「カウンタースラッシュッ!」
銀の奇跡が走り、ビョンウンゴへと牙を剥く。青黒い肌を、刃が切り裂く。
「紅炎華!」
同時に降り注ぐのは炎の雨だ。
炎の忍術がビョンウンゴへと叩き込まれた後も、ヴァレリーが刻んだ裂傷は消えていない。
大きく振られる巨大な腕を交わしつつ、ヴァレリーはそれを確認する。
ほんのついさっき、ビョンウンゴの回復が止まった。そう、確信する。
この場を飛び出していったアークビショップは、どうやら上手くやったらしい。
で、あるならば、もうすぐ戻ってくるだろう。
金髪のギロチンクロスがそう考えた、その時だった。
「オラティオ!!」
扉の開け放つ音と共に、柔らかくも力強い女性の声が響き渡る。
次いで、こちらへと駆けてくる足音。
そちらを振り向くまでもない。リーベが戻ってきたのだと分かった。
ならば、動きを先ほどのように――
そんなヴァレリーの思考を遮るように、リーベの声が響く。
「セイフティウォール!」
視界の端に、アークビショップを囲むように立ち上る薄赤の光を捉え、ヴァレリーは違和感を覚える。
今まで、彼女はそれを使っていなかった。
当然だ。リーベが標的にならないように、ヴァレリーは立ち回っていたのだから。
ヴァレリーだけでは厳しい時は、柚葉も同様に動いていた。
問題なく、それは機能していた。
なのに、何故。
疑問が湧き上がると同時に、ビョンウンゴの頭上から、
ビョンウンゴへ斬りかかろうとした己の腕を反射で止める。
度々起こるそれは、反射神経を試されるが、ヴァレリーにとっては慣れたものだ。ヴァレリーにとって、今回のように初対面の相手とパーティを組む事は珍しくない。いきなり、完全に息を合わせた連携なんて、そうそう出来ることではないのを良く理解している。
実際、オーアと組んで最初の頃もそうだった。今では、こちらが1撃入れた直後のタイミングでレックスエーテルナを使ってくれるため、彼との狩りでは、非常に楽をさせて貰っているとも思う。
そんな事を思い返したその時、リーベの声が響いた。
「ごめんね! ちょっと勝手させてもらうわ」
魔力を編みつつ、リーベは声を張り上げる。
「
――アドラムス!!
青白く鮮烈な光が4つ、ビョンウンゴの前後左右へと叩き付けられる。
激しくも美しい、マグヌスエクソシズムとはまた違った光に、ヴァレリーは一瞬、目を奪われる。
次の瞬間。
「アドラムス!!」
再度、青白い光がビョンウンゴへと叩き付けられる。それはそのまま、間を開けること無く、3度、4度と連続していた。
アドラムスは、
故の光景。青白い光が瀧のように、次から次へとビョンウンゴへ叩き付けられている。
連続詠唱は、術者の技量に由来する。それを思えば、オーアの先輩らしいと非常に納得する。が、そんなどうでも良い思考を飛ばしている場合ではない。
「ちょっと待て! やりすぎ!!」
タゲが外れる、と、慌ててヴァレリーは声を上げる。
そんなギロチンクロスに、柚葉は視線を向ける。紅炎華を発動させ、炎を降らせた後、1つ息をつき、ビョンウンゴへと視線を戻す。そして、淡々と、温度のない声で告げた。
「――もう、遅いようですよ」
ハッとして、ヴァレリーはビョンウンゴへと視線を戻す。
ビョンウンゴの視線が向かう先は、近くで刃を振るうヴァレリーでも、炎を降らせる柚葉でもない。
そんな2人を通り越し、1番遠くの立ち位置で詠唱を続ける、アークビショップの女性へと、向けられていた。
近くに居るヴァレリーや柚葉よりも、彼女を、排除すべき対象と、認識したのだ。
「やはり、こうなりましたか。少しでも削っていて正解でしたね」
「落ち着いてる場合かっ!」
反射で突っ込み、慌てて地を蹴る。
「カウンタースラッシュ!」
ビョンウンゴを
そのまま銀の軌跡を走らせるが、ビョンウンゴの視線は変わらず、アドラムスを唱え続けるリーベの方へと向けられたままだ。
(このままだと、タゲをこっちに向けるのはキツい、か?)
もうすぐ、アスペルシオの効果も切れる。今まではタイミングを見て、付与をくれたリーベだが、あの様子を見るに、次は期待できそうにない。
つまり、今以上の火力を出すのは難しくなる。――なら。
「――物理的に、引き離し続けりゃいい、ってな」
標的の位置が多少動いたところで狙いを外すような女性達ではない事は、短い間共にしただけだが、よくよく理解出来ている。
「カウンタースラッシュ!」
刃を走らせ、再度、ビョンウンゴを弾き飛ばす。
敢えて、追撃はせず、ビョンウンゴを待ち構える。アレが、リーベを標的にしているのであれば、ビョンウンゴにとって、一番邪魔と感じる位置を割り出すのは容易だ。
案の定、こちらへと、勢い任せに突っ込んで来たビョンウンゴへ、ヴァレリーは斬りかかる。
狙うは足。物理的な足止めだ。
人に近い形をしているのだから、本当は腱でも切ってやりたい所だったが、青黒い体の巨大さと強靱さに、それをやるには、短剣では厳しいと判断した結果だった。
ビョンウンゴの邪魔をするように立ち回り、刃を走らせる。
ダメージを与えることよりも、行動妨害を優先して動いたかいはあったようだ。ビョンウンゴの視線は未だリーベの方を向きつつも、鬱陶しそうに、腕をヴァレリーへと振り抜く。
金髪のギロチンクロスは、敢えてギリギリ、紙一重の所で躱し、青黒い腕を受け流すかのように刃を滑らせる。
邪魔をし、切り裂き、回避し、受け流す。
それを何度か繰り返したところで、パチッ、と刃から光が小さく爆ぜる。火花にも似たそれは、ヴァレリーにとって、見慣れたものであり、待ち望んでいたものでもあった。
――ウェポンブロッキング。
攻撃の際、武器を通して、相手の魔力を盗み、自身の魔力と合わせ、刃に一時的な障壁を纏わせるスキルだ。
理論的には、自身の魔力と他者の魔力は反発が起きる、とか。攻撃に乗じて少量づつ相手の魔力を盗むことで、制御できる程度の反発を故意に引き起こす、とか。その反発を利用して、障壁を発生させて敵の攻撃を弾いたり、衝撃を発生させ、ダメージと共に相手を弾き飛ばすとか。まぁ、色々あるのだが、そこは大して重要ではない。
大事なのは――
「カウンタースラッシュ!」
これが、ビョンウンゴをリーベから遠ざける手段にも、己の攻撃手段にもなる、という事だ。
弾き飛ばされたビョンウンゴは、足を前へと踏み出す。
変わらず降り注ぎ続ける光の滝。神罰と呼ぶにふさわしいそれを唱え続けるアークビショップ。
爛々と瞳に激情を宿し、ビョンウンゴを睨み据えている彼女の方へ、ビョンウンゴはただただ視線を向けていた。
それは、先ほどから変わらない。
それはつまり、ヴァレリーのやるべき事も変わらない、という事だ。
ウェポンブロッキングの効果はもう少し残っている。上手くすれば、もう一度、あの巨体を吹っ飛ばす事は出来そうだった。
アレが再び突っ込んで来るのを待っていれば、その間に効果は切れてしまうだろう。
けれど。
こちらから、ビョンウンゴへと距離を詰めれば間に合う。
故に、ヴァレリーは地を蹴った。
リーベへの射線は遮る立ち位置を維持しつつ、弾き飛ばしたビョンウンゴとの間を詰める。相変わらず、その視線はリーベへと向けられていた。
先程から変わらぬ様子、行動は、適応能力の高いヴァレリーに、慣れを与えてしまっていた。
油断した訳ではない。
決して、ない。
けれど、
守るべき対象が現在進行形で
こちらをきちんと認識せず、ただ鬱陶しそうに払われる腕など、容易く回避できるという、実績が。
自分自身への攻撃よりも、この場の面々の立ち位置把握とそれを踏まえて、次はどう動くべきか。
そう、意識を、少しだけ、傾けた。
自分自身への攻撃に対する注意を、警戒を。
ビョンウンゴが青黒い腕を振るう。
それを、紙一重で回避して、そのままカウンタースラッシュを叩き込もうとした、その瞬間だった。
ド、と地が揺れた。
「っっ!?」
体に痛みが走る。
衝撃波。
そう、知覚する。
くわん、と頭が芯から揺れ、崩れ落ちるように、床に両膝を、手をつく。
倒れ込むことだけは、ギリギリ免れた。が、そこまでだ。
ぐわんぐわんと揺れる意識の中、スタンをまともに食らってしまったのだと、理解する。
ヴァレリーは、舌打ちを零し、無理矢理顔を上げる。
定まらない視界の中、ビョンウンゴが嗤ったのが見えた。
瞳を弓形に歪ませたその表情は、侮蔑と愉悦と悪意を煮詰めて凝り固めたかのようだった。
数瞬前と打って変わって、真っ直ぐにこちらを見るその視線で、理解する。
――嵌められた!
ビョンウンゴは分かっていたのだ。
リーベの元へ行くのなら、その前にヴァレリーを排除する必要があると。
排除するなら、どうすべきか。
真っ正面からでは、全てではないが、粗方は避けられてしまう。
避けられるのであれば、避けられないようにすれば良い。
そうするには、どうすべきか。隙を作らせれば良い。
そう、ビョンウンゴが企んだ結果が、ヴァレリーの現状だ。
本当に、小賢しい。
否、狡猾だと言った方が正しいだろう。
それは、看護師に化けていた時から、分かっていたはずだったのに。と、ヴァレリーは臍をかむ。
そんなヴァレリーの目の前で、ビョンウンゴが腕を振り上げた。
避けねばと思うのに、頭に反して、体は全く動いてくれない。
そして、その太く巨大な腕が振り下ろされる。
「影武者っ!」
凜とした声が響くと同時に、ヴァレリーの視界が一気に後方へと流れる。
既視感を感じたヴァレリーだったが、すぐに当然だと気付く。
だって、今のは、先程1階で起きた事の再現だ。
違うのは立場。先程はオーアの立ち位置だった所にヴァレリーが居て、ヴァレリーの立ち位置に立ったのは柚葉だった、というだけの話だ。
ザッ、と大きく後方へ跳びずさると共に、柚葉の手が放される。
床に下ろされると同時に、その細腕に、つい、ヴァレリーの視線が向いてしまったのは、仕方のない事だろう。
冒険者は見た目にはよらない事など、重々承知しているが、それでも、ヴァレリーよりもずっと小柄で華奢な女性が、動けないヴァレリーごと、ここまで一気に移動できるのだから、驚きもするというものだ。
(あぁ、でも、病院の前で、意外と力があるって言われてたっけ)
スタンによって、未だ揺れる頭でそんな事を考えつつも、ヴァレリーは礼を紡ぐ。
「ありがと。助かった」
ここで、ヴァレリーは我に返る。
柚葉がここに居る。
自分を助けるために。
それは、つまり、今、リーベを守る者がいないという事だ。
慌てて揺れる視界の中、視線を走らせる。
と、自分達の方になど、見向きもせず、リーベの元へと向かう巨体が目に入った。
反射で立ち上がろうとするが、スタンの影響は未だ健在だ。足に力を入れるが、上体を支える腕を床から離した瞬間、バランスを崩し、再び倒れかける。
それを支えたのは柚葉だった。
「慌てずに。まずは自身の回復を優先してくださいな」
「や。そんな事言ってる場合じゃっ」
「そう思うのなら、なおさらですよ。私では、あの巨体を引き剥がす事は出来ませんから。影武者に気をとられる様子もありませんしね。アレには、幻覚と挑発の術式が含まれてますのに」
本当、無駄に頭の回る相手は厄介ですこと。
そう呟く柚葉の視線の先は、ヴァレリーがスタンを受けた位置だ。
そこに佇むには、歌舞伎忍者にも似たモノ。本来であれば、囮としての役割を果たすのだが、ビョンウンゴは、気にすることなく、リーベの元へと向かっている。
それを目にし、更に焦りが煽られる。そんなヴァレリーに、柚葉は静かに言葉を落とした。
「――大丈夫」
そして、言葉を続ける。
「あれでも彼女は、
真っ直ぐに、こちらへと向かってくる青黒い巨体に、リーベは微かに目を細める。
改めて、頭の良い敵だと思った。
ヴァレリーに隙を作らせた手腕もそうだし、次の手もそうだ。
柚葉が彼を助ければ、ビョンウンゴの歩みを止める者はいなくなる。もし、助けなくとも、邪魔者が1人減る。どちらに転んでも、ビョンウンゴにとっては都合が良い。
もしも、柚葉が
そんなことを胸中で呟いてから、リーベは一旦、アドラムスの詠唱を止める。
代わりに唱えたのはセイフティーウォールだ。薄赤の円柱状の光が、リーベを囲むように立ち上る。津透けてもう1度、セイフティーウォールを詠唱。リーベの一歩後ろに、薄赤の光を出現させる。
次の瞬間、リーベの眼前に迫る青黒い腹。ほぼ壁のようにあるそれを見上げれば、にたり、と嗤うビョンウンゴと目が合った。
青黒い腕を振りかぶるビョンウンゴ。
それを目にしても、微塵も怯むことなく、リーベは魔力を編む。
ビョンウンゴの腕が、振り下ろされる。
風を切る音を纏った腕は、薄赤の光に阻まれる。
「アドラムス!!」
ビョンウンゴの頭上から、光の滝が叩き付けるように降り注ぐ。
尚も、殴りつけてくるビョンウンゴを睨み据えながら、リーベはアドラムスを詠唱する。
続けて、もう1度。
その詠唱の完了と同時に片足を一歩引く。
ビョンウンゴの腕が振り下ろされる。
ついに、その拳がセイフティーウォールの薄赤の障壁をたたき壊し、リーベへと迫る。
刹那。
リーベは後ろへ引いた足へと重心を移し、そのまま体を引く。
拳がリーベの体を掠めたが、それは、キリエエレイソンがきっちり弾く。
そうして、背後にあった
そして、再び唱えるのはアドラムス。
冷徹に神罰の光を降らせ、冷静に自己の身を守るための術を張り巡らせる。
そんなアークビショップの立ち回りを見、ヴァレリーは思う。
確かに。
リーベ自身が宣言したように、一見、助けは、必要なさそうに見えた。
柚葉が言っていたように、上手く凌いでいるようだった。
一見、戦況は安定しているように見えた。
一見。
そう、一見だ。
実情はそうではない事を、ヴァレリーはよくよく分かっていた。
彼女は
魔物の攻撃を避けられるような身体能力があるわけでも、魔物の攻撃に耐えうる強靱な体を持っているわけでもない。ただただ、魔力の操作を滑らかに、緻密に。ただただ、魔力の許容量を大きく、純度を高く。
身体能力を上げる事など投げ捨てて、ひたすら、そういった研鑽を積んできたのが、オーアやリーベ、後衛と呼ばれる者達だ。
もちろん、ヴァレリーだって、後衛の人間が問題なくソロ狩りをしているのは知っている。なんなら、友人であるオーアとの出会いが正にそれだ。
けれど、今回は、それとはまた、状況が異なる。
これは狩りではなく、突発的且つイレギュラーな
そんな中、彼女が、敵の攻撃圏内に居る。
それは、
確かに戦況は安定している。
けれども、それは、薄氷の上の安定に他ならなかった。
それは、柚葉も分かっているのだろう。
険しさを帯びた真剣な瞳を、ビョンウンゴとリーベの方へと向けていた。
柚葉はビョンウンゴを見る。そして、ビョンウンゴの注意が、完全にリーベへと向いている事、特に、ビョンウンゴの意識がヴァレリーに向いていない事を確認しつつ、口を開いた。
「あちらのフォローに入れるよう、動きます。貴方は十全に動けるようになってから、来てください」
「ん」
フォローに入れるよう動く、というのは、もしもの時は、先程ヴァレリーを助けたときのように動くという事だろう。
確かに、今、ここからでは、リーベとそれなりに距離が開いてしまっている。
故に、柚葉の判断は妥当なものだ。むしろ、もっと早く動いて良いくらいだ。
故に、ヴァレリーは、短く声を帰す。
それを受け、柚葉は一歩、足を踏み出し――刹那、黒曜石の瞳を丸くした。そのまま足を進めることなく、ふっ、と表情を緩める。
「あぁ……私が向かう必要はなさそうですね」
その発言の意味を問おうとして、ヴァレリーも遅れて気付く。
もう、すぐ近くまで来ている、見知った気配に。
ぐらぐらと揺れる意識に気をとられ、今まで気付かなかった。
そう、自覚する。
確かに、彼が戻ってきたのなら、一気に状況は安定する。柚葉の言葉にも納得だ。
そう、ほっと息を吐いたところで、ふと、ヴァレリーは気付いた。
(……ん?)
アドラムスを唱える。
アドラムスを唱える。
直感にも似た、けれども、今まで蓄積された経験に基づいた
足を一歩引き、タイミングを推し量る。
身を守る障壁を少しでも無駄にしないように。
けれど、ビョンウンゴからの攻撃は受けないように。
集中。
ただひたすら、意識を、魔力を、研ぎ澄ませる。
数発くらいであれば、耐えられるとは思うが、それでも、あの腕をまともに受けたらただじゃ済まないのだから。
しくじるわけにはいかないのだ。
己にそう課し、集中に集中を重ねるような状態。
己と敵以外の情報をシャットアウトしてしまっていたリーベの意識を、その声は切り裂いた。
「ディボーション」
心地よく耳朶を打つその声に、リーベはハッと我に返った。
己を囲む、薄赤以外に、自身を包む、見慣れた光。
その時点で既に答えは出ていたが、それでも、反射的に、リーベは振り向こうとする。
けれども、彼の方が早かった。
リーベの後方から、彼女の脇をすり抜けて、緑のロイヤルガードが青黒い巨体へと、手にした盾を振りかぶる。
「シールドチャージ!」
ビョンウンゴを
「本当に……あちらもこちらも、無茶をするね」
「エドアルトさんっ」
思わぬ人物の登場に、リーベは反射的に声を上げる。
そして、ハッとして、背後を振り返る。この広い部屋の向こう。開け放たれたままの扉と、その奥に続く暗い廊下が見えた。
それだけだ。
「――そう」
それで、大体の状況を悟ったアークビショップは、静かに声を落とす。
エドアルトがここに来たということは、向こうは無事、片が付いたという事だ。
にも拘わらず、オーアが来ていない。
依頼主であり、護衛対象であった少年を脅かすモノは討伐出来たにも、関わらず。
もし、あの少年が1人で動けないような状態だっただけならば、ここに合流してきたのは、オーアの方だっただろう。
護衛にしても、少年を運ぶにしても、エドアルトの方が適しているのだから。
オーアも、エドアルトも、意味合いは違えども、リーベの大事な人だ。
故に、2人の事はよくよく理解している。
討伐は完了。
少年の安否は不明だが――嫌な想像だが、もしも、間に合わなかったとしても、エドアルトなら、その負の感情を、今、この場に欠片も持ち込まないだけの自制心を発揮してみせる事をリーベは知っている――、オーアは少なくとも、戦闘続行不可、悪ければ、行動不能状態だろう。
ただ、確実に意識はあるし、会話も可能な状態ではある。
でなければ、エドアルトが2人を置いてここに来るわけがないし、逆を言えば、エドアルトが2人についていたいと思うような状態だったとしても、オーアが会話可能であるなら、彼がエドアルトを送り出している。
繰り返しにはなるが、それが分かる程度には、リーベは、オーアのことを、エドアルトのことを、理解していた。
対して、リーベを庇い、真正面からビョンウンゴと対峙したエドアルトも、何も言われずとも、ビョンウンゴ戦の状況を把握していた。
ビョンウンゴの拳を受け流しながら、見えた光景。青黒い巨体の後ろ、右奥。
片手、両膝を地に着けたヴァレリーと、彼を守るように位置取り、構える柚葉。
ギロチンクロスである彼が、あのような状態になっているということは、十中八九スタンだろう。
で、あるならば、リーベの行動も理解出来る。
何しろ、先程階段下で襲われたオーアの例があるし、そうでなくとも、あの状態で追撃を食らうのはまずい。
故に、オーアの友人を守るため、リスクは承知で、彼女がビョンウンゴの注意を引くことにしたのだろう。
無茶をする。という思いは未だあるが、納得はした。し、こうなると、己を送り出したオーアの判断は正しかったと思う。
どう見ても、無理をしていたハイプリーストを案じる気持ちは強い。
と、同時にパーティメンバー全員に降り注ぐ支援魔法の光。アークビショップだからこそのそれは、意識を切り替えるのに丁度良く。エドアルトは、大きく盾を振りかぶった。
リーベを背に庇い、ビョンウンゴと対峙するロイヤルガードの姿に、ヴァレリーはほっと安堵の息を吐く。
薄氷の上を歩いていた者が、しっかりと地に足をつけたのを見届けたかのような安堵だった。
それは、
エドアルトが来てくれた事で、リーベ自身も、我に返ったというか、落ち着きを取り戻したように見えたのも、大いにあった。
そこでふと、ヴァレリーは気付く。
エドアルトは来たというのに、オーアが来る気配がない。
エドアルトとオーアは共に行ったのだから、エドアルトが来たのであれば、当然、オーアの方は片付いたはずなのに。
じわり。
ヴァレリーの心に、不安が滲む。
揺れる視界が、更に不安を煽っているような心地がした。
揺れる視界は少しづつ収まりつつあり、無理をすれば動けそうなくらいにまではなったが、ビョンウンゴ相手に、そんな状態で復帰しても足手まといになるだけだ。
どうせ、戦線離脱しなくてはならないのなら――
『――オーア?』
ヴァレリーは、オーアに耳打ちを送る。
『……ん。ヴァレリー? 何か、あったか?』
2拍ほど置いて、オーアの声が返る。
それは、隠しきれないほどの疲労に染まりきった声だった。
『オーア、大丈夫か?』
『んー、まぁ、どーにか。めっっちゃつかれたけど……』
『あの緑の人来たけど――』
『あ』
緑の人、と口にした瞬間、その後に続く言葉を遮るように、オーアが声を上げる。
『あー……なるほど、どっかでミスったとは思ってたけど、そういう……』
『オーア? ホントに大丈夫か?』
様子のおかしい友人へ、ヴァレリーは声を送る。
『や、悪い。ダイジョブ。こっちの話……聞き流しといて……あぁ、でも、状況は、ちょっと分かった。エドアルトさん、そっち、合流したんだ……』
よかった……と安堵が滲む声が、ヴァレリーの脳裏に響く。
『そっちが終わったなら、真っ先にリーベさん辺りから、連絡来そうだし。苦戦、してんのかな、って、心配してたんだ』
『一気に安定したから、来てくれたのはすっげぇありがたいんだけど、オーアが一緒じゃないのが気になってさ。――そっちは、大丈夫、なんだよな?』
自然と探るような声色になる。
少しだけ、冒険者証へ意識を向け、パーティメンバーであるオーアの位置を探れば、そう遠くはない。
おそらく、まだ、この建物内にいるのではないかと思われたのだから、尚更だ。
『んー。一応は、平気。なんだけど、魔力がすっからかん。で、戦線復帰はキツかったんで、一抜け状態。……悪いな。頼み込んだ上、任せちゃって』
『そこは気にしなくていーよ。次、飲み行く時、オーアの奢りで遠慮なく飲み食いさせてもらうから。イイ経験にもなってるし。それよか、そっちはホントに大丈夫なのか? まだ、ココ、いるだろ』
『ん、あー……そか、パーティ組んでるもんな、ってちょいまち! 戦闘中にそんなん確認するとか、危ないだろ!?』
寝てても避けられるような相手じゃねーだろ、危ない事すんなっ、等々、捲し立てるオーアに、小さく笑みがこぼれる。
ヴァレリーを案じての言葉の数々が、擽ったかった。
それともう1つ。
ヴァレリーが耳打ちを送った当初。オーアの声は、不調を押し隠し、取り繕っているかのような声色だった。それが、段々と普段の調子を取り戻しつつある。
それに気付いたが故の安堵も、まぁまぁ、大きい。
『ダイジョーブ。あの人、来てくれたから、大分余裕出来たんだよ。さっきまでなら、絶対無理だったな』
これは事実だ。スタンで一時的に戦線離脱している今だからこそ、位置確認、なんて事が出来たし、エドアルトが前衛を請け負ってくれているからこそ、精神的な余裕が出来て、オーアの方を気にする事に繋がったのだから。
その言い分は、オーアも納得したらしい。
『あー……なる。納得した。あと、こっちはホントに大丈夫。そろそろ、ポタ、ちょっと開くくらいなら出来そうなくらいにはなってきたから、ちゃんと先、戻ってるな。ヴァレリー達なら、大丈夫と思ってるけど、気をつけて、ってか、余裕あるからって油断すんなよっ』
『ん。とーぜん。そっちもな』
そう、声を送って、ヴァレリーは立ち上がる。
ようやく、己を苛んでいたスタンが治ったが故だ。
視線の先では、未だ、ビョンウンゴとの先頭は続いている。
「っし」
1つ気合いを入れ直し、ヴァレリーは、地を蹴った。
***
ヴァレリーとの耳打ちを終えたオーアは、ホッと息をつく。
「平気?」
気怠げに、けれども、瞳に心配の色を含ませ、隣の少年が問いかけてくる。
それが何を懸念してのものか、よくよく理解していたオーアは、敢えて軽い口調を意識して口を開いた。
「ん。大丈夫。そも、耳打ちに必要な魔力は極々微かなんだから、さすがに回復してるって。まー、もうちょい前だと、まずかったけど」
現在進行形で魔力回復中だしな。
何てことないように言ってみせたハイプリーストに、レンは息を吐く。
「中度の魔力枯渇やらかして、魔力生成反動がもう治まってる訳ないでしょ。せめてマグニかけても問題なくなってから、言ってくれない?」
容赦のない指摘に、オーアは、うぐ、とうめき声を漏らし、視線を逸らした。
魔力生成反動は、急激且つ大幅な魔力消耗が発生した際に起きる状態で、主な症状は、めまい、立ちくらみ、動悸、息切れ、強い倦怠感など、貧血に似た症状だ。これは、体が急激に失った魔力を迅速に回復させようと、体内の魔力生成量を急激に増やした反動と言われており、一定量の魔力が回復し、馴染むまでは、その症状が治まることがないものでもある。
「……一応、ギリ、軽度だし。……めっちゃ怠いけど」
「魔力が使用可能域にまで回復するまでに、時間がかかってる時点で、ほぼ中度でしょ。無駄な反論してる余裕あるんだったら、大人しく休んでなよ」
その言葉に、オーアは緩く首を振る。
「や。ギリだけど、ポタ、使える。と、思う。……維持は、ほぼ無理な気がするけど」
「それは使えるって言わない」
レンはじとりと咎める視線を、オーアへと向ける。
それにオーアは、バツが悪そうに呻きつつも、言葉を紡ぐ。
「そー、なんだけど……悪いんだけど、これ以上、ここで休むのは、そろそろ……俺の方が、ヤバい」
それを聞いて、レンは目を丸くする。
「――どういう事?」
「んー……俺、魔力質的に、あんま瘴気耐性ないのは、レンなら察してると思うんだけどさ……」
「そうだね。何度も貰ってるし」
各人の持つ魔力質は、千差万別だ。
そして、その魔力質の癖の強さと、瘴気耐性の強さは正比例である。
オーアは、ルキナほどではないが、本当に、随分と癖のない魔力質をしていた。何度も貰った事のある魔力を思い浮かべつつ、レンはそう思う。それは、つまり、イコール、その分瘴気耐性も低いのは、容易に想像が付くことだった。
とはいえ、耐性的に、ルキナには到底行かせられないような場所が、彼の主な狩り場である。であるならば、おそらく、何か、対策はしているのだろう。
そう予測が付いたため、今まで、あまり気にしていなかった。
故に、レンは小首を傾げる。
そんな小柄な少年から、視線を逸らしたまま、オーアは続きを紡ぐ。
「瘴気耐性のお守り、さっき、ここに突入するより前に、壊れまして……今は、代用品借りてたんだけど、俺用に調整してる奴じゃないせいか……ちょっと、まずい、かも、と……」
言いながら、オーアはチラリと己の手首へと視線を下げる。
そこにあるのは、黒と透明を基調にしたブレスレット。2度目の病院突入前に、柚葉から借り受けたお守りだ。
受け取ったときには、確かに、石の中に小さな煌めきがいくつもあった。柚葉が施した守りの術式によるものだ。お守りとしての、効果を保証してくれているものだ。
それが、今は、明らかに煌めきの数が減り、光も弱くなっているし、心なしか、透明だった水晶にうっすらと濁りが見える。
それはお守りの効果が、衰えていることに他ならなかった。
本来であれば、彼女の作ったお守りはこんな脆いものでは無い。
しかし、今回に限って言えば、オーア用に調整した訳ではない、仮のお守りだった事。そして、オーアが魔力枯渇を起こした事が原因だ。
前述したように、瘴気耐性は個々の魔力質に依る。
つまり、人は己の魔力で瘴気から身を守っている、という事だ――蛇足だが、それを物理にも応用したのがエナジーコートである――。で、あるのなら、魔力枯渇状態となれば、瘴気耐性も著しく下がるのは道理である。
故に、仮のお守りでは、その負荷を受け止めきれなかったのだろう。
(元々のが無事だったとしても、柚葉さんのメンテが必要になってたかも、なぁ……)
少々遠い目になりつつ、オーアはそんなことを思う。
それはともかく。
そう、オーアの現状を伝えれば、レンの瞳が不機嫌そうに眇められる。
「……つまり、ここで休むより、今無理をしてでも、脱出した方がまし、って事だね? 一応参考までに聞くけど、外出た後、動けそう?」
「…………頑張る」
非常に不安しかない返答だが、予想通りでもあった。
故に、レンは深々と息を吐く。
「分かった。俺のがましな状態になりそう、って事ね。……まぁ、近くにジプニー乗り場、あったし、どーにかはなるか。……どーにかなるなら、俺が早く休めるようになるのに、否はないよ」
そう言ってから、レンは改めてオーアを見る。
「せめて、青ポでも残ってれば良かったんだけど……」
「あー……むしろ、青より赤か黄色があれば欲しかったかも。体力回復剤系。めっちゃ疲れた。疲れてる。現在進行形で」
「あぁ、魔力生成反動の中和か。まぁ、焼け石に水だろうけど……」
魔力生成反動の倦怠感は、魔力回復のために通常以上に体力を割いているが故だ。そして、赤ポーションや黄ポーションは、傷の回復は軽いものにしか効果が無いが、その分、疲労や体力の回復効果が強い。
故に、オーアがそれを求めるのは、状態緩和の手段として理にかなっている。
そう納得したレンだったが、ふと、とある事を思い出し、目を丸くする。そして、こてり、と首を傾げた。
「オーアさん、ポーションは飲むんだ?」
それを聞いた瞬間、オーアの表情が、とてつもなく渋いものを口に含んだかのように、しわくちゃに歪んだ。
「………………………………まぁ」
その一言を絞り出すまでが、長い。
不本意、というよりは、むしろ、背に腹は代えられぬ、といった所か。
オーアが薬の類いを苦手にしていることを、さらりと口にしていたルキナを思い出しつつ、レンはそんな事を思う。
思いながら、のそのそと身を起こし、荷を漁る。
「ん」
小さく声を漏らし、オーアの方を振り向くと、レンは手にしたポーション瓶をみせた。その丸い瓶の中、揺れる薬液は黄色だ。
「……ありがと」
疲れのためか、これからそれを飲まなければならない、という躊躇のためか、少しの間を置いてから、オーアは礼を紡ぐ。そして、気怠げにレンへと手を向けた。
が、レンが黄ポーションを渡してくる様子はない。
少年の意図が読めず、訝しげに目を細めるオーアだったが、次の瞬間、見開いた。
レンの持つ黄ポーションの薬液の中、きらきらちかちかと、小さく煌めく光に気付いたためだった。
「ちょっ――」
オーアが何か言うよりも先に、レンの手が動く。
手首のみで、ふっと軽く放られたポーション瓶は、勢いは全くないものの、すぐ近くにいるオーアへは、問題なく届く。
儚い音を立てて割れるポーション瓶。ぼふん、と軽い音を立てて、瞬時に気化する薬液。それが齎した効果に、オーアの目が丸くなる。
が、はたと我に返ると、一転して、じとりとした半眼になる。
「ぉぃ、ハイマーチャン……」
オーアが何を言いたいのか、正確に理解したレンは、軽く肩を竦めてみせる。
「こんなとこで、少し使ったくらいじゃバレないよ。というか、そんなの今更過ぎ。オーアさんが来てくれる前に、俺がどんだけスキル使ってたと思う? ついでに言うなら、それに対する反省も罪悪感もないからね。使えるもの、フルに使っても、ギリギリの相手に出し惜しみなんて、出来るわけないんだから。っていうか、そもそも、オーアさんも
鼻を鳴らして言い切ったそれは、道理である。
故に、本気で咎めるつもりはなかったのだろう。
それは、そう。と、オーアは同調の声を返す。
「でも、ちょっとびっくりした。ポーションピッチャーって傷治すもんだと思ってたし」
ポーション瓶が割れ、気化した薬液に触れ、同時に吸い込んだあの瞬間、まるで、ブレッシングでもかけられたかのように、疲労が抜け、体が軽くなった。
……といっても、魔力過剰生成状態の怠さや不調は継続しているので、一時的に、ましになる程度だ。
けど、それでも、ありがたい。
故に、そう笑って礼を紡げば、きょと、とした紅の瞳と目が合う。しかし、それは一瞬で、すぐに、ふいっと、レンは顔を背けた。
「別に……確かに、指南書では、傷を癒やす効果を引き上げる術式になってるけど、ポーションピッチャーの本質は、ポーションの薬効を瞬間的に引き上げるものだから。ちょっと、応用すれば、このくらい……」
ぽそぼそとそんな事を捲し立ててから、レンは、キッと、眉をつり上げ、オーアを軽くにらむ。
「そんな事より! 行くんじゃないのっ!?」
レンの、そんな一連の反応は、正直照れ隠しにしか見えず、オーアの頬が緩みそうになる。
が、ここで笑ったりなどしたら、更にレンの機嫌を損ねるのは明白。
更に言えば、今の状態で、これからやろうとしている事を考えると、本気で笑ってる場合ではない。そんな余裕、あるわけがない。
故に、オーアは素知らぬ顔で、頷いてみせた。
「だな。……レン、悪いけど、もーちょい、こっち。足の上、座っていいから――ってか、むしろ座ってくれた方が、確実なんでありがたい」
座り込み、投げ出したままの足を軽く叩いてそう言えば、レンは納得した様子を見せる。
「あぁ、蝶の羽の裏技噛ませるのか」
「ん。……まぁ、一応の保険にな」
アコライトでも使えるはずのものに
――本当に、大丈夫なの?
喉元まで、そうでかかったが、レンは、口には出さずに、そっと飲み込む。
それは、誰よりも、オーア本人が痛感しているだろう事は明白だったからだ。
故に、素直に、オーアの足の上へと座り込む。
「……ちなみに、また、術の反作用の相殺ミスったら怒る……いや、あのアークビショップさんに言いつけるから」
怒ると言いかけたレンだったが、ふと、アルベルタの港でのやりとりを思い出し、言葉を変える。
オーアがあのアークビショップの女性に弱そうだと察しての言葉だった。
事実、それは大当たりらしい。オーアは、ぎょっと目を剥く。
「ちょっっ、ほんっきでやめろよ、お前っっ!!」
「なら、ポカしなきゃいいだけでしょ」
つんけんと小生意気な物言いだが、要は、無理を通して行動を決めたこちらを心配しての言葉だ。
それが分かっているからこそ、オーアはそこで言葉を収め、苦笑する。そして、ん、と短く声を返し、青石を取り出した。
手の中で少しの間、弄び、オーアは細く長く、息を吐く。そして、深く、吸う。
倦怠感で、今にも霧散しそうな集中力をかき集め、魔力を、編んだ。
***
「アドラムス!!」
青白い光が、ビョンウンゴへと降り注ぐ。間髪入れずに、炎の塊がいくつもビョンウンゴへと直撃する。
薄暗いこの場所で、それらは苛烈に眩く、ヴァレリーの瞳に映った。
当然、ヴァレリーだって、ビョンウンゴへと、銀の軌跡を走らせている。
エドアルトが合流した事で、戦況は完全に安定した。
ビョンウンゴがリーベを狙おうとも、緑髪のロイヤルガードが完璧に守っているし、当の本人も、危なげなく、ビョンウンゴの攻撃をいなしている。
不意に、ビョンウンゴの攻撃が、不意打ちのようにヴァレリーへと向くこともあるが、戦況が安定していて、焦る要因も無く、冷静に立ち回れる状況で、先程のような失態を犯すわけがない。
更に言うのであれば。
「ギ、ぐ、ああァアあぁァああ!!」
意味のなさない絶叫を上げ、両腕を振り回し、両足を踏みならす。
それは、思い通りにならない事に憤り、喚き、駄々をこねる子供に、煮詰めた悪意と無差別の害意と、身勝手な醜悪さを詰め込み、膨らませたかのような、そんな暴れ方だった。
もう、随分と余裕がないらしい。
終わりが近いことを感じ取り、ヴァレリーは口の端を上げた。
今までの狡猾さを、かなぐり捨てたかのような。
そんな攻撃。
当たる訳がない。
そして、その時は、訪れる。
「あ、ガ、あああああああああああああああああ!!」
絶叫。
思わず耳を塞ぎたくなるほどの叫びを上げ、ビョンウンゴの青黒い、ブヨブヨとした巨体が崩れていく。
否、崩れているのではない。
しゅるじゅると、ソレは姿を変えていく。
青黒い肉が蠢き、溶けるように縮んで……その奥から露出したのは、ゴツゴツとした樹皮だ。
見るからに硬そうなその表面はひび割れ、ささくれ立っている。
そうして、現れたのは、禍々しい古木の魔物だった。
1番近いのは、エルダーウィローだろうか。
けれども、大きさも、色も、エルダーウィローとはまるで違う。
大きさはエルダーウィローよりも、3回りは大きく、色は腐った苺のように赤黒い。その淀んだ不快感を覚える樹皮の隙間から、青黒い、粘度の高い液体のようなモノが滲みだしている。
色合いにさえ目をつぶれば、樹液のようにも思えたかもしれない。けれど、ソレは、樹皮の上で蠢き、這いずり、のた打っている。
その様は、直視すると、生理的嫌悪を催す様相だった。
そんな、今までとは全く違う姿へと変貌を遂げたビョンウンゴに、リーベは
と、同時に響いたのは、おどろおどろしいビョンウンゴの声。
「……これで、終わりだと思うなよ」
ぶわり。
ビョンウンゴの体から、禍々しい赤い光があふれ出す。
「私は不死身だ!! 殺せるものなら殺してみろ!! すぐに復活してやる!!」
そう吠えた古木の魔物に対し、凜と、リーベの声が響く。
「総員攻撃!! 回復の妨害を! 傷の深さより、数を優先して! その方が
刹那、始まる一斉攻撃。
エドアルトの盾が。柚葉の忍術が。ヴァレリーの斬撃が。リーベの魔術が。
絶え間なく、ビョンウンゴへと降り注ぐ。
ビョンウンゴの発する禍々しい赤い光が、強く、弱く、揺らめいている。
間近でビョンウンゴと相対していたヴァレリーは気付く。赤の光が強くなる度に、樹皮の隙間から染み出てくる青黒い樹液のようなモノが増えている事に。
そして、それは、蠢き、うぞうぞと、ヴァレリー達の与えた傷の元へと移動し、その傷口へ吸い込まれるように染み込み、一瞬で、その傷を消し去っていた。
ヴァレリーがつけた裂傷も、エドアルトがつけた打撲痕も、柚葉がつけた焦げ跡も、どれも、一瞬で。
けれど、蠢く樹液の動きは、そう早いものでは内ない。
つまり、すぐ、全ての傷を癒やして回れる訳ではない。
故に、ヴァレリーは納得する。
リーベの指示。傷の数を優先とは、そういう事かと。
ヴァレリーの口の端が吊り上がる。
そういう事なら、この中では、ヴァレリーが最も、
降り注ぐ炎の光を、退魔の光を反射し、銀の軌跡が走る。
狙うは、少しでも、樹液から離れた所や、樹液が傷を治し、去って行った箇所。回復が徒労となるように。
最初の挑発から、毒耐性に、スタンと、散々嫌な思いをさせてくれたのだ。
少しくらいはやり返さねば、割に合わないというものだ。
そんな感情を乗せつつ、ヴァレリーは刃を振るう。
重く硬い盾で殴りつける打撲音が聞こえる。降り注ぐ炎の熱を感じる。退魔の光が眩く見える。
総攻撃の効果はしっかり出ているようで、ビョンウンゴが傷を治すよりも、こちらが傷をつけるペースの方が早い。
ぴし、ぴしり
自分達がつけた傷以外に、ビョンウンゴの樹皮がひび割れていくのを目にし、あと少しだと、直感的に確信する。
そして――
ピシリ、ビシリ
もう、限界なのだろう。古木が割れ、崩壊し始める音が広い空間に、妙に響いて聞こえた。
そんな中、ひび割れたビョンウンゴの声が、空気を震わせる。
「……これで、終わりだと思うな。私は、復活し、必ず戻ってくる……!」
不吉な、けれども、ヴァレリーからすれば、負け惜しみにしか、聞こえない言葉。
だというのに、それを聞いて、リーベは目を丸くした。
詠唱する口まで止め、ぽかん、とした顔で、ビョンウンゴを見ている。
次の瞬間、ふより、とリーベの口角が上がる。
くすくすと、笑い声が零れる。
それは、明らかな嘲笑だった。
くすくすと、笑い声を治め、リーベはふわりと、柔らかく笑む。
一見、敵に向けるには、相応しくない、優しげな笑みだ。
けれども、それは、正に、一見、でしかない。
なぜなら、微笑むリーベの瞳は、一欠片も、笑ってなど、いないのだから。
「何を見当違いな事を言ってるのかしら。私ね、あなたが蘇るとか、そんなの、心底どうでもいいの。ただ――」
1階にいる看護師が聞いていれば、怒りだしそうな事を平然と口にし、リーベはそこで言葉を切る。
視線を向ける。
それは、殺意のこもった、絶対零度の視線だった。
「――オーアちゃんを襲った、オーアちゃんとの縁を毟り取った
ストームガストが吹き荒ぶ声と視線を向けた後、リーベは、再び、にこりと表情を作る。
「それにあなた。復活する、っていうけれど……今のあなたと、復活した後のあなた、
「は……?」
呆気にとられたような声が、ビョンウンゴからこぼれ落ちた。
それが、最期だった。
リーベが言葉を紡ぐ間も、攻撃の手を緩めなかったヴァレリーの斬撃がトドメとなったらしい。
バキリ。
古木の折れる音が響き、そこから、バキバキと音を立てて崩れていく。
丁度、リーベの言葉の直後だったせいか、断末魔の叫びすらなく、それは崩れ落ちていった。
バラバラと木片の山となったそれは、しばし弱々しく赤い光を纏い、揺らめかせていたが、やがて、その光も消え、完全に沈黙する。
それを見届け、柚葉はほっと息を吐く。
同時に、朗らかな声が響いた。
「皆、お疲れ様ーー!!」
にこにこと、ほんのついさっき、ビョンウンゴへと向けた笑みと似ているようで全く違う、温かみしかない笑顔を振りまき、リーベは傍らに立つエドアルトを見上げる。
「いつもありがとう、エドアルトさん、来てくれて、とても嬉しかったし、頼もしかったわ」
嬉しそうに目を細め、微笑んでから、エドアルトが言葉を換えるよりも先に、ぱっと、ヴァレリーへと視線を移し、金髪のギロチンクロスの元へと駆け寄った。
「ヴァレリー君!」
にこにこと笑顔を浮かべ、リーベは言う。
「最後の、ありがとうね! わざわざ、ちゃんと、
屈託なく笑って、紡ぐリーベの言葉に、ヴァレリーは少々目を丸くする。
「気付いてたんだ」
「とーぜん! とってもありがたかったものっ。……それと、ごめんね? 大分、振り回して無理させちゃったから」
少々眉を下げ、リーベが口にしたのは、エドアルトが合流する前の事だろう。
すぐにピンとくるくらいには、大変だったのは事実で、どう反応したものか、少々迷う。
「あーー……まぁ、イイケイケンにはなったよ」
良くも悪くも、正直な所を零せば、リーベは苦笑する。
「あはは、本当、ごめんね」
「本当ですよ」
不意に背後から便乗してきた声に、ヴァレリーは驚いて振り返る。
いつの間に近づいてきたのか。
そこに居たのは柚葉だった。仮にもギロチンクロスであるヴァレリーに気付かれる事無く、間を詰めた彼女にヴァレリーは目を見張る。けれど、柚葉の方は欠片も気にした様子はなく、リーベへと肩を竦めて見せた。
「まぁ、貴方がそうなるのは、予想できていたので良いのですが」
なんて、ヴァレリー的には、ちょっとまて、な事を呟く。
そして、ヴァレリーが何か言うよりも早く、柚葉は言葉を紡いだ。
「それより、早くここを出た方が良いのでは? 外でここを支えてくださってる方が居るのですから」
それは、そう。
柚葉の言葉はもっともで、リーベが頷くのは必然だった。
「柚ちゃんの言う通りね。オーアちゃん1人にしてるのも心配だし……だけど、エドアルトさん、ヴァレリー君は休まないですぐ移動しても大丈夫?」
順番に、前衛2人へと視線を向けて、リーベは問いかける。
それに否を唱える理由はない。
「それは、もちろん構わないが……一応、オーア1人じゃないからな?」
苦笑して言う、ロイヤルガードに、リーベはつん、と口を尖らせる。
「そうだけど、あの子は護衛対象なんだから、戦闘要員という意味ではオーアちゃん1人でしょ。もう、ここからは出てるみたいではあるけど……この街にはいるみたいだから、やっぱり、ちょっとね」
リーベの言葉を聞いて、ヴァレリーは冒険者証へと意識を傾ける。
なるほど。
確かに、彼女の言うとおり、オーアの位置が移動している。
おそらくは、先に宿に戻ったのだろう。ヴァレリーはそう納得する。
「ヴァレリー君も、大丈夫?」
と、そのタイミングでかけられた声に、ヴァレリーははっとして声を返す。
「あっ、うん。だいじょーぶ」
反射で了承の意を返せば、リーベはほっとしたように笑った。
「良かった。じゃあ、行きましょうか」
***
「よくやってくれたわ! まさか、本当にビョンウンゴを倒してしまうなんて!」
1階へと戻り、場を支えてくれていた看護師へと、ビョンウンゴ討伐の旨を報告すれば、彼女は声を弾ませ、リーベ達へと礼を紡ぐ。
そんな看護師の様子を見て、リーベは苦笑した。
「喜んでくれてる所、悪いんだけど、これで終わりはしないわよ?」
「……どういう事?」
喜色満面の笑みから、訝しげな表情へを変え、看護師は問う。リーベは端的に答えた。
「あれの最期の言葉通り、ビョンウンゴは復活すると思うわ。そう、日を開ける事なく」
「そんなっ!? どうして!?」
「ビョンウンゴの依代である古木は、今もこうして存在してるから、っていうのが1つ。そして、ビョンウンゴの被害者であり、死してなお、ここに縛り付けられた……いえ、ここに縛り付けられる事を選んでしまった人達が今もいるから、というのが1つ。この町の状況が不安定というか、不穏なのが1つ。理由はこの辺りね」
1本づつ立てる指を増やしながら、訥々と語ったリーベに、看護師は頭を抱える。
「あああぁぁ……つまり、本体は倒したけど、依代は健在で、ビョンウンゴの糧、供給源も未だあり、そうでなくても、この、悪霊がそこかしこにいる状態じゃあ、そいつらの力を奪えばいいんだから、回復には困らない。しかも、そのおかげで、何回倒せば本当に倒した事になるのかさ、見当もつかないじゃなの。そんなの、どうすればっっ」
さすが同業者。話が早い。
悲嘆の声を上げる看護師を見て、冷静にそう判じつつ、おそらくビョンウンゴは、こんな反応を望んでたんだろうなぁ、と、リーベは思う。
まぁ、それを叶えてやる気など、欠片どころか、微塵もなかったのだけれども。
そんな事を考えながら、リーベはにこりと笑って、言葉を紡ぐ。
「それに関して、提案があるのだけど、いいかしら?」
「……提案?」
やっぱり、病院を跡形もなく燃やすしか……等とぶつぶつと不穏な事を呟いていた看護師は、そろりと視線を上げる。
それに、リーベが応える。――よりも先に、しれっと、声が、割り込んだ。
「この場所をダンジョン登録申請してはどうでしょう?」
リーベは、ぱっと、声の方へと視線を移す。
視線の先には、黒髪の朧。
発言の主である柚葉は、頬に片手を当て、おっとりと小首を傾げていた。
「長期間にわたって、魔物の存在、および発生が見込まれる場であれば、冒険者修練所……今は、冒険者登録と初期修練はアカデミーが代行して、冒険者情報管理局と、名を変えていたかと思いますが……そこに、ダンジョンと思わしき場があると、報告をするのです。あちらが調査の後、ダンジョンの定義を満たしていると判じられれば、後はあちらが周りに危険が及ばないよう保護や、環境調整、一般の冒険者への呼びかけ等、諸々、一手に引き受けてくださいますから」
「新しいダンジョンが見つかった、って情報が回れば、自然と冒険者が来るから、
確かに、最初に思いついたのは、柚ちゃんだけどさぁ、なんて、軽い文句を紡ぐリーベに、柚葉は苦笑する。
「最初?」
傍でやりとりを聞いていたヴァレリーが、引っかかった単語を思わず呟く。
と、リーベはヴァレリーへと視線を向けて、口を開いた。
「看護師さんとオーアちゃんと、皆でここに向かってた時、柚ちゃんが病院を残すメリットもある、って言ってたでしょ? ダンジョン登録をして、冒険者に来てもらう、ってういうのが、それなのよ」
「それって、メリットになるのか? まー、
「あぁ……んっと、ちょっとおさらいになるけど、ここの魔物って、ビョンウンゴが生み出したのと、ここの瘴気が凝って、自然発生したのと、両方いるみたいなのね。で、一般的に祓う、っていうと私やオーアちゃんみたいな職が専門にしてる手段を連想しがちなんだけど、こーゆーとこで発生した魔物を倒す事も、ちょっと、祓ってる事になるの。だって、瘴気が凝って魔物となってるなら、その魔物を倒せば、魔物になった分の瘴気が消えてる、って事になるでしょ? まぁ、厳密には、もうちょっと色々複雑なんだけど、大雑把にふわっと説明すると、そんな感じになるのよね。で、一部だろうとちょっとだろうと、祓ったなら、その分、隙間が出来るはずよね? で、1回祓った後の物って、どうなる、ってオーアちゃんが言ってたか、覚えてる?」
笑って問いかけるリーベに、金髪のギロチンクロスは思い出す。
「ふよふよしてるワルイモノが集まってくる、って……あ! 断続的に
「そーゆー事! もちろん、全部丸っとって訳にはいかないでしょうけど、それなりには効果があるんじゃないかしら」
「つまり、この病院が、悪霊に対してのオラオラになんのか……」
納得、と、ヴァレリーは息を吐く。
「あははっ、ヴァレリーくん、言い例えするわね! うん、そんな感じ」
声を上げて笑ってから、リーベは再び看護師へと視線を戻す。
「――とまぁ、提案はそんな感じなんだけど、どうかしら?」
「……そうね。それが1番現実的ではありそう。けど、1度本部に戻って報告かしら。貴方達なら、私がいなくても、アレ、どうにか出来たでしょうけど、一般の冒険者じゃあ、ビョンウンゴのいるとこに手が出せないでしょうから。補助というか、仲介役は必要になりそうだもの」
1つ息を吐いて言う看護師に、リーベは頷く。
「確かに」
「まぁ、出来るだけ、その方向で進められるように働きかけてみるわ。ありがとう」
「どういたしまして。あ。そっちでどういう対応するか分からないから、なんとも、ではあるんだけど……もし、ダンジョン登録申請、却下されたら、うちに連絡して。大聖堂退魔班プロンテラ支部。うちの人間がここ来たら、絶対、皆、登録申請の判断を下すもの。しれっと素知らぬ顔して、復活したビョンウンゴの討伐依頼を入れてくれれば良いから」
何も知らない人間がコレを聞けば、そんな提案をするのであれば、初めからリーベが申請すれば良い話なのでは、と思うかもしれない。
しかし、巡り合わせと成り行きによって、リーベ達がビョンウンゴと対峙する事になったが、そもそも、ビョンウンゴの討伐依頼を受けていたのは、看護師の所属している組織だ。
あくまで、こちらはそれを手伝ったわけに過ぎない。その立場で、こちらが出しゃばりすぎると、面倒な事になりかねない。特に今回、リーベやオーアはある意味同業者だ。
一歩間違えると、組織間のいざこざに発展する危険性がある。同業組織への感情に温度差があるのは、まぁまぁよくある事なので。
ぶっちゃけて言ってしまえば、同業他組織でも、一般構成員同士だと、一種の仲間意識に近いものがあり、知り合いとなったら、情報交換など、何かしらの交流を持つ事は珍しくない。が、メンツやら威光やらを大事にしている上の方にいる方々はそうでもない訳で……
下から見れば、面倒な事この上ない。
「分かったわ。その時は、依頼がブッキングして、手が足りなかった事にするから大丈夫」
そんな裏事情は、職や分野を超えて共通らしい。
この場にいる、リーベ以外の面々も、共感と納得の視線で、退魔師2人のやりとりを見守っていた。
そして、一度本部に戻ると言って、去って行った看護師を見送ってから、リーベはエドアルト達の方へと視線を向ける。
「さって、じゃあ、これでお疲れ様かしら?
「先に……?」
「うん。オーアちゃんとエドアルトさんが担当した方も見ておかないとね。ビョンウンゴみたく、復活するタイプだとよろしくないから」
「あー、なるほど」
納得の声を漏らしたヴァレリーの後、エドアルトは口を開く。
「オーアは、封印という手段を取っていたから、確かめるなら、その辺りかな。オーアは大丈夫と言っていたけど」
その言葉に、リーベは目を丸くする。
「封印? ……あぁ、そっか。あの時のお札を使ったのね。なるほどねぇ。なら、確かに大丈夫かも」
1人納得したようにそう呟いてから、リーベは、ちらりとエドアルトを見上げる。
「……だけど、一応見るだけ見た方が安心ではあるのよね。だから、エドアルトさん。疲れてる所、悪いんだけど、案内、頼んでも良いかしら? 口頭で分かる所なら、私1人で行ってくるんだけど」
「大丈夫。一緒に行くよ。何もない、とは思うけど、絶対ではないからね」
穏やかに微笑んで紡いだエドアルトに、リーベは頬を緩める。
柚葉は、そんな2人のやりとりを見た後、ちらりとヴァレリーを盗み見る。そして、ギロチンクロスの表情に、自分もついて行くべきだろうかという微かな迷いを見てとると、しれっと、軽く片手を上げた。
「では、私とヴァレリーさんは、先に戻らせていただきますね」
その発言に、ヴァレリーは軽く目を見張り、柚葉を見る。
視線には気付いているだろうに、柚葉の視線はリーベの方へと向いたままだ。
柚葉の声に、リーベは彼女を見返すと、にこりと笑う。
「えぇ、もちろん。向こうも気になるしね」
そう紡いで、唱えたのはワープポータルだ。
暗い病院内に、ワープポータルの光が輝く。
「それじゃあ、2人とも、お疲れ様。オーアちゃんによろしくね」
***
一瞬の浮遊感の後、とん、と地に足がつく。
同時にヴァレリーを包むのは、塩気を含んだむわりとした熱気と、眩い日差しだ。
病院内との差に、反射的に目を細めてから、ギロチンクロスの青年は、背後を振り返る。
先程と、全く変わらぬ群青と淡いオレンジ色の建物を軽く見上げた。
そして、ヴァレリーの次に転移してきた柚葉へと、視線を移す。
「ホントに、先、戻ってきちゃって、良かったのか?」
「えぇ。ここの相手なら、私たちが居ても手持ち無沙汰になるのは、目に見えておりますもの」
さらりと言われた言葉は納得しかないもので、ヴァレリーは頬を掻く。
「まぁ、それは、確かに……」
「それに、あちらのお2人的にも、2人きりの方が都合が良いでしょうから、ヴァレリーさんが気にする必要はないかと」
「へ?」
深緑の瞳を丸くしたヴァレリーに、柚葉はくすりと笑って、そっと口元に手を当てた。
「
意味深に笑って見せてから、柚葉は労りを湛えた微笑みを浮かべる。
「――ですので、繰り返しにはなりますが、ヴァレリーさんが気にする必要は皆無かと。もし、気にするのであれば、それよりも、あちらの方を気にするべきかと」
そう言って、柚葉が視線で指し示したのは、宿の方角だ。
それが示すものは明白で、ヴァレリーは、確かに、と頷き返す。
「だな。ここに居ても、何にもなんねーし、さっさと行くかぁ」
くっ、と1つ伸びをして言うと、ヴァレリーは、一歩足を踏み出した。
「オーア、ホントに大丈夫なのか?」
ヴァレリーは開口一番にそう言った。
ポートマラヤの宿屋。オーアが泊まっている部屋を訪ね、迎え入れてくれたハイプリーストの顔を見ての言葉だった。
ただ、そう言いたくなるのも当然だろう。
疲れ切った表情に、顔色も悪い。
だと言うのに、当の本人はきょとんと瞬く。
「大丈夫だけど……? てか、ヴァレリーの方こそ、大丈夫だったのか? 大分、時間かかってたし、苦戦してた、って事だろ?」
緋色の瞳に心配の色を乗せ、そう紡いでから、オーアは両の手を合わせる。
「てか、ホント、任せちゃって悪かったっ」
「もー、それは、さっきも気にしなくて良いって、言っただろ。見ての通り、全然無事だし」
「やー、だって、頼み込んで巻き込んだ上に、まるっと完ぺきに丸投げは、さすがに俺でも、ないな、って思うもん」
オーアとヴァレリーがそんなやりとりを交わす中、柚葉は、しれっと、部屋の中へと足を踏み入れる。
軽く、辺りを見回し、目的の人物が居ないのを見て取り、柚葉はオーアの方を向く。
「オーアさん、彼はどうしました?」
かけられた声に、オーアは友人から、柚葉へと視線を移し、体を向ける。
「あぁ、自分の部屋。1人で大丈夫だし、むしろ、他に人がいると休めない、って言われちゃうとなー」
「あぁ、それは、仕方がないですね。この町にいるのであれば、尚の事」
「ん。とりあえず、実体ないのにしか効かない結界張っておいたから、大丈夫だと思う」
オーアの言葉に、柚葉は片眉を跳ね上げた。
「待ちなさい。貴方、そんな状態でまた……いえ、
「や、えー、っと、その……」
言葉を濁すオーア。
けど、気まずげな表情を浮かべ、あからさまに視線を逸らす様は自白も同然だろう。
そんなオーアに、柚葉はため息を1つ。
「物申したい所ではありますが、状況が状況ですし、仕方ない。と、いう事にしておきましょうか」
――今のところは。
ちらり、とオーアの手首を見て、そう呟いた柚葉に、オーアは悟る。
(あ、これ、お守り再作成依頼ちゃんとしないと、後でまとめて説教来る奴だ。や、ちゃんと行くつもりだったけど!!)
オーアは内心、そう叫ぶ。
実際に口に出したら、藪蛇になる予感がしたので、口には出さなかったけれども。
そんなオーアをよそに、柚葉は問いかける。
「あちら、私が伺ってもよろしくて?」
「ん。柚葉さんにも視てもらった方が安心だもんな。よろしく。――つっても、寝る、って言ってたから、たぶん、問診は無理だと思うけど。ずっと寝てなかったし、疲れたから、丸1日は余裕で寝てると思う、って言ってたから」
「分かりました。……そういえば、鍵は?」
「あぁ、俺が預かってる。ガチ寝してんなら、どうしたって無防備になるから、万一の時は駆けつけられるようにしときたい、って言ったら、ため息つきながらだけど、渡してくれたから」
言ったオーアに、柚葉は手を差し出す。
オーアが、取り出した鍵を柚葉の手に置けば、朧の女性は、一瞬、ヴァレリーを見た後、くるりと身を翻した。
「では、行ってきますね。鍵は明日、返しますから、今日は貴方も気を緩め、休むことを優先させて下さいな」
「はっ?!」
投げかけられた言葉に、オーアは目を見開く。
「いやいやいやっっ!! そこまで任せっきりには出来ないってっっ」
叫ぶように言って、慌ててオーアは、柚葉を追いかけようとする。
それを止めたのは、柚葉からのアイコンタクトを受けていたヴァレリーだ。しっかりと強く、オーアの腕を掴み、その場に縫い止める。
「ちょっ、ヴァレリーっ」
「いってらー」
声を上げるオーアに構わず、軽く柚葉へと声を投げれば、彼女は振り返ることなく、ただ、ひらりと片手をひらめかせてから、部屋を出て行く。
小さな音を立てて戸が閉まり、少ししてから、ヴァレリーはオーアの腕を放す。
さすがに、今から追いかける気はないようで――それをしたら、再びヴァレリーに止められるのは理解しているのだろう――、オーアはむぅ、と口を尖らせる。
「なんで止めるんだよ」
不満、というよりは、拗ねたような声を漏らすオーアに、ヴァレリーは息を吐く。
「いや、ふつー、止めるっしょ。マジで鏡、見てきてみ?」
「感覚的には大分ましになってるんだけどな……」
つい、ぽろりと言葉を零したオーアに、ヴァレリーはじとりとした視線を向ける。
改めて、まじまじとオーアを見た後、ため息と共に首を横に振った。
「オーア、それ、感覚麻痺しておかしくなってるだけだと思う」
「ぇー」
ホントの事なのにー、と往生際悪く口にするオーアに、ヴァレリーは悟る。
コレは、口でどうこう言うより、実力行使でベッドへ転がした方が早い奴だ、と。
そう悟れば、ヴァレリーの行動は早かった。
再びオーアの腕を取る。
目を瞬かせ、頭上にハテナを浮かべたハイプリーストへと、にこりと笑いかけ――次の瞬間、寝台の上へと、オーアを押し倒した。
「おわっ!?」
驚いた声を上げ、倒れ込んだオーアは、自身にのしかかってきた友人を見上げ、不満の声を上げる。
「もー、ヴァレリー何すんだよ」
「いやー。オーアくんには口を言うより、こうしちゃった方が手っ取り早そうだなー、って思って?」
「えー」
「何なら、一緒に寝てあげようか?」
敢えて意識して、悪戯っぽくそう言えば、オーアの瞳が一瞬丸くなり、次いで、苦笑が浮かぶ。
「子供扱い、されてんなぁ」
まぁ、同じくらい心配させた、って事なんだろうけど。
口の中で転がすように呟いて、オーアは1つ、息を吐く。
「ベッド、狭いから却下。……まぁ、ただ……りょーかい。このまま、大人しく休むよ。そも、カギ持ってかれたんじゃ、柚葉さんに任すしかないし」
「ん。ぜひとも、そーして」
息を吐いた後、オーアが体の力を抜いたのを見て取り、更に言質も取った。
故に、大丈夫だと判断し、ヴァレリーはオーアの上から退き、そのまま寝台からも降りる。
「……ヴァレリーさ、この後はどーすんの?」
そのまま、この場から離れようと足を一歩踏み出そうとした所で掛けられた声。
ヴァレリーの足が止まり、次いで、オーアの方へと振り返る。
「んー、まだ外は明るいけど、俺も、今日はもう休むよ。さすがに疲れたしな」
「まぁ、だよな。……明日以降は?」
「あー、そうだな……。せっかく、ポートマラヤまで来たんだし、少なくても2~3日はこっちにいるつもり」
「りょーかい。んじゃ、飲みに行くのは、ヴァレリーが戻ってきてからだな」
オーア本人の自覚はともかく、オーアの体の方は、案の定、休息を欲していたのだろう。
そんなやりとりを交わすうちに、緋色の瞳がとろりと溶けてくる。うと、うと……と、緩慢に瞬く。
「たぶん、俺の方はいつでも大丈夫と、思うからさ」
ふあ、と欠伸をこぼしつつ、オーアは言う。
「プロにもどってきたら、おしえて、な……」
「OK。そん時は連絡するな」
「ん」
こくり、とオーアは頷く。
とろとろと、ゆっくり降りてくる瞼。
寝そうだなと、ヴァレリーが見守る中、程なくして、オーアから、寝息が聞こえてくる。
そんなオーアに、ヴァレリーは苦笑した。
「やっぱ、かなり、疲れてたんじゃん」
まぁ、分かる。と、ヴァレリーは1人頷く。
陽が落ちるまで、まだもうしばし、普通に軽く一狩り行けるくらいの時間はあるだろう。けれど、先程、オーアにも言ったが、今から、外に出る気にはならない程度には疲れた。
途中から、手伝いで同行した程度の自分ですら、そうだったのだ。渦中真っ只中だったオーアはこの比ではないだろう。
故に、その言葉は、自然と、ヴァレリーの口からこぼれ落ちた。
「おつかれ、オーア」
be continued
あとがき
ビョンウンゴ戦、ヴァレリーさんは、色々心配かけてすまん……すみません……と思いつつ……
すまん、うちの退魔ず、割と突発的でイレギュラーな戦闘は、まぁまぁ慣れてるんよな……大聖堂に舞い込んでくる依頼とか、何かに巻き込まれ、とかふっつーにあるから。
ただ、当然だけど、現時点では、ヴァレリーさん、そんな事知るよしもないしねぇ……慣れがないと、ちょちょちょっっ、ってなると思うんだ……
ヴァレリーさんは、今回臨時で、初対面のリーベさん相手だから、焦ってたとこはある。病院内ではずっと前衛2人が前に出てたからね。彼女が、どのくらいなら、魔物の攻撃を捌けるのか、耐えられるのか、全く知らないから、全ての攻撃から守ろうとしてたとこはあるのです。
オーアにしろ、リーベにしろ、完全に攻撃に専念してて貰った方が、安心だし、効率よいのも確かだしね。
ウェポンブロッキングについては120%ねつ造です。だって公式資料ない……ちょっとまってー、ウェポンブロッキングってネタ的にはどーゆー状態ーーー!!? って調べたけど、見つからず、うちの設定と、考察と、妄想の合わせ技でああなった。
ソロ仕様のリーベさんの立ち回りについて。
スキル的にはオーアもSWは持ってるから、可能ではあるんだけど、ヴァレリーさんが見たことない理由はこちら。
「あー……リーベさんのやり方かぁ……。出来、なくはない、と思う。たぶん。俺、バックサンク型だったから、セイフ覚えたのハイプリになってからだったんだよ。だから、使い方、っていうか、咄嗟の行動で出来る程度までは身についてない、なぁ……あの方法、結構青石食うし……」
すこーし、ちらっと出てきたけれど、魔力の許容量はSP、魔力の純度はMatkと認識してる。
同じスキルを使用して=同じ量の魔力を使用して、ダメに差が出るのは何で? みたいなのの、解説も、そのうち……そのうち、してみたい……
エドアルトさんが来たとき、ヴァレリーさんがスタン中だったから、作中にあるとおり、彼はリーベさんの行動を「動けないヴァレリーさんにタゲが行かないようにアドラムスを使ってた」と認識してるんだけど、実際のところを知った場合、リーベさんへ説教案件です。PT連携を乱す行動だし、危険行動だし。
ヴァレリーさんも怒って良い奴なんだよねーぇ。
ちなみに、ヴァレリーさんとオーアの会話と、オーアsideは何故か勝手に生えた! オーアとレンが宿屋に行くまでは、脱出のタイミングも、流れもふんわり頭の中にはあって、でも、小説内では書くことないだろーなー。オーアsideに視線を移すタイミングとか、たぶんないだろーし。って思ってたのに、何故か、生えた。不思議だね? まぁ、あるある!
あと、オーアのことを心配してるように見えるレンだけど、実際のとこは、自分本位です。オーアの事考えるなら、2人で蝶の羽使うのが1番なんだよなー。でも、ぼろっぼろの状態で帰ったら、ルキナに全力で心配されるため、ちゃんと回復してから帰る方が、レンの中では優先度高かった、っていう。あと、封印物のその後、本当に封印大丈夫かとか、確認してからじゃないと、安心出来ないってのもある。
ついでのちなみに、ヴァレリーさんとオーアが耳打ちしてる時点で、オーアの魔力がギリ、ポタ使えるかくらいにしか回復してない、ってのは、エドアルトさんがオーアと別れてビョンウンゴ組に合流するのに必要な時間を考えると、どう考えても異常。もしも、ヴァレリーさんが魔法職だったり、魔力に詳しかったら、即そこに気がついたし、原因として、魔力枯渇やらかしたんじゃ、って気付くので、説教案件でした。エドアルトさんは気付いてるし、エドアルトさんと一緒に来なかった事で、リーベ、柚葉も察してるけど、状況が状況なので(しかも、リーベさんがある意味戦犯だし)、うーーんん、となりつつも、やむなしとしてコレに関しては説教回避出来ていたり。
魔力枯渇は、軽度でSP0~ちょっとマイナス。中度でがっつりマイナス。重度で生命維持に支障が出るレベル。ふわっとだけど、そんなイメージ。
魔力生成反動は、MAXSPの半分以上を
レンとヴァレリーさんの顔合わせは、もっと未来の事なので、ここでは会う事はないのです。
ヴァレリーさん、レンの名前は何度か聞いてるけど、リーベさんとか、インパクトの強い事・人が他にあるので、結局会わなかった相手のこととか、忘れてくれるんじゃないかなー……って思ってる。
そういえば、普通に使ったけど、オラオラ、って今のROプレイヤーに通じるのかしら? と思うなど。
あと、ヴァレリーさんなら、普通に帰るって言いそうな気がしたんだけど、今回相手が
や、本当、ヴァレリーさん、ありがとうございましたなのですよ。
とりあえず、エピローグには入ったので、次で終わります。
やーーーー……長かった。
とりま、リーベとエドアルトさんのシーンは、紙には書き上がってるし、何故か生えた金髪コンビのシーンその2がどうなるか次第なとこはあるけど、オーアとレンのシーンもたたき台はあるからそこまで苦戦はしないはず。うん、読めないのは金髪コンビとラストシーンくらいだから、そんなに間を開けずに、完結まで行けるんじゃないかなー?
使用素材: Atelier Little Eden様 森の不思議石