――
ふと、目を開く。
目の前に広がるのは、真っ白な空間。どこまでもただただ白く続いているそこに、いつの間にか、自分は立っていた。
どうして、こんな所にいるのだろう、とぼんやりと思う。
―――デ―
何かが聞こえた。
遠くから、微かに、響く声が聞こえた。
――オイデ――
おいで、と声が誘う。
それに、緩慢に首を傾げる。どこへ、おいでと言うのだろうか。
どこから聞こえてるかも分からないのに。
そんな事をぼんやり考えている間に、声は少しづつ、少しづつ、はっきりと輪郭を浮かばせてきていた。
――ココヘ、カエッテオイデ
ここ。という言葉を聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは己の故郷。
どうしてか、声は、そこから響いており、己を呼んでいるのだと、分かった。
ふらり、と足を踏み出しそうになった瞬間、ふと疑問を抱く。
ここは、どこだろう、と。
真っ白な空間。普通ではない空間。
安易に自分が入れる、普通ではない空間。
それは、夢、だ。
瞬間、背筋に氷水をぶちまけられたかのような衝撃が走った。
はっきりと、知覚する。今、己は眠っていて、ここは自分の夢の中なのだと。
だからこそ、戦慄した。自分が、自分の夢の中にいて、それを自覚出来ていなかった。半分は夢魔である自分が!
それが示す事は1つしかない。
「……最悪」
夢見が悪い。その事実に寝台から起き上がったレンは、深々と息を吐き、額を押さえた。
「僕が夢見悪いとか、干渉受けてる以外の何者でもないじゃんか……はぁぁ、覚悟、決めないとかぁ」
*******
自室の戸を開け、廊下へと出ると、ふわりと漂う美味しそうな香りにレンは自然を頬を緩ませる。
香りに誘われるようにキッチンへと足を向ければ、そこにいたのは、紫がかった青い髪の少女だった。クリエイターの制服を身に纏っていることが多い彼女だが、今はまだ朝であるためか、私服であるラフな格好をしていた。
「ルキナー」
そんな少女に軽く声をかければ、ルキナはくるりとこちらを振り返り、ぱっと笑みを浮かべた。
「あ、レン。おはようっ」
「ん。おはよ」
「もうちょっとで、パンケーキ出来るよ」
にこにこと笑ってそう言い、手際よく、手元のフライパンの中身をひっくり返すその姿は、平穏を体現したかのようで、見ているだけで、ほっと肩の力が抜ける。いっそ夢の事など忘れて、この平穏に浸っていたい誘惑にかられたが、それは“俺”と夢の残滓が許さない。故に、もう1度名を呼ぶ。
「ルキナー」
「ん? なぁに?」
するりとこぼれた言葉は、ルキナの柔らかな返しで、はっと我に返る。
「……あー、やっぱ今はいいや。ご飯の後に話すよ。あ、クリムさん、呼んでこようか?」
全て詳細に話す気はないが必要なことだけだとしても、話せば、多少なりとも目の前の大事な少女に心配という名の心労をかけてしまうだろう。ならば、少しでも後の方が、少なくとも、せっかくの朝食の味が分からなくなるような事はしたくない。そんな想いから、出かけた言葉を半分誤魔化してうやむやにすれば、ルキナはぱちりと1つ瞬いた後、小さく笑って、小首を傾げた。
「じゃあ、お願いしようかな?」
*******
瑞々しい柔らかな緑の葉野菜に、白と黄が眩しいゆで卵と鮮やかな赤のプチトマト。小さな器に盛られたサラダに、見るからにふわふわとした綺麗なきつね色で可愛らしい大きさのパンケーキ。レンの前に並べられた器や皿は小さく、乗っている量も相応で、一見おままごとか、幼児用かと思うほどだ。けれども、半魔であり、生い立ちのせいで極端に小さな胃である自分にとっては、十分に満足感を得られるもの。無事、完食し、まだふよふよと白い湯気を立ち昇らせる柔らかな色のミルクティーに口づける。
「レン、おかわり、食べない?」
小首を傾げて問いかけてきたルキナに、レンはカップを下に置くと首を振る。
「十分。もうお腹いっぱい」
「むぅ……」
「毎回言ってるけど、心配しなくても、栄養は足りてるから大丈夫だよ。半魔だからね。だから、無理してまで食べる気はないよ。せっかく美味しい料理なんだから」
気持ち悪くなったり、苦しくなったりして、この満足感を台無しにはしたくないと、レンは言う。
小食すぎる少年を心配するこのやりとりは、何度も行われているものであるため、ルキナは素直に引き下がり、頬に手を当て息を吐く。
「分かってはいるんだけど、つい、ねぇ」
「まぁ、ホントに大丈夫だから心配しないでよ。そも、こういう体質だったから、向こうで生き残れてた訳だしね」
ポートマラヤに自生していた植物に宿る魔力によって、生き長らえていた環境を思い返し、軽く肩を竦めてそう言ってから、レンは、ルキナとその隣に座るクリムへと視線を向け、口を開く。
「――で、こんな話した後でアレなんだけどさ。ちょっと、しばらく、俺、出掛けてくるね」
その言葉にルキナはぱちりと目を瞬かせる。
「おでかけ?」
「うん」
「どこに?」
薬草採取とか製薬に関係する事だったら、私も行きたいなぁ、と微笑するルキナに、レンは苦笑を零して首を振る。
「残念だけど、そーゆーのじゃないよ。……行先、ポートマラヤだしね」
「え」
ポートマラヤという単語に、ルキナは軽く目を見開き、息をのむ。予想通りの反応に、敢えて軽く息を吐いて、肩を竦めて見せた。
「ちょーっと、必要があってねぇ」
最初に薬草採取ではないと明言していたのもあって、それが穏やかな理由ではないと察したのだろう。ルキナの眉が下がり、心配そうな不安そうな眼差しが揺れる。
「レン、でも……」
何かを言いかけ、そして口ごもるルキナの姿に、釘を1つ。
「察してくれてるなら、分かってると思うけど、一緒に来るのはダメだからね。ルキナの方にまで気を回す余裕、俺にはないんだから」
「うん……」
しょんぼりと肩を落とし、視線を落とすルキナに、レンは苦笑する。
「そんな心配しなくていいよ。用事が危ないことなのは認めるけど、だからこそ、1人で行く気はないからね」
その言葉に、ルキナは顔を上げ、レンを見る。その視線を受け、レンはにっこりと笑って見せた。
「オーアさんにね、頼ろうと思うんだ。なんだったら、正式に依頼してでもね」
そこまで言って、ようやく少し安心したらしい。そっとルキナは息を吐く。
「そっか……レン」
「なぁに?」
「……絶対、ちゃんと、帰ってきてね」
そう紡いで、ひたとこちらを見る蒼い瞳に、レンは、ふっと口の端を吊り上げ、宣言する。
「当然。これからも変わらず、ここにいるために、俺は行ってくるんだから」
*******
『――って訳で、護衛依頼、受けてくれない?』
『いやいやいやいや! 何が“って訳”だよ!? ちゃんと説明してくれませんかねぇっ!?』少しだけ悪戯心を出して何の前振りもなく送った耳打ちに、返ってきたのは予想以上の慌て声。打てば響く反応に、レンは思わず笑い声を零した。
『あははっ。ごめんごめん。ちょっとね、ポートマラヤに行く用事が出来ちゃってね。1人でどうにか出来るとは思えないから、手を貸してくれる人が欲しいんだ』
『それは、別にいいけど……ポートマラヤねぇ。聞いたことはあるけど、俺、行った事ないから、あんま役立たなくないか?』
なんで俺? とオーアは疑問を乗せる。
その問いにレンは口の端を吊り上げた。
『色々な面から見て、1番向きだから。オーアさんには悪いんだけどね』
軽く肩を竦め、声を返す。
その答えはきちんと納得できるものではなかったらしい。オーアは、ん~~、と声を漏らした。
『急ぎの用事もないし、さっきも言ったけど協力するのは良いんだけど、そも、レンの用事って何なんだ?』
当然のものだろう疑問に、オハナシアイかな、とレンは小さく息をつく。
『俺さ、ここんとこ、夢見悪いの』
『へ?』
唐突な言葉に、オーアの口から間の抜けた声が零れ落ちる。そんな困惑した声を、まるっと無視して、レンは続きを紡ぐ。
『一応仮にも半分は夢魔である僕が、自分の夢すら掌握出来ないとか、あり得ないんだよね。――格上の相手から、干渉でもされない限り』
『っ!』
レンの言葉に、オーアは息をのむ。それはつまり、レンが現在進行形で、何者かからの干渉を受けている、ということだ。
『まぁ、僕はまだ夢魔としては未熟な上に、半魔だからね。必然的に格上ばっかではあるから、そこは良いんだけどさ』
『いや、良くないだろ!』
反射的にそう突っ込みを入れ、オーアは腕を組む。ようやく、話が見えてきた。
『つまり、レンに干渉しかけてきてる奴が、ポートマラヤにいる、もしくは、その手掛かりがある、って事か』
『ご名答。相手には心当たりしかないからね。ポートマラヤにいると思ってくれて構わないよ』
なんせ、夢での言葉が“戻っておいで”だからね、とレンは皮肉気に口元を歪める。彼の生い立ちは聞いた事があったため、オーアは顔を顰めた。
『なるほどな……。まぁ、なんにせよ、俺が向き、ってのは分かった。確かに相手がそういうのなら、向きだわ』
『そういう事。狙いはピンポイントで俺だろうとは思うけど、万一にもルキナの方に飛び火させるわけにはいかないからねー。囮も兼ねてお願いしたって訳』
『ぉぃ』
あんまりな言葉に、思わず突っ込みを入れるオーアだったが、レンはけろりとした声を返してくる。
『だから悪いって言ったじゃない。本命の近くにこんな美味しそうなのがいたら、絶対余所見なんてしないだろうからねー』
ポートマラヤから遠く離れた地にいる自分に干渉出来るくらいだ。その周りにだって、干渉できる可能性がある。ならば、耐性が皆無であるルキナに矛先が向くのは、絶対に阻止したい。
故にルキナには詳しい事は話さず、クリムにだけ話し、ルキナについててくれるよう、頼んであるのだと言うレンに、オーアは息を吐く。
『……まぁ、正しい処置ではあるな。この手の輩は、認識するだけでも、縁がつながりかねないから……』
今回の例で言えば。レンを狙っている夢魔がいる、と認識するだけで、相手から補足されやすくなるだろう、とオーアは言う。
『どうせ、クリムには説明したのも、知ってる事が縁に繋がりやすくなるのを逆手にとって、万一読みが外れて、留守番組に矛先が向かったとしても、クリムの方に少しでも狙いが行きやすくなるようにするためもあるだろ。まぁ、事情知ってる奴が欲しいのもあったとは思うけどさ』
『ん。当然の措置だよね』
さらりと返る肯定に、オーアは1つ息を吐く。
『何か、ちょっと複雑……。ほんっと、ルキナちゃん守るのに手段選ばないなー』
まぁ、その対応に否はないし、クリムもそうだと思うけど、と言葉を零してから、ん? とオーアは首を傾げる。少年が沈黙したままなのに気が付いたからだ。
『レン? どした?』
重ねて問いかければ、今度は少年の口から、んー、と複雑そうな声が零れ落ちた。
『……俺さ、ルキナの事、守るとは思ってないんだよね』
『は?』
レンの言葉に、オーアの口から呆れた声が転げ落ちる。一音に込められた感情を表すなら、何言ってんのお前、だ。
『ルキナと再会してから、一緒にいる、隣にいる、優先する、っては言ってるけど、守る、っては、俺、口に出してなかったと思うんだけど? 今回のこれも、巻き込まないようにする、としか言ってないよね?』
『え? あ、あー……そういえば?』
なんとも言えない声を返してくるオーアに、レンはため息を1つ零す。
『さすがに今回は、今回の生では、同じ轍は踏まないよ。俺は、俺のこと、分かってる。俺が守ろうとしたって、逆に傷つけるだけだ』
『んなこと――』
『――あるの』
否定しようとしたオーアの声を遮り、強く言う。
あぁ、口の中が苦い。なんとなしに、そう思った。
『だって、俺も守られる側だから。今はこんななりだし、元々ルキナと同じ製薬型だったから……戦闘は、どうしてもね。守ろうとしたら、どうしたって、捨て身になる確率が上がる』
――あの時、ルキナを庇った時のように。
生まれ変わったとしても、最期の記憶と、その後の事は、色褪せる事無く自分の中に刻まれている。だから、知っている。それは――
『――それは、絶対、やってはいけない事だから。1番、ルキナを傷つける。壊しかねない程に。それを身をもって知ってるからね。ついでに、その事で、どれだけ後悔したと思う? だから、手助けはしても、一緒にいる事はしても、守りはしないよ。そう、決めてるからね』
それは、きっと、“俺”のトラウマにも近いものなのだろう。けれど、1度、彼女を壊しかけた自覚がある自分だからこそ、決めたのだ。他の何を犠牲にしても、ルキナの心は傷つけさせないと。そう言えば、オーアは疑問符を飛ばす。それは、守るという事ではないのかと。
その言葉に、レンは皮肉気に唇を歪める。
『何を犠牲にしても、って言ったでしょ。もしも、俺かルキナ、どちらかしか生き残れないような状況になった時。俺を犠牲にしてルキナが泣くくらいなら、俺はあの子を見殺しにする方を選ぶ。俺が言ってるのはそういう事だよ』
そんなものを守るなんて、言える訳がない。そう言ってから、でも、と口にして、レンは少しだけ頬を緩め、囁くように言葉を紡ぐ。
『俺がルキナを守らなくても、ルキナを守ってくれる人がいるでしょ。だから、大丈夫って、思ったんだ』
それは、そんな最悪な状況に陥る前に、助け出してくれると、周りを信じている、という事だ。捻くれた物言いの方が多い少年の、けれど確かに在った信頼。それに思わず笑い声を零せば、不審そうな声が返る。それに、なんでもないと誤魔化してから、改めて、オーアは口を開いた。
『話は分かった。協力もする。……けど、ちょっと相談だ』
『何?』
『こっちで、もう少し、人、増やしていいか?』
助っ人を頼みたいのだと、オーアは言う。
『ん。それは構わないよ。正直、相手の力量も未知数だしね。……わざわざ、僕みたいなのを作るくらいだ。厄介なのは目に見えてる』
『あぁ。……話聞いてから、なんか、ヤな予感というか、ざわざわちりちり落ち着かない気がしてな。こういうの、無視すると痛い目見っから』
『ん。お願い。俺も僕も知人は少ないからね。オーアさんに任せるよ』
間髪入れずにそう言葉を紡いで、レンは助っ人の許可を出す。
ルキナとの約束もあるのだ。負ける気など欠片もない。勝利に結びつくのなら、なりふり構っている場合ではないのだ。
故に、レンも声を送る。
『ねぇ、オーアさん。ちょっと俺からも、相談いいかな? 細かい事情報共有したいし、耳打ちじゃなくて、会って話したいんだけど』
*******
『リーベさん、今大丈夫?』
不意に届いた耳打ちに、リーベはフォークを口にくわえたまま、軽く目を丸くした。口の中に広がる苺の甘酸っぱさに、濃厚なカスタードの柔らかな甘み、サクサクとしたタルト生地の香ばしさ。それらをじっくりと味わう間もなく飲み込み、リーベは耳打ちを返す。
『オーアちゃん? どうかした?』
次いで、同席している親友に、ちょっと耳打ちが来たと断りを入れる。リーベの言葉に1つ頷いて、柚葉は己の目の前に鎮座する、薄紅色のムースへと匙を向けた。上にとろりとかかっている紅いソースは美しく、口に含めば、濃厚な苺の味としっかり主張するミルクの風味が口いっぱいに広がった。ムースは甘さを控えめにしているらしく、素材の味が存分に楽しめ、柚葉は頬を崩す。
美味しいと評判で、自分自身もファンである喫茶店の菓子を満喫している親友の姿を目にしつつ、リーベは耳打ちへと意識を向ける。そうして、オーアからの簡潔な説明と協力要請を聞いて、眉を寄せた。
『話は分かったわ。その手の直感は大事だから、こうやってちゃんと話を持ってきてくれたのも、正解。……なんだけど。ねぇ、オーアちゃん。1つ確認なんだけど、そのお相手さん、どこにいるか詳しい事は分からないのよね?』
『あー、うん。ポートマラヤにいるのは確定だけど、そこからは探す必要があるだろうって。最も、向こうから来てくれるかもだけど、っても言ってたな』
予想は出来ていた答えに、リーベは1つ息をつく。
『となると、私達だけじゃ、危ないわね』
『ん?』
思わず零れた言葉に、オーアが不思議そうな声を漏らした。その反応で、オーアが件の場所について、あまり知らないのが露見したが、退魔師という括りで考えれば縁のない場所である。知らないのも無理はないだろう。あと、そもそも力量が足りない。
『ポートマラヤの街の外には、結構強い魔物が出るのよ。落とすものはあまり良くないけど、鍛錬に良いって、3次職に人気があるようなのが』
リーベの言葉に、オーアから潰れたロッタフロッグのような声が漏れる。
『うっげ……それ、絶対、俺じゃ手も足も出ないやつ……』
『そうなるわね~。私はジュディックスとアドラで対応可能ではあるけれど、1人でどうにかするのはちょっと荷が重いのよ。でも――』
『うん。話聞く限りだと、行く必要が出る可能性は、ある』
『街の中に居てくれれば良いんだけどねぇ~。まぁ、そんな訳だから、もう2人くらい、人を増やしていいかしら? オーアちゃんと私経由の依頼だし、依頼料はまけておくから』
そう提案すると、オーアから、ちょっとまって、と声が届き、しばし沈黙が流れる。大元の依頼人の方に確認を入れているのだろう。
リーベの予想と違わず、程なくして、オーアから声が返った。
『安全策は出来るだけ取りたいから、むしろお願いするってさ。あと、命の対価をケチる気はないから、きっちり請求して欲しいって』
『あら、じゃあ、ありがたくそうさせてもらおうかしら』
そう笑い声を零してから、二言三言話して、一旦耳打ちを切り、リーベは柚葉へと視線を送る。その視線を受け、柚葉は紅茶を飲む手を止め、リーベを見返すと小首を傾げた。
「終わりました?」
その問いかけに、リーベはにこりと笑って見せる。
「それは、柚ちゃん次第かしら」
その言葉で、大体を察したらしい。柚葉は手にしていたカップをソーサ―へと戻し、1つ息をつく。
「貴方への依頼が、こちらにまで波及しましたか。それで?」
詳しい話を促せば、リーベは今までの耳打ち内容を簡潔に説明する。すると、話を聞いていた柚葉は軽く目を伏せ、眉を寄せた。一見、難色を示しているかのような反応であるが、そうではない事を知っているリーベは小さく笑う。
「柚葉ちゃんが参加確定なら、頼もしいわ。それで、何が見えたの?」
「……直感が働いた時点で、面倒な案件なのは知っているでしょうに」
「柚ちゃんが見えなくたって、面倒な時は、面倒で大変だもの。なら、事前に何か知れるのは幸運でしかないわ」
溜息を吐く柚葉と対照的にリーベは明るく笑う。そんな彼女につられたかのように、柚葉も小さく笑みを浮かべた後、首を傾げて見せた。
「――といっても、今回、私が直接関わっていないせいか、かなり曖昧……というか、ん~……」
声を漏らし、柚葉は再び、瞳を閉じる。
「……試金石、人手不足……暗い……? 人手不足とあるのに、直接関われない感触があるのですが……」
まず、そもそも、直接関わっていないにも関わらず、直感が働くほど面倒な案件である。故に、簡単に見えるモノではないのでしょうけど、と呟く柚葉に、リーベも小首を傾げる。
「矛盾してるねぇ」
「えぇ。……あぁ、でも、幸運、とも出たので、まだ他にも何かしらはありそうですね。あと、探すべきは日の射さない所になりそうです」
小さく息を吐いた柚葉に、リーベは腕を組む。
「まぁ、お相手さんの方は行ってみないと何ともよね。ちなみに、人手不足、っていうの、現時点で、よね?」
「えぇ。まぁ、これは納得ですよね。話を聞く限りでは、ものの見事に後衛しかいませんから」
柚葉の言葉に、リーベはにっこりと笑みを見せる。
「そこは私に任せて! もう1人助っ人頼もうかと思っているの」
きらきらと瞳を輝かせて笑う、自称義理の妹に、その魂胆が分かってしまって、柚葉は苦笑する。
「公私混同は程々に、ですよ?」
「分かってるわよ! それに、別に私情だけでそう言ってる訳じゃないし。エドアルトさん、強いもの」
まぁ、確かに私情もあるけどね、と、悪戯っぽく笑ってから、リーベは、だから、これ食べたら依頼しに行ってくるわね、と、食べかけのタルトを示してから宣言する。依頼など、耳打ちでも行う事が可能であることを考えれば、わざわざ直接会いに行くあたり、なるほど、確かに私情以外の何物でもない。けれど、愛しい人に会いたいという気持ちは良く分かる。故に柚葉は苦笑するに留めて、紅茶を口にしてから、1つ息をついた。
「……いっそ、想いを告げてしまえば良いのに、とも思うのですけどね」
独り言に近いその言葉に、リーベは、少し目を丸くしてから、笑って見せた。
「いやーよ。脈ないの、分かってるもん。奥さん、居たのも知ってるしねぇ……こうやって会って、少しお話出来るだけで幸せだもの。下手なことして、それを壊したくはないのよ。……っていうか、柚ちゃんにそれ言われるのは、とても複雑なんだけど?」
わざと少し膨れて見せれば、柚葉はくすくすと笑い声を零す。
「私とあの人が、貴方によく言われていた事ですものね」
「ホントにね。兄さんも柚ちゃんも、お互いの気持ちなんて、周りにバレバレだったのにさぁ」
「仕方ありませんわ。私にも、あの人にも、応えられない理由があったのですから」
「むぅ~」
ある意味いつもの、と言っても良いくらい、よくあるやりとりを繰り返した後、柚葉は艶やかな黒髪をさらりと揺らし、小首を傾げる。
「さて。それでは私は、一足先に準備を始めていても良いかしら? 用意しないといけないものもありますし」
その提案に、リーベは軽く頷いた。
「確かに、その方が良いわね。じゃあ、後は耳打ちで連絡とりながら、という事で」
「えぇ」
頷き交わし、柚葉は席を立ち、リーベは、オーアからの耳打ちが来てからずっと置いたままになっていたフォークを再び手に取ったのだった。
*******
ふわりと頬を撫でていく潮風に、遠くの方で聞こえる海鳥の声。
海鳥の声は、ここもフィゲルも同じだけど、潮風は気温の差か、こちらの方がじっとりとしている気がする。と、半分現実逃避のように思いながら、アルベルタの白く舗装された道を歩く。
ここから、ポートマラヤへ向かう。
自分で決めた事だし、覚悟も決めていたはずだが、やはり、いざとなると、些か緊張する。その事実にレンは息を吐いた。
(……まぁ、しょうがないか。“僕”にとって、嫌な記憶しかない場所だからな)
迫害に耐えかね、夢の世界に逃げ込んでいたあの頃。もし、“俺”の記憶が戻らなかったら……そんなもしもを想像しかけ、レンは軽く頭を振る。その様子に気づいたらしい。頭上から声が降ってきた。
「レン? どした?」
そう声をかけてくる鮮やかな金髪の青年を見上げ、レンは息をついて見せた。
「何でもないよ。……って言いたいとこだけど、今回の元凶のせいで、少し、寝不足なんだよね」
嘘は言っていない。
そのためか、オーアは軽く頷き、あっさりと納得した様だった。
「あ~、ナルホドな。いっそ、船乗ったら寝てるか?」
「今の現状で、寝る、って行為がどんだけリスキーなのか分かって言ってる? まだ、干渉段階で、侵食はないから大丈夫だろうけど、毎回毎回呼ばれるんじゃ、休んだ気がしないんだよね」
ホンットいい加減にしてほしい、と吐き捨てるレンに、オーアは、悪夢払いの護りかけてやろうか、口にする。その提案に、レンは何とも言えない表情を浮かべた。
「それ、実際のとこは夢魔払いでしょ……俺に使って平気な訳?」
「あ。……あー……言われてみれば、どうだろ……? でも、アレ、対象者への干渉を防ぐのが主な効果だから、問題ないんじゃないか? ……少なくても、レンに相談されたアレよりはよっぽど無害だと思うぞ」
ホント、思い切った手を考えたな、と呆れた息を零すオーアに、レンは鼻を鳴らした。
「当然でしょ。俺がまともに戦っても勝てる相手じゃないのは百も承知何だから。それなら、邪道に走るよね」
「いや、邪道ってよりむしろ……」
レンの言葉に反論しようとしたオーアだったが、その言葉は途中で別の声に塗り潰された。
「オーアちゃん!」
「……ちゃん?」
どうやら、会話しながら歩いているうちに、オーアが繋ぎを取ってくれた助っ人との待ち合わせ場所に着いたらしい。オーアの名を呼び、1人のアークビショップが駆けてくる。彼女が発した呼称に、思わずレンが首を傾げて呟けば、カッとオーアの頬に朱がのぼった。
「っ、リーベさん! オーアちゃんは止めろって言ってるじゃんかっ!」
反射的にそう非難の声を上げたオーアに、リーベと呼ばれたアークビショップの女性は、ぱちり、と目を瞬かせた後、ころころと笑う。
「いいじゃない。オーアちゃんはオーアちゃんなんだから」
オーアの抗議を笑って流し、リーベはオーアの隣に立つレンへと目を向けた。
「さて。あなたが今回の依頼人なのかしら?」
そう問いかけてきた彼女を、レンも見返した。
柔らかな薄茶の髪を腰近くまで伸ばし、それを項で1つに纏めている。背丈はレンよりも高く――といっても彼の身長は、小柄な女子と大差ないため、当然彼よりも背の高い人間の方が多いのだが――、オーアよりも低い程度だ。
美人、というよりは、愛嬌のある親しみやすい顔立ちで、まじまじとこちらを見てくるリーベと目が合う。するとリーベは、そのミルクティー色の瞳を見開き、次いで、目を細めた。
「あなた……」
柔らかだが、少しだけ、尖った警戒交じりの声。
気が付いたらしい。それが分かって、レンは思わず、小さな笑みをこぼした。
「想像の通りだよ。初めまして」
人とは違う瞳孔の紅い瞳を細めて、そう言って見せれば、リーベの視線はオーアへと向く。
「オーアちゃん。“大丈夫”なのね?」
探るように問いかけられた言葉に確信する。あぁ、この人は、オーアの事を“知っている”人だと。
故に、レンは、オーアがそれに答えるより早く、口を開いた。
「オーアさんにはお世話になってるよ? “色々と”」
含みを持たせたその言葉に、リーベが片眉を上げるのと同時に、オーアが大声を上げる。
「だーーっ!! 何余計な事言ってんだお前っっ!!」
「何さ。余計な事なんて、何も言ってないでしょ」
「ワザとなの!? 無自覚なの?!」
「ただ、キミの無防備の一因を買ってそうだと思ったから、必要なことを付け加えたのは確かだね」
「それが! 余計だって言ってんだよ!! 自分の命綱自分で切ろうとしないでくれます!?」
そう叫んで、オーアはガックリと肩を落とす。
「あぁ、くそ、でもめっちゃ納得した。コレ、アレとかクリムに初手でかましたらそりゃ一触即発になるし、あぁもなるわ……。むしろ、クリムとはちゃんと和解出来てるのに驚くわ……」
「そりゃ、クリムさんには”俺”の頃の恩があったからね。後で非礼のお詫びと感謝はしてますから」
「ナルホド……アレとはそも、仲良くする気がなかったと。分かるけど……」
「当然」
すっぱりきっぱり言い切るレンに、再度ため息を落としてから、オーアは、はっと顔を上げる。
「あぁぁあぁっっ!! リーベさん! えっとそのレンは――」
慌てて言い募ろうとするオーアの姿に、リーベはくすくすと笑い声を零した。
「大丈夫よ。今のやり取りで分かったから」
笑ってそう紡いでから、リーベは改めて、レンへと視線を戻す。
「今回、オーアから応援要請を受けました。リーベ・プロフェートと申します」
「レン、と言います。この度は、依頼を受けてくれた事、感謝します」
形式ばったやり取りを交わしてから、リーベは笑って片目を瞑る。
「私は、オーアちゃんと同じ退魔師型のアークビショップをしているの。よろしくね?」
「俺は……基本製薬型のクリエ予定。後、まぁ、見ての通り、先天性の半魔だよ。生い立ちが今回の依頼に繋がってるから、そこら辺は向こうに見える人と合流してからするけど、一言言えるとしたら、今現状、人よりも魔寄りだから、オーアさんにはいろいろお世話になってる、かな?」
「あぁ、なるほど、そういう事……。あと、ちょーっと聞き捨てならない事が聞こえたんだけど……後ででいいから、オーアちゃんの無防備の一因って事について、教えてもらっていいかしら?」
にこりと、笑って言ったリーベの言葉を聞いて、レンは、その少女めいた顔立ちにそれはそれは可憐な笑みを浮かべて見せる。
「ぜひ」
にっこりと、綺麗に笑って頷くレンに、何やら非常に嫌な予感を覚えたらしい。オーアは頬を引きつらせ、レンの肩を掴む。
「おい、レン。お前、何か余計な事言う気じゃ……っ」
「え~? キミに心当たりがなければ大丈夫じゃない? 事実しか言わないし」
「レン!!」
全然、全く、ルキナだけで手一杯だから、その無防備さ加減について釘刺してもらえ、なんて思ってないよ? なんて、いけしゃあしゃあと口にするレンにオーアは抗議の声を上げる。それをにっこり笑って諫めたのはリーベだ。
「はいはい、オーアちゃん。船の時間もあるし、顔合わせも終わってないんだから、余計な事してないで、行くよー」
「いやっ! 余計じゃないからなっ!! むしろそれはレンの方だろっ!!」
反論するオーアもなんのその。その腕を掴み、リーベは己の仲間達の元へと案内すべく歩きだし、レンもそれに続く。そうして、少し歩き、見えてきた姿にオーアは、げ、と声を零した。
「柚葉さんはともかく、何であの人まで居んだよっっ! 孤児院の警護はっ!?」
「オーアちゃん、いつの話してるの。それは主にクルセイダーの仕事だからね? まぁ、他に任務がない時に、希望していれば、それより上の職になってもやっていいらしいけど」
基本的には平和な、行っては何だが、重要という訳でもない一施設の警護なのだから、経験が浅い者に割り振られるのが普通であり、至極当然であろうと、語るリーベの言葉はもっともで、オーアはうめき声を漏らしつつも押し黙る。そんな反応を見せるオーアとリーベの視線の先へと、レンも目を向けた。
アルベルタ港に停泊する船を背に立っていたのは1組の男女だった。女性の方の背丈はリーベと同じくらいだろうか、朧の制服を身に纏っている。漆黒の艶やかな髪を肩に着く程度にまで伸ばしており、凛とした面差しで、吸い込まれそうな黒曜石の瞳をしていた。
その隣に立つのは、ロイヤルガードの鎧を纏った男性で、背が高く、長身の部類に入るだろうオーアよりも更に高い。落ち着いた緑色の髪に、ターコイズブルーの瞳で、穏やかそうな面差しをしていた。
2人の会話からして、オーアが難色を示したのは男性の方だろう。けれど、初対面で見るくらいでは、オーアが嫌がる要因は分からないな、とレンは思う。柔和に微笑するその姿はむしろ、安心感を抱かせるものだろう。
普通であれば。
ほぼほぼ無意識に、一歩後ずさり、オーアの背後へ半分隠れるように移動したレンは、胸中でそう付け加える。頭では問題ないと分かっていても、僕の受けた仕打ちから、見知らぬ大人が複数人いるという状況は、恐怖と警戒心を掻き立てるらしかった。
困ったように苦笑する男性に、オーアは口を尖らす。
「だーって、しゃーないじゃんか。あんたの顔見ると色々思い出すんだから」
「まぁ、確かに。あれは、こっちも忘れられないからね」
「余計なことは言わんでいいっ!」
その前に言おうとしたら、ぶったたいてでも止めるけど!と語気を荒くするオーアに、男性はオーアをじっと見た後、小首を傾げる。
「オーアじゃあ、逆に自分の手を痛めそうだから、止めておいた方が良い」
そう言う男性の語調や纏う雰囲気から、嫌味でも何でもなく、むしろ、純然たる事実として心配し、忠告しているのが分かってしまって、オーアはがっくりと肩を落とす。「あぁもう、嫌味なら反発できんのにっ」
そうではないからこそ、性質が悪い。
心の底からオーアはそう思う。
別に邪険にしたい訳ではないのだ。彼も、子供の頃に世話になった恩人の1人ではあるのだから。けれど、しっかりと関わりを持ったのが、まだオーアの名を貰う前だった上に、思い出したくない出来事の真っただ中だったため、顔を見るたびに黒歴史が思い出されるのと、そういう過去の思い出話を軽率にぺらぺら口にしてくれる自称兄貴分な幼馴染と同じ職なため、つい警戒心が先立ってしまうのだ。後半の理由に関しては、風評被害であるのは分かっているので、悪いとも思うのだけど、つい……
そんな事を思うオーアの様子に、レンは小首を傾げた後、小さく息を吸い、オーアの陰から1歩出ると、2人を見上げた。
「レン、といいます。この度は、俺の私事に協力して下さり、ありがとうございます」
きっちりと猫を被り、柔らかに笑って紡いだ挨拶に、目の前の2人も返礼する。
「私は、倉橋柚葉と申します。依頼での間柄にはなりますが、どうぞよしなに」
「エドアルト・ハウトスミットと言います。役目はしっかりと果しますので、どうか、ご安心を」
リーベ同様、形式張ったやり取りを交わして、レンはほっと息とつく。パーティを組むことになる以上、互いの正確な名を知る必要があるし、金銭が絡む依頼である以上、キッチリする所はしないといけないのは百も承知だが、慣れないものは慣れない。猫被るだけでいいなら、まだ楽なんだけどなー、俺は。なんて考えた所で、失念していた事があったのに気づき、あ、と声を上げた。
「レン? どした?」
目を瞬かせ、問いかけてくるオーアに、あー、と意味のない声を漏らしてから、レンは顔を上げ、何事かと見てくる3人へと視線を移す。
「すみません。今、レンと名乗りましたが、冒険者登録名は、レン・ストロフィードなので、耳打ちなどの時はそちらでお願いします」
その訂正に、周りは一様に拍子抜けした顔をする。単純に家名を名乗り忘れたのだと思われたのだろう。普通なら、そう思うのが当然だ。
(……俺は、確かにレンだけど、もう、ストロフィードじゃないからな……)
ストロフィード家の、あの両親の子として、なんだかんだ愛情を注いでくれた兄の弟として、生まれ育ったのは前世での事、今世ではない。いくら、前の記憶があったからといっても、その血を継いでいない今の自分が、その家名を名乗るのは、間違いだと思うのだ。
とはいえ、生まれ変わりが認められ、正式に前世の資格をそのまま引き継いでいる以上、冒険者登録名が必要な時は、このように必然的にストロフィードの名を名乗ることになるのだが。
その事実に、なんとも言えない苦笑を1つ零してから、レンは、周囲の人を見、小首を傾げて見せた。
「とりあえず、船の時間もありますし、他の話は、乗船してからにしましょうか。皆さん、ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」
そう言って、レンはもう1度軽く頭を下げたのだった。
be continued
あとがき
……内容的にはまだまだとはいえ、久方ぶりに小説を書き上げた気がする。(交流文・お題以外の)
でも、それが、何で、他に書かないとなの山となっているのに、なんで、転生後時間軸のポートマラヤ編!?とは私も思う ←ぉぃこら
まぁ、理由は1つだ。私が書きたい&読みたかったから……!!
読みたいものから書いてる感はあるよな、特に最近……完全に私自身のために書いている……
何はともあれ、次から本格的にポートマラヤだ。はてさて、どーなる事やら。こっから病院に入るまでが地味に長い(苦行になる)と予想してるのよねぇ……でも、読みたいからガンバる……
ちなみに、最期の方に出てきたRGさんは、るいさんのお宅からお借りしました……! 穏やかそうでカッコいいんだけど、ちゃんと書けてるか、こっから先書けるか、非常に戦々恐々。パーティメンバー的に前衛が欲しかったのと、オーアやリーベさんとの絡みが面白そうだったのとで、お借りしたため、後悔はしてないけどね! 苦情来たら平謝りするけれど(
……次から5……違うな、4人か。ちゃんと全員しっかり描写できるか、いろいろ試される奴ですな(3人以上だと空気が出る人)頑張ろう……
使用素材: 篝火幻燈様 くらむぼん