バン、と大きな音を立て、病院の扉が開け放たれる。
「あなた達ね!!? 一体、何て事をしてくれたのっ!!」
同時に、響いたそんな声に、一同が振り返れば、病院から出てきたのは見覚えの無い人物だった。
ウェーブがかった茶色の髪にナースキャップ。そばかすの散った顔に暗緑色の瞳の女性だ。ラズと同じく、看護師である事を示す服を身に纏った彼女は、驚きの視線を向けるこちらへと、ずんずんと距離を詰める。
「あの、貴方は?」
後衛組を庇うように、エドアルトは、さりげなく一歩、前へを足を踏みだし、問いかける。それに、女性は足を止めると片眉を上げた。
「私? 新しくこの病院に赴任してきた看護師よ」
その言葉に、エドアルトは、軽く振り返り、オーアの方を見る。その視線を受け、オーアは軽く頷いて見せた。
「その人は、ヤな感じ、しないから大丈夫。たぶん、この人が、本物なんだと思う」
オーアの紡いだ言葉に、女性は軽く目を眇める。と、同時に、リーベが口を開いた。
「じゃあ、病院周りと病院、あと、病院の2階への階段の結界は貴方かしら? それなら、ひとまず、お詫び申し上げます。貴方の処置を、邪魔してしまってごめんなさい」
そう言って軽く頭を下げたアークビショップに、女性は硬い声で問いかける。
「どうして、私だと?」
「ドクターブンから、新任の看護師が来る予定になっている、ってのは聞いていたんだ。それも、“あの病院をどうにかするために、街の指導者や本部に掛け合って、ようやく派遣してもらった”って。なら、本物の看護師は、そーゆースキル、持ってんだろうな、っては思ってた。実際、病院来たら、対テリトリー持ちタイプへの処置、ちゃんとされてたし。術者の姿が見えない事と、既に看護師が来てんなら、それをドクターが把握してない事は気になったけど、可能性としては割と高いだろうな、って」
未だ若干血の気の引いた顔で、言葉を紡ぐオーアを、ふーん、と軽く声を漏らして、数秒眺めてから、女性は口を開く。
「なるほど。ただ単に騙されただけの大馬鹿者ども、って訳でもないみたいね。ご推察の通り、看護師ではあるけど、患者の看護よりも、専門は“こっち”。そこの人が言った、3つの結界も処置したのは私で合ってるわ。彼女のテリトリーが病院の2階である事を突き止め、あれが1階に降りた隙に階段に結界を張って、これ以上彼女が力を増すのを防いでいたの。狙った通り、2階に、自分のテリトリーに戻れなくなったことで、ある程度、彼女の力を削ぐ事が出来そうだったから、そのまま病院ごと浄化するのに必要な物と情報を取りに、本部まで行って戻って来たら、こんな事になっているんだもの。ホントにもう」
やり場の無い感情を吐き出すかのように、息をついた後、看護師は、キッとこちらを見据えた。
「それで? 謝ってくる、って事は、自分達が何をしでかしたのか、当然分かっているのよね? アレが、対テリトリー持ちタイプへの処置って分かってるんだから、当然。何が目的で、こんな事をしでかしたのかしら」
向こうからすれば、当然だろう問いに、軽く頷いて、オーアは口を開く。
「お姉さんの結界を解除させて貰ったのは、俺たちがアレのテリトリーに踏み込むためだ。ついさっき、俺の友達が、ここに居るのに攫われた。その救出と元凶の排除。それがこっちの目的だ」
「は……?」
信じられない、という声と表情を浮かべる看護師。
「あり得ないわ。私が来る前ならともかく、今日!? あなた達が余計な事をするまでは、きちんと結界は効果を発揮していたのにっ」
声を荒げた看護師に、リーベは胸の下で腕を組み、口を開く。
「確かに、貴方の張った結界は正常に作用していたし、元凶“は”、ここに閉じ込められていたわ。けれど、あの結界、実体の無い、弱い魔に対しては、反応しないでしょう? まぁ、元凶を逃がさない、という観点から見れば、正しい措置だと思うけど。今、この街には悪霊も出る。そんな状態で、全てに対して作用するようにしてしまったら、摩耗するスピードはとても早くなっていたはずだもの」
言うリーベ。その言葉に、看護師は軽く眉を寄せるが、不意に、ハッとしたように、目を見開いた。
「まさか……!」
「私達は、そのまさかだと思ってる。力の強い魔なら、取り巻きくらいいても不思議じゃない。実際、病院内には魔物がわらわらいたしね。そうでなくても、悪霊があちこちに居るのなら、そこから1,2体くらい支配下に置くのも容易でしょう。それに何より、実際、攫われてるしね。医者に化けた奴に、急患のための薬を取りに行くから手伝って欲しいと言われてね」
「って、ちょっと待って! “それ”の言葉を信じたの!? そう言って、別のところへ、っていう可能性も――」
「それは、真っ先にこっちも疑ったよ。けど、本物のドクターから、病院の現状を聞いて、可能性は十分あると、闇雲に探し回るよりも病院に向かってみる方がいいと判断した。実際、ここへ来てみたら、病院前で抵抗した形跡があって、あんなのが居た。その上、病院内の入り口付近で、友達の、レンの物が落ちてるのが見つかった」
となれば、真っ先に疑うのは、看護師の振りをしたそいつだろう、と言うオーアに、看護婦は納得の息を吐く。
「なるほどね。あなたたちがここに居て、あんな事をしてくれた訳は分かったわ。私に成りすましてた事といい、思った以上に賢いやつ……」
悔し気に呟いてから、看護師は、ふと、眉を寄せる。
「ん? ちょっとまって。今、抵抗した形跡があった、って言ったわよね? その子が抵抗するのは分かるわ。分かる人なら、病院の外からでも、ここの異常は明白だもの。けど、物理的な影響を与えられる程、力のあるやつなら、そもそも、結界の外へは出られないはずよ」
「あぁ。それに関しては……あいつは、侵蝕を受けてた。もともと、俺たちがここに来たのは、干渉を受けてたレンから、現況をどうにかするよう、依頼を受けたからなんだ。ここに来て、1日で、干渉だったのが、侵蝕にまで進むくらい影響が強まってた。なら――」
「彼女のテリトリーに近づいたことで、更に影響を強く受けてしまった可能性、か。そもそも、彼女が生み出した取り巻きなら、彼女とつながりがある。そして、干渉・侵蝕を受けてるなら、その子も、彼女とつながりが出来てしまっている。そんな状態なら、実体がなくても、つながりを辿って、物理的な影響を与えられる可能性も十分ある、か」
難しい顔で呟いてから、でも、と看護師は言う。
「不可解なのは、その子がどうして、干渉されたか、よ。この街の子ではないんでしょ? 確かに夢を通しての干渉なら物理的な距離は関係ないとはいえ、海を隔てるような距離のある相手を補足するなんて、そうそう出来る事じゃないはずだわ」
看護師の言葉に、オーアとリーベは視線を交わす。その反応を見逃さなかった看護師は、腕を組む。
「何か、あった訳ね」
『どする? 話す? 俺としては、こんな、めっちゃ込み入った話、勝手に人に話すもんじゃないと思うんだけど』
『……そうね。オーアちゃんのいう事はもっともなんだけど……話しておいた方が、正確には、話したときの反応を見ておいた方がいいと思うわ。たぶん、この人も
『あーーー……その可能性があったか……』
耳打ちにて、そんな会話を交わしてから、オーアはがしがしと頭を掻く。
「ん-……と、1つ、確認なんだけど、数年前にこの街から姿を消した……悪魔の子、って呼ばれて迫害されてた子供について、何か知ってる?」
唐突な問いに、看護師は眉を寄せる。
「……知らないわ。私は最近来たばかりだし、そんな話を聞く事もなかったもの。……そんな事を聞く、って事は、悪魔の子っていうのが関係してるのね」
「関係してる、っていうか……その子が俺たちが助けたい友達で、被害者。先天性の純粋な夢魔の半魔なんだよ、そいつ」
「は……?」
オーアの言葉に、看護師は目を見開き、間の抜けた声を漏らす。
信じられない。たった一音のその声だけで、彼女の言いたいことはよく伝わってきた。
「まぁ、気持ちは分かるわ」
軽く肩をすくめ、口を挟んだのはリーベだ。
「夢魔の特性が強く出ただけなら、それほどおかしくはないんだけどね。サキュやインキュも夢魔の側面を持ってるし。けど、本来実体を持つことがほぼほぼない夢魔が人との間に子供を作るなんて、早々ないもの。不可能とは、言わないけどね」
「……ここで、そういう話になるって事は、“親”が彼女であると? 確かに、そうであるなら、その子は初めからどう足掻いても切れない繋がりを持ってた事になる。けど……
看護師の言葉にリーベは片眉を上げる。
「どういう事?」
「それに答えるためにも、もう1つ、教えて頂戴。どうして、あなた達は、その子が夢魔の子だと?」
その問いかけに、リーベは淡々と言葉を紡ぐ。
「本人の自己申告が1つ。彼の半魔としての能力が1つ。あとは……ここの指導者から、あの子の生まれを聞いて、その方法なら、夢魔でも……いえ、実体を持たない夢魔だからこそ可能だと納得したから。理由としては、こんな所ね」
「……あの子の生まれ、って?」
まぁ、話しづらいとは思うけど、と言う看護師に、1つ息を吐き、オーアは口を開く。
けれど、オーアが言葉を発するより先に、語り始めたのはリーベだった。
先程、ムンバキ・ポンから聞いた内容を手短に語ったその内容に、看護師は考え込むように、口元に手を当てる。所属するところは異なるとはいえ、向こうもそれを専門にしている者だ。やはり、同じ結論に至ったらしく、なるほど、と声をこぼす。
「死んでから生まれた子供、ね。本来死産となるはずだった子供か、もしくは、その女性を憑り殺し、その母親と共に生まれる事無く息を引き取った子供か……どちらにしても、死んだ赤子の体を素体に、“作り上げた子供”、ね。素になった体が人間のものだから、半魔となるけど、本質的には、非常に魔に近いはずよ、その子。……ねぇ。本当にその子は“攫われた”のね? 自らついていった訳ではなく」
瞳に懸念の色を浮かべ、問う看護師に、オーアは軽く息を吐く。
なるほど確かに。リーベの懸念は正しかったらしい。この生まれを話さずとも、直接レンに相対すれば、彼が魔に近いのは分かるだろう。故に、リーベも初めて彼に会った時、警戒を浮かべたのだ。完全に魔には堕ちていない、半魔として在れるギリギリの線から1歩2歩離れたくらいの所に、あの少年は、平然とした顔で立っているのだから。
「それは無い。俺が断言する」
「その根拠は? その子、悪魔の子、って迫害されてたんでしょ。人に対する忌避感から……って可能性は考慮すべきじゃないかしら。でないと、助けに行った相手から不意打ちを受けかねないわよ」
友人だから、信じたい、という気持ちもわかるけどね、と肩をすくめる看護師に、オーアは言う。
「冒険者で極稀にあるっていう、生まれ変わり……って知ってるか?」
「……あぁ。ヴァルキリーによる転生の儀が本来の形で発生した場合の呼称だっけ?」
看護師の返答に、問いかけた側であるはずのオーアの瞳が丸くなる。
「え。そーなのか!?」
「オーアちゃん……」
呆れた息を零したのはリーベだ。冒険者としての常識、というには、マイナーな知識ではあるが、だからと言って、知らなくて良い理由にはならない。特にオーアはフリーの冒険者ではなく、大聖堂の退魔班という組織に所属しているのだから、猶更だ。
「その生まれ変わりで合ってるわ。オーアちゃんは後日、その辺、ちゃんと、きっちり、頭に叩き込んでもらうから、そのつもりで」
「う……ハイ」
腰に手を当てて宣言したリーベと、がっくりと肩を落としたオーアを交互に見てから、看護師は口を開く。
「……なるほどね。対策と制度が整った今のご時世じゃあ早々ない事ではあるけど……そういう事なんだ?」
「そういう事になるわね」
「まぁ、確かに。それなら……前世の、人間の冒険者だった時の記憶と人格があるなら、どうやっても中身は人寄りになるわね。……その話が本当なら、だけど」
慎重でもっともでもある言葉を紡いだ看護師に、オーアは軽く肩を竦める。
「ま、そこは冒険者修練所に問い合わせれば一発だろ。わざわざ噓をつく理由がない。……ってのもあるっちゃあるけど、俺とそいつの共通の友人な、そいつが転生する前からの付き合いなんだよ。だからこそ、信じたってのはある。俺も思ったもん。それ、どんな確率だよ、って」
しみじみと息を零すオーアを見て、看護師はようやく納得したらしい。1つ頷く。
「なるほどね」
「納得したか? なら、今度はこっちが聞く番だ。……“どちらにしろ間違ってる”ってどういう意味だ?」
オーアの言葉に、看護師は軽く息をつき、ひたと見返す。
「そのままの意味よ。あなたを、あなた達を襲ったアレは、ビョンウンゴ。悪夢を見せ、力を得ている所を考えれば、確かに、夢魔に似た力も持っているのでしょうけど、ビョンウンゴは、呪い、病の化身なの。木に棲みつく妖怪だった、っていう伝承もあるから、元々は実体もなく、力を得て実体を得たタイプの魔でしょうね。今は、もう強力な魔物と言って良いくらいの力をつけてしまっているわ」
看護師の言葉に、オーアは眉を寄せた。
「って事は……1つ朗報、っていいのか微妙ではあるけど、そいつは、まぁ、俺らみたいのが向き、ってのは変わらないけど、実力さえあれば、誰でも戦える、倒せる、って事か」
実体を持たない魔は、そういった相手への対処法を会得している一部の者達以外は、ダメージを与える事が出来ない。それこそ、念属性相手に、無属性武器で攻撃するようなものだ。
今回、エドアルトやヴァレリー、柚葉に協力を頼んだのは、他の普通の魔物からの護衛であり、大本の魔は退魔班に所属してるオーアかリーベしか対処できないと踏んでいたため、他のメンバーも元凶と問題なく戦える、という情報は、確かに朗報だった。
「……で、問題なのが、あれが夢魔じゃない、って奴だよな。となると、こんなとこで、違う可能性が出てくるのかよ……っ」
苛立ったように頭を掻くオーアに、看護師は口を開く。
「まぁ、ビョンウンゴじゃなくても、それがここに居るのは、間違いないんでしょう?」
「あぁ」
頷くオーアに、看護師は言葉を続ける。
「そして、あなた達が立ち入った時、それらしき姿は見ていないんでしょう? 私も、ビョンウンゴのテリトリーを突き止めるのに、病院内は、特に1階は、かなり歩き回っているわ。けど、他のナニカが居るようには思えなかった。なら、あなた達の探し人も2階にいる可能性は、十分あると思うわ。そもそも、実行犯はビョンウンゴの取り巻きと推測していたのでしょう? それが実行犯ではなく主犯だったって話じゃないの?」
そう言ってから、看護師は、腰に手を当てる。
「それはそれとして! あなた達、私が何をしようとしてたのか分かっていて、それを台無しにしてくれたんだから、当然、責任は取ってくれるのよね?」
疑問符は一応付いているが、否は許さないとばかりに語気を強める看護師に、オーアとリーベは軽く視線を交わす。答えは考えるまでもなかった。
「当然。一旦、アレを泳がせて結界の解除をする事にした時点で、そのつもりだったよ。まぁ、そいつが元凶だと思ってたから、ではあるけど。でも、違かったとしても、無責任にそのままにはしないって」
「でも、救助の方が優先順位は上よ。要救助者の状態によっては、また、1度離脱して安全の確保。討伐はその後になるわね」
冷静なリーベの言葉に、オーアも、あ、確かに、と声を上げる。
そんな2人の言葉に、看護師は、軽く息を吐いた。
それは、少しの安堵のような、少しだけ、張り詰めた糸を少しだけ緩めたかのような、そんな吐息だった。
「――そう。分かってるなら、いいわ」
その吐息とは裏腹に、紡がれた言葉は、つんけんとしていて、不機嫌そうにも見える。が、それは当然の反応だろう、とオーアは思う。
この看護師の行っていた手法は、テリトリーを持つ相手への対応としては、オーソドックスであり、成功率の高い方法でもある。
が。
同時に、大掛かりで、準備も発動までの手間も多く……一言でいうなら、非常に大変で面倒くさい方法だ。
そんな大変で面倒な準備をきっちり終わらせ、発動させる事に成功させ、やれやれ後は、少し時間を置いて、弱体化させてる内に、場ごと一気に浄化をするための準備だ、と行動してる間に、丸っと全て、台無しにされていた。
なんて、そりゃ怒る。ぶち切れる。自分でも、間違いなく怒ると、心底思っているからこそ、看護師の反応は当然だと思うのだ。
同時に、看護師の方も、こちらが同業者であり、あの結界の意味や手間を分かった上での所業という事で、本当にやむを得ずの行動だと伝わったのだろう。だからこそ、この程度で、怒りを抑えてくれているのだ。
故に、オーアは、軽く気合を入れなおし、自身の状態を省みる。
眩暈はなし。倦怠感は少し残っているが、この程度ならば、動きに支障は出ないだろう。魔力は向かう際にマグニでもかければ良い。少なくとも、足手まといにはならないはずだ。そう判じて、口を開く。
「話は決まりだ。だったら、早く行こう」
立ち上がり、言うオーアに、リーベは軽く息を吐く。
「そうね。レン君の方も心配だし、オーアちゃんもそろそろ大丈夫そうだし……」
そう口にしてから、リーベは看護師の方へと視線を向ける。
「ねぇ。私達、場の固定は、陣を敷くつもりでいたんだけど、それ、任せてしまっていいかしら?」
その問いかけに、看護師は、話が早いとばかりに頷いた。
「えぇ、私も、それを引き受けて、直接の討伐は、そっちに任せるつもりでいたから、むしろ好都合だわ」
そんなやり取りを耳にしながら、オーアは、軽く辺りを見回し、目を丸くした。
「あれ? ヴァレリー達は?」
オーアの視界に映るのは、病院の建物やその周りに生える木々ばかりだ。いつの間にやら、看護師と相対していたオーアとリーベ以外の姿がどこにもない。
思わず、きょろりきょろりと視線を巡らせるオーアへ、リーベの声が飛ぶ。
「エドアルトさん達なら、先に中よ」
「へっ?!」
素っ頓狂な声をあげ、オーアは、バッとリーベの方を向く。
「何で!? いつの間にっ!?」
「今のうちに、入り口のとこだけでも、一掃してもらった方が、スムーズでしょ? あの3人なら、力量的にも問題ないでしょうし」
さらりとそう口にしてから、リーベは、人差し指を立て、くるりと円を描くように回して見せる。
「あと、相談、っていうかお願いは、オーアちゃん達が話してる時に、ハンドサインで。オーアちゃんも騎士団で使われてるのとか、覚えておくと便利よ。伝えたいことによっては、耳打ちやパーティ会話より早くて楽だもの」
そんな事を勧めるリーベに、オーアは口をへの字に曲げる。
「つっても、うちの班、騎士団と組むこと……まぁ、無いわけじゃないけど、そんな頻繁にある訳じゃないしなぁ」
気が進まないらしい。
ぼやくオーアに、リーベは苦笑する。と、そんなオーアの背後でキィ、と扉が鳴く。反射的に振り返れば、ひょこりと、病院の扉の影から出てきた黒曜石の瞳と目が合った。
「話は纏まりました?」
漆黒の髪をさらりと揺らし、問う柚葉に、リーベは頷く。
「えぇ、丁度今、終わったとこよ」
「そうですか。こちらも、入り口とその周辺の魔物は一掃した所です」
その言葉に、リーベは好戦的な笑みを浮かべた。
「そう。それじゃあ、行きましょうか」
オーア達3人が再び病院の扉を潜り抜ければ、一足先に病院内へと立ち入っていた面々が出迎える。
暗い病院の入り口で、オーアはルアフを唱え、中で待っていた3人を見る。そして、小さくほっと息を吐いた。青白い光に照らされた彼らに、怪我を負った様子がなかったためだ。
リーベが大丈夫だと判じたなら、大丈夫だったんだろうと、理解しているし、彼らの力量を信頼もしている。何なら、力量的にも先程の出来事的にも、心配されるのは、自分の方だろう自覚もある。けれど、だからと言って、自分だって、心配をしない訳ではないのだ。と、オーアは思う。
そんなオーアへと、リーベの声が飛んだ。
「オーアちゃん」
「ん?」
「私がやるから、支援はよろしくね」
「了解っ」
リーベの言葉の意味は、オーアにとっては明白で、了承の言葉を返すと共に、この場に居る面々へと、順番に基本支援をかけていく。続けて、リーベは、指示を出す。
「あと、オーアちゃん。悪いんだけど、ここで説明するより、歩きながらの方が良いだろうから、任せちゃってもいいかしら」
「ん。分かった」
リーベが言う「私がやる」は、自分が攻勢に回るという事だ。つまり、MEを使用する、という事である。
詠唱の長いそれを行うのならば、確かに、リーベが説明を行うのは難しいだろう。まぁ、パーティ会話であれば、あまり問題はないが、今回は――ある意味今回も、とも言えるが、前回は敵である可能性が高いモノだったのでノーカウントとした――もう1人、パーティメンバーではない同行者がいる。となると、会話を隠したい訳ではないので、1人だけ感知出来ないパーティ会話よりも、普通に声を発する方が良いのは道理だ。
それが分かっているからこそ、支援の合間にオーアは了承の言葉を返した。それに、リーベは頷き返し、改めて、この場の面々を見回した。
「そんな感じで、話は道々、って事でいいかしら?」
その言葉に、それぞれ異論はないようで、短い了承の言葉や、頷きが返ってくる。それを確認してから、一行は、病院の奥へと、再度、足を踏み出した。
「んじゃ。まず、色々おさらいな」
暗い廊下をルアフの光で照らしつつ、オーアは歩きながら口を開く。
「俺たちの目的は、第一にレンの救助。第二に、あの看護師の振りしてた奴の討伐。ここにいる本物の看護師さん曰く、ビョンウンゴって言うらしい」
病院内へ先行した3人が、どこから聞いていないのか、分からないため、看護師から得た情報も含めて、改めて整理し、口にしていく。
「で、そのビョンウンゴについては、良い情報と悪い情報が1つづつある。良い情報は、ビョンウンゴは普通の魔物と同じように倒せる、ってのが判明した事。俺やリーベさんじゃないとどーにか出来ないって訳じゃないなら、それ倒す時も、皆の力借りれるからな。んで、悪い情報は……看護師さんの情報を踏まえると、このビョンウンゴ……くっそ面倒な事に、レンを攫った奴とは別の可能性が高くなった」
その辺りは聞いていない情報だったらしい。バッ、とエドアルトが、オーアの方を振り向く。それに軽く頷き返し、オーアは続ける。
「でも、俺らより病院内歩き回ってる看護師さんも、ビョンウンゴのほかに、怪しいのは見てない。って事だから、ビョンウンゴの取り巻き。レンを攫った実行犯がそのまま主犯、って事じゃないか、って推測に落ち着いたとこ」
ちりん、とまた、再び鈴の音が鳴る。おそらくは、オーアにしか、聞こえていない鈴の音が。
「だから、それは、ビョンウンゴの近くにいるだろう、って事で、向かうのは前回と変わらず、2階への階段になる」
そう紡ぎながらも、ざわり、と感じる嫌な気配。ぞろぞろと、廊下の奥、暗い暗い闇の中から姿を現す魔物たち。それらの前に立ちふさがり、エドアルトとヴァレリーが刃をふるう。
その後ろで、リーベが、オーアにとって、口にも耳にも馴染みである調べを紡ぐ。
「マグヌスエクソシズム!」
そして、エドアルトとヴァレリー、魔物達の足元から立ち上る、鮮烈な破魔の光。それは、容赦なく、集った魔物達を祓っていく。
「はー……やっぱ、さすがだなぁ」
同じ魔術だというのに、オーアの放つそれと、リーベのそれとでは、威力が段違いだ。現に、1度目のMEの効果が切れるより先に、魔物達が地に倒れていく。
「オーアさん、口が止まってますわ」
つい、しみじみと見入ってしまったオーアへ、柚葉の声が飛ぶ。
「あっ、悪いっ」
それにハッとして、皆と共に足を勧めつつ、オーアは言葉を紡ぐ。
「んっと、で、だ。最初、病院に着いた時、柚葉さんが、言ってたの、覚えてるか? この手の奴が持ってるテリトリーってのは、ここと少しズレた位相にある。部外者が見つけ、入るには、痕跡を探し、綻びを見つけ、適切な方法でこじ開ける必要がある。って奴。その、痕跡と綻びを見つけるために、あの茶番をやった訳だけど、まぁ、その結果判明したのが、テリトリーは2階。綻びになるのは、2階への階段の途中、ってとこだな。これは、看護師さんが、結界張っててくれたし、アレも案内してくれたしで、かなり楽出来た」
ここで、1度、オーアは言葉を切り、皆に支援魔法をかけ直す。今現在のオーアの役目と言って良いそれが終わった所で、オーアは続きを口にする。
「って訳で、綻びになる場、今向かってる階段のとこに着いたら、アレのテリトリーに踏み込むのに、適切な方法でこじ開けるんだけど、正確には、開けるだけじゃなくって、こじ開けたのを維持する必要があるんだ。と、言っても、他の魔物もいるこんなとこで、俺1人でそれを維持をするのは、ちょっとキツイし、だからって、リーベさんにそれやってもらうのは、戦力的にも勿体ない。だから、それは、陣で、どうにかするか、って考えてたんだけど……」
「そこは、私が担当することになったわ。私なら、身を守るだけなら問題ないし、そういうものの方が得意だから」
オーアの言葉を継ぐように言った看護師の言葉に、なるほど、と思ったのはエドアルトだ。
と同時に、思い出すのは、この街の指導者の所で、悪霊が出た時の事。
しみじみと場を支えてくれる人がいると、本当に楽だと言い合っていた、オーアとリーベの様子だ。専門ではないため、想像でしかないが、その辺りから考えると、この看護師が引き受けてくれた事は、2人にとって、本当にありがたい事なのだろう。そう判断し、エドアルトは、看護師へと頭を下げる。
「俺達に協力してくれて、ありがとうございます」
その言葉に、看護師が驚いたように、軽く目を見張ったのが分かった。
「別に、礼を言われることはしてないわ。利害の一致よ。そもそも、元凶は貴方達だし。ちゃんとしっかり、ビョンウンゴを倒してくれれば、それでいいわ」
ふいっと、視線を逸らし、そう言う看護師に、エドアルトは笑顔で頷く。
「えぇ、必ず」
『うー、エドアルトさんの人たらしー』
『そう思うのでしたら、本人に直接言えば良いと思いますけど?』
『言える訳ないし言う訳ないでしょー。言いがかりなわがままな自覚はありますー。分かってても、乙女心は複雑でわがままなんですー』
『はいはい。軽口もそのくらいに。来ますよ』
耳打ちでそんな、緊張感の欠片もない会話を交わし、リーベと柚葉は、再び押し寄せてきた魔物達へと、詠唱する。
下から立ち上る破魔の光。それを見て、大丈夫と判断したのだろう。まだ魔物が残っているにもかかわらず、ヴァレリーは、オーアへと顔を向ける。
「そういや、いいのか?」
「ん?」
「名前」
気を付けろと、言っていたではないかという視線を向ける友人に、オーアは、あぁ、と声を零した。
「どっから聞いてたのか知らないけど、もう名前バレてるみたいだし。なら、も、意味ないかなー、って」
確かに。
納得して、頷くヴァレリーの傍らで、ふと、柚葉が看護師の方へと振り返る。
「1つ、見解をお聞きしたい事があるのだけれども、よろしいかしら?」
「何?」
「貴方は、この場を、この病院内を、どう見ます?」
要領を得ない言葉に、看護師は片眉を跳ね上げる。
「どう、とは?」
「そうね……今、病院内を跋扈している魔物達は、ビョンウンゴが取り巻きとして生み出したものではあるのでしょう。……けれど、本当に、それだけでしょうか?」
柚葉の言葉に、あぁ、とオーアも声を漏らす。
「それ、俺もちょっと気になってた。何つーか……アレのせいでここの空気がおかしくなってる、ってより……いや、それも原因ではあるんだろうけど……この場所、この建物自体が……何か、よくない、気がして……」
軽く目を伏せ、この場の何かを探るかのように、オーアは言う。
「何つーんだろ……ナニカが居て、それが原因で空気が淀んでる場合、こう……なんていうか、まだら、な感じなんだよな。濃さが違うというか……空気にムラがあるっていうか。でも、ここは……全体に、隅々まで、充満してる、みたいな感じがして……悪いモノが棲みついた場、ってより、ダンジョンに近い感じ……」
浮かぶままに、ぽろぽろと紡がれる言葉に、看護師は、軽く目を見張る。
「へぇ、良い感覚してるのね」
うちに欲しいくらい。
囁くような声量の呟きを、耳聡く、聞き咎めたのはリーベだ。
「ちょっと! オーアちゃんはあげないわよっ。うちの大事な後輩なんだから!」
新たにやって来た魔物達へと、MEを唱え終わるや否や、バッと、勢いよく振り向き、そう声を上げるアークビショップに、看護師は、軽く肩を竦めさせた。
「取らないわよ。フリーの冒険者なら、勧誘したけど、既に他のとこに入ってるんじゃあね」
「リーベさん、話を脱線させないで下さいまし」
ぴしゃりと響く、柚葉の言葉に、リーベは、脱線させてないもん! と主張する。
子供じみた調子のそれを、さらりと流し、柚葉は看護師を見る。その視線に促され、看護師は、そうね、と声を零した。
「その子の感覚は正しいと思うわ。さっき、ビョンウンゴの説明をした時、木に棲みつく妖怪だった、って伝承もある、って言ったの、覚えてる?」
その言葉に、オーアの表情が非常に嫌そうに歪む。ドクターブンも、滅茶苦茶な結界を張っていたおばあさんも言っていた言葉が脳裏を過ったからだ。
――街の古木の切って、病院を建築したのが良くなかった
確かに、そう言っていた。つまり――
その続きを察するのは、容易だ。看護師の言葉に、1つ息を吐いて、エドアルトは声を落とす。
「この病院は、ビョンウンゴの宿った木で建てられた、という事か」
真っ直ぐに前を見据えつつ言ったエドアルトに、看護師は頷く。
「そういう事。彼女は2階に自分のテリトリーを作っていたけど、それは2階が入院患者のための場所だったからでしょうね。悪夢を見せ、力を奪うのなら、病院で寝起きする入院患者が、獲物として1番狙いやすいから。けど、本当は、そんな事をしなくても、この病院そのものが彼女のテリトリーなのよ。ビョンウンゴの宿る古木が使われている以上、ここは、形を変えただけで、彼女の棲み処の中、という事なの」
そう言ってから、看護師は1つ息をつく。
「だから、2階のテリトリーから弾かれても、力が増すことがなくなっただけで、すぐに弱る事がなかったのよね。本当なら、2階から弾き、更に、この病院からも弾かないといけなかったのよ」
「つっても、病院のすぐ近くには民家もある。そんなとこにあんなのふらふらさせらんないだろ」
つい口を挟んだオーアに、看護師は頷く。
「そうなのよね。だから、病院ごと、全部一気に浄化しようと思ってたのよ」
「――さっき、病院前で聞いた時も思ったんだけどさ、病院全体の浄化、って1人でやる予定だったのか?」
「もちろん。派遣されたのは私1人だもの」
さらりと応えたその言葉に、オーアは感嘆の息を吐く。
「すっげ……この病院、結構広いのに……普通、陣とか、色々使っても、この規模なら複数人でやる奴だろ」
「まぁ、普通はそうよねぇ」
軽く肩を竦め、同意するように言ってから、看護師はにやりと笑う。
「私も、浄化だけをするなら、到底1人じゃ無理だもの」
言った看護師に、オーアは目を瞬かせる。
そのまま、1、2、3秒。はた、と思い至った可能性に、オーアは盛大に顔を引き攣らせた。
「……まさか」
「当然。そもそも、こんな状態になってたら、もうここ、使えないでしょうし」
「いや、そりゃ、分かるけどさぁ……」
オーアは、軽く後ろに足を引き、明らかにドン引きした様子を見せる。そんな友人の姿を見て、ヴァレリーが、訝し気に問いかけた。
「どういう事だ?」
「……火とか、流水ってさー。めっちゃ浄化に向いてるんだよなぁ……」
引き攣った笑いを漏らし、答えたオーアの言葉に、看護師の言葉の意味を察し、ヴァレリーとエドアルトはぎょっとして、看護師を見る。それに対し、リーベと柚葉は驚いた様子もなく、ただ軽く肩を竦めるのみだ。
「ま、ありかなしか、って言えば、普通にありよね」
「ですね。とはいえ、影響が土地にまで及んでいない事。それと完全に浄化し切ることが絶対条件ですが」
さらりと言う女性2人に、反射的に声を上げたのはヴァレリーだった。
「いやいやいやいやっ!! いくら何でも放火はまずいだろっ!!」
そう叫ぶように言ってから、金髪のギロチンクロスは、それに、と言葉を続ける。
「確かに今は、こんな状況だから、使えるわけないけど、そのビョンウンゴってのをきっちり倒してこの状態をどうにかしたら、問題ないんじゃ? 病院の建物自体は無事なんだし。まぁ、部屋はかなり荒らされてるから、その辺は元に戻すの大変だと思うけど」
一見、最もな問いかけに、あぁ、とリーベは声を漏らす。
「ビョンウンゴが棲みついてた古木が建築に使われてた。って事実が問題なのよね」
リーベの後に続けるようにして、オーアが口を挟んでくる。
「退魔班で、ワルイモノが憑りついた人形とか、宝石とか、持ち込まれることって、割とあるんだけどさ。それらを浄化したら、その後、どうすると思う?」
その言葉に、ヴァレリーは目を瞬かせる。
「どう、って、持ち主に返すんじゃないのか?」
「あぁ、返すこともある。大事な品で、どうしても、返してほしいって希望があった時のみな」
「普通は大体、焼却処分なのよねー。まぁ、物によっては、厳重に封印だけど」
「アマツで言う、お焚き上げですね」
オーアに続けて、リーベ、柚葉と言葉を添える。
「……魔みたいなワルイモノってさー、物・生き物問わず、何かに憑りつくと、その憑りついた何かを歪めるんだよな。そいつにとって、都合の良いように。居心地良いように。生き物だったら、手遅れかそれに近い状態じゃない限り、歪められても、傷が治るように、ゆっくりゆっくり元に戻っていくんだけど、物の場合、ごく一部例外を除いて、歪められたまんまなんだよ。で、その、歪められた状態って、なんか、そーゆーのにとって、良さそうに見えるらしくて、しっかり祓っても、また別のモノが入り込む可能性が、めっちゃくちゃ高い。だから、当然、返却する場合は、きっちりしっかり封印とか、色々処置してから渡してるしなー」
ちりん、ちりん、と澄んだ音を耳にしつつ、オーアは言う。
「で、だ。古木のままだったら、まだ、木、植物、つまりは生き物だった訳だが、木材になっちゃうと、もう、物なんだよなー……」
「……つまり、全部やっつけて、きっちりどーにかしても、この病院、また、別の悪いモノがやって来やすい……?」
「そゆ事ー。しかも、ここ、街に悪霊が出るような状態じゃん? ふよふよしてるワルイモノが、そいつらにとって良さげなとこに集まってこない訳がないだよなー」
「ダメじゃんっ!! いくらやってもキリない奴だろそれ!」
「だから、看護師さんも言ってるんだよ。もう、ここ、使えない、って」
その言葉に納得する。納得せざるを得なかった。
思わず肩を落とし、なるほど、と漏らすヴァレリーに、口を開いたのは柚葉だ。
「とはいえ、それはリスクも高いので、安易に取るべき手段ではありませんけど。その手段は、リーベさん同様、ありかなしかで言えば、ありだと判じますが、賛成か反対かで言えば、反対だと思っていますので」
ぬっ、と暗がり――診察室だろう部屋の1つ――から出てきた魔物の攻撃をいなしつつ、柚葉は言う。忍術を使う素振りがない所を見るに、殲滅はリーベに丸投げしているらしい。
「あら、分かっていて、反対なの?」
「当然でしょう? 言ったではありませんか。それは、リスクが高い、と」
リーベが発動させた破魔の光へと目を向けながら、柚葉は口を開く。
「まず、第一に、病院ごと燃やし、浄化したとして、それで病院全域の浄化が、本当に可能なのでしょうか? もし、魔物の討ち漏らしをだしてしまえば。もし、浄化が完全でなく、瘴気の残った木が一部でも燃え残っていれば。もし、この場の影響が、病院の、建物のみではなく土地にまで及んでいれば。……どうなるか、分かっているでしょう?」
「……今は、病院が目隠しと隔離をしてくれてるようなもんでもあるからな。病院がなくなった状態で魔物が発生し……なんて、ここに居るのが街中ふらふらするとか、ゾ、っとするなんてもんじゃない」
考えるまでもなく、阿鼻叫喚だ。と、眉を寄せ、オーアは言う。それに軽く頷き返し、柚葉はまた口を開く。
「それと、単純に火の心配ですね。病院の周りには木が多く、近くに民家もあります。浄化に使う火である以上、魔力による指針を示す事は、ある程度出来ますけれど、絶対ではありませんし……それと、病院を残すメリットもありますから、無くしてしまうのも、勿体ないと思うのですよね」
その言葉に、看護師は片眉を上げる。
「メリット?」
訝し気な声色。それに、柚葉は答えようとして……光に照らされた先に、見覚えのある十字路があるのに気付き、一度口を閉じ、言葉を変える。
「そろそろのようですので、続きは後程、と致しましょうか」
(……あ。また、だ)
十字路を右へと曲がり、階段へと続く廊下を歩きながら、オーアは思う。
また、鈴の音が止んだ、と。
色々ごたごたがあったため、気にする余裕なんてなかったが、思い返してみれば、先程、自分とヴァレリーが、リーベ達と合流した時も、この辺りから、ずっと響いていた鈴の音が、聞こえなくなった。
(……だから、何だって話ではあるんだけど、なんか、妙に、気になるというか、もやもやするんだよなぁ)
そんな事を思い、軽く首をひねるオーアの前方で、階段へと辿り着いた看護師が手早く準備を整えていく。
その手際は、なるほど、こんな案件を任され、病院内を1人で歩き回って平然としていただけはあると、納得できるものだ。
「――ん。こっちはOKよ。いつでも開けられるわ」
足元に配置された陣にお守り。それらに一度視線を走らせ、最終確認を行った後、看護師は顔を上げ、そう宣言する。
「エドアルトさん、休憩は?」
ここに来るまでに、最も矢面に立ち、魔物達の注意を引き、その攻撃を捌いていた――1番体力を消費しているだろう――ロイヤルガードへと、リーベが問いかける。
「大丈夫。問題ないよ。リーベさんの方こそ、魔力は平気?」
微笑し、そう紡ぐエドアルトに、リーベも笑みを返す。
「大丈夫。オーアちゃんが支援やってくれたし。マグニもこまめにくれてたし。ありがとう」
そう礼を紡いでから、リーベは、薄茶の髪を揺らして、金髪の青年2人の方へと、振り返る。
「オーアちゃんとヴァレリー君も大丈夫?」
確認のように問われた言葉に、どちらも力強く頷き返し、大丈夫と、問題ないと、返答する。
「ん。じゃあ、行きましょうか」
満足げな笑みに好戦的な色を乗せ、リーベは、宣言する。
それを受けて、看護師は、軽く目を伏せ、魔力を編み始めた。
「ひどいですわ。私には何もありませんの?」
看護師のそれが終わるのを待つ、微かな間に、そんな半分拗ねたような――ただし、もう半分は笑いの混じった声であるため、機嫌を損ねたようには到底聞こえない――声がする。
「あら。だって、柚ちゃんなら、このくらい大丈夫だって、知っているもの」
笑って、さらりと返すリーベ。
と、その時、一瞬、階段がぶれて見えた。まるで、半透明の階段がもう1つ、どこからともなく現れ、元からある階段へ、ぴたりと重なったかのような……
「今の……」
その様を見て、声を零したヴァレリーに、リーベは頷いて見せる。
「準備が出来た――道が開いたみたいね」
そう言ってリーベは、1段、2段と、階段を上がり、軽く振り返る。
「看護師さんが、陣を支えてくれてる間は、この階段は、本来の2階じゃなくて、アレのテリトリーに繋がってるから……さっさと、やっつけてきましょうか」
「そうだね。行こうか」
リーベの言葉に頷いて、エドアルトも階段へ足をかける。そして、そのまま階段を上がり、一歩横へと移動したリーベの脇を通り過ぎ、前へ。その後に柚葉が続き、後ろを少し気にする素振りを見せてから、ヴァレリーが続く。彼が気にした先、最後に残るオーアへと視線を向ければ、金髪のハイプリーストは、眉を寄せ、難しい顔で、階段を上がる。
刹那、オーアはハッと目を見開き、息を飲んだ。
「っ、違う……っ」
僅かに血の気を引かせ、緩く首を振ったオーアに、何事かと、リーベが声をかける。
「オーアちゃん? どうしたの?」
問いかけたリーベに、オーアは、何か迷うように、視線を揺らす。
けれど、それは一瞬で、1つ息を吸って吐くと、覚悟を決めたかのような真剣な表情で、リーベを見上げた。
「リーベさん。悪いんだけど、ビョンウンゴ、任せていいか?」
看護師の作った道、階段へと一歩足を踏み入れたと同時に感じた、痛烈な違和感。
何かが違うと。行ってはいけないと。手遅れになると。そんな警鐘が鳴り響く。そんな自分の感覚を後押しするかのように、鈴が、じんわりと熱を発した気がした。
刹那、脳裏を過ったのは、あの鈴の音、そして、シャーマンの問いかけ。
――「時にお主……捜し物は得意か?」
瞬間、閃く。
そして、確信した。ここに、レンは、居ないと。
迷ったのは一瞬。1つ呼吸し、リーベを見、先程の言葉を口にした。突然の言葉に、リーベは微かに眉を跳ね上げ、端的に問う。
「理由は?」
当然のセリフだ。分かっている。それがどんなに、無責任な言葉か。
けれど、信頼もあった。ここを、彼女達に任せても大丈夫だと。だから――
「ビョンウンゴのテリトリーに入って、分かった。あいつは、レンは、ここじゃない、ここには居ない、って。嫌な予感がする。早く、レンのとこに行かなきゃヤバい、って。だから、俺は、先に、そっちに行く」
その宣言に、リーベは軽く息を吐く。
「もう。それ、仮に私がダメって言っても、行っちゃう奴じゃない」
呆れたようにそう言って、リーベは腕を組む。
「仕方ないわね。一度道を繋げてもらった以上、ここを後回しには出来ないし、レン君が最優先事項なのは、確かだし……分かったわ。ビョンウンゴはこっちに任せて。……気を付けてね」
1つ息をつき、言ったリーベに、オーアはパッと破顔する。
「ありがと、リーベ姉」
頼み込んだとしても、滅多に読んではくれない呼称を紡いだオーアに、リーベは思わず目を見張る。その間に、パッとオーアは身を翻し、駆けて行く。
つい、そのままその背を見送ってしまったリーベだったが、金髪のギロチンクロスが、オーアの後を追おうとしたのを見て、ハッと我に返り、慌てて、その腕を掴み、引き留める。
「ストップ。ヴァレリー君はこっち」
「は? いや、でもっ」
「分かってるわ。だから――」
反論しようとするヴァレリーの声を遮って、リーベは、エドアルトへと視線を送る。
「お願い」
「あぁ、任せて。けど、そちらも、気を付けて」
短い言葉に、当然のようにそう返して、エドアルトが、オーアの後を追っていく。
それを見送ってから、リーベは、ヴァレリーへと向き直った。
「ごめんなさいね。さすがにこの状況で、前衛が居なくなるのは避けたかったから」
その言葉に、ヴァレリーは改めて、この場に残る面々を見る。
アークビショップに朧、そしてギロチンクロス。朧は型によっては前衛だが、柚葉が後衛である忍術型なのは、この道中で分かっている。と、なれば確かに、前衛は、ヴァレリーのみと言っていいだろう。
「……なら、俺が言って、あっちが残っても良かったと思うんだけど」
前衛の必要性も分かるが故に、オーアを追うのは諦める。けれど、何故、ヴァレリーを引き留め、わざわざ、エドアルトへ頼んだのかと問うギロチンクロスに、リーベは苦笑する。
「慣れている相手の方が合わせやすいのは分かるわ。けど、君、回避職でしょう? 下の方が魔物の数が多いと踏んでるし、今のオーアちゃんの力量だと、倒せはするでしょうけど……最低、ME2枚必要、ってところかしら」
病院内、彼女の前で、オーアはMEを使っていない。にもかかわらず、ぴたりと当てたアークビショップに、ヴァレリーは目を丸くする。それに、リーベはくすりと笑った。
「これでも、私、オーアちゃんの先輩ですから。で、ME2枚となると、その分、倒しきるのに時間がかかる。つまり、
リーベの言葉に、オーア自身も同じような懸念を抱き、魔物を倒すことを優先するよう言っていたのを思い出す。
そんなヴァレリーに、リーベは小さく苦笑し、だから、と口を開く。
「――悪いのだけれど、オーアちゃんとエドアルトさんが戻ってくるまで、私達のナイトを任せても良いかしら?」
小首を傾げ、問いかけるリーベに、今度はヴァレリーが苦笑する番だった。
「りょーかい。任された」
そう口にしてから、ふと、ヴァレリーは、何か思いついたかのように、1つ目を瞬かせてから、にっと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「いや、拝命しました、女王様。って言うべきか? こーゆー時は」
茶目っ気たっぷりに、ヴァレリーは言葉を紡ぐ。
それにつられたように、リーベは笑みを零した。くすくすと笑って、リーベは改めてヴァレリーを見る。
「それじゃあ、よろしくね?」
「おぅ!」
そう軽く言葉を交わし、リーベ、ヴァレリー、柚葉の3人はビョンウンゴのテリトリーへと足を進めていったのだった。
「あ。ちなみに、さっきの女王様。私よりも柚ちゃんに言うべきだったかも」
「は?」
「柚ちゃん、古くからある良家のご当主様だから」
「はあっ!? マジで!?」
***
病院の暗い廊下を駆ける。十字路を、迷わず右へ。
ちりん。
はっきりと響く鈴の音。先補と、リーベ達と合流する直前、道を間違えたと思ったあの時も、澄んだ鈴の音が響いていた。故に、確信する。こちらが、正しい道だと。
シャーマンがくれたこの鈴は、レンの元へと導く道標だ。
で、あるのなら、急いだ方が良いという忠告も……
それを思えば、早く早くと気が急いだ。焦りは禁物だと、頭では分かっていても、焦燥に駆られた。
あぁ、でも、それは当然だろうと思う己もいる。レンにも自衛手段があると、言いはしたものの、それがどんなものなのかは、渡した自分が1番分かっているのだから。
使うのが、他の人であれば問題はなかった。けれど、レンが使うのであれば、話は別で。あれは、彼にとって、諸刃の剣でしかないのだから。
ぞわり。
不意に、オーアの体に悪寒が走る。けれど、それは、彼にとってはある意味慣れ親しんだものだった。
居るな、と思う。この先の廊下に、前方左側にある診察室の中に、その先にも。病院内を跋扈する魔物達が。
当然だ。病院の入り口から、階段までは、何度か人が通っているが、こちらの方は全くの手つかず――否、正確には、一度は、看護師が調査として見て歩いてはいるのだろうが、長く時間を置いてしまえば、既に意味などなくなっているだろう――なのだから。けれど、だからと言って、相手をしてやるつもりなど欠片もありはしないのだけど。
走りながら、赤や黄色のジェムストーンを掴み出し、魔力を込める。
「邪魔、だっ!!」
そうして、ぬっと、姿を現した魔物達へ、ではなく、その後方へと、魔力を込めたジェムストーンを投げつけていく。普通であれば、何の意味も成さない行動だ。けれど――
ざわざわ。ぞわぞわ。
闇が揺れる。闇が蠢く。
次の瞬間、ばらまいたジェムストーン達へと、魔物が群がった。その様を横目で見つつ、オーアは、その場を駆け抜ける。その顔は本能的嫌悪で歪んでいた。
ちりん、と鳴る導きの音に意識を傾けつつも、頭の片隅で思い出すのは、ハイアコライトの時の事。とある事件に巻き込まれ、自分の体質について知った、その後の事。
――「……自分の事、知ったオーアちゃんに1つ、裏技を教えてあげる」
――「……裏技?」
――「兄さんがね、使ってた手法の1つ。魔物の注意を少しの間、反らす方法。と、言っても、とっても簡単で単純な事よ。オーアちゃんの魔力を込めたものをね、ばら撒くだけ。魔力の通りが良くて、貯まりやすいものがいいから、ジェムストーンとか、宝石辺りがオススメらしいけど」
――「……確かに、手軽だけど、そんなの、何の意味が」
――「オーアちゃんが魔力を込めたものを、食べてなくなるまでの間は、魔物達の意識は、オーアちゃんや他の人間よりも、そっちに向かうから。当然、あの手の相手に限るけど」
――「は……?」
――「たぶん、簡単に手に入れられる美味しいものだから、か、物に魔力を込める事で、直に魔力を感じられるから、大本であるはずの本人より先に、そっちに行くんじゃないか、って、兄さんは言ってたわ。まぁ、兄さんの予想でしかないから、それが合ってるかどうかは知らないけど。でも、兄さんがそれを使っている所は私も見てるから、効果は保証してあげる」
――「ふーん……」
――「あんまり、興味なさそうね」
――「んー……なんか、あんまり、実感もないし」
――「うん。それでいい。普段は、その方が良い。けど、知ったのであれば、いざという時、取れる手段は多い方が良いから、覚えてだけおいて。そして、もし、利用する時があったら、忘れないで。これは諸刃の剣だって事。オーアちゃんの魔力を食べた魔物は必ずオーアちゃんを狙うようになるわ。だって、美味しかったんですもの。その味を知っちゃったんだもの。そして、食べたことで、オーアちゃんとの繋がりも得てる。つまり、生息域から抜け出しやすくもなってる。今教えた、体質を利用した裏技は、一時的に注意を逸らすのに最適。それは事実よ。でも、同時に、相手に力を与えている事、後から自分に危険が降りかかりやすくなる事、忘れないでね」
話をされた当初は、利用するつもりなど、欠片もなかったし、正直な所、たった今、実践するまで、半信半疑でもあった。だというのに、それを利用する、なんて選択肢が出てきたのは、向かう先に感じた魔物の多さだ。
ただでさえ火力が足りてないのに、急いでいるというのに、真面目に相手など、していられるかというのだ。
病院の端まで来たらしい。目の前に迫るT字路。そこを右へと駆けて行く。右を選んだのは、ただの直感だった。
けれど――
ちりん。
合っていたらしい。響いた鈴の音に、ほっと、息をつく。
次の瞬間だった。
――リンッ。
不意に鋭くなった鈴の音に、反射的に足を止めた。
つんのめりそうになりつつも、辺りへと素早く目を走らせる。時折軋んだ音を立てる木製の床、壁、そして、きっちりと閉じられた扉。他の診察室と思われる部屋達は、そもそも扉自体がない作りだ。建物の端にある事も考えると、物置か、職員の休憩室か。
けれど、そんな事はどうでも良くて、それよりも何よりも先に、ここだ、と思った。反射的にオーアは手を伸ばす。
「っ!!」
ばちり、と痛みと共に手が弾かれる。はっと、視線を走らせれば、扉の横、木製の壁に、魔力によって陣が刻まれているのが目に入る。
「っ、1階は見回ったけど怪しいもんはなかったんじゃないのかよっ!!」
なんで、こんな怪しさしかないものを見逃しているのだと、思わず叫ぶオーアだったが、同時に確信した。
レンは、ここだと。そして、そんな
はぁ、はぁ。
自分の呼吸音だけが、耳につく。
痛い。苦しい。気持ちが悪い。辛い。怠い。苦しい。痛い。
頭の中は、そんな負の感情で、いっぱいだった。
つぅ、と頬を伝う冷たい汗の感覚を不快に思う。
はぁっ、と殊更大きく息をつく。自分のものとは思えない程に酷く重い腕をずるずると動かし、荷から試験管を取り出す。その細い管に入った透明な液体。もう、既に何度も飲み込んでいるそれを、口へと流し込み、流下する。
刹那、液体に含まれた魔力が、ぶわり、と体に染みわたり、魔力が回復していくのが分かる。けれど。
「――ぐ、ぅ」
絶えず、襲い掛かってくる痛みに、不快感に、怠さに、吐き気に、呻き声が漏れる。
分かっている。この原因は、結界のダメージのみではないと。
回復した魔力は、即座に自らが維持している結界のダメージを受け、傷つき続けている所へと回され、回復した先から目減りしていっている。この絶えず行われている、損傷と回復の繰り返しも、体中の痛みと不快感の原因だ。
スクロールへと、常に魔力を流しているのが、この酷い倦怠感の原因だ。
そして、吐き気の原因は、結界の影響もあるだろうが、それ以上に、魔力回復材の飲みすぎが原因だろう、
じりじりと、限界が近づいてきているのが分かる。
もう、どれくらいの時間が経ったのだろう。
あと、どのくらいの間、耐えれば、良いのだろう。
何度も考え、何度も振り払った言葉が、またしても浮かび上がってくる。
そんな事を考えたって、何の意味もない。分かっている。分かっているけど……悪魔の誘惑とも言うべき言葉が、囁いてくる。
――『でも、もし、スクロールに魔力を流せない状態になったとしても、ある程度の間は、宝石に込めた魔力がその代わりをして、維持してくれるから、無理はしない事』
スクロールに魔力を流すのを止めたら、少しは、楽に、なるだろうか。
つい、そんな事を思ってしまう。
けどダメだ。論外だと、レンは心の中で頭を振る。実際に、そんな動きをする余裕など皆無であるため、そんな事ですら、心の中でしか出来ない、とも言う。
レンには、分かっていた。ギリギリでどうにかかろうじて繋がっている緊張の糸。これを切ってしまえば、もう、しばらく、何も――立ち上がる事さえ――出来なくなると。
限界なんて、もう、当の昔に迎えていて、意地と気力だけで、現状維持をしているようなものなのだから。
だって、負ける事など、あってはならないのだから。“また”ルキナを置いていき、傷つける、なんて、絶対に、何があっても、する訳にはいかないのだから。
痛い。辛い。苦しい。怠い。気持ちが悪い。
それが、何だと言うのだ。痛いと、辛いと、苦しいと、そう感じられるだけ、まだましだ。
俺は知っているだろう、と心の中で紡ぐ。
あの時に、比べたら――と。
単純な苦痛なら、今の方が、ずっとずっと辛いだろう。そもそも、あの時は、痛みも苦しみも、肉体的なものは、何も、感じてはいなかったのだから。
けれど、代わりに、何も出来ず、何も伝えられず、ただただ、見ていただけだった。見せられていた、だけだった。
己の唯一となっていた子が、己の行動のせいで、傷つき、蝕まれ、壊れていく様を。
――あぁ、本当に。それに比べたら、この程度……
そう、己を叱咤し、気合を入れ直した、その時だった。
バンッ、と勢いよく、扉の開く音が響く。
「レン!!」
そして、響いたその声は、待ち望んだものだった。
乱雑に扉を開いて、その中へと飛び込み、声を上げる。
真っ先に目に飛び込んできたのは、魔法陣の光。この部屋の床、ほぼ一面を使って描かれたそれは、そこそこの広さのある部屋の木目から、両脇の壁に並ぶようにして鎮座する複数の棚や積みあがった椅子まで、余すことなく、照らし出していた。その陣の中央には、2つの人影。膝をつく女性の姿をしたモノと、どうにか、といった態で立つ、若草色の髪の少年だ。
「おそ、い……っ!」
掠れた声で紡ぎ、ぎこちなく、微かにこちらを見上げたレンの顔色は、青を通り越して白い。
探し人の姿を発見するなり、そちらへと駆け寄っていたオーアは、間近でその顔色を見る事となり、思わず目を見開く。が、そのまま、ぶつかるように抱きかかえ、真っ直ぐに、部屋の奥へ。
陣の端で足を止めると、慣れた調べを口ずさみつつ、その場に跪く。そして、レンが強く握りしめていたため、皺くちゃになっているスクロールを掴み、奪い取るように破く。
ビッ、と紙の破ける音が響いたその刹那、レンの体から、全身に絡みつくかのような重さが、体の内側から炙られているかのような痛みが、不快感が、ふつりと消える。
けれど、それは同時に、夢魔もまた、自由の身になった事を示していた。
ゆらり、と夢魔が立ち上がる。その時。
「マグヌスエクソシズム!」
オーアと夢魔の間を起点に、バッと広がるのは、破魔の魔法陣だ。夢魔に背を向けた状態であるにも関わらず、夢魔はMEの範囲内に入り、オーア自身――当然、彼が抱きかかえていたレンも――は範囲外となる絶妙な位置に、陣を展開したのはさすがと言うべきだろう。
けれど、当の本人は、何てことない所か、夢魔の存在も無視する勢いで、レンの体を触り、顔色を見、彼の状態を検分する。
「あーもーっ! 無茶すんなって言ったじゃんかっ!!」
悪態をつくように言いつつも、レンに触れる手は、非常に優しく丁寧だ。そんなオーアの背後で、苦悶の声を上げつつも、ゆらり、と夢魔が足を踏み出す。
そもそもMEに、敵の動きを阻害するような効果などないのだから当然だろう。
オーアの肩越しにその様を見て、レンは整わない息の中、喘ぐように、言葉を吐きだす。
「――っ、う、しろ……っ!」
膝をつき、レンを抱きかかえたままで、咄嗟には動けない状態だというのに。
迫ってくる敵へと、無防備に、背を見せている状態だというのに。
オーアは微塵も焦る事なく、ただ、静かに笑った。
「だいじょーぶ」
刹那、夢魔の右脇へと、後ろから1本の槍が突き出される。間髪入れず、槍は左へと、大きく薙ぎ払われ、結果、女性の姿をしたそれの胴へと思い切り叩き込まれる。衝撃で、弾き飛ばされた様を目にし、レンはその紅い瞳を丸くする。
オーアは、レンを抱きかかえたまま、にっ、と笑い、肩越しに軽く振り返った。
「頼もしーいお兄さんが、付いてきてくれてるから」
そう紡ぐオーアの視線の先には、床から立ち上る破魔の光に照らされた緑の髪、ロイヤルガードの鎧。夢魔へと険しい視線を向けるターコイズブルーの瞳。穏やかそうな穏やかそうな面差しに真剣な色を乗せ、夢魔へと槍を向けるエドアルトの姿があった。
「――そう思ってくれているのなら、こっちに速度をかけるのも忘れて、1人で突っ走らないでくれるかい?」
オーアとレンを背に庇う位置へと立ち、エドアルトは息を吐く。紡ぐ声の穏やかさに反して、油断なく夢魔を見据えるロイヤルガードに、オーアは少々気まずそうに頬を掻いた。
「あははー、悪い」
苦笑いして言うオーアだが、次の瞬間、すっと、表情を改める。そして、口早に紡ぐのは2度目のMEだ。
「マグヌスエクソシズム!」
丁度1度目のそれが、効果を失い、消えていくのに合わせて、新たにMEを発動させたオーアは、エドアルトへと声を投げる。
「ちょっと任せた!」
そう言うや否や。エドアルトからも夢魔からも再び背を向け、レンへと向き直る。
無防備とも、緊張感が足りないとも言える行動に、レンは目を見開き、次いで眉を吊り上げる。
「っ、なに、して――っ」
「いいから。こっちが先だ」
覚束ないレンの言葉をぴしゃりと遮り、オーアはレンへと手を差し出す。
「喰え」
端的に言われた言葉に、レンは目を見張る。
「かなり無茶しただろ。ホントは、聖域使いたいとこだけど、レンの場合は逆効果だからな。回復を促すなら、これが1番良いと判断した。って訳で、早く」
オーアの言葉を、突っぱねる事も出来た。
けれど、確かに、魔力をずっと流し続けていた上に、絶え間なく損傷と回復をし続けていた体に、純粋な――しかも悪魔や不死種族にとっては特別な――魔力というのは、抗うのが難しい程に、本能的に欲しているものでもあった。
故に、レンは、オーアの手に口づける。するすると、魔力を吸い取り、体に染み渡っていく、それに思わず、ほぅ、と恍惚とした息が零れた。
「ありがと。正直なとこ、助かった」
「どーいたしまして。後は、もうちょい、休んでろ」
そう言って、オーアはレンを壁に寄りかからせると、その周囲にブルージェムストーンを置いて行く。全部で6つ。レンを囲むように。
「――ちょっと。何、するつもり」
声を尖らせるレンに、大丈夫だと、オーアは言う。
「レンを安全圏に置いときたいんだよ。だからって、んな状態で、レンに悪影響出るような事はしないから、安心しろ」
「そんなの、どうやって……っ」
体を起こそうとするレンだったが、一度緊張の糸が切れた体は全く言う事を聞いてくれず、舌打ちを零す。そんなレンに、まぁまぁと宥めるような声を零して、オーアは笑って魔力を編む。
「大丈夫だって」
その言葉と同時に、ジェムストーンが光を零し、レンを囲むように、光の壁が立ち上る。反射的に息を止め、身を強張らせたレンだったが、聖属性特有の不快感は何もなく……紅い瞳が丸くなる。
「なん、で……」
不思議そうな声を零したレンへ、オーアは笑いかける。
「な。大丈夫だったろ?」
そして、表情を改め、続けて口を開く。
「って訳で、そこに居ろ。キツかったら寝てていい」
「冗っ談」
オーアの言葉に、レンは吐き捨てる。
「あっち、が有利になる可能性、上げて、たまるか……っ」
「上等」
よく言った、とばかりに好戦的な笑みを見せてから、オーアは、レンに背を向ける。夢魔と、対峙するエドアルトを見据え、同時に紡がれるのは、MEの詠唱だ。
灯りのない暗い室内。そんな状況故に、MEは、夢魔への攻撃と同時に、視界確保の役割も大きく果たしている。故に、効果が切れる前に、張り直しを行う必要があるのだ。
そんなオーアの背を見た後、レンは己を囲む光の壁を見る。これが己を守るためのものなのは、分かっているが、この手の術と自分の相性は、限りなく悪い。MEなんて致命傷になりかねないし、サンクチュアリは命に係わるような事はないが、眩暈に気持ち悪さにと、相当に酷い目を見る事になる。きちんと効果はあるものの、ブレッシングやヒールすら、ある程度の不快感には襲われるのだ。それをオーアも分かっていて、だからこその処置なのはよくよく理解しているけれど……
部屋の中央で行われている戦闘には敢えて目を向けない。この――自分1人ではない――状況であれば、自分は向こうに視線を向けず、意識を保ち、警戒のみしている方が、夢魔からの侵蝕を受けにくいと判断したためだ。緊張の糸が切れ、多少なりとも気が緩んでいるこの状況で夢魔と視線が合うのは、侵蝕を受ける危険を孕んでいるからだ。
故に、気を紛らわすかのように、結界へと目を向けているのだが……本当に、一体何をどうやったのやら。
元気があれば、好奇心のままに、手を伸ばしてみる所だが、残念ながら、体は指一本動かない。それどころか、視界がぶれて見え、レンは顔を顰め、意識して目を開く。
目を閉じるな、意識を手放すな。今の自分でも出来る、最低限の自衛をしろ。
そう、己を叱り飛ばす。
と、そこで、気づく。
視界がぶれている訳ではない。ぶれているのは、結界の、光の膜の方である事に。
そして、気づく。
己を囲む結界が二重になっている事に。
2つの結界を張った? 否、違う、これは……
ようやく絡繰りに気が付いて、レンは苦笑する。
声を発する事さえ辛いこの状況でなければ、こう、呟いていただろう。
――「ここ、結界の外なのか」
と。
つまり、オーアが張った結界は、薄い薄いドーナッツを壁で半分に割ったような形をしているのだ。そして、そのドーナッツの穴の部分にレンは居る。
壁に背を預けたまま、レンは深々と息を吐いた。無駄に器用な事をする、と簡単と呆れの息だった。
あぁ、でも、だからか、と納得もした。小柄な少年1人分という小さな結界に、6つもジェムストーンを使ったのは。3つが外円分、もう3つが内円分。薄く薄くしたから、ぱっと見は、6つのジェムストーンがレンの周りに散らばっているように見えるが、おそらく、そういう事だ。
そして、元々考えていたのか、それとも咄嗟の判断かは知らないが、コレは、オーアのオリジナルだろう。対象を結界内部で保護するのが普通であるのに、対象を結界で囲む、なんて変則的な手段の保護など、自分でなければ、する必要などないのだから。
何にせよ……そこまで考えて、レンは息を吐く。
後は、オーアとエドアルトに、来てくれた2人に託すのみだ。その事に不安はない。2人ならば大丈夫と、信じている。
もし、不安があるとすれば、自分自身の方だ。敵に逆転される可能性があるならば、それは、自分が途中で、敵の手に落ちた場合だろうから。それをさせる気は欠片もないし、それはオーア達も同様だろうが、だからと言って、否、だからこそ、気を抜くわけにはいかない。
そう己に言い聞かせ、意識をしっかり保とうと、意識を保ったまま、少しでも回復に努めようと、レンは、深く息を吸い、呼吸を整えるのだった。
be continued
あとがき
ボス戦まで行かなかった!!! え、絶対行くと思ってたのにっ、何で!? ……道中の会話が原因ですね、分かります。
いやでも、情報のすり合わせとか、必要、では、あった……し……? ……うん、ちょいちょい余計な会話が入って長くなった自覚はある。あります。あるんだけど……こう、どんな時でも、いつも通りで、自分のペースを崩さない。っていうのが、ROの冒険者の強さだと思うんですよね。
だから、オーアが、1番慌てているというか、焦りを見せているのは、PT内で、彼が1番Lvが低いから。そんなイメージでした。
あと、病院放火案。もし、この事件が、ダンジョン侵入クエストじゃなかったら、普通に、手段として、有りだと思ってる私です。
……無しです? 探索者的思考に染まってます? ……有りだと思うんだけどなー(まだ言う
あと、本格的なボス戦までは行かなかったけど、PT分断とレンとの合流まではいったーーーっっ!! って思っていたり。
ここ、2か所同時ボス戦は、元から決まってる流れでした。故に、前衛が2人欲しかったんだよねぇ。エドアルトさんとヴァレリーさん、手伝ってくれて、本当に本当にありがとうございます。お2人と貸してくれたるいさんには、感謝しかないです。ホント。
あと、ボス戦はいけてないけど、この話トップランクに書きたかったシーンは書けたーーっ!!!
合流時の「だいじょーぶ」から「そう思ってくれるなら――」の辺り。この辺は、もう、エドアルトさんお借りする許可頂いた時から、書きたかったのですよっっ!
本当は、ここのシーン、もっと格好よくエドアルトさん描写したかったーーっっ。うぅ、要精進ですね、分かります……
さてはて、そんな訳で、次、7話で、本格的なボス戦に入ります。うえーい、戦闘シーン苦手~~、とひいこら言いつつ、ここにもちらほら、小さな書きたいシーンはあるので、頑張ります~。
戦闘シーン苦手な分、ボス戦短くなるだろうし、後日談(?)まではいかなくても、エピローグまでは行くかなぁ……。…………そこ、フラグとか言わないっ!
使用素材: 篝火幻燈様 道標