分かったっ。私が、カルちゃんとプレちゃん、守るよっ! お父さんとお母さんの代わりに!」
瞳に強い決意の光を宿し、深く頷いてそう答えると、ふっと、表情を不安そうなものに戻し、だから、と言葉を続ける。
「だから、お父さんも、お母さんといっしょに、早くむかえに来てね。待ってるから、ちゃんと、カルちゃんたち守るから、早く来てね、約束だよっ、絶対だからねっ!」
「……ああ、分かったから。だから、早く行きなさい」
言い募るルキナに、ラルスはそう答えると、そっとルキナの背を押した。
それにルキナはこくりと小さく頷くと、たっと、集落の外へと駆けて行く。
それをほっと、見送ってから、ラルスは、未だ燃える我が家を見据えた。正確には、燃え盛る家の中、蠢くモノを。
「……さすがに、ブランクが長いのはきついな。けど……ここから先には行かせない。あの子たちの後など追わせはしない」
元、とはいえ、冒険者だった自分達も見た事のない魔物。
それは、冒険者を引退し、戦闘から、危険から離れてしまった自分に倒せる確立が非常に低い事は分かっていた。それでも、守りたいモノを守るために、ラルスは、ずっと口にする事のなかった詠唱を唱え始めた。
「っ、大丈夫っ、大丈夫大丈夫大丈夫っ! お父さん、ちゃんとむかえに来るからっ、だから、それまで、私が守るのっ。だから、泣いちゃダメっ、泣いたら守れないから……っ」
夜の道を1人、少女は走っていた。
大切な人を失うかもしれないという不安を、恐怖を、大丈夫と自分に言い聞かせることで、押し込めながら。
ただひたすら走っていた。妹たちに、追いつくために。
少女は知らない。あの魔物が何故集落を襲ったのかも。あの魔物が一体何だったのかも。
そして、これからの事も。
何一つ知らずに、少女はただ、走っていたのだった。
fin
あとがき
ちょっと長かったかなぁ、とも思いつつ、ついでにいえば、結構だらだらシーンが続いちゃって、面白みに欠けるモノになってしまったかもなぁ、と少し反省。
何気ない日常が崩れ去った瞬間。それは日常の描写が無ければ、味気ないものになってしまうのではないかと思ったので、日常をしっかり描写してみたかったのです。あと、もう1つ、だらだらと続いた理由としては、いくつか、布石を置いていたからというのもあります。
あとがきも含め、ここまで読んでくれて、本当にありがとうございましたっ!
使用素材: 使用素材:篝火幻燈様 狐火3