生暖かい、潮気を含んだ風が吹く。
それは、ざわざわと木々を揺らし、石畳に伸びる影がその動きに合わせてくねぐねと踊る。日差しの強さを表すように、その影は黒く、そこへと足を踏み入れれば、涼がとれそうだと思う。
欠片も、そんな気分にはならないけども。
1つ息を吐きだし、その原因である、木々に囲まれるように在る建物へと視線を向ける。まだ、真新しい、2階建ての大きな建物。群青色の屋根に、淡いオレンジの壁。少し視線を上げれば、大きな時計が見えた。今は昼前くらいのはずだが、その時計は1時50分を指している。そこで、止まってしまっているのだろう。おそらく、この建物、病院が閉鎖されてから、ずっと。
窓はあるが、その中は、カーテンに遮られていて、窺い知ることは出来なそうだった。
それらを眺め、オーアはもう1度息をつく。目的地である病院で、しっかり目視出来るくらいには近く、けれど、まだ、そこそこ距離がある、この時点で、既に分かる、建物から発せられる禍々しさ。それにレンが気付かなかったはずがない。ならば、逃げようとして、逃げられなかった、という事だろう。

「……想定より、まずい状況か、これ」

眉を寄せ、小さく呟く。ドクターブンには、レンも対抗手段を持っていると言ったが、それは彼に意識があれば、の話だ。もし、意識を奪った後、ここに連れ込んだのなら、猶予は一気に、減る。そこまで考えた、その時だった。

「オーア」
「ん?」

ヴァレリーに名を呼ばれ、オーアはそちらを振り向く。と、病院を見上げていたオーアとは対照的に、じっと石畳を見るヴァレリーとエドアルトの姿があった。視線を下に向けたまま、手招きするヴァレリーの元へと赴けば、ヴァレリーは口を開く。

「オーア達が探してる奴、やっぱここにいるので間違いなさそうだ。ここ、分かる?」
「んん?」

石畳の一部を、すっと、短い線を描くように指し示すヴァレリーに、オーアは首を傾げる。その反応に、エドアルトは苦笑をこぼし、言葉を言い添える。

「まぁ、石畳だと分かりにくいのは確かだな。ここ、引きずられたような足跡があるんだ」

その言葉にオーアは目を見開く。口を開こうとしたその刹那、オーアよりも一拍早く、リーベの声が響く。

「引きずられた、って事は、レン君の意識を奪って、ここに連れ込んだ、という事かしら」

オーアと同じ懸念を抱いているのだろう。その声には焦燥が滲んでいた。その言葉に、ヴァレリーは軽く首を振る。

「いや、それだったら、線はもっと長く、一直線に伸びる。でも、これは、こう、短い線のあと、ここ。少し間を空けて、強く踏みしめたような後があるだろ? だから、たぶん、腕とか掴んで、強引に引っ張ってった、って感じじゃないかな」
「なるほど……」

ヴァレリーの見解に、オーアは少しだけ、ほっとした声を落とす。そんなオーアの横で、エドアルトは、ただ、と口を開いた。

「おかしいのは、そんな足跡が残ってるのに、他の足跡はない、って所かな。普通なら、レンを連れ去った相手の足跡も一緒にあるはずなんだけどな。……まぁ、それが逆に、相手が人じゃない、って証明になりそうだけど」
「はー……なるほどなぁ。てか、2人とも、よく分かるな、そんなの」

しみじみと感心した声を零したオーアに、前衛職2人は、1つ瞬いた後、ほぼ同時に口を開いた。

「慣れ」
「経験、かな」

どの程度身についているかは個人差があるけど、とりあえずシーフギルドで叩き込まれるからな、とヴァレリーが。騎士団で担当した事件等で、そういったスキルが必要になる事も珍しくないのだとエドアルトが。それぞれ答える。
それにオーアは、3度目のなるほどを口にし、それじゃあ、さっさと行くか、と足を踏み出した。その時だった。むんず、と法衣の裾を掴まれる。

「おわっ!?」

つんのめるように、たたらを踏んだオーアが振り返れば、オーアの法衣をしっかと握りしめ、にっこりと、全く笑ってない笑みを浮かべたリーベの姿があった。

「オ ー ア ち ゃ ー ん? なあに、先に、前に、出ようとしてるのかなぁ?」

その声色に、オーアはぐ、と一瞬言葉を詰まらせてから、慌てたように、言葉を紡ぐ。

「だ、大丈夫だって! あんなん、どう見てもいるのは、それ系だろっ!!」

ぴ、と病院を指差し、言い訳するオーアに、リーベは淡々と口を開く。

「ライドワード」
「う……」
「ジルタス」
「ぐ……」
「深淵の騎士」
「うぐぅ……」
「何か言う事は?」
「……すいませんでした」

ガックリと肩を落とすオーア。そんな2人のやりとりを見て、ヴァレリーは首を傾げる。ふよふよと、頭上に疑問符が浮かんでいそうなその様子に、小さく笑って柚葉は口を開いた。

「グラストヘイムに出てくる、不死・悪魔以外の魔物の名ですね」
「ん、それは分かるけど……」
「要するに、あんな、この場から見ている現時点で、グラストヘイムやニブルヘイムと同等の空気を発している事が分かる場にいる魔物なら、MEで対処可能だから大丈夫だという主張に、そんな場に生息していて、オーアさんではどうにもできない相手をあげ、論破した、という所ですね」

柚葉の言葉に、エドアルトとヴァレリーは軽く目を見張る。2人の目に映る病院は、真新しい、ただの建物だ。少し、暗いような気がしなくもないが、ドクターブンの話を聞いている先入観かな、と思う程度で、そこまではっきりとした異常は感じられない。 そう思ったのを察したのだろう。柚葉は苦笑を浮かべる。

「それは、街長とシャーマンの方が、対処したためでしょうね。でなければ、住民の方々が、何も知らずに生活なんて、出来るはずがありませんから。扉を開ければ、一目瞭然になるかと」

そう口にしてから、柚葉はオーアの方へと視線を向ける。

「オーアさんも。自分が後衛であるという自覚を持って下さいまし。まぁ、この手の場では、”どこにいても同じ”でしょうから、感覚的に難しいのも分からなくはないですけど」

その言葉に、エドアルトはターコイズブルーの瞳を瞬かせる。どういう意味なのかと、問いかけようとした、その時だった。

「あの~……」

高めの、そんな声が響いたのは。
反射的に声の方へと視線を向ける。それは、病院の扉の左手前。そこに植えられた木の陰から、ひょこりと顔を出す、女性の姿があった。シナモン色の髪をお団子にし、ナースキャップをつけており、身に纏っているのも看護師である事を示すものだ。きょとん、と丸い瞳は黒茶色で、それなりに可愛らしい整った顔立ちをしている。

「もしかして……この病院に入るつもりですか?」

木陰に座り込み、問いかけてきた看護師に、誰が反応するよりも先に、オーアがにっこりと笑いかける。何気ない調子で歩み寄り、視線を合わせるかのように、軽く腰を折り、膝に手をついた。

「そのつもりだけど、あんたは?」

そう問い返したオーアに、ヴァレリーは1つ瞬く。珍しいな、と思った。普段のオーアであれば、しゃがんで、もっとしっかり視線を合わせそうであるし、そもそも、女性に対して、あんた、と呼んだのを見たのは初めてだ。
そんな事を思うヴァレリーだったが、その理由は次の瞬間、明らかとなった。

『要警戒。これ、人じゃない』

パーティ会話で発せられた爆弾に、表情が変わりそうになるのを寸での所でこらえる。そのかいあって、こちらの動揺は気付かれなかったらしい。にこにこと、女性は口を開く。

「良かった~。朝からずっと、誰か通りかからないかと待っていたんですよ~」
「そうなのか?」

そりゃまたなんで、と小首を傾げて見せたオーアに、女性は、自分はここに派遣されてやってきた新任の看護師であること。やって来たものの、どういう訳か病院に入れないことを語る。

『ちょっとオーアちゃん!! それが分かってて、なんでそんな無防備に近づいてるの!!?』

うんうんと、笑顔で看護師に対し、相づちを打つオーアに、パーティ会話で、リーベが叫ぶ。それに、いや、と否定したのはエドアルトだ。

『立ち位置、近いは近いけど、近すぎる訳ではないし、その体勢なら、何かあってもすぐに動けるから、完全に無防備という訳ではないよ。それよりも、まずは確認だ。間違いはないんだね?』
『『ない』』

エドアルトの確認に、オーアとリーベから同時に同じ答えが返る。

『人じゃない、ってのは、間違いない。この手の直感は外れた事ないから』
『オーアちゃんが人じゃないって判じたなら、それはソウイウモノだから、信頼して大丈夫。オーアちゃんの場合、人だと思ったモノが違かった事はあっても、その逆はないわ』
『で、分かってて、茶番に付き合ってる、って事は、何かあるんだろ? 狙いは?』

そう問いかけるヴァレリーの視線の先で、大げさなほど、大きく息を吐き、看護師が嘆く。

「扉は開かないし、荷物は重いし! 足は腫れてもう歩けません。こうなると分かっていたら、歩きやすい靴を履いてきたのに……」
「大変だったなぁ。……俺達で良かったら、手伝おっか? 俺達もここ、入りたいんだ」
「本当ですか! ありがとうございます。こんな親切な方とお会い出来るなんて、この世の中もまだまだ捨てたものではありませんね。私はこの病院の看護師になる予定のラズと言います」
「そっか。よろしくな、ラズちゃん」

笑顔でそんな会話をしているオーアへと問いかければ、レンの居場所が知りたい、と声が返る。

『確かに。レンくんの姿は見えないし、気配もない。で、わざわざこんな面倒な事を仕掛けてくるのが複数いるとも思えないし……となると、テリトリーに引き込まれた、って考えるのが妥当か。なら、うー……何危ない事してるのっ!! って言いたいけど、オーアちゃんの対応は間違ってないかぁぁ』
『どーゆー事?』
『この手の相手は、自分のテリトリー、場を持っている事が多いんです。そして、その場は、こことは少しズレた位相にある事が多いんですの。部外者が見つけるには、痕跡を探し、綻びを見つけ、適切な方法でこじ開ける必要がありますの。……元凶が目の前にいるのなら、そんな時間のかかる方法を取るより――』
『本人に案内してもらえば良い、って事だね』
『ん。下手に討伐すると、ソレが作った場も消滅して、中にいる人も巻き添えになる可能性が高いからな』
『分かった。だから、泳がすのか』

納得したエドアルトの声に、そーゆー事、と返して、オーアは目の前の女性を見る。

「じゃあ、さっそく病院に入りたいのですが……その前に、足の皮が剥けてしまって……包帯とか、何か、足を保護出来るものを探してくれませんか?」

足が痛くて痛くて、と、赤くなった己の足を見るラズに、オーアはぱちりと瞬いてみせる。

「なんだ、それなら、何か探すまでもないよ」

そう言って、オーアはもう1歩、足を踏み出す。
オーアちゃん! と己の行動を見とがめたリーベがパーティ会話で声を上げるが、オーアは敢えて無視して、ラスの足へと手をかざす。

「ヒール」

として唱えるのは、治癒の詠唱だ。痛々しく赤剥けになった足が、すぅっと健康的な肌へと治っていくのを見て、わ、とラズは声を上げた。

「すごい、痛みがなくなりました!」

その様子に、オーアは笑いかける。

「なら良かった」

同時に、パーティ会話紡ぐのは別の言葉だ。

『種族確定。悪魔だ』
『あー……わざわざ、ヒールしたのはそういう……でも、化けてるなら、治ったように見せかけた可能性は? そも、怪我してた振りってのもあり得るだろ?』
『ケガしてたのは、多分、ホント。でも、靴擦れじゃない、別の傷をそう見せかけてた感じだな。だから、治ったように見せかけた、ってのも正解。でも、不死系だったら、聖属性のダメージと不快感はどんだけ取り繕ったって、完全には隠しきれない。条件反射的なもんだからな。だから、それを見せなかったって事は、悪魔で間違いないはずだ』
『まぁ、相手が夢魔なら、当然、悪魔な訳だし、本格的にイコールで確定、かな』

裏でそんな会話をしながら、オーアはラズを伴って、皆の元へと戻る。

『一応、名前、注意な』
「この子、ラズちゃんって言うんだけど、この病院の新しい看護師さんなんだってさ」
「へぇ。よろしくな」

にこりと笑って、当たり障りのない言葉を紡ぎつつ、ヴァレリーは問いかける。

『名前?』
『名前は最も短い呪、呪文とも言われますから。名前を完全に知られるという事は、術をかけられやすくなる、という事に繋がりますから』
『家名も含めて名だから、名前だけならそこまで、問題ないけど……家名がある人なら、ね』
『だから、一応注意って事』
『了解、気をつける』
『なるほど、分かったよ』
『家 名 が あ る 人 な ら ね? しれっとスルーしてるけど、言ってる意味、分かってるわよね、オーアちゃーん?』
『俺が1番気をつけないといけないってのは分かってるってっ!! だから、名乗ったりはしなかったじゃんっ!!』
『もし名乗ってたりなんかしたら、本気で締めてたわよ、オーアちゃん』

倉橋柚葉、リーベ・プロフェート、エドアルト・ハウトスミット、ヴァレリー・リンドリー。彼らとは違い、オーアはこの中で唯一、家名を持たない人間だ。故に、リーベの言いたい事はよく分かる。分かるが、もう少し信用してくれても良いのに、とオーアは胸中で息を吐く。

『……ま、そんな訳で、アレの前で、俺の名前呼ばない様に、特に注意な』

そう言ったオーアに、ヴァレリーとエドアルトが了承を返した所で、ラズは、たっ、と病院の方へと足を踏み出した。

「では! 私1人では開けられませんでしたが、一緒に扉を押してみましょう!」
「おぅ!」
「あ。私も手伝うわ」

意気揚々と扉へ向かうラズに、ひょこっと、そう声をかけ、オーアの隣にリーベが並ぶ。その際、裏で、前衛職組に、こちらが声をかけるまで、手を出さずに見守って欲しいと言い置いて。
そうして、ラズとオーア、リーベの3人が揃って扉の前に立つ。暗い茶色の木製の扉は固く閉ざされている。が、扉を隔てても感じるのは禍々しい空気だ。思わず引き攣りそうになる表情を整え、オーアは扉に手をついた。同じように手をついたラズが、掛け声を発する。

「それじゃあ、行きますよー、せー、のっ!」
「ぐっ!?」

扉を押しながら、改めて扉を視て、思わずオーアは声を漏らす。咄嗟にどうにかかみ殺したので、力を込める際に声が漏れたと思われただけで済んだと思うが、それよりも、だ。

『リーベさぁんっっ!! 何だよこれ、こっのめっちゃごちゃごちゃしたのーーっ!!』
『はいはい、オーアちゃん。泣き言言わないで解析する』
『う~……ホントに何だよこれぇ。全部結界系統なのは分かるけど、3つ? 4つ? 重なってるし、しかも一部絡んでるだろこれぇ』
『オーアちゃん!』

思わず脱力するオーアを叱咤して、リーベは待機組へと助力を請う。

『エドアルトさん、ヴァレリーくん、もう少し時間稼ぎをお願いしてもいいかしら。扉が開かないのは術的なものだから、力じゃ開かないし、扉が壊れる事もないから、思いっきりやっちゃって大丈夫』
『OK~』
『了解。なるほど、だから、最初は手出し無用だった訳か』
『ん。その方が自然でしょ? まぁ、扉が開かない、が罠の可能性もあったから、1番対処出来るだろう私達が矢面に立った、ってのもあるけどね』

軽い調子でそう声を送ってから、リーベはがくり、と肩の力を抜いてみせる。

「うー、開かない……」

そうぼやいてから、リーベは軽く振り返る。その視線の合図に、軽く頷き返し、エドアルトとヴァレリーは茶番の舞台へと足を踏み出した。

「3人とも、交代。俺達がやってみるよ」
「力仕事なら、俺らの方が向きでしょ」
「あ! ありがとうございますっ」

歩み寄る2人に、ラズは、ぱっと笑顔を浮かべ、場所を譲る。同様に、オーアとリーベも立ち位置を数歩横へとずらした。
扉の前に立つエドアルトとヴァレリーを見てから、ふとリーベは、少し離れた所に立ったままの柚葉を見る。その視線を受け、柚葉は艶やかな漆黒の髪を揺らし、おっとりと頬に手を当てた。

「お2人がダメだったのですから、私では役に立ちませんわ」

この場にいる中で、最も小柄で華奢である女性の言葉に、自然と広がるのは納得の空気だ。

『――とか言ってるけど、実際のとこ、柚ちゃん、私やオーアちゃんより力あるからね?』
『っ、マジ!?』
『ホントよ。アマツ人って割と見た目詐欺よねー』
『リーベさん?』
『はいっ! 真面目にやりますっ。オーアちゃんは手前お願い。私は奥からやるから』
『ん、分かった』

ひやりとした声を発した柚葉に、リーベが慌てて指示を出し、オーアがそれを了承する。そんなやりとりを裏でしつつも、表面上は、懸命に扉を開こうとする前衛職2人と、それを応援する周りなのだから、さすがと言うべきだろう。

『――えっと、重なってる術式は4つ。1つは、外から、人が病院に入るのを防ぐ、人避けの術式。2つ目は、病院から外へ、魔物の侵入防止、要するに魔物を病院に閉じ込める効果のある術式。……この2つが、基本、というか、最初に貼られた術式なんでしょうね』
『ん。陣も式も干渉してないから、そだな。ドクターが言ってた、街の指導者とシャーマンがどうにかしてくれた、ってのが、これだろ?』
『だと思うわ。で、問題は3つ目。意図的に、前2つの術式に干渉して、効果を変えてる。たぶん、これ、一定量の魔力を持ってる人なら、効果がないようにしてる、けど、ミスかわざとか、式が甘いから、人に化けた魔なら、抜けられるわね』
『あぁ、それで、ここにいるのが外、出れた訳か』
『ちょっと待った。なら、なんで今はまた、誰も入れなくなってるんだ?』

押してダメなら引いてみろ、とばかりに、扉を引っ張って見せながら、ヴァレリーは疑問を零す。

『直接的な原因があるのが4つ目、という事かな?』
『エドアルトさん、正かーい……』

エドアルトの予想を肯定し、オーアが情けない声を上げる。

『4つ目、術式や陣……んーと、部品自体はちゃんとしてんのに、配置が、ぐっちゃぐちゃなんだよ。そのせいで、効果、発揮してないとこも結構あるしぃ。とりあえず、元々の意図はどうあれ、今現在発揮してる効果は、外から病院への魔物の侵入防止と、リーベさんが言ってた3つ目が作った穴を中途半端に塞いでるっぽい。早い話、アレ含めて、俺らが全員病院に入れないのは、コレが原因だな』

解析に関してはいじょ、と言ったオーアの声を合図に、エドアルトは、一旦、扉を開けようとするのと止め、深々と息を吐く。その様子に、ラズは困ったように頬に手を当て、首を傾げる。

「押しても引いても、横に動かそうとしても、扉は開きませんね。おかしいですね~」
「ほんっとにな」
「まさか、扉を壊す訳にもいかないしね」

ラズの言葉に同調しつつも、エドアルトはパーティ会話で、疑問を零す。

『1つ、疑問なんだが、相手も俺達も入れない場所にレンが居る可能性ってあるのか?』
『ある』

きっぱりと断言したのはオーアだった。そしてその理由を説明するため、声を送ろうとしたその時だった。

「くくく……おじさん達、病院には入れないよ」
「だれっ?」

不意に響いた幼い声に、ラズはぱっと振り返る。

「ふふふふ……名前を言う訳にはいかないのだ! 病院に来たことがお母さんにばれると怒られるからな」

小生意気そうなアルトの声はどこからともなく……否、丁度柚葉のすぐ近くの草むらから響く。

「――どうして、入れないのかしら?」

するりと、柚葉は草むらへと近づきながら、おっとりと首を傾げて問いかける。その言葉に、声は得意げに答えを返した。

「病院の周りを、おばーさんが何か言いながら、棒のようなものを地面に突き刺していたのだ。きっと、ケッカイってやつだなっ」
「結界か……」

その証言にオーアは小さく呟く。それは、そのお婆さんとやらが貼ったのはどっちの結界だ、という自問の呟きだったが、草むらに隠れた子供にとっては、不信の声に聞こえたらしい。む、っとした声が響く。

「嘘だと思うなら、病院の周りを調べてみればいいのだ。いくつも棒があるんだから!」

幼い声がそう叫ぶと同時に、柚葉はオーアへと声を送る。

『オーアさん、この子は?』

端的な問いかけだが、オーアには充分通じたらしい。困惑した様子もなく、さくさくと答えが返る。

『いつの間に居たのかは、全然気付かなかったけど……嫌なモノは全く感じないから、普通の子。確保、もとい、保護しといた方がいいと思う』
『分かりました』

そう言うや否や、柚葉は、草むらへと大きく一歩踏み出し、その細い両腕を躊躇無く草むらの中へと突っ込んだ。

「わっ!!?」

ガササッ、と音を立てた次の瞬間、柚葉の腕の中には、草むらから引き上げられた少年の姿があった。黒に近い茶色の髪に、健康的に日に焼けた肌。相当びっくりしているらしい。つり目がちの小生意気そうな瞳がまん丸に見開かれていた。

「な、ななな何するのだおばさん! なぜ、ボクがここにいることを知っているのだっ?!」

数秒フリーズした後、はっとして、少年はじたばたと暴れるが、柚葉は平然としている。その様子に、先程のリーベの言葉、見た目以上に力があるというのは本当らしい、と納得しつつ、とりあえず、その子供については、彼女に任せて良いだろうと判じ、オーアは軽く手を上げた。

「んじゃ、そっちは任せて、俺は、そこのちびが言ってた、おばーさんが突き刺してた棒、ってのを探しに行ってみるわ」

病院に入れないのに何か関係あるかもだし、とそう言えば、ぱっとラズが視線を向ける。

「ならっ、私も手伝います!」
「んじゃ、俺も行くよ、ちょっと気になるし」

ラズに続いてヴァレリーも声を上げる。それに、さんきゅ、と返した所で、リーベが顔を向けた。

「気をつけてね」
「分かってるって」

ひらりと手を振り、歩き出しながら、オーアが答える。そのやりとりに、ラズは頭上に疑問符を浮かべる。

「何の事ですか?」
「毒ヘビ。この街、たまに出るんだってさ。さっきも、街の方で噛まれた人が出たー、って、騒ぎあったみたいだし」

さらりと、自然な理由を紡いでみせたオーアに、ヴァレリーも同調し、頷く。

「病院の周り、木とか草むらとか多いもんな」
「確かにそれは気をつけないとですね! あ~っ、でも、そんな事があったなんてっ! そんな時こそ、病院の、看護師である私に出番なのにっっ!!」

そんな事を言いながら、表面上は和気藹々と歩いて行く3人から、柚葉と少年の方へと、リーベは視線を移す。

「それで、貴方はどうしてここにいますの?」
「そんな事よりおろすのだ、おばさん!」

その言い様に、エドアルトは軽く眉を寄せると、柚葉の方へと歩み寄り、少年を窘める。

「君、女の人に、おばさんとか、そういう事を言うのはとても失礼で、良くない事だよ」
「あら。良いのですよ。おばさんと呼ばれてもおかしくない年なのは事実ですもの。それに下ろして欲しいなら、そうするのも吝かではありませんわ」

エドアルトの言葉に、ころころと上品に笑い、柚葉は少年を見て、小首を傾げる。ふっと、細められた黒曜石の瞳に悪戯っぽい色が煌めいた。

「――でも、良いのかしら?」

そう言ってから、柚葉は少年から、視線を外し、少年が潜んでいた草むらをじぃっと見る。その、どこか思わせぶりな様子に、少年は勢いよく、草むらと柚葉を交互に見る。

「なっ、なにっ!? 何なのだっ!?」
「いえ……貴方の居た草むら……貴方以外にも色々と“良くないモノ”が居ましたので、そんな所に居たら、夜、とても怖い夢見る事になるかと」
「え゛」

目を見開き、ぴしり、と凍り付いたように固まる少年。そんな子供の様子になど、少しも気付いていません、という顔で、柚葉は呟く。

「けれど、本人がそこに下ろして欲しい、と言うなら、それを無碍にするのは、良くないですよねぇ」

その言葉通り、子供を下ろそうとする柚葉の腕に、少年は慌ててしがみつく。

「のぉぉぉっっ!!? お、おばさんっ!! そんなこわい話した後で、そこに下ろそうとするとか、正気なのだ??! おばさんに人のココロはないのだ!? 足を付けても大丈夫な所に下ろして欲しいのだーーーっっ!!」

必死な声を上げる少年に、柚葉は小首を傾げて見せた。

「それは、良いですけど……私ばかり、お願いを聞くのはずるいと思いませんか? 私の問いかけには、まだ、答えて貰ってませんのに」

そう言って、柚葉はしょんぼりと眉を下げて見せる。と同時に、こころなしか腕も下がり、少年は慌てて叫ぶ。

「話す! ちゃんとお話するのだっっ!」

そんな大人と子供のやりとりを見て、思わずリーベは声を潜めて呟く。

「さすが柚ちゃん。手のひら、ころっころねー」

しみじみと感心したように呟くリーベに、こそりとエドアルトが問いかける。

「ちなみに……柚葉さんが言ってたのって……?」
「あー……正直、どっちもありえるから、分からないわ。私、柚ちゃんやオーアちゃん程、感覚鋭くないのよね。昨日、影に結構潜んでる、って言ってたし、ホントにナニカ居る可能性も有るけど、素直にお話してもらうための方便の可能性もあるわ」

ひそひそと交わされるそんな会話をよそに、柚葉は少年を、要望通り、石畳の上へと下ろす。地に足が着き、心底ほっとした息を零す少年に、柚葉は再度、問いかける。

「貴方はどうしてここにいますの? ……いえ、どうして、ここに来ましたの?」
「え、と……」

柚葉の言葉に少年は、少し視線を彷徨わせた後、おずおずと口を開いた。

「……さっき、ちょっと前くらいかな。何か、声が、聞こえた気がして」

その言葉に、リーベとエドアルドは、はっとして、少年を見る。

「――どんな声でしたの?」
「ちゃんと聞こえた訳じゃないから、間違ってるかもしれないけど、はなせ、って聞こえたのだ。だから、気になって見に来たんだけど、でも、誰もいなかったのだ」
「誰も……先程、病院の周りを見てくると言った看護師さんも?」

柚葉の問いかけに、少年は大きく頷く。

「いなかったのだ! 気になって、あちこち見たから間違いないのだ。それで、何だったんだろー、って、1回ここからはなれたんだけど、おばさん達がこっちに向かってったのを見かけて、気になったから、先回りして隠れてたのだ」

えへん、と腰に手を当て、胸を張る少年に、エドアルトは苦笑する。

「すごいね、全然気が付かなかったよ」
「それは当然でしょう。草むらに潜んでいるモノが、この子の気配も消していましたから」

さらり、と告げられた言葉に、言った本人以外の口から、え、と声が漏れる。
どうやら、先程のひそひそ話の答えは、本当に居る、だったらしい。

「ちなみに、もし、あの草むらで居眠りをしようものなら……誰にも見つけてもらえず、起こしてもらえず、ずっとずっと悪夢を見続ける……なんて事に」
「のぉぉおおおっ!! な、なんでおばさん、そーゆー怖い話をするのだっ!!」
「事実を言っているだけで、別に怖い話はしてませんよ?」
「ホントの事なら、更に悪いのだーーーっっ!」

叫ぶ少年に、くすくすと笑みをこぼして、柚葉は視線を合わせる。

「ね? こういう事もあるので、母君の言葉は、きちんと聞かなければいけませんよ」
「うぐ……」

少年は言葉を詰まらせた後、小さくこくりと頷いた。それに、良い子ですね、と微笑んでから、柚葉は口を開く。

「母君にここに来た事が知られると怒られる、と言っていたという事は、母君は、ここに来てはいけないと言っていたのでしょう? どうしていけないか、話してはいませんでしたか?」
「……言ってたのだ。おとなりのお姉さんが、この病院に入院してたんだって、でも、退院は出来なかったんだって。他にも、この病院に入院した人達に悪いことがたくさんあったらしいよ」
「ね? 母君は貴方に悪い事が起きないように、心配してそう言っていたのですから、その心を無碍にしてはいけませんよ」
「……ん」
「良い子ですね」

そう言って、優しく少年の頭を撫でてから、柚葉は問いかける。

「もう1つ、教えて欲しい事があるのですけど……いいかしら?」
「何なのだ?」

小首を傾げて、そう言ってから、少年は、何故か急に、はっ、とした顔を見せ、ぐっとふんぞり返る。

「ボクはかんよーだから、教えてあげるのだ!」

子どもらしい尊大な物言いに、柚葉はころころと笑うと、そっと問いかける。

「貴方が見たという、棒を突き刺してたおばあさんについて、知っている事を教えてくださいませんか?」

その言葉に、少年は、きょとん、と目を瞬かせた。

「おばーさんは、うちのとなりに住んでるおばーさんなのだ。……退院出来なかったお姉さんのお母さんなんだな」
「なるほど」

少年の言葉に、柚葉は1つ頷く。そして、視界の端に映る、この場を離れていた3人が戻ってくる姿を見てから、少年に向かって口を開きかけた。が、それよりも早く、別の声が響いた。

*****

「さーて、棒、ねぇ」

ざくざくと草を踏みしめ、歩きながら、オーアは呟く。

「んー、この辺り、病院の周りにある木が影を作ってて薄暗いし、結構草もいっぱいで……パッと見じゃあ、見つからなさそうですねぇ」

困ったように言うラズに、ヴァレリーは内心、え、と思う。ヴァレリーの目には、確かに少し分かり難いかもしれないが、それでも点々と、あちらこちらにある棒のような何かが見えているからだ。

『あー、やっぱか』

ラズの言葉に、そう呟くように言った後、オーアは看護師へと笑いかける。

「草の背も高めだしな。手分けして探してみようぜ」
「はいっ!」
『ヴァレリーも、探すふりだけしといて。めんっっどいけどっ! “見つけたことにして良い”棒は俺が探すから』
『了解。……って事は、やっぱ、この棒、あれには見えてないんだ?』
『そゆ事。魔に対する目晦ましだな。簡易的だけど、棒に直接彫ってある紋が、目晦ましで……張り付けてあるお守りっぽいのが、結界の部品と紋の効果補助してるっぽい』

手近な所でしゃがみ込み、刺さっている棒を観察しながら、オーアはそう声を送る。

『なーるほどねぇ。オーアちゃん、状況的にはどんな感じなの?』

そう問いかけてくるリーベの声を聞きながら、オーアは立ち上がり、何かを探すかのように歩き始める。

『んー、今、ヴァレリーにも言った通り、棒探しのふりしながら、解析中。相手に棒が見えてないのは幸いだな』
『まー、予想は出来てたけどね。見つからないか、触れられないかのどっちかだろうな、って。ほら、じゃないと、アレが自力で解除できたでしょうし』
『あぁ、確かに……なら、アレがわざわざこちらに接触してきたのは、結界の解除を俺たちにやらせるのが目的、かな?』
『ま、ついでに、俺らも襲うつもりではあるだろーけど、と……ん?』

ゆっくりと歩きながら、話していたオーアだったが、ふと立ち止まり、声を漏らす。

『オーア? 何かあった?』
『んー……ちょっとまって』

じぃっとオーアが見上げる先にあったのは病院の敷地の端にある、1本の木だ。太い幹を見上げ、ふいっと視線を横へとずらす。ゆっくりと左右を見、何かを確認してから、なるほど、と小さく声を零した。

『ん、っと、報告ー。まず、おばーさんがやったのは4つ目のごっちゃごっちゃの結界。下手に棒抜くと、結界の効果が変わりかねないんで、ちゃんと視て、選んでるとこ。だったんだけど、も、1こ発見。きっちり隠蔽されてたから見つけにくかったけど、病院の敷地ギリギリのとこに、もう1つ、結界がある。魔を閉じ込めるタイプの奴』
『ふぅん。……って事は、3つ目と同じ人、かな。あの穴がワザとなら、確かに必要な措置だものね。って、事は、病院の中にも、もう1つ結界がありそうね』
『すまない。解説を頼んでも良いかい?』
『えぇ、もちろん。これは自分の場、テリトリーを持っていて、そこに居る事で力を蓄えてくタイプの魔への対処法の1つなんだけどね。魔が、次の獲物……って言い方、すっごく嫌いなんだけど、それを求めてテリトリーを離れた時に、テリトリーの基点となる場に結界を張って、戻れなくして、魔の力を削いでいくの。もちろん、テリトリーに戻れない魔が、他の人を襲ったり出来ないよう、一体の範囲内でしか、行動できないようにしてね』
『要するに、大小2つの結界を作って、ドーナッツみたいな形で閉じ込めてる、って訳だ』
『だから、オーアちゃん。4つ目、他に影響がないように解除、お願いね』

そこで、オーアは1つ息を吐いて、また、ざくざくと歩き出す。少し離れた所から、うーん、なかなか見つかりませんねぇ、と言うラズの声が聞こえたからだ。足を進めつつ、オーアは声を送る。

『わーかってるって! 下手に抜くと3つ目に影響与えそうで……ってか、リーベさん達、そっちはどーなってんの?』
『えー? ……ふふっ。柚ちゃんが完全対応中ー。手のひら、ころころ、って感じだから、私達が口出すより、任せちゃった方が良さそうなのよ』
『ナルホド……』

だから、こちらの会話に参加してる、と。そう声には出さず、呟いてから、ふと、オーアは足を止めた。
視線の先にあるのは、いくつか目の棒である。それをまじまじと確認してから、オーアは、ほっと息を吐いた。

「あった。とりあえず、1つ目~」

そう言って、棒を引き抜けば、パッと顔を上げたラズがぱたぱたと駆け寄って来る。

「あったんですかっ?」

その言葉に1つ頷き、オーアは手に持った棒をラズへと見せる。奇妙な模様や文字のようにも見える柄が彫られ、凹凸を作っている棒をまじまじと眺め、ラズは首を傾げる。

「棒と病院に入れないのと、何か関係があるのでしょうか? ひとまず、他にもないか、病院の周辺を確認した方が良さそうですね」
「だな」

ラズの言葉に頷いて見せてから、オーアはヴァレリーへと声を送る。

『ヴァレリー。ヴァレリーが今いるとこから東側にある木の根元。そこにある棒も抜いてOK』
『りょーかい』
『さーて、つーぎーはーっと』

あ、俺もみーっけ。
背後から響くヴァレリーの声を耳にしながら、次を探してオーアは歩く。と、その時、ふと、エドアルトの声が響いた。

『1つ、いいかな?』
『ん?』
『今の話だと、アレはこの場所からあまり離れる事は出来ないんだよな?』
『ん。そうなるな』

オーアの肯定を受け、エドアルトはゆっくりと疑問を紡ぐ。

『そうか、なら……宿からレンを連れ出したのは、何だ?』
『あ……』

思わず声を零したオーアに代わって、言葉を紡いだのはリーベだった。

『確かに、レン君を攫ったのは、アレ本体ではないと思うわ。考えられるのは、アレの配下にある弱い魔が実行犯、って所かしら。病院についた時、誰も外側の結界は気づけなかったでしょ? それは、対象が魔のみだったのもあるけど、目が大きいのもあるのよね』
『目?』
『結界の密度、っても言えるかな。んっと、網の目をイメージしてもらえると分かりやすいかな。網の目が大きいと大きな魚とかは獲れても、小さいお魚は隙間から逃げちゃうでしょ? そんな感じで、あれ、弱い魔なら問題無く抜けれるはず。それに、完全にしっかり何かに化けるんじゃないくって、認識を阻害して、都合の良いように相手に勘違いさせる手法は、弱い子の方がよくとる手法だから、ここまで来て空振り、って事はないはずよ』

そんなリーベの言葉に、続けて、オーアも声を送る。

『さっきの、本当にレンが病院にいるのか、っていうエドアルトさんの質問の答えにもなるんだけど、今の状態だと――っつっても、もうすぐ解除出来そうだけど――、人も魔も弾いてるのは、さっき言った通りなんだけど、これ、逆を言えば、どちらとも言えない存在ならば通れる、って事でもあるんだよ』
『どちらとも言えない存在?』
『そう。例えば、半人半魔。例えば、悪霊など、実体を持ってない弱い魔とか、だな。だから、アレは入れなくても、レンは入れるって訳だ。最初は、だから、あいつから逃げるのは、レンが自ら病院に逃げ込んだのかとも思ったけど、そうすると、足跡で矛盾が出てくるから、どーゆー事なんだろうなぁ、っては思ってたんだよ。でも、実行犯がアレじゃないなら、逆につじつまが合う』

あ。あった、3つ目、と口にしながら、棒を引き抜いて、オーアは続きを紡ぐ。

『自分が行けないから、取り巻きにやらせて、テリトリーまで連れて行かせたはいいけど、いつの間にか、自分もテリトリーに戻れなくなってて、困ってた所に、俺達が来た。から、利用して、ついでに次の獲物にしてやれ、ってとこかな。もしくは、こいつとレンを連れて行ったのは全くの別物で、関係ないって可能性もあるけど、どっちもテリトリーが病院である以上、全く関係ないとは思えないし、そも、俺たちも病院に入る必要があるんだから、どっちにしろ、やる事は変わんないんだよな。……あ。あれだ、やっとみっけた。ヴァレリー! そっから、ちょい北のとこの棒抜いてー』
『らじゃー』
『あとは、こっちの、っと……っし! OKー! これで4つ目の結界、3つ目の強化効果だけ残して、他は解除出来たはずー!』

オーアからの完了報告に、リーベから、お疲れーと声が届く。

『オーアちゃんえらい! 一応こっちも、後は柚ちゃんがこれから、そのおばーさんについて聞くところだから、戻っておいでー』
『分かったー』

リーベの声に了承の言葉を送っているオーアに、軽く視線を送ってから、ヴァレリーはラズの方へと足を向けた。

「ラズちゃーん。こっちにもあったぜ」

そう言いながら、ヴァレリーはオーアに問いかける。

『この棒に付いてるお守りっぽいのも見せてOK?』
『ん、大丈夫』

そう答えつつ、オーアも2人の方へと足を進める。

「そっちはどんな感じ? こっちは3つ棒見つけたけど」
「俺の方は2つ! ――にしても、ホント変な棒だよな。何か彫ってあるし、何か貼ってあるし」

まじまじと棒を見てから、ヴァレリーはラズにも見えるように、それを傾けて見せる。そうして見えた棒と、それに貼られた淡いオレンジ色の小さなお守りらしき物体を見、ラズは眉を寄せ、腕を組んだまま、首を捻る。

「お婆さんが刺した棒に、貼ってある小さなお守り……うーん、どういうものなのか、お婆さんの所へ行って、聞いてきてくれませんか?」

ラズの言葉に、オーアは笑って快諾する。

「おう。ラズちゃんはここで休んでるといいよ。あんな酷い靴擦れになるまで歩いてたなら、疲れてるだろ?」

気遣うようにそう言葉を紡げば、ラズは眉を下げて笑った。

「あはは、実は、その通りなんです。ちょっと申し訳ないですけど、甘えさせてもらいますね」
「ん。任せていいよ。で、そのおばーさんがどこにいるか、だけど……」
「まぁ、知ってるとしたら、さっきの子、だよな」

オーアの言葉を引き継いで答えたヴァレリーに、オーアは軽く頷く。

「ん。って訳で、向こうがどうなってるのかも気になるし、戻ろっか」
「はいっ」
「だなー」

そんな事を言い合い、さくさくと草を踏みしめ、歩く。病院の入り口前まで戻ってくれば、見えたのは少年の後ろ姿と、相対する柚葉、そして、少し離れた所で見守る姿勢となっていたリーベとエドアルトの姿だった。

「なるほど」

そう言って1つ頷く柚葉に、あえて空気を読まずに、オーアは声を上げた。

「たっだいまー!」

その声に驚いたらしい。少年の方がびくっと、大げさな程跳ね、バッ、とつり目がちの瞳が振り向く。

「びっ! びっくりさせないでほしいのだ!!」
「ん~? 俺、ただいまーって言っただけだぞ?」

面白そうに笑いつつ、そう言えば、たちまち少年の口がへの字に曲がる。

「それより、棒っていうのは見つかったの?」

そう問いかけてきたリーベに、オーアは大きく頷いて見せる。

「おぅ。確かに、変な棒だった。小さいお守りみたいなものも貼り付けてあったし。だから、おばあさんのとこ行ってみ――」
「――案内しないのだっ!」

オーアの言葉を遮って、少年は声を上げる。

「おばーさんのとこに、案内なんてしてあげないのだっ」

どうやら、今さっきのやりとりで、機嫌を損ねてしまったらしく、つーん、とそっぽを向く少年に、柚葉は軽く目を丸くしてから、じとりとした視線をオーアへと送る。

『オーアさん……』
『あー……悪い』

頬を搔くオーアに、仕方なさげに、1つ息をついて、柚葉は少年へと視線を合わせる。

「案内、してくれませんの?」
「し、しないのだっっ」

どこか気まずげに、それでも、ぷい、と逸らされた視線に、柚葉は頬に手を当て、あらあら、と声を零す。

「それは、困りましたわ。それでは私たちは、自力でおばあさんと探さないと、ですね。色んな人に、病院前であった男の子の事と、その隣に住んでいるらしいお婆さんの事など、いっぱいお話、しなくちゃいけませんね」
「え゛」
「あぁ、それよりも、貴方の家を探した方が早そうですわ。だって、お婆さんの家は、その隣、と分かっていますし、どんな人かよく知らないお婆さんよりも、見目などが分かっている貴方の方が探しやすいですもの」
「のぉぉぉっ! それはダメに決まってるのだ! ボクがお母さんに怒られるのだぁぁ!」
「でも、私達もお婆さんを探さないといけませんし……もし、案内してくれるなら、探す必要もないのですけど……」
「うぐぐ……い、いやなものはイヤなのだ! 案内しても、お母さんにバレて怒られるのだっ! それはイヤなのだ!」

ぐっと手を握りして、そう主張する少年に、あら、と柚葉は目を瞬かせ、首を傾げて見せた。

「案内をしていただけるのでしたら、貴方が母君に怒られる事はないと思うのですけど」
「え?」

きょとん、と目を丸くしてこちらを見た少年に、柚葉は、だってそうでしょう? と当たり前の事を言うかのように、言葉を紡ぐ。

「私達は案内してもらうのですから、その1つとして、病院の場所を教えるために、立ち寄ったとしても、不思議ではないでしょう? 病院は行かない方が良いと言われましても、私達は、その場所が分かりませんから、注意のために、病院も案内するというのは、ありえる話だと、そして、それならば必要な事ですから、母君が怒る事もないとは思いませんか?」

案内してくれるのならば、そういう事にしてあげると言外に囁けば、ぐらり、と少年の心が揺れるのが分かった。

「うぐ……な、なら、どーしてもお願いするって、ゆーなら、案内、してあげてもいいのだ」

ふいっと視線を逸らして、そんな事を言う少年に、柚葉はにこりと笑う。

「えぇ。どうしても、お願いしたいですわ。案内、してくれませんか?」

そう言葉を紡げば、仕方なさげに、少年は腕を組んで見せた。

「そ、そこまでゆーなら、しょーがないのだ。案内、してあげるのだっ!」

不遜な態度の少年に、そんな態度も微笑ましいと、柚葉はくすくすと笑みを零してから、仲間の方へと振り返った。

「案内、して下さるそうですので、行きましょうか」

見事望む言葉を引き出した柚葉に、オーアは返事を返しつつも、こっそりと感嘆の息を吐いた。

『はー……ホントに、手のひらころころだったな』
『だな。確かに、これは、完全に任せて見守る体勢に入る訳だ』
『でしょう?』

その場に立ち止まったまま、こそこそとそんな事を話す3人に、エドアルトは苦笑を零すと、再度、行くよと声をかけたのだった。

*****

暗い病院内を歩く。手を、引かれるままに。
目が慣れれば、いくつもの部屋――おそらく、診察室や処置室、待合室などだろう――の前を通り過ぎていったのが分かった。そして、その部屋部屋の中から、無数の目が自分達、否、自分をじっと見ていた事も……。

(……結構奥まで連れてこられてるな。魔物の数も多い……やっぱり、自力で、ここから出るのは無理か)

自分の歩いた道筋は、しっかり覚えているため、迷う事はないだろう。だが、入り口付近にもかなりの数の魔物がいたにもかかわらず、奥にも同じくらい、いや、入り口以上の数の魔物がいる。その全てから逃げ、外へ出る事は、どう足掻いても不可能だと判じてしまう。

(やっぱり、助けが来るまで、時間稼ぎと籠城しかなさそうか……。魔物、多いし、意外とここ、広いみたいだから、その分時間がかかる、と思ってた方が良さそうだね)

本当は、自分のいる場を知らせるような何か、目印の様なものでも、付けるなり、落とすなり出来れば、と思う。が、手を引かれ、歩いている現状では、下手に動けば、すぐにバレてしまうだろう。それは、まずいし、相手に悟られれば意味がない。思わず、小さく息を吐く。と、ふと、視界の端に何かが過ぎった気がして、視線をそちらへと向けた。
右手に伸びる廊下の先、見えたのは階段と、その手前にある棒のような何か。立て札だろうか。けれど、それにしては小さすぎるように思えた。
それに気を取られ、明らかに、レンの歩みが遅くなる。元々ゆっくりだった歩みが更に遅くなった事に、女性が気づかぬ訳がない。

「どうしたの?」

足を止め、視線を向け、問いかける女性に、レンの肩が軽く跳ね上がる。

「い、いや、あの――」

咄嗟に言い訳しようとするが、その前に、女性は階段の方へと視線を向け、あぁ、とどこか納得したような声を落とした。

「そっちは、彼女の場所だから。ダメ。かわいい子、あなたはこっち」
「ん」

そう言って、再び、手を引き、女性は歩き出し、階段のある方とは逆、左手に曲がっていく。それに合わせて、レンも素直に足を動かした。

(……彼女の場所、か。彼女、って他の魔物とは区別する何かが、ここに居る、って事か……)

女性の言葉を反芻し、レンは心の中で息を落とす。厄介だな、と思った。

(ボス的なナニカがいる、って思っておいた方がいいな。2階がテリトリーっていうなら、下には来ないで欲しいとこだけど、そんな保証もない以上、出くわす可能性は考えておかないと、か。……あー、もう、ここにいる普通の魔物ですらお手上げなんだから、それ以上に厄介なのなんて勘弁して欲しいんだけど、本当っ!)

心の中で、そんな事を吐き出していると、目的地に着いたらしい。病院の奥、ひっそりと佇む扉の前で立ち止まり、女性は、その扉を開くとするりとその中へと入ってく。当然、その手を引かれているレンも、共に入る事となった。
2人が部屋へと入ると、音を立てて扉が閉まる。部屋の中は元々空き部屋か、物置だったらしく、部屋の隅に棚がいくつかと、積み重ねられた椅子があるくらいで、がらんとした印象を与えていた。
女性のテリトリー内であるためなのか、部屋の中に、他の魔物の姿はなく、レンは、ほ、と息をついた。現状、安心できる要素など何1つないが、それでも、相手にする数は少ない方が良いのは当然だろう。

「おかえり。ようこそ、かわいい子」

部屋の中央近くで、ようやく女性はレンの手を離すと、そう言葉を紡ぐ。

「……どうして、僕をここへ連れてきたの?」

意識して眉を下げ、不安そうな声色を作り、問いかける。その問いに、女性は不思議そうに首を傾げた。

「どうして、なのはどうして?」
「はぁ?」

つい、思わず素で低い声が零れた。正直な心情としては、何言ってんだこいつ、だが、対話で時間が稼げるなら、それに越したことはない。故に、軽く咳払いをして、つい零れてしまった声を誤魔化すと、同じように首を傾げて見せた。

「どういう事?」
「かわいい子は、私の子供。かわいい子供。なら、一緒に居るのは、迎えに行くのは、どうして、って、聞かれる事?」
「あぁ、なるほど。そういう意味か……」

つまり、自分の子供を迎えに行くのは、当然の事なのだから、疑問に思う事ではないでしょう? という事らしい。まぁ、言い分は分からなくもない。それが、普通の親であれば、だが。

「……だから、僕を呼んだの?」
「えぇ」
「何で、今、僕を呼んだの?」
「かわいい子がいなくなってしまったから。ずうっと待っていたのに」
「……待っていた?」

どこか悲しげな表情をして見せる女性に、レンは、何を、と訝しげな視線を向ける。その視線を受け、女性は、ゆっくりと口を開いた。

「かわいい子が、自らこちらへ来てくれるのを」

その言葉に、レンは軽く目を見張る。けれど、納得する言葉でもあった。

「……なるほどね」

何度か、考えた事はあった。
もしも、あのまま、“俺”の記憶を思い出す事がなければ、自分は、どうなっていただろうか、と。自分自身を厭い、人に対して恐怖を抱いていた自分……きっときっと、その感情は時間が経つ毎に強くなっていっただろう。そうして、いつか、きっと、恐怖は別の感情へと、変化していた事だろう。そして、その感情は、自分自身の人である部分に対しても向かい……半分であろうと、一部であろうと、人であるという事実に、忌避感を抱くようになっていただろう。
目の前の存在は、それを、そうなるのを、待っていたのだ。
じ、っと、女性を見上げたレンに、何を思ったのか、女性は笑う。

「ねぇ、かわいい子。いなくなったあなたを呼んだら、かわいい子は帰って来てくれたわ」
「僕はここにやって来たよ」
「人間なんて嫌いでしょう?」
「この街の人は、好きじゃない」

レンの返答に、女性は更に笑みを深める。

「ふふふっ。かわいい子。かわいい子。なら、あなたもこっちへおいで。ずぅっと一緒にいましょう? かわいい子」

こちらへと手を差し出し、詠うように言うそれに、レンは、おずおずと見返した。

「……そっちに行ったらどうなるの?」
「人でなくなるだけよ。かわいい子」
「人でなくなったら、どうなるの?」
「ずぅっと一緒にいてあげる。そうしたら、かわいい子はお手伝いをしてね?」
「そっか……」

女性の言葉にレンは、そう、声を零す。

(……そろそろ、潮時かな?)

内心そう呟くと共に、そろそろと後ろ手に、己の背負うリュックへと手を伸ばした。背負ったままでも中の物を取り出せるようになっているそこから、気付かれないよう、手を差し入れ、手探りで目当ての物を掴む。

「さぁ、かわいい子。手を取って。こっちにおいで?」

そう誘う女性を、しっかりと見返し、レンは口の端を上げた。

「断るっ!」

血の色をした瞳を好戦的に煌めかせ、右手で掴んだそれに魔力を込めつつ、リュックから引っ張り出した。

「ファイアーウォールっ!」

それと同時に、キーとなる言葉を紡げば、レンの手の中にあったスクロールが指定の場所、レンと女性の間に炎の壁を発生させた。炎がレンと女性を隔てている間に、レンは地を蹴り、女性から距離を取る。

「どうして? かわいい子」

炎の向こう側から、淡々とした声が響く。次の瞬間、炎の壁が、掻き消えた。こつり、と足音を響かせて、女性が歩いてくる。

「俺は、人である事を捨てる気はないんでねっ」

スクロールで扱えるファイアーウォールは、本職のそれには遠く及ばないため、すぐにかき消されたのは想定内だ。距離を取る、一瞬の間を稼げればそれで良かったため、レンは動じる事無く、吐き捨てるようにそう答える。と、女性は眉を寄せた。

「かわいい子は帰って来たわ」
「確かにここにはやってきた。けど、俺の帰る場所はここじゃない」
「人間なんて、嫌いでしょう?」
「確かに、この街の人は好きじゃない。けど、街の外には、好きだと思う人もいる。信頼してる人もいる」
「そう……」

レンの答えに、女性は軽く顔を伏せた。

「……残念ね、残念ね。かわいい子は、そのままで良い子かと、思ったのに」

そう呟くように囁いてから、女性は顔を上げた。女性、否、夢魔の淀んだ赤の瞳が妖しく輝き、レンを捉える。

「っ!」

赤の瞳に魅入られ、レンの意識が遠のく。その刹那、金属特有の硬質な光が煌めいた。

「~っ、悪いけど、そっちのテリトリーに入る気は無いよ。あっという間に、侵蝕されて、お人形にされるのは目に見えてるからね……っ!」

取り出した短剣を己の足へと突き刺し、その痛みによって、強制的に意識を保たせたレンは吐き捨てる。小さな呻きと共に、短剣を引き抜けば、じわり、と商人服を赤く染めていく。それに構うことなく、レンは、右手で短剣を構えたまま、左手で淡い色の液体の入った試験管と、白ポーションを取り出し、魔力を込める。器用にも左手の親指で弾くように試験管の栓を抜き、その中身を己へと振りかけると共に、白ポーションを負傷した足へと叩きつけた。つん、と強い匂いに包まれると共に、あっけなくポーション瓶が粉々に砕け、中の薬液が、ぼふん、と音を立てて気化し足の傷を癒やす。それを夢魔は、妖しく瞳を輝かせたまま、じっと見つめていたが、ふと、不可解そうに、僅かに眉を顰めた。それに気付き、レンは嗤う。

「そっちのテリトリーに入る気は無い、って言ったでしょ。もう、それは効かないよ。俺が今、自分に使ったのは、俺が作った俺用の強めの眠気覚ましだからねっ!」

自身の血と、薬品の匂いをトリガーとして効果を発揮するこのオリジナルの魔法薬を使った以上、いくら相手が眠りに引きずり込もうとしようとも、この匂いを纏っている内ならば、即座に効果を打ち消してくれる。
昨日の夜、今の自分に作れる最高レベルの薬効を発揮するこの魔法薬を作っていて良かった、と心底思いつつ、続けて取り出したのは複数枚のスクロール。取り出す段階で、魔力を込め始めていたため、既に淡い光を発し始めているスクロールの文字を撫で、レンはそれを発動させた。

「ファイアーボルト!」

レンの言葉に呼応して、炎の矢が夢魔へと直撃する。けれど、効いていないのか、僅かに眉を寄せ、夢魔はただ、溜息を落とした。

「残念ね。悪い子ね。……悪い子は……お仕置き、ね」

じとり、と呟くように、そう言葉を落とした次の瞬間、瞬きの間で、夢魔はレンへと迫り、その妙に白い足を振るった。回し蹴りは、的確にレンの胴を捉え、小柄な体は意図も容易く蹴り飛ばされ、壁へと叩きつけられる。その衝撃でか、レンの荷から、ばらばらといくつかのジェムストーンと鉱石が硬質な音を立てて、床に散らばった。

「げほっ、けほっ」

蹴り飛ばされ、衝撃に咳き込みつつも、どうにか体勢を整え、レンは夢魔を睨み付ける。片腕で、蹴られた胴を庇いつつ、取り出したのは白ポーションだ。たぷん、と瓶の中で揺れる白い液体に、みるみるうちに光の微粒子が混じり始める。次いでそれを己に叩きつければ、先程と同じように、気化したそれがレンを癒し、引いていく痛みに、レンは小さく息をつく――
――間もなく、その場から跳びずさり、夢魔の追撃を避ける。と、同時に取り出したのは、紫色の液体が入ったポーション瓶だ。同様に魔力を込め、夢魔に投げつける。夢魔に当たり、割れたポーション瓶に、気化した薬品。紫色の煙に包まれた夢魔だったが、それも一瞬。何事もなかったかのように、煙の中から姿を現し、こちらへと迫る敵に、レンの口から舌打ちが零れる。

「っ、やっぱ、効かな――っ痛ぅ」

夢魔の攻撃が掠り、小さく呻く。パラパラと鉱石を落としながら、続けて繰り出された蹴りと避け、スクロールによって呼び出したファイアウォールで軽い足止めをしつつ、距離を取る。その僅かな間に取り出したのはストロベリーチョコ。それを口へと放り込めば、ブレッシングの効果が表れ、何ともいえない気持ちの悪さと共に、体が少し、軽くなる。
半分魔であり、現在進行形で魔に寄っているレンにとって、ブレッシングは諸刃の剣だ。
半分人であるからこそ、ブレッシングの恩恵を得られるが、半分魔であるからこそ、聖属性に対する反発が起き、なんとも言えない気持ちの悪さに襲われる事となる。故に普段は、ブレッシングを拒否しているが、今は、自分のためにやれる事は全てやっておかなければ、途中で詰みかねない。
ポーションピッチャーやオリジナルの魔法薬の使用など、商人である以上、本来であれば、使用禁止されているアルケミストのスキルとフルに使っているのも同様の理由だ。バレれば最悪資格剥奪もあり得るが――といっても、今回の場合であれば、自衛の為やむを得ずではあるため、見逃される可能性も高い――そんな事を考えてる余裕はないし、バレなければいいだけの話でもある。ただでさえ、勝てる目はほぼないのだ。能力の出し惜しみなど、出来る訳がなかった。

「ファイアーボルト!」

取り出したスクロールに魔力を流し放つ。が、相変わらず、相手に効いた様子はほとんどない。つまらなそうに、炎の矢を受け、それは小首を傾げる。

「いつまで、こんな無駄なこと、するの?」
「無駄かな?」
「無駄よ。悪い子」

夢魔が迫る。牽制に手にした短剣を振るいつつ、跳び退り、部屋の中をぐるぐると回るように、距離を取りつつ、スクロールを使い、魔法を放つ。避けきれず、夢魔からの攻撃を受ければ、即座にポーションを使い、回復する。その繰り返しだ。とはいえ、傷が癒えても、疲労は蓄積していくし、アイテムは有限だ。それは、この、アイテム頼りの戦い方は長くは続かないことを示していた。

「ぐっ! ――げほっ」

避け損ね、蹴り飛ばされる。咳き込みつつも、今までのように、すぐにポーションで回復せず、レンはその場で蹲った。それを見て、夢魔はアイテムが尽きてきたのだと察したのか、追撃を止め、こつり、こつりと歩み寄る。

「っ、くっそっ」

悪態をつき、苦し紛れ、と言わんばかりに、レンは手にしたジェムストーンを投げつける。それは難なく避けられ、床に落ち転がっていく軽い音がむなしく響いた。

「そろそろ、終わり? 無駄なの、理解した?」

こちらを見下ろし、言う夢魔に、レンは小さく口を開く。

「……確かに、無駄かもね」

その言葉に、夢魔は歪んだ笑みを見せた。

「えぇ、そうよ。かわいい子」
「……夢魔としてはもちろん、こんな成長しきってない幼い身体じゃ、魔力も、身体面でも、全てにおいて、勝ち目はない。そんな事、言われなくたって、分かってるよ」

けれど。
けれど、だからこそ、この抵抗に意味があるのだ。そもそも、向こうがその気になれば、物理的に意識を刈り取ることも、殺す事も、容易であるのは明らかだ――とはいえ、もし、そのつもりだったとしても、対策はしてきていたので、実際には、そう易々とやられはしなかっただろうが――。なのに、こうやって、痛めつけるに留めている。それは、自分との力量差を見せつけ、こちらの心を折りたいのだろうと推測できた。侵蝕し、操り人形にするよりも、自らの意思で従わせたい、というのは、ここに連れ込まれた際の会話からも窺えた。だからこそ、こちらの抵抗が自分の脅威にはならないと判断した夢魔は、その圧倒的優位から来る余裕と有限であることが明らかな攻撃手段から、戯れとばかりに、レンの抵抗に付き合う事を選択したのだ。
レンの、狙い通りに。時間稼ぎの準備の間を、与えてくれたのである。
近づいてきた夢魔に、レンは小さく口の端を上げる。

「――けどね、1つだけあるんだ。僕が有利なモノ」

その言葉と共に、ピッ、と1枚のスクロールを荷から引っ張り出す。先程までと同じ、無駄な抵抗にしかならない、スクロールを使った攻撃だと、判断し、呆れにも近い表情を浮かべる夢魔。その、微塵も警戒していないその姿に、わざわざ宝剣を置いてきて、スクロールのみを攻撃手段として正解だったと、レンは嗤って、それに魔力を流し込める。と、呼応するかのように、部屋の隅、あちこちに……まるで、部屋の中を囲むかのように散らばっていた石達が、淡く光を帯び始める。”それ”を発動させるまでの刹那の間、レンの脳裏を過ぎったのは、ポートマラヤへ行く前、オーアへと相談を持ちかけた時の記憶だ。

『で、相談って?』
『ん。俺でも使える、破魔系の術式って、あったりしない?』

その言葉に、ぎょっとオーアは目を見開いた。

『ばっ! アホかお前っ! 自分が何なのかは分かってるだろ!!』
『当然。俺にも効くだろうね。半魔な分、効果は半減するだろうけど。……とはいえ、元々の能力差で、下手すれば、こっちの方が致命傷になりかねない』
『分かってるなら――』
『だから、相手の動きを封じるタイプの奴、ない? それなら……まぁ、俺にも効くし、ある程度ダメージも来るだろうけど、致命傷にはならないはずだ。違う?』

小首を傾げて問いかければ、オーアは眉を顰め、重く口を開く。

『……そもそも、なんでそんなもんがあると思うんだよ。そうそう他職のスキルを使えるようなもんはないだろ』
『そっちの退魔班のそれは、色々例外扱いでしょ。限定的な効果だもん。まぁ、まず、オーアさんが、そんなものはない、って断言してないから、だね。後、取り憑かれた人にしか見えない、もしくは表れないタイプの魔の場合、取り憑かれた本人が対処するか、そうじゃなくても、本人以外、退魔班の人間の前に引っ張り出せるようにする必要があるでしょ? なら、そういう相手の時用の、誰でも、それこそ、非冒険者でも使えるようなナニカはあるだろうな、って』

つらつらと述べられた推論に、オーアはしょっぱい顔を見せた。それはつまり、図星、という事だろう。その反応に、レンは口の端を上げる。

『と、いう訳で融通してくれない? 分断されて1人で対峙する可能性は十分あるし、自衛と時間稼ぎの手段は欲しいんだよね』
『……確かに、自衛手段はあった方が良いし、実際何か、渡そうとは思ってたけどさぁ……その辺の無茶の仕方は、ルキナちゃんの同類感あるわ……』

深々と溜息をつくオーアに、レンは憮然と言い返す。

『あの子程の無茶はしてないでしょ。ま、こっちにデメリット来るのは、薬品実験で割とあるからね。そこを怖がっちゃ何も出来ないでしょ』
『そーゆー問題じゃない気がすんだけど……はあ。……丁度、条件に合うのはある。拘束形の結界的な奴。魔力の扱いが出来ない非冒険者用だと蝶の羽みたいに、壊すことで発動させるんだけど……レンなら、スクロールタイプかな。そっちのが、自分の魔力使える分、長く持つし……分かった。申請はかけとくよ』

そう言った後日、ポートマラヤに行く直前、オーアから渡されたのは1枚のスクロールといくつものブルージェムストーンと宝石だった。ジェムからも宝石からもしっかりと魔力が感じられる。種族柄魔力の込められたものには敏感であるし、職業柄――と言っても今はまだ商人であるため、厳密にはまだその表現には当て嵌まらないのだが――タイプは異なれど、付与式の知識はある。故に、それらの大体の役割を察しつつ、それらを受け取る。
つい、好奇心が刺激され、解析したいなぁ、等と思いながら見ていれば、それが表情に出ていたのか、呆れた声で釘を刺された。

『余計なコトしようとすんなら、全部終わってからにしろよ』
『っ、分かってるよっ』

つまり、終わってからなら、好きにして良い、と。
憮然として釘を刺す、オーアの今の言葉は、これを使わずに済めば良い、という願いもあるのだろう。相変わらず、甘くお人好しだと思うレンへ、オーアはそのまま説明を舌に乗せた。

『見てる感じ、何となく察してるっぽいけど、一応説明な。ジェムストーンで範囲指定と術式。宝石が術式補助、スクロールがキーになる。ジェムと宝石を相手の周り、囲むように配置――これは、置く順番とか、位置とか気にしなくて大丈夫。出来ればジェムと宝石はセットのがいいけど、バラバラでも平気だしな。で、スクロールに魔力を流す事で発動させる感じになる。注意点は発動時、術者もジェムで指定した範囲内にいること。スクロールが基点、有効範囲指定がジェムになるから、相手が近くに居れば居るほど、効果は強い。効果時間はスクロールに魔力を流してる間。でも、もし、スクロールに魔力を流せない状態になったとしても、ある程度の間は、宝石に込めた魔力がその代わりをして、維持してくれるから、無理はしない事』

そう言った、少しだけ心配そうに細められた緋色の瞳を思い出す。

(――出来れば、解析したいと思ってたんだけどなぁ。クリエになってからの、いい研究材料になりそうだったし)

言い訳のように、一瞬そう思ってから、レンは夢魔へと、続きの言葉を投げつけた。
唯一、レンが有利であるモノ――

「――それは、俺が、半分だけ人間だって事さ!!」

その瞬間、カッ、とスクロールが光を放ち、それに呼応するように、ジェムストーンも光を発する。と、同時に、床に浮かび上がったのは魔法陣だ。

「ぐ……っ」

魔法陣が浮かんだ瞬間、ずずん、と何か重さのある蔓にでも絡みつかれたかのように、体が重くなり、じりじりと身の内から炙られているかのような痛みを帯びた不快感がレンを襲う。思わず眉を寄せ、呻き声を漏らす。
けれど、重さに耐えかね膝をつくことも、陣を維持するための魔力を途切れさせることもなく、キッ、と夢魔を強く見据えた。
向こうもこれは予想外だったらしい。先程までの余裕の表情は消え失せ、忌々しげなそれで、膝を地に着けていた。そこから動く様子がない所を見ると、動かないのではなく、動けないと見て良いだろう。こちらの切り札と言えるものがきちんと効いてくれたことに、レンは、ほっと小さく息を零す。が、それはすぐに、苦痛の呻きに塗り替えられた。

「くぅ……っ。やっぱ、きっつぅ……」

目の前の敵が、動けなくなるほどの効力だ。半分程度しか効かないといっても、今の自分には、十分すぎる程、キツイ。が、それは分かっていた事だ。覚悟していた事だ。故に、音を上げる気も、術を止める気も、欠片たりともない。それに、目の前の夢魔と違い、完全に動きを封じられたわけではないため、魔力が減っても、荷から回復材を取り出して飲むことは、問題無く、出来る。重いが腕がどうにか動く事を確かめ、なら、大丈夫だ、と判じて、レンは夢魔を見据え、笑って見せた。

「……これで、動きは、封じた……っ。後は、我慢勝負だ。付き合ってよね」

――オーアさん達が、ここに来るまで。

be continued

あとがき
書きたいとこまで行けなかったーーっ!!orz
病院内に入るとこまで、行きたいなぁと書き始め、途中から、あ、文字数的に、そこまで無理かも……なら、その前、シャーマンとのシーンくらいまでは……と思いつつ書き進め、棒を刺したおばあさんへの情報収集(今話の次のシーン)を書いて、文字数見て、思わず沈黙……これは……レンのシーンで切った方が良いなorz となって、今に至ります。
なぁんで、長くなるのかなぁ……毎回言ってる気がするけど。
そして、これ、何話で終わるかしら……次で終わる気がしないから、6話、かなぁ……。誰だよ3,4話くらいで終わるって言った奴。私だよっっ!orz
まぁ、それは一旦置いておいて、中身の話
シーフ系と騎士団に加入してる剣士系は、追跡技能持ってそうだな、って思うの(ぇ
対して、オーアや柚葉は、敏感に病院の発する空気を感じてるから、このPT、前衛と後衛で、本当に見えてるものが違いそう。ちなみに、後衛の中で、リーベさんは、あんまり感じられない、鈍感な方なんだけど、退魔班での経験で、意識的に探れば感じられるようになったクチ。あれだね、お酒の強さに例えると、元はあまり強くなかったのに、飲み慣らして強くなった、みたいなタイプ。オーアと柚葉は体質的に強いタイプ的な。
クエでは、襲われるまで、ラズの正体には気付かないんだけど、オーアがPTにいるため、このような感じに。人に取り憑いてるとか、後天的に魔になったとか、半魔とかなら、騙されてくれるんだけど、純粋な魔だとね、当然、こうなる。
その結果、行われる茶番と、裏のやりとり。これを難なくこなせるのは、皆々、任務やら依頼やらで色々経験と積んでるからだろうな、と思ったり。皆、さすがだなー、って思いつつ、でも、この辺り、書くのはめっちゃ大変でした……自業自得だけどね!! 病院前でのあれこれ、分かりにくかったら、確実に私の技量不足です。すみません……orz
仮にも冒険者、しかも3次が、ただの子供のかくれんぼに気付かないのはありえないし、話途中にやってきたなら、更に気付かないのはありえないよなぁ、ってことは気付けない、他の要因があった……? と考察した結果、割と少年、危機一髪な事に(笑) 街中に悪霊が出ると恐れてる中、1人でああいう暗いとこに入れるなら、ねぇ? ありえない話ではないと思うのです。これも、子供特有の無謀さなのかなぁ、なんて思ったり。
病院の結界については、考察の結果、ああなりました。うちでは丸っとすっ飛ばしちゃったけど、病院の扉、鍵が開いていた、という事は、魔物が外に出ないようにする結界と、逆に少年みたいなのが入れないようにする結界は必要。で、本物の看護師さんが病院にいる事を、他のNPCが把握してなかったという事は、あの看護師さん、自分で結界どうにかして、病院に入れるようにして、更に、自分で結界追加してたんだなー、と考察して3つ目の結界が。そして、最後にあのおばあさんの結界で4つ、となりました。
ぐちゃぐちゃした術式……スペルミスや関数の使い方を間違えてるため動いてないソースコードが多分に含まれてるプログラムとイメージすると、オーアの嘆きにめっちゃ共感できる私です。うん、オーア、頑張ったよ……
レンサイドは、まぁ、見ての通り。
そもそも、スキル的には、ケミだとしても、転生一次がどうにかできる相手じゃないので、かなり善戦はしました。それも、相手に殺す気がなく、手加減している事と、嘗めきってて、油断してくれてたからこその善戦ですが……まぁ、無事、時間稼ぎには成功したので、後は、クライマックスフェイズまで、このまま待機になります。
ここのシーン、もうちょっとカッコ良く書ければ良かったんだけどなぁ……要精進ですな、本当に
……今回は、後衛組ばっか目立ってた感じなのが、反省点。まぁ、でも、前衛組、特にエドアルトさんで書きたいシーンあるから、そっちをしっかり書けるようにガンバル……っ
次でボス戦いけるかな……せめてその直前くらいまでは行きたいぞ
ちなみに、今、レンサイドはああなっていて、オーア達はああなので、ボス戦は…………うん、おそらく、お察しの通りになるから(笑)


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使用素材: 篝火幻燈様 雲の滝

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