ギ、と時折、耳障りな音を立てつつ、階段をのぼる。
しっかりと進行方向への警戒は行いつつ。けれども、ふと、金髪のギロチンクロスは、友人が駆けて行った階下へと、少しだけ、視線を向けた。
「心配?」
刹那、かけられた声。
それに、反射的に肩が跳ねそうになるのを堪え、何てことない顔をして、声の方へと視線を向ける。
「――や、大丈夫でしょ」
軽く振り返ったヴァレリーの視線の先。
薄茶色の長い髪を一括りにしたアークビショップの女性は、そんな言葉に、えー、とどこか子供じみた声を上げた。
「私はすっごく心配!!」
予想外のその言葉に、思わずギロチンクロスの目が丸くなる。
「へ?」
呆気にとられた声を零したヴァレリーに、リーベはさも当然と言った顔で小首を傾げる。
「? 当然じゃない?」
「いやいやいやっ! 今の流れって、信頼してるから、心配いらないとか、そーゆー感じじゃねぇのっ?!」
そこまで長くもない階段だ。
ヴァレリーがそう声を上げた時には、リーベ、ヴァレリー、柚葉の3人は、2階へと辿り着いていた。
そのため、ヴァレリーは、そこで一旦会話を切り上げ、周囲に視線を走らせる。
そこは、1階と同じ、木造の建物内、といった様子だ。先に説明を受けていなければ、ただ、2階へ足を踏み入れただけと思っただろう。
ビョンウンゴが作り出したテリトリー、位相の違う空間だなんて、この風景だけでは気づかなかったに違いない。
そう、思いかけたヴァレリーだったが、次の瞬間、否、と気づく。
1階と同様、この場所も暗い。そう感じる。けれども、リーベや柚葉が照らす光の範囲外の床や壁、奥へと続く廊下など、1階では暗くてよく見えていなかった範囲まで、今度は、ハッキリと視認する事が出来た。
それは、ここがダンジョンであれば、きっと、気付かなかった差異。けれども、先程、ここの1階で、オーアと歩き、ダンジョンとそうでない空間の差を知った今なら、ダンジョンと同程度に見通しの効くこの場所は、なるほど、確かに、普通ではないのだと、理解が出来た。
3人が、ビョンウンゴのテリトリーへと侵入してきたのを察知したのか、ざわり、と闇が濃くなり、蠢くのを感じる。
「愚かな……私の場に足を踏み入れるなど……死ぬ前にここから出ていけ……」
どこからともなく、響く声。
ラズとは異なる、不気味に歪んだ声。
けれども、何故か、この声が、ビョンウンゴのものだと確信出来た。
ざわざわと、闇がさざめく。
「オーアがいない……? 逃げた、逃げた。ふふ、お前たちよりは、賢い。……けど、愚か。アレはもう……私のモノ。どこへ逃げても、無駄なのに……」
ふふふふ、と嘲笑う声に、ヴァレリーの頭にカッと血が上る。許せない、と、何故か反射的に感じた。気色ばみ、口を開こうとする。けれど、実際に声を上げるよりも先に、まるで、それを制止するかのように、細い手に腕を掴まれた。
それは、やけに真剣な顔をした、リーベだった。何を、と思うよりも先に、アークビショップの女性は口を開く。
「もう私を止め――」
「あのねぇ、ヴァレリー君。信頼と心配は別物だし、両立するのよ?」
「は……?」
虚空から響く声を完全に遮る形で言われた言葉に、思わず、目が点になる。
一体何の話だと思ったが、すぐに気づく。階段をのぼりながらした会話の続きだと。
だが、あの……
「今、その話してる場合か!?」
つい、そう突っ込めば、にこり、と妙に圧のある笑顔が返る。
「お前たちの苦し――」
「逆に聞くけど、これから討伐確定の上に、私の大事な大事な後輩に手を出した不届きものの話を真面目に聞く意味と必要って、ある?」
「私の力とな――」
「…………ないな?」
「でしょ? で、も1回言うけど、信頼と心配は両立するわよ」
「本当の痛みと苦――」
「そりゃ、信頼してるから、心配いらない、って言えたら、カッコいいとは思うけどね?」
「教え――」
「私は、心配するのは、大事に思ってる相手への権利だと思ってるわ」
「私に聞かせ――」
「だから、エドアルトさんがいるから、大丈夫って、信じてはいるけど、オーアちゃんも、エドアルトさんも、両方心配してるわよ」
「……あの、――」
「あとね、ちょっと真面目な話。バリオに居るのが、3次推奨なだけあって、この場所も、本来、同じくらいの力量はあった方がいいくらいの魔物が発生してるわ」
「少しは話を――」
「だから、オーアちゃんにとっては、ちょっと、背伸びした場なのよ、ここ。どうにかなっているのは、オーアちゃんがMEに特化した型と能力の退魔師だから」
「もっと怯え――」
「オーアちゃんくらいの力量のハイプリーストの中では、威力が強いMEだから、ここでも少し時間がかかる程度で倒すことが出来て、且つ、攻撃がいかないように守ってもらえてるから、どうにかなっているのよね」
「少しは怖が――」
「まぁ、オーアちゃん本人も、この辺は分かってるみたいではあるんだけど」
どこからともなく響いてくる声を完全に無視し、リーベは喋る。喋る。喋る。
むしろ、全く話を聞く気がありません、のアピールのために、わざわざ、こんなにつらつらと喋っているのでは? と思うような勢いだ。
「……っ、それが返答か……いいだろう、恐ろしい悪夢を見せてやる……っ」
吐き捨てるような、そんな言葉と共に、虚空から響いていた声が消え、代わりに、ざわざわとした気配がいくつも感じるようになる。
その変化に、リーベも、気付いたらしい。
今までつらつらと紡ぎ続けていた言葉を止めると、軽く虚空を見上げ、ふん、と鼻で笑う。
「ぐちゃぐちゃうるさいのよ。私の大事な後輩に手を出しておいて、ご丁寧に話を聞いてあげる、なんて慈悲、ある訳ないでしょ。そもそも、オーアちゃんに手を出した時点で、こっちは、滅す一択なんだから」
表情こそ、にっこりと笑顔を浮かべているものの、言葉の端々から感じる棘と圧に、ヴァレリーは、ひくり、と頬を引き攣らせる。
「リーベサン、もしかしなくても、割と、結構、怒ってマス?」
「あらぁ、何言ってるの、当たり前じゃない」
「アッハイ」
にこにこ、にっこり。
表情と大いに剥離したその怒りは、自分に向いていないと分かっていても心臓に悪い。
思わず、そんな事を思うヴァレリーをどう見たのか、リーベは、少し笑みの質を変える。
「大丈夫よ。怒ってはいるけど、ちゃーんと、冷静だもの。あんなのの口車に乗せられてあげる程、優しくも甘くもないからね」
「へ?」
リーベの言葉に、ヴァレリーは瞬く。と、今度は柚葉が口を開いた。
「リーベさんの、今のアレは、ここの主への意趣返しが大半を占めていましたが、貴方がビョンウンゴの言葉を聞かないようにとの狙いもありましたので」
「あ……」
その言葉で思い出す。
ヴァレリーがビョンウンゴに向かって声を上げようとし、腕を掴まれた時、声を上げるのを制止するようだと感じた。それは、間違ってはいなかったらしい。
声を漏らしたヴァレリーに、柚葉は言葉を続ける。
「良からぬことにばかり頭の回る、どうしようもない輩は種類を問わず居りますが、悪魔に属するものは、特に言葉で、感情を揺らがせ、心の隙を突いてくる事を好むモノが多い。故に、相手のペースに呑まれない事が重要となります。”悪魔の言葉に耳を傾けるな”。アコライト系であれば、早々に、そうでなくとも、冒険者であれば、聞き覚えはあるだろう、この言葉は、これが主な理由の1つですね。とはいえ、今回の相手のように、それが難しいタイプもいるので、リーベさんのように、全く何も聞かないようにする、というのは、確かに有効手段なんですよね」
さらりと辛辣な言葉が含まれていたが、それに何か思うよりも先に、気になった事をヴァレリーは声に乗せる。
「……それが、難しいタイプ?」
「えぇ。声に魔力を含ませ、声を聴くだけで、不安・恐怖・怒りなど、負の感情を掻き立てる……事実、ヴァレリーさんも、頭では、あんな言葉、ただの挑発と、分かっていたでしょう?」
「あー……なるほど、確かに」
「そこは、相手がどのような影響を与えてきているのか、を認知出来れば、自衛は可能ですので――」
ここから先、ビョンウンゴ本体と対峙するならば、あった方が良いだろう2人のやりとりを耳にしながら、リーベは、別行動中の2人を思う。
エドアルトもいるし、オーアもハイプリーストではあるものの、退魔班の一員、しかも、厄介事が多く集まりやすい
思い出すのは、ポートマラヤへ来る前、柚葉へと協力を頼んだ時の、彼女の言葉。
――「……試金石、人手不足……暗い……? 人手不足とあるのに、直接関われない感触があるのですが……」
(……行く前、柚ちゃんが言ってた
自分が一緒にいるのなら、彼がそれを使う事態にはならないと思っていた。
故に、ほぼほぼ無意識に、それを可能性から除外していた。けれど、別行動となった、今、柚葉の言葉が、小さく頭に引っかかる。
(オーアちゃん……アレを使うような事に、ならないといいんだけど……)
なくはない可能性を思い、1つ、小さく息をつく。
と、視線の先で、柚葉も同じように息をついたのが見えた。それに、1つ瞬き、自然と意識をそちらへと向ける。
「――まぁ、自衛の意思があるなら良いんです。中には、極々稀に、その方が手っ取り早いと、悪魔との舌戦に応じるどころか、自ら仕掛ける方もいらっしゃいましたので」
頬に手を当て、息をつく柚葉の言葉は、リーベにとっても、非常に心当たりのあるもので、耳に入ると同時に、つい、何度も大きく頷いてしまう。
「ほんっとにねっ。何言っても、大丈夫の一点張りで……! たしかに、
ついつい会話に乱入してしまったこの話題は、もう何年経とうとも、つい熱が入る。
けれど、今は状況が状況だ。故に、リーベは、すぐにハッと我に返る。そして、えーと、と反応に困っている様子のギロチンクロスへと、軽く手を立てて、苦笑と共に謝罪した。
「ごめんね、分からない話出して。説明しても良いんだけど――……そうね。もし、興味あったら、後でオーアちゃんに聞いてみて。”悪魔相手に契約込みの舌戦を、自分から仕掛けた方が手っ取り早いって聞いたんだけど、どう思う?”って。オーアちゃんも、よっく知ってるから、快く教えてくれると思うわ」
「……それさー、聞いたら、俺がオーアから説教受ける羽目にならない?」
察するものがあったらしい。半眼になって、疑わし気に問う後輩の友人に、リーベはくすくすと笑みを見せる。
「大丈夫大丈夫。私にそう聞くよう言われた、って言えば、納得してくれるわよ」
そう笑ってリーベは言う。つまり、それを伝えなければ、説教を受ける羽目になるような話題と言う事だ。ため息をつくヴァレリーを尻目に、リーベはクレメンティアを唱える。続けて、カントキャンディダス。
それは、出発の合図にも等しく、ヴァレリーも柚葉も、瞬時に意識を切り替える。そんな2人に、リーベは笑った。
「さって、それじゃあ、向こうの出鼻もくじいたし、そろそろ行きましょうか。さっさと終わらせて、オーアちゃんとエドアルトさん迎えに行きましょ」
***
3人で廊下へと移動すれば、等間隔に並ぶ扉が見えた。2階は、入院患者のための場だったと聞いている。ならば、それらの部屋は病室だろう。
問題は、扉の開け放たれた病室達の奥から響く音と気配だ。
「――居るけど、どうする?」
背後に居る女性2人の方を軽く振り返り、ヴァレリーは、問いかける。
「中から出てこないのは、放置でOK。こっちに向かってくるのだけ、対処するわ」
「ん。了解」
軽く返して、前へと向き直るヴァレリーの背後で声がする。
「リーベさん。ちなみに、
「後回し。一旦アレを祓ってからの方が、呪縛は解きやすいでしょ。現状だと道連れの危険性はないしね」
「なるほど。……確かに、彼らの負担は、その方が少ないですね」
話の内容に疑問符を飛ばしつつ、けれども、緊急性は低そうである事を察し、そして、こちらへと向かってくる魔物に気づいた事で、意識は完全に2人の会話から、病室の中から姿を現した魔物へと向かう。
背から大きな蝙蝠の羽を林、下半身が注射器となっている魔物、マナナンガルの攻撃を躱し、手にした刃を一閃。深手を負わせることよりも、相手の注意をこちらへ向ける事と、周りの、他の魔物がいつこちらへ来ても対応出来るよう、索敵の方に、意識を割く。
「マグヌスエクソシズム」
――そうすれば、破魔の光が、敵を一掃してくれるのは、組む相手が変わってもいつも通りだ。
部屋の奥には、まだ居そうな気配があるが、とりあえず、廊下と部屋の出入口付近の魔物は居なくなり、自然と視線は、廊下の奥、真正面にどん、と立ちふさがる扉へと向かう。
手術室、だろうか。病室とは明らかに違う、大きな扉だ。この2階で唯一閉ざされた、他とは違う場所。
ここの主、ビョンウンゴはここだと、確信する。
「っ!」
扉を開け放とうとし、ヴァレリーは軽く目を見張る。
扉がびくともしない。
仮に鍵がかかっていたとしても、力を加えれば微かに揺れるくらいの手ごたえはある。だというのに、この扉は、壁に描かれた扉の絵を押し開こうとしてるかのようだった。
「無駄だ。……もっと、お前達の苦しみを聞かせてみろ」
ふふふと耳障りな声が虚空から響く。
ざらり、と無遠慮に、身の内を撫でられているかのような不快感。
声に魔力を含ませ、負の感情を掻き立てる。
なるほど、これが、それかと、ヴァレリーは納得する。先ほどは、友人を嘲る言葉の内容の方に気を取られ、気が付かなかった。
変わらず、声に対しての不快感もある、苛立ちもする。けれど、それが何に起因するか、分かっていれば、流されずに済む。なるほど、なるほど。
分かっていれば、自衛できる。
その言葉の意味が、柚葉とリーベがあの会話に時間を割いた理由が、よく分かった。
とはいえ、だ。
扉の向こうに居るだろう討伐対象をどうしてくれよう、とは思う訳で。
どうするべきかと、判断を仰ぐべく、ヴァレリーが後ろを振り返るのと、こういったことに慣れているだろうアークビショップが声を上げるのは、ほぼ同時だった。
「ヴァレリー君。ちょおっと、場所、変わってくれる?」
とてもとても良い笑顔を浮かべたリーベの言葉に、ヴァレリーは、即座に頷き、その場を飛びのくようにして場所を譲る。
かつん、と足音を響かせて閉ざされた扉の前に立ったアークビショップの女性は、好戦的な色を瞳に湛え、口の端を吊り上げる。
「無駄、ねぇ。……それは、こっちのセリフなのよねぇ」
扉を、否、扉の前にある結界を見据え、リーベは魔力を編む。
そして、右の手のひらを扉へと押し当てた。
――刹那。
パキィィン、と硬質なモノが壊れたかのような音が、確かに、その場に響く。続けて、リーベは、柚葉、ヴァレリーの方へと向き直り、先程かけたばかりの支援魔法をかけ直す。
「それじゃあ、さっちゃと行くわよ」
音を立て、閉ざされていた扉を開け放つ。
そうして続く空間は、とても広く、床や壁は荒れた様子が見えるものの、物が少なく、それが、だだっ広いという印象を更に強くしているように思えた。
「……ここ、やけに広くないか?」
中へ足を踏み入れ、薄暗いそこを見回すヴァレリーに、リーベは言う。
「病院は2階を模してる、ってだけで、ここはアレが作った場だもの。自分に都合の良くしたい所は、都合良く作り変えてるわよ」
「それもそうか」
2階に足を踏み入れてからここまで、間取り自体には違和感を感じる事がなかったからこそ、この場に違和感を感じたが、言われてみればその通りだ。
納得したように軽く頷くヴァレリーを視界に入れつつ、柚葉は密かに思う。
この場以外は、病院と同じ見た目となっていた理由。それは、その場所に捕らえられている人々がいる為だ。捕らえた人々に、
「……本当に」
小さく小さく、呟く。
――本当に、私と彼女の逆鱗を逆撫でするのがお好きなようですね、ここの主は。
歩きながら、印を組み、魔力を編んで、十六夜を発動させる。符を取り出し、火霊を招来していく。
1つ、2つと歩みを進める毎に、柚葉の周りに浮かぶ赤い光が増えていく。
それが10を数える頃、それは、姿を現した。
ぶくぶくと肥大した巨体。上背は背の高いヴァレリーの倍近くもあり、全身真っ黒な肌。かろうじて頭には金のおさげのようなものがついているが、非常にアンバランスな印象を受ける。
「哀れな者共よ……本当に苦しみを教えてやろう」
そう告げるビョンウンゴを鼻で笑って、ヴァレリーは地を蹴る。
瞬きの間で肉薄し、銀の軌跡を走らせる。ビョンウンゴが、ぎょろりと気味の悪い目をこちらへと向ける。と、ぶよぶよと太く丸みを帯びた巨大な手がヴァレリー目掛けて振り下ろされた。
それを軽く地を蹴り、避け、そのまま反撃に転じようとした、その刹那。
「アスペルシオ!」
背後から、凛とした声が響き、ヴァレリーの武器が淡い輝きに包まれた。
武器に聖属性を付与され、深緑の瞳が丸くなる。けれど、それは一瞬で、ヴァレリーは軽く口の端を舐め、にやりと、好戦的に笑う。
「期待してくれるってんなら、本気で応えないとな」
短剣を振りぬき、切りつけつつも、素早く取り出したのは、形の違う2つの瓶。
アサシンクロスから扱う事が許される毒薬の瓶と、ギロチンクロスが新たに生み出した、通称新毒と言われる毒の1つだ。それらを素早く塗布し、再度切りつける。
「紅炎華!」
降り注ぐ炎。ビョンウンゴの視線がヴァレリーから逸れる。刹那、その隙をつくように、深く、切りつける。
ぎょろり、とヴァレリーを睥睨する目。自然と不快に感じるその目を見返し、嘲るように笑って見せる、そんなヴァレリーの挑発が効いたのか、はたまた、単純に、毒に濡れ、聖属性を帯びた斬撃が気に障ったのか。ビョンウンゴは目を眇めると、金髪のギロチンクロスを標的にしなおす。
狙い通りの行動にヴァレリーは薄く笑う。
スキルを使わなくとも、挑発されてくれる奴は楽でいい。力量的には決して甘く見る事は出来ない相手なのは重々承知しつつも、そんな事を思う。
ブォンと、重さと速さを併せ持ち、振り下ろされた腕を紙一重で避け、そのまま斬撃を叩き込む。
「カウンタースラッシュ!」
たたらを踏み、よろめくように数歩後退したビョンウンゴを追撃する。そのまま、斬撃を、3度4度と続けていたヴァレリーは、ふと、顔を顰めた。
ヴァレリーは短剣と毒の扱いの長けたタイプのギロチンクロスだ。当然、己が今塗布した毒の事もよくよく理解している。耐性やら、図体のでかさやらで毒が効果を発揮するまでの間はそれぞれだ。けれど、毒が作用し始まる前兆から、あとどれくらいで効くかは大体分かる。
だからこそ、理解する。
(こいつ、効いてねぇな)
パイクレシアも、猛毒の瓶の方も、毒の効果が、その兆候すらも見られない。
脳裏を過るのは、ビョンウンゴは呪いや病の化身だという情報。呪いも病も外部から侵入し、体を侵すものだ。特にパイクレシアの症状は、病と非常に良く似ている。
「っ、そういう意味では毒も病気も一緒、ってか」
小さく呟き、ヴァレリーはビョンウンゴを見やり、目を細めた。
――気に入らねぇな。
そんなヴァレリーへと、ビョンウンゴは大きく腕を振り上げる。これを先程と同じように、最小限の動きで避けようとした、その刹那。
「っ!」
それは、ほぼ直感だった。
バックステップを使い、大きくビョンウンゴから距離を取ろうと地を蹴った。と、同時に、空振りしたビョンウンゴの腕が、そのまま床に叩きつけられる。
ドン、と地が揺れ、発生した衝撃波に、くらり、と一瞬頭が揺れた。
「うっへぇ。スタン使ってくんのかよ。面倒くせぇ」
思わずボヤく。回避行動がとれなくなるスタンは、回避職にとっては天敵だ。不幸中の幸いなのは、元々行く予定だったバリオに生息している魔物もスタンを使ってくるため、耐性装備はつけている事だ。とはいえ、耐性であって、無効ではない。
リーベが唱えた破魔の光の中、痛みに悶える巨体を睨みつつ思う。
咄嗟に距離を取った今回でさえ、一瞬頭が揺れた。となれば――
「装備があっても、至近距離でくらったらまずい、って事か」
つい、ため息をつきたくなるが、耐えて、地を蹴り、再び切りかかる。
こちらの
「――嫌な奴」
剣呑な目を向け、自然と吐き捨てた。
***
「マグヌスエクソシズム!!」
破魔の光が立ち上り、暗い室内を照らすと共に、女の姿をした夢魔へと、容赦なくダメージを与える。
「ぐっ……ふふっ、面倒ね、厄介ね」
「オーバーブランド!」
ゆらり、と揺れる夢魔の身体にエドアルトの繰り出す槍が叩き込まれた。鈍い音と共に細い体が弾き飛ばされ、後退する。
ゆらり、と揺れる女の体。刹那、それはエドアルトの眼前へと迫り、青白い足が振りかぶられる。
ガン、と響く硬質な音。夢魔の蹴りを槍で受け止め、防ぎ、再度、ロイヤルガードは攻勢に転じる。
そんな攻防を睨み据えつつも、オーアは次のマグヌスエクソシズムの詠唱を紡ぐ。
エドアルトは危なげなく、夢魔の攻撃をいなしている。
夢魔は、レンの前に立つ自分へ、否、自分達の方へと視線を向けてくるが、こちらへ接近する事は、エドアルトが許さない。
だからこそ、オーアは心置きなく、やるべきことに集中出来るのだ。
戦況は、この上なく安定している。先輩であり、恩人であるアークビショップのような火力は出せないが、このまま着実にダメージを与え続けていけば、問題なく倒せる。はずだ。
そうは思いつつも、詠唱を続けるオーアの表情は険しい。
今の状況なら、何の問題はない。そう理解しているのに。
何故か、欠片も、安心出来ない。
その理由が分からない。
ただ、訳もなく、ざわざわと、焦燥感にも似た何かが、警鐘を鳴らしていた。
そんな中、今現在、まばゆい光を発していたマグヌスエクソシズムの効果が切れ始め、床から立ち上る光が弱くなる。その上から、新たに術式を張り直すべく、オーアが最後の詠唱を紡ごうとした、その刹那。夢魔がエドアルトへと、その白く細い腕を振りかぶった、その刹那。
ふわりと、女の姿が、一瞬揺らいだ。それを目にし、オーアは総毛立つ。
「――っ!! 受けるな! 避けろっっ!!」
走った悪寒に、オーアは叫ぶ。
あと一言で完成していた詠唱も、その術式の維持も、構築も、何もかもを放り投げての叫びだった。
夢魔の攻撃を槍で受ける構えだったエドアルトは、オーアの叫び、そして、オーアが声を上げる直前に見えた女の表情に、咄嗟に地を蹴り、飛びずさる。
相対していたエドアルトからは、はっきりと見えた。弱まる破魔の光の中、苦痛に顔を歪めつつも、女の口元が笑みを作ったのが。
地を蹴ったエドアルトに夢魔が迫る。その拳がエドアルトの構える槍にぶつかる――その刹那。夢魔の手が、腕が、ふっと、槍の柄をすり抜ける。
「っ!?」
思わずエドアルトは息を呑む。次の瞬間、柄をすり抜けた腕の存在感が増す。実体に戻る。
――バキリ。
エドアルトの持つ槍から、嫌な音が響く。
それは、エドアルトの槍を貫通した状態で実体化した夢魔の腕によって、槍が破壊された音だった。それを眼前で目の当たりにし、エドアルトの表情が引き攣る。
当然だろう。もし、あの時避けずに、今までのように受け流そうとしていたら、槍どころか、己の体まで、貫かれていただろう事は、想像に難くないのだから。
そんなロイヤルガードに、女は笑って囁く。
「ざんねん」
(こっわぁぁぁっっ!!)
一連の光景を目にし、オーアは内心で悲鳴をあげる。
今現在、戦況が安定しているのは、夢魔の攻撃をエドアルトがいなしているからだ。それが可能なのは、ロイヤルガードである彼だからだ。
自分では無理だと、オーアは理解していた。守り耐えるだけなら、ギリギリいけるかもしれないが、攻撃に回る余裕は一切なくなると見て良い。つまり、もし、エドアルトが戦闘不能に追い込まれれば、戦況は一気にひっくり返される。
向こうもそれを狙ったのだろう。思惑通り、エドアルトがあれを真面に受けていたら、と思うと、ぞっとする所の話ではない。
が、おかげで分かった事もある。そのためにも、まずは。
マグヌスエクソシズムの光が完全に消え失せ、部屋の中は一気に暗くなる。
暗い部屋の中、レンを保護する結界の淡い光だけが、闇の中、淡く浮かび上がっていた。本来なら、急いでマグヌスエクソシズムを貼り直さなければならない所だ。けれど、その前にやらねばならない事があった。故に、紡ぐ、紡ぐ。そして――
「動くなっ!!」
オーアはエドアルトへと声を張り上げる。一瞬、エドアルトが足を止める。刹那、術式を発動させた。
足元から、ロイヤルガードの青年を囲むように立ち上る薄赤の光に、エドアルトは軽く目を見張る。セイフティウォール。物理攻撃を完全に弾く魔術。けれど、それで、今の異様な術を防げるのか、という疑念が一瞬脳裏を掠める。
が、即座に棄却。この手の相手なら、彼の方が専門だ、と信じる事を選ぶ。
ゆらり。
女の姿が揺れる。ぶれる。
ガン!!
女の腕を薄赤色の結界が弾く。それに、エドアルトは小さく安堵の息を零す。そして、間髪入れず、盾を――槍を破壊された際、持ち替えたのだ――振りかぶる。本来は防具であるはずのそれを手慣れた様子で振るう。しかし。
ガンっ!!
再び響いた硬質な音に、エドアルトは思わず目を見開いた。薄赤の光壁がエドアルトの攻撃をも、弾いたのだ。ここで、気付く。オーアが発動させたこれは、セイフティウォールではないと。それによく似た別の術であると。おそらくは、彼が所属している退魔班特有の魔術なのだろう。けれど、重要なのはそこではない。
女がぱちり、と瞬く。今、何が起きたのか、理解出来なかったかのように。
だが、それも一瞬だ。
にぃ……と夢魔の口の端が吊り上がる。
「っ、オーアっ!!」
エドアルトが声を上げるのと、夢魔が地を蹴るのは、同時だった。
エドアルトの脇をすり抜け、夢魔が迫るは、金髪のハイプリーストの元だ。それを見据えつつ、オーアは1つ、息を吸う。
刹那、オーアの足元からも、薄赤の光が立ち上る。
ガン、と三度、硬質な音が響いた。
「ねぇ、ちょうだい」
にこり、と笑い、夢魔がオーアの張った結界へと手を叩きつける。
「――何をだよ」
舌戦は、あんま得意じゃないんだけどなぁ、なんて、ぼやきつつも、オーアは応える。
得意ではないという自覚がある故に懸念はあるが、それをしてくれるというのであれば、こちらにとっても都合が良い。ならば、これが最善手だと、判じたのだ。
「あなたを」
言う夢魔に、敢えて、オーアは笑って見せる。
「俺なんだ? レンじゃなくって」
「レンってだぁれ?」
笑みを浮かべて問う夢魔に、引っかかってくんなかったか、と胸中で舌打ち1つ。
「あんたが攫った子だよ」
「攫った子なんていないわ」
「あん――……緑の子」
あんたと一緒に居た子。そう口にしそうになったのを寸での所で押し留めると、咄嗟に別の言葉を紡ぐ。
早い話が、その言葉は、あちらを有利に、こちらを不利にするものだと、ギリギリで気づいたのだ。
ガン、ガン、ガン、ガン。
あぁ、うるさい。と、オーアは思う。
このやりとりの間も、今も、眼前の夢魔が己を守る結界を叩きつけてきているためだ。
結界を壊そうとしてるのは当然、そして、こちらの冷静さを削ぎ落すためでもあるのだろう。オーアが、今、言葉選びを間違いかけたように。
「あの子は私の」
「違う」
夢魔の言葉をキッパリと否定する。そして、問う。
「理由は?」
「かわいい子は私の子供。それで十分」
「違うだろ」
夢魔の言葉に被せるように、オーアは声を上げる。
「あんたは、あんたの言うかわいい子の親じゃない。親の体を使ってるモノですらない。ただの仇だ。あの子の親の仇でしかない」
そのままオーアは紡ぐ、紡ぐ。
「あんたは肉体を持ってない。そして、力もギリギリ実体をとれる程度に敢えて抑えてる。実体がない相手の討伐は困難だ。退魔班とか、そーゆー奴ら用の対処法、スキルがないと、どーにも出来ないからな。だからこそ、身を守るにはうってつけだ。けど、それはつまり、あんたも、実体を解いてる間は、こちら側に手出しがしにくい。だから、あの子を欲しがった。肉体を持ち、自分の望む通りに、自分の代わりに、動いてくれる奴が」
そう言って、オーアは夢魔を睨み据える。
そんなオーアに、何故か夢魔は結界を叩きつける手を止め、オーアを見る。
そして、唐突に、笑った。
「理由は?」
「かわいい子は私の子供。それで十分」
「違うだろ」
夢魔の言葉に被せるように、オーアは声を上げる。
「あんたは、あんたの言うかわいい子の親じゃない。親の体を使ってるモノですらない。ただの仇だ。あの子の親の仇でしかない」
そのままオーアは紡ぐ、紡ぐ。
「あんたは肉体を持ってない。そして、力もギリギリ実体をとれる程度に敢えて抑えてる。実体がない相手の討伐は困難だ。退魔班とか、そーゆー奴ら用の対処法、スキルがないと、どーにも出来ないからな。だからこそ、身を守るにはうってつけだ。けど、それはつまり、あんたも、実体を解いてる間は、こちら側に手出しがしにくい。だから、あの子を欲しがった。肉体を持ち、自分の望む通りに、自分の代わりに、動いてくれる奴が」
そう言って、オーアは夢魔を睨み据える。
そんなオーアに、何故か夢魔は結界を叩きつける手を止め、オーアを見る。
そして、唐突に、笑った。
「ふ、ふふっ。そう、そう、そうよ。だから、あの子をつくったの。だから、あの子は私のなの」
夢魔のその言葉に、オーアは押し黙る。その様子に、夢魔はくすくすと笑い声を零した。
「けどね、でもね。代わりをしてくれるなら、あの子じゃ、緑の子じゃなくても良いの」
だから、と女は甘く囁く。
「交換しましょう。あなたをちょうだい。そうしたら、緑の子は諦めてあげる」
その言葉に、オーアは軽く目を見張る。次いで、悩むかのように、軽く顔を伏せて見せた。
本当は、手を口元にでもやれば、更にそれっぽく見えたかもしれないが、あいにく、今、手は塞がっているので、無理な相談だ。
そんな様子を見せつつ、胸中でのみ、オーアは大きくため息をついた。
(何か、どっか、ミスったっぽいなぁ)
至極冷静に、そう思う。
夢魔がレンを諦める訳がない。オーアはそう確信していた。
代わりをしてくれるなら、あの子じゃなくても良い。それは、本当だろう。もし、
そもそも誰でも良いのなら、わざわざ手間暇かけて、レンのような存在を作る必要なんてないのだから。
(――
レンを作った理由を推測し、胸中で吐き捨てる。
自分の思い通りに動いてくれる肉体を持つモノが欲しい。これだけなら、言い方は悪いが、代わりはいくらでもいる。夢を通じて、操ってしまえばよいのだから。そもそも、それが、実態を持たない魔の常套手段だ。しかし、好きに操れたとしても、洗脳して手元に置いておけたとしても、そうした人間は長くは保たない。
当然だろう。魔は人間の事など、殆ど省みない。まともな寝食がとれず、衰弱していく、なんて、よくある話だ。そうでなくても、魔に憑かれているだけで、魂も、身体も歪まされていく。その先にあるのは死か、魔に引きずられ、人ではないモノと化すかの2択だ。
相手を殺し、その体を自らのモノとするのが目的なら、それで良いのだろうが、今相対している夢魔からすれば、それでは意味がないのだろう。
だからこそ、レンを作った。
だからこそ、レンでなくてはならないはずだ。
夢魔と親和性が高く――当然だ、レンは目の前の夢魔がつくった存在なのだから――、人間らしい生活が出来なくとも問題がない。幼少期、劣悪な環境に居た影響もあり、レンは食物を食べずとも、その気になれば他者の魔力のみでも生きていく事が可能なのだから。まさに、これ以上ない程、夢魔にとって都合の良い存在、という事だ。
故に、故にだ。夢魔がレンを諦めるなんてありえない。そう、オーアは判じる。なのに、目の前に夢魔は言った。オーアが代わりになれば諦める、と。
この一連のやり取りはただの口約束ではない。もしも、オーアが是と言えば、言ってしまえば双方に強制力が発生する。そうなれば、本当に、夢魔はレンに手を出せなくなるのだ。
そんな条件をアレが自ら提示する訳がない。で、あるのならば、今までのやり取りのなかで、どこか、何か、抜け道を作ってしまったのだろう、とオーアは理解していた。
それは
バシン、と再び女が結界を叩く。
「いいの? 両方、もらっても」
夢魔は嗤う。早く頷かなければ、このまま結界を壊し、実力行使で全てを得てしまおう、と。
そう笑って脅しをかけてくる。
焦らせ、是と言わせたいのだろう。いや、単純に、遊んでいるのかもしれない。おそらく、相手は今、自身の勝利を確信しているはずなのだから。
(そうであって欲しい、って楽観視も入ってるけどな)
胸中で、オーアは呟く。
一撃必殺になりえる思わぬ攻撃に、焦り、慌てて仲間を守る選択をし、結界を張ったが故に、攻撃手段を喪った。その状況で、夢魔をどうにかするために、舌戦に応じたのだと。そう、夢魔が判じてくれたのなら。
それならば、オーアの
(――あと、少し)
そして、待ち遠しかったその時が訪れる。
ここまで来たのなら。もう、
窮地に追い込まれているはずのハイプリーストは、ふっと、1つ息をつく。
結界を叩き続ける夢魔を睨み据え、キッパリと、言葉を紡いだ。
「断るっ!」
女が目を丸くする。オーアの言葉は、予想外だったらしい。
そんな夢魔に向かって、無理にでも笑みを作り、オーアは強く宣言する。
「俺も含めてっ、この場に居る誰1人っ、あんたになんて、絶対に渡さないっ! って訳で、交 渉 決 裂 だ――っ!!」
ガァン!!
オーアの言葉に被せるように、硬いものがぶつかるような音が響く。
先程より数段強烈なそれは、夢魔がオーアを守る結界を殴りつけた音だ。
今までの脅すためのものではない、壊すための、本気の攻撃。その衝撃に、オーアは歯を食いしばり、呻き声を漏らす。
通常のセイフティーウォールとは違い、今、オーアが、自身とエドアルトの周囲に張った結界は、術者がそれを維持し続ける限り、効果が続く。しかし、結界にかかった
そんな術式を維持しつつ、オーアは、にっ、と笑みを作り直す。
そして、手にしていたホーリーステッキの先でコン、と床を突いた。――否、床ではない。オーアの持つ杖の先、小さな、けれども小気味よい音を鳴らしたのはトパーズだ。オーアの張った結界。薄紅色の光の膜の内側、オーアの足元に、まるで、隠れるように転がっていたそれは、薄紅色の光を浴び、密かに流したオーアの血によって赤く彩られていた。元は黄色だったはずのそれは、杖の先が触れた瞬間、強い光を放つ。
鮮烈に光輝いたのは、血に濡れたトパーズだけではない。部屋の隅、随所にばら撒かれていた宝石たちも同じように光り輝いていた。それらは、レンが1人奮闘していた際にばら撒かれていたものだ。けれども、実際に使われることがなかったものだ。
それが、今、元々の用途とは別の形で役目を果たそうとしていた。
光が紡ぎ出すのは、この部屋一面の魔法陣。レンが使ったものと同じように思えるそれに、夢魔が警戒の色を見せる。
(――けど、まだどっか、余裕ある感じがするな)
オーアは冷静にそう判じる。夢魔が警戒の色を見せても、焦りは見せてないのが良い証拠だろう。
(ま、
ある意味、敵にポーションを送ったようなもんだし、と胸中で呟きつつも、オーアは声を上げる。
「エドアルトさん!」
レンが発動した時のような苦痛が襲ってこない事に、訝しげな表情を浮かべていた夢魔は、その声にハッと振り返る。が、遅い。
「シールドチャージ!」
オーアが解除した結界からエドアルトが飛び出す。即座に夢魔との間を詰めたロイヤルガードは、大振りの盾を用いて、夢魔を思い切り殴り、弾き飛ばす。
敵をオーアから引き離し、立ち塞がるように、金髪のハイプリーストの前に立つ。厳しく夢魔を睨み据えつつも、エドアルトは、ほっと小さく息を吐いた。
「全く……無茶をする」
「悪いけど、このくらいは無茶に入らん」
「はぁ……。それで?」
「ん。
「分かった」
短いやりとりを素早くかわし、オーアは視線を夢魔へと戻す。
白い肌の女は、オーアを守るように立つエドアルトを邪魔そうに見てから、にぃ、と嗤う。
ゆらり、ゆらり、と体を揺らし、次の瞬間、エドアルトへ肉薄する。
ガァンっ!
突き出した女の腕をエドアルトの盾が弾き、見た目にそぐわない重く硬質な音が響く。それに、夢魔は淀んだ赤の瞳を見張った。
エドアルトは何ら、特別な事はしていない。だというのに、一瞬、予想外だという反応を、夢魔は確かに、見せた。
それを目にし、オーアは口の端を上げる。
「もう、さっきのは使えねーぞ。実体が確立する程度まで、強化させたからな」
ガァン!! と先程より、重い音が響く。夢魔の蹴りを盾で受け止めたエドアルトは、一瞬、眉を寄せる。が、やるべき事は変わらぬと、敵の攻撃を防ぎ、お返しとばかりに盾を振るう。
そこで、気付く。手ごたえが変わった。
それを解説するかのように響くのはオーアの声だ。
「ま、その分、こっちの攻撃も届きやすくなってるからな。――覚悟しろ」
口の端を吊り上げ、笑みを作り、オーアは宣言する。
心配してくれたエドアルトには悪いとは思うが、このくらいは、自身が所属する退魔班の上司から、にっこり笑顔でちょいちょい要求される水準だ。本当に無茶はしていない。
が。
ふざっけんなっっ!! と喚き散らしたいくらいには、しんどかった。
何せ、自分とエドアルトを守る結界を維持しつつ、夢魔の舌戦に応じ、それらと同時進行で、本命である、
けれど、
レンがぎりぎりまで頑張ってくれたおかげで、宝石に込められていた魔力はほぼほぼ満タン。長期戦にならないかぎり、問題なく保つだろう。範囲もきっちり、部屋全体――まぁ、つまりは、レンが休んでいる所も範囲内であったが故に、彼にも影響のある、魔に対して攻撃性のある術式は使えなかった側面もあるのだが――。この陣が発する光で視界の確保も充分。となれば――
「あとは、さっさとこいつをどーにかすりゃいい、ってな」
後半戦の開始だ、と、緋色の瞳に好戦的な光を煌めかせ、オーアはマグヌスエクソシズムの詠唱を紡ぎ始めたのだった。
***
「マグヌスエクソシズム!」
ビョンウンゴを中心に立ち上る破魔の光。自分たちにとっては無害なそれが、暗色の巨体にダメージを与えるのを見据えつつ、ヴァレリーは手にした刃を振るう。
戦況は概ね安定していた。
ビョンウンゴの攻撃は、ヴァレリーにとって、ひやりとするものもある。しかし、それも、何度も躱していれば、要領もつかめてくるというものだ。
少し、余裕が出て来たのもあり、ふと、脳裏を過るのは、ここにはいない友人の事。
(……向こうはどうなってんだか)
いや、どうなっているも何も、向こうは向こうで絶賛戦闘中だろう。それは分かっている。分かっているからこそ、気になるのだ。
「紅炎華!」
響く柚葉の声に、ビョンウンゴへと降り注ぐ炎。
その赤い光に、ヴァレリーはハッと我に返る。余計な事に気を散らしてないで、まずは、目の前の事に集中だと、意識を新たにした。その時だった。
くつり。ぐつり。
奇妙な音が響く。そう、大きくもない音のはずなのに、妙に反響し、耳の奥をざらりと擦るような、嫌な音。
すぐ気づく。それは、ヴァレリーが睨み据える巨体、ビョンウンゴから聞こえてくる事に。
この部屋に突入する前に聞いたものとは、また違うが、これは。
「……笑ってる?」
眉を顰め、訝し気に、ヴァレリーが呟いた。その直後だった。
「うわぁぁあああっ!!」
「ぎゃあぁぁああっっ!!」
この部屋の外から響くいくつもの絶叫に、ヴァレリーは目を見開く。
一体何が。
反射的にそう思うが、即座にこちらの気を逸らすための罠の可能性に気付き、ビョンウンゴに油断なく向き直る。
反対に、顔色を変えたのが、リーベと柚葉の女性2人だ。
「っ、リーベさん!」
「うん、任せたっ!!」
短く言葉を投げ合い、リーベは身を翻した。ビョンウンゴに背を向け、この場から駆け去っていく。
対ビョンウンゴ戦において、メイン火力であった彼女の突然の行動に、金髪のギロチンクロスは再度目を見開く。
「え、ちょっ!? 何が――」
「上っ!」
つい、ヴァレリーの意識がリーベへと逸れた。刹那響く、朧の声。
ハッと意識を引き戻せば、迫るビョンウンゴの腕。咄嗟に、バックステップで飛びずさる。直後、太く弛んだ青黒い腕が床を叩き、轟音を響かせる。
それにヴァレリーは舌打ちを1つ。間髪入れずに前方へと飛び出した。銀の軌跡が走る。
『何があったっ!?』
反撃とばかりにビョンウンゴを切りつけ、ヴァレリーは瞬時に、耳打ちを叩きつける。
相手は、この場に残った朧の女性だ。PT会話にしなかったのは、この場にいない友人への配慮である。
こっちで想定外の何かが起きたと、余計な心配をかけて向こうの気を逸らしたくはない。
『今の悲鳴は、ビョンウンゴにとらわれているモノ達の叫びです』
淡々と、柚葉は告げる。思わぬ言葉に、ヴァレリーは軽く目を見開いた。
『じゃあ、オーア、あんたらが助けに来た奴、やっぱこっちに居たって事――いや、今の声は複数だった。他にも人が居たのか?』
言葉を紡ぎつつも、ヴァレリーは違和感に襲われる。2階に、ビョンウンゴのテリトリーに足を踏み入れてから、魔物の気配ならいくつもあった。けれども、
その思考を遮るかのように、柚葉の声が響く。
そしてそれは、ヴァレリーの思考を肯定するものだった。
『いいえ、あの子はここには居ません。オーアさんが確信をもって向かったのですもの。そちらに居るのでしょう。そして――』
一呼吸置き、柚葉は言う。
『この場に、アレのテリトリー内に、私達以外の
その言葉に納得する。ヴァレリーが他者の気配を読み逃していた訳ではなかったらしい。
『モノ達、ね』
『えぇ。人だったモノ達です。死して尚、アレが力を蓄えるために囚われている人々です。アレを見てください。気付きませんか?』
柚葉の言葉に、ヴァレリーは巨体に目を走らせ、そして気付く。
『傷が……あぁ、さっきの悲鳴はそういう事か』
『えぇ、ですので、リーベさんが向かいました』
そういえば、と思い出す。
ビョンウンゴのいるこの部屋に入る前、女性2人がしていた会話を。
――「リーベさん。ちなみに、
――「後回し。一旦アレを祓ってからの方が、呪縛は解きやすいでしょ。現状だと道連れの危険性はないしね」
――「なるほど。……確かに、彼らの負担は、その方が少ないですね」
あの会話の意味、そして、アークビショップであるリーベが行おうとしている事を理解し、ヴァレリーは言葉を紡ぐ。
『分かった。じゃあ、俺らはコレの足止めでいーんだよな』
分かり切っている事であるが、そう確認をとる。
『えぇ。――けれど』
脳裏に響く柚葉の声。同時に、ビョンウンゴへと、炎が降り注ぐ。
『確かに今、アレを攻撃してもあまり意味はないでしょう。リーベさんが、
ちょっとした悪戯に誘うかのような軽い調子で紡がれた言葉に、ヴァレリーは少々目を丸くする。
冷静に、効率のみを考えれば、彼女の提案は良いとは言えないだろう。
ダメージを与えても回復されてしまうのであれば、意味がない。攻撃は程ほどにして、こちらもリソースを温存しておくべきだ。それは、分かる。けれど――
『どーかんっ!』
にっ、と口の端を吊り上げ、ヴァレリーは毒薬の瓶を取り出す。毒そのものは効果がないようだが、異物は多い方が回復の阻害にはなるだろう。それに、エンチャントデッドリーポイズンを使用した方が、威力も上がる。
故に、金髪のギロチンクロスは、毒薬を素早く刃に塗布し、ビョンウンゴへと切りかかった。
そんなヴァレリーに軽く視線をやりつつも、紅炎華を唱え、柚葉は小さく息をつく。と。
ふつり。ふつり。
朧の女性を囲んでいた赤い光が消えていく。それを分かっていたかのように、漆黒の髪を揺らして、柚葉は再び符を取り出す。役目を果たし、消えていく火霊達を、もう1度、請来していく。
「さて……」
請来の合間に、柚葉は小さく呟く。
先程のような、ヴァレリーに見せた茶目っ気など、欠片もない、至極冷静な声だった。
リーベが戻ってきてから仕掛けた方が効率が良い。それは、柚葉も重々承知している。けれども、それは彼女が
そうでないのなら、ビョンウンゴは、度々回復を行うだろう。その度に全回復しているのをただ見ているような事をすれば、何の賽の河原だという話だ。
(――本当は、全員解放されてくれると、信じられれば良かったのですが……強い方ばかりでは、ありませんから)
声には出さずに吐露して、柚葉は忍術を発動させる。
降り注ぐ炎。刃を振るうギロチンクロスの背。青黒い巨体。この広い部屋の位置取り。
それら全てを見据え、続けて魔力を編む。
「患者の苦しみが私の力をなっていく……哀れな者よ、本当の苦しみを教えてやろう」
無駄な事を、と、ビョンウンゴが嗤う。
けれど、そんな事を気にかけてやるほど、こちらは優しくない。ビョンウンゴの物言いなどすべて無視して、火霊によって強化された炎を降叩き込む。
ビョンウンゴに回復され、与えたダメージの9割が無駄になろうとも、残り1割分が蓄積されるのであれば、それで良い。
(リーベさんが戻ってくるまでに、少しでも……!)
彼女が戻ってきたら、否、来ても、の方が正しいかもしれない。
おそらくは、今までのような戦闘は出来ない可能性が高い。自分たちの、彼女の逆鱗を踏み抜いた結果を、自分はよくよく知っているのだから。
故に、少しでも、あの害悪にダメージを与えておきたかった。
***
ビョンウンゴの居た部屋から飛び出し、リーベは迷わず、入院患者の病室を模した場へ飛び込んだ。
アークビショップの柔らかなミルクティー色の瞳に映るのは病室らしい、いくつかの寝台があるだけの簡素な部屋。そして、その中を蠢く魔物と、寝台の上で、苦悶の声を上げ、藻掻き苦しむ人影達だ。
「っ、マグヌスエクソシズム!!」
即座に、術式を組み上げ、唱えた破魔の魔術は、病室の床から鮮烈な光を立ち上らせる。
ここに居るビョンウンゴの手先である魔物達の強さは、この病院内を徘徊していた他の魔物と大差ないようだ。手古摺る事もなく、あっという間に、それらを滅し、消し去っていく。
そんな魔物の最期になど、目もくれず、リーベは祈るように両の手を組む。そのまま、言葉を紡ぎ、魔力を編む。
ふわり。
魔物が消え失せ、リーベと寝台に横たわる人影のみとなった部屋の中。どこからともなく、ふわり、と小さな光の粒が舞い落ちる。
ふわり。ふわり。
それは、瞬く間に数を増し、寝台の上、呻く人影へと降り注いでいく。
ふと、苦し気に呻いていた人影の1つが、動きを止める。次の瞬間、むくりと、何事もなかったかのように、上体を起こし、不思議そうに辺りを見回した。
そして、ふわふわと舞い降りてくる光を見上げる。
――あぁ、あっちに行けばいいのね。
そんな穏やかな声が聞こえ、その人影は消えていく。すぅっと、音もなく。
まるで、宙に溶けてしまったかのように。
その人影を皮切りに、次々に他の人影も消えていく――――なら、どんなに良かった事か。
リーベは、キリ、と唇を噛む。彼女の目に映るのは、未だ寝台の上で苦しみ続ける複数の人影。
姿を消したのは、ちゃんと、逝くべき所に行けたのは、最初の1人ともう1人だけだった。
ぐっ、とやりきれなさで胸が詰まる。
しかし、今はまだ、やるべきことがある。故に、アークビショップの女性は、残った人影に背を向け、駆けだした。
次の病室へと駆け込み、同じように、魔物を一掃する。そして、ここも、先程と同じように囚われている人々の解放を試みる。
――――それも、結果は同じだ。
こちらがさし伸ばした救いの手を取ってくれたのは、病室に囚われている人数の半分以下。
「っ、なんで……っ」
つい、小さく声が零れる。やりきれない思いを振り払うように、頭を振り、リーベは次の場所へと走り出す。
何故。
何故、救われてくれないのか、と激情が渦を巻く。けれど、リーベは大聖堂の組織、退魔班に所属する人間だ。こんなケースは何度も見ていた。故に、頭では理解している。
囚われた人々は、その状態を是とし、こちらの手を取らない理由を。
より正確に言うのなら、救いの手に気付かない振りをしている理由を。
彼らは、自分が、既に死んでいる事に目を背けているのだ。生きているから、こんなに苦しいのだと。こんなに苦しい思いをしているのだから、生きているに違いない、と。
あろう事か、元凶であるビョンウンゴが与える苦しみに縋っているのだ。
ギリリ、と杖を持つ手に、力が籠る。
次の部屋にて、マグヌスエクソシズムを唱える彼女に、彼らを責める気はない。ただ、助けられない事を悔しくは思うが。それでも、彼らは純粋な被害者だ。ビョンウンゴに目を付けられなければ、きっと今も尚、生きていただろう人達だ。
「――少なくとも、死後、こんな風にっ、苦しみ続ける事には、絶対にならなかったっっ!!」
最後の病室、残ってしまった被害者達に、やり場のない想いを叫ぶ。
激情が胸中に渦を巻く。
冷静さを保とうと、息を吸い、吐きだす中、意識の片隅で思う。チルルが恋しいと。
アコライトの頃から一緒だったデビルチのチルルがいたら、今の自分を諫めてくれただろう。
兄と同じ体質であるオーアは、悪魔種族であるチルルと非常に相性が悪い。故に、今回は留守番を頼んでいたのだが、来てもらうべきだったかもしれない。
なんて、思ってもいない事を考える。
だって、今の私を諫められたら、この激情を、そのまま元凶に叩きつける事が出来ないではないか。
そんな、もしも、誰かに聞かせたのならば、どこが冷静なんだと真顔で突っ込まれるであろう支離滅裂な言葉達を胸中で書きなぐりつつ、リーベは、病室に背を向ける。
ビョンウンゴからの搾取は断ち切った。
とはいえ、それは一時的なものにしかならないだろう。ビョンウンゴに囚われている以上、ビョンウンゴによって齎された苦しみは、死から目を背けている彼らを苦しめ続けている。
そんな彼らから、無理矢理目を背け、リーベは足を踏み出す。早く、2人の元へ戻らなければ。
かつん。と床が鳴る。
その衝撃で、ふつっ、と静かに、細い糸が切れたのを幻視した気がした。
理性では、分かっている。PTを組んでいる以上、これからやろうとしている事は、輪を乱す行為だと。
かん。
と、水色の法衣から覗く嫋やかな足が床を打ち鳴らす。
かん。かん。かん。
一歩一歩、足を前に踏み出しつつ、装備を変更する。パーティ戦にふさわしいものではなく、ただただ的に、神罰を与える為だけの装備に。
と言っても、大した変更はない。ほんの数歩分で、それは完了する。
カッ。
刹那、リーベは駆けだした。ビョンウンゴの元へと。
廊下を駆けつつ、内心で、リーベは後輩の友人へと軽く頭を下げる。
今からやろうとしている事は、パーティ連携という言葉を、全力で放り投げるものだからだ。付き合いが長い柚葉ならともかく、金髪の彼には酷だろう。
分かってはいる。理解している。
けど、それでも、止まる事など、出来るわけがない。
普段は甘やかなミルクティー色の瞳が、ギラギラと、憎悪と怒りで燃えていた。
*****
幾度目かなど、当に分からなくなったマグヌスエクソシズムを唱え、オーアは小さく息をつく。
(……ちょっと、よろしくねぇな)
目の前の光景を睨み据えつつ、胸中でそうごちる。
床から立ち上る破魔の光。盾を攻守共に使っているロイヤルガードの広い背中。エドアルトの振るう盾を受け、破魔の光を浴び、表情を歪ませる夢魔。
先程から変わらぬそれらは、戦況が安定しているとも言えるだろう。
「ヒール。キリエエレイソン。ブレッシング。速度増加」
軽く息を吐き、
次いで、同じようにオーアは自分自身にも、それらをかける。キリエエレイソンもかけるのは、先程までオーアを守っていた結界は既に解除済みであるからだ。
あれを維持したまま、マグヌスエクソシズムを唱えるのは負荷が大きい。
ガンッ、と断続的に響く金属音と打撃音。それらを耳にし、口では次のマグヌスエクソシズムの詠唱を紡ぎつつ、オーアは、ひたと夢魔を見続ける。
その動きを、表情を、観察し、見えてくるのは未だ漂う相手の余裕だ。
対策は出来ているはずなのに。戦況はこちらに有利な状態で安定させられているのに。
夢魔に、焦りは見られない。それが――怖い
「っ、マグヌスエクソシズム!!」
こぽり、と浮かび上がりそうになった怖れ。それを即座に蓋をする。
それでも尚、纏わりつくような不安を振り払うように、オーアはマグヌスエクソシズムを発動させる。
そして、1つ息をつき、唱えるのはエックスエーテルナ。刃のような形の白い光が夢魔へと降り注ぎ、ギ、とも、ギャアともつかない短い悲鳴が女の口から漏れる。
けれど、それだけだ。
夢魔はすぐに余裕の笑みを取り戻し、エドアルトへと襲い掛かる。
取り戻しているのは、笑みだけではない。鮮烈な破魔の光に焼け爛れた肌も、エドアルトの盾によって赤く腫れあがった腕も、瞬く間に、元の様相を取り戻していた。当然、今現在対峙しているロイヤルナイトが槍を使ってる間につけた裂傷など、既に見る影すらない。
『――大丈夫かい?』
不意に響いた耳打ちに、オーアは少しだけ目を丸くする。
『……それは、こっちのセリフだと思うんだよなぁ』
実際に対峙してるのはエドアルトで、こちらは守られている側だというのに何を言っているのだろう。
半分呆れの混じった息を吐き、オーアは眼前で戦うロイヤルガードの背を見る。オーアから見る分には、未だエドアルトから疲れ等は感じられない。けれど、レンを助けにこの部屋へ飛び込んでから、そこそこの時間が経っているのも事実だ。
『――悪い。大分、長引かせてる』
故に、正直な感情を吐露すれば、目の前の光景とはかけ離れた穏やかな声が返る。
『この程度なら、何の問題もないから、気にしなくていい。けど、さっきのアレは、さすがに困るな』
代えの装備にも限りがあるし、夢魔の攻撃を全て回避する自信はない、とエドアルトは苦笑交じりの声を零す。今は問題ないが、今起動している魔法陣の効果が切れたら、少々まずいと言う事だ。それに、オーアは大丈夫だと応える。
『レンが頑張ってくれたおかげで、フルに使えてるから、まだしばらく、陣の心配はいらない。それが切れるまでには、倒す』
『倒せるかい?』
穏やかな声色はそのままに、ひたり、と冷静にエドアルトは問う。
感情論などではなく、現実問題として、このままでそれが可能と見ているのかと。
その声に、オーアは一瞬、言葉に詰まる。
エドアルトも気づいているのだ。夢魔にはまだ余裕があると。間近で相対しているのだから、至極当然だ。
故に、オーアは口では次のマグヌスエクソシズムを唱えつつも、慎重に言葉を綴る。
『……正直なとこ、こんだけ保ってる上に、余裕すら剥ぎ取れないのは予想外』
『回復速度が異常だね。なにかスキルを使っている様子も見られない。自己治癒能力が高い?』
『いや、ダメージを受けた分の力を
『器?』
『ん。器ってゆーか、依り代ってゆーか、ある意味本体ってゆーか……』
『はっきりしないね』
『核、って言えばいいのかな。さっきも言った通り、こいつは実体をとれるかとれないかって所で力を、敢えて抑えてた。じゃあ、ずっと弱いままでいたのか、って話だ。最低でも
『あぁ』
『って事は、夢魔自身とは別に何か、夢魔にとって余剰な力を蓄える器があるって事で、ついでに言えば、器になりえるのは、本当に弱くて実体がとれなかった頃、夢魔が依り代にしていたものだ。本来なら、それは夢魔が実体を得られた後も核で在り続けるはずなんだけど……こんな即座に回復する程強く太いつながりがある器なんて、それくらいしか考えられない』
『なるほど。だから、器と言いつつ、そんなにあいまいな表現だった訳だ。今は別の物を核としているから、器として使用できる元核って事か』
『ん。ふっつーーーーは、そーゆーコトしないんだけどな……』
『器はここにあるのかい?』
『ある』
『なら、器を狙った方が手っ取り早いかもね』
エドアルトの言葉に、オーアは一瞬視線を揺らし、何事もなかったかのように返答する。
『――いや、それをやるには火力が足りない。ガッチガチに護ってるから』
『まぁ、当然の措置か』
『だな。レンを作り上げた時に相当力使ってるはずだし、器の守りにも力を割いてる。陣の効果でアレにとっての通常よりダメージが入りやすくなってる。こんだけ条件揃ってるんだから、正攻法で削り切れると踏んでたんだけどなぁ……』
けれど、オーアの予想以上に相手は力を蓄えていたらしく、まだ余裕すら崩せていない。
このままでも削り切れると信じてはいるが、他の手も検討するべきなのは確かだ。
そう考えるオーアに、エドアルトの声が届く。
『このまま正攻法。器の破壊。その他の手、だと……封印、とかかな?』
『封印は無理。触媒とか、それ用の準備が要る。そんなの、今回持って……』
持ってきていない。そう紡ごうとした刹那、オーアの脳裏を過ったのは、1枚のお札。
この街のシャーマンから貰い、ビョンウンゴの前で使用したふりをしたそれは、今もまだ、オーアの手元に――ある。
これを上手く使えたのなら、封印は可能だ。
新たに見つけた光明に、パッと手が伸びそうになる。が、即座に否、と思いとどまる。
お札を使って、封印する。
そこまでは良い。
問題は、どうやってやるか、だ。
仮にそのまま器に封印を施したとしても、目の前の夢魔が野放しでは意味がない。
他の魔なら、それで十分なものが大半だろう。けれど、目の前の夢魔に限って言えば、封印
(――なら、どうする。封印するなら、夢魔の体と器、一緒にやらないと意味がない。けど、この札、触れたモノのみが対象のタイプだ。複数を対象にはできない。……夢魔にどーにか器を回収させるか?)
そこまで考え、オーアは心の中で首を振る。
思考に意識の半分以上を割きつつも、緋色の瞳は、エドアルトと夢魔の攻防を見据え、舌は次の詠唱を紡ぎ続けている。
(――や、ダメだな。持ったくらいじゃ何の意味もない。完全に吸収同化でもしない限り、札を夢魔に使っても、器からまた夢魔が復活して終わりだ。まー、お札使って、夢魔の実体を一気に消す訳だから、器から夢魔が復活するまで数十秒くらいはかかるだろうけど、そんなんじゃ何の意味も――)
そこまで考え、オーアはハッと気づく。
夢魔が消え、器のみとなる短い間。そこで器に札を使えば、完全にあれを封印することが出来る。
その閃きを切っ掛けに、思考が加速する。
夢魔も一気に滅する。
札は1枚のみ。
夢魔の体には使えない。
別の方法。
夢魔の回復速度は異常に早い。
微かにでも火力が足りなければ今までと同じだ。即座に回復されるだけ。
そこで、思考が鈍る。オーアの眉が寄る。
(ダメだ。今の俺だと火力が足んねぇ。エーテルナ入れてのMEは何度もやってるけど、この状態だかんな。うーあーー、後、あと何かないか? 場合によっては、エドアルトさんに向こうに行ってもらって、こっち籠城の耐え一択。で、さっさとビョンウンゴ倒してリーベさん連れてきてもらうべき、かも――)
今はビョンウンゴとの戦闘真っただ中であろうリーベの姿を思い浮かべたその時、ふと、彼女の声が、脳裏を過った。
――「あら、オーアちゃん! こんな所で奇遇ね」
弾むような声が、脳裏にその時の情景を描き出す。
大聖堂の広い廊下。背後から響いた明るい声が大聖堂内特有の静謐な空気を打ち破る。
「あ。リーベさん」
振り返り、見えた姿に挨拶を返す。
そして、言われたこんな所、という言葉に、確かに、と頷きを返した。
「聖堂内で会うとか……連行されてる時くらいしか、記憶にないや」
あははと乾いた笑い声がこぼれ、つい、遠い目になる。そんなオーアに、リーベは笑みを深めた。
「うーふーふー。それはオーアちゃんの自業自得じゃないかなぁ? それはそうとして、どうしたの? 禊帰り? オーアちゃんが所属しているとこは、こっちじゃないでしょう?」
柔らかな薄茶の髪を揺らし、リーベは小首を傾げる。オーアの所属している退魔班は、こちらとは全く別の方向にある。そのため、ご最も、な質問だ。
だというのに、オーアは気まずげに視線を逸らす。
「いや、あー、えーっと……」
答えになっていない声を漏らし、視線を彷徨わせるその様はやましい事があります、と言わんばかりだ。
当然、リーベに、それを追求しない、なんて選択肢が存在している訳がない。
逃げる事は許さないと、リーベはガシッとオーアの腕を強く掴む。
「どうしたのかなぁ? まさか、ホントに逃げて来たとこだったりしないわよねーぇ?」
禊場は、こちらの方向にある。
そして、禊なんてしなくて大丈夫だと、オーアが逃げ出した前科はいくらでもある。オーアのこの態度。言葉を紡ぎつつも、またか、とリーベが確信したのは、当然の結果だろう。
後輩の腕を強く掴んだまま、リーベは足を踏み出した。その行動と、リーベの進行方向で察したらしい。オーアは慌てた声を上げる。
「違っ! 誤解っ!! 違うからっ! 腕掴むなっ、引っ張るなっ!! ホントに違うからっ!! そっちに用はないからっっ!!」
慌てふためき、必死に訴えるオーアの言葉に嘘はないと判じ、リーベは足を止めると、オーアを見る。
「じゃあ、どうしたのかしら?」
柔らかな声に反して、沈黙は許さぬと圧を放っているリーベの問いに、オーアは一瞬たじろいでから、ため息を落とす。それは、深々とした諦めのため息だった。
「ん、っと。その、ハイプリの方のスキル、技術保持上限まで覚えきったから、極めたって報告してきたとこだったんだよ」
思わぬ言葉だったのだろう。リーベの瞳が丸くなる。
「あら、おめでとう。……なら、転職許可が出た、という事かしら?」
言祝ぐ言葉と笑顔とは裏腹に、リーベの声色は、どこか淡々としているようにも聞こえる。
けれども、そんな事には、全く気が付かなかったらしい。オーアはそれらに何の反応も返すことなく、ただ、リーベの問いかけに眉を下げた。
「いやー、それが、その……」
煮え切らない言葉、気まずげに揺れ動く視線。朗報を告げようとしているとは思えない態度だ。
そんな様子にリーベが訝し気に首を傾げる。と、同時に、金髪のハイプリーストはガックリ、と大きく肩を落とした。
「
「あら……」
ぺしょり、とオーアはしょぼくれる。そんなオーアに、耳を伏せ落ち込む犬を幻視しつつ、リーベはほっと、小さく息を吐く。
――なるほどね……良かった……
吐息に何か、声が紛れていた気がして、オーアは顔を上げ、ぱちり、と目を瞬かせる。
「リーベさん? 今、何か言ったか?」
聞き取れなかった。と言うオーアに、リーベはにこりと笑みを作る。
「うぅん、何も?」
軽い口調で紡いでから、慰めるように、リーベはぽんぽんと軽く、オーアの肩を叩く。
「まぁ、気にしなくて良いよ思うわよ。オーアちゃん、正規転生で、しかも最年少でのスタートでしょう。知識とスキルに身体が追いつくのに時間がかかるのは当然だわ」
リーベの言葉は正しい。
正規転生とは、ヴァルキリーによる従来の転生の儀の事だ。それを受けると、肉体年齢が冒険者登録した時まで巻き戻り、冒険者を長く続けられるようにか、研鑽の時を長く取れるようにか、老化速度が緩やかになる。
老化速度が緩やかになる、と言えば聞こえはいいが、つまりそれは、未成熟な子供の体から、大人のそれへと成長する時間も同様という事だ。
オーアの場合は、冒険者登録可能最少年齢である12歳まで、肉体年齢が巻き戻った。そこから再び成長し直しているのだ。
事実、今のオーアの姿は、一応青年を呼べるものだが、
それを、オーア自身も分かってはいるのだろう。ん、と小さく声を漏らして、頷く。
そんなオーアに微笑を浮かべるリーベだったが、はたと、何を思いついたかのように、声を上げた。
「あ。そうだ、オーアちゃん」
「ん?」
小首を傾げるオーアの前で、リーベは己の荷を弄る。そして、取り出したのは、赤い雫型の結晶がついたアクセサリーだ。それをオーアに手渡しつつ、にこりと笑って、リーベは言う。
「ハイプリースト、極めたお祝いに、これ、あげるわ」
自身の手の上に置かれた赤い結晶に、オーアはしぱしぱと目を瞬かせる。
「……これは? アクセみたいだけど」
じんわりと温かな光を帯び、緋色から紅色のグラデーションがかって見える色合いの結晶。光加減によっては、マゼンタ色の光を反射させている。そして、強い魔力が宿っているのがありありと分かる。そんなものが、ただの装飾品であるはずがない。
故に、そう問いかけたオーアだったが、次の瞬間、耳を疑う単語が飛び込んできた。
「戦乙女の雫」
「は……?」
オーアは呆気にとられた声を零す。
ぴしり、と体が石化したかのような心地がした。
戦乙女の雫。
オーアも、マグヌスエクソシズム型の聖職者だ。己の戦法に関わりのある装備の情報は、ある程度集めている。
だからこそ、今現在、己の手の上にあるコレが、
硬直したまま、思考が空回る。そんなオーアをどう見たのか、リーベは軽く肩を竦めて、言葉を付け加える。
「まぁ、今のオーアちゃんには、まだ扱えない代物ね」
そこじゃない。
オーアは反射的に声を上げる。
「や、そうじゃなくってっっ!! それっ! めっちゃ高いって聞いた覚えがあるんだけどっっ!!」
もちろん、その値段にふさわしい効果を齎す事も知ってはいる。が、再度言うが、問題はそこじゃない。
慌てた声を上げたオーアに、リーベは口元に人差し指を当て、声を漏らす。
「あー……まぁ、相場は、今はまだ見ない方がいいかもね?」
にこっ、と笑ってリーベは小首を傾げて見せる。
オーアは戦慄した。ぶわっと総毛立つ。だって、それはつまり、
「ちょおおおおーーーっっ!! んな、おっそろしーもん貰えるかっっ!!!」
オーアは反射的に叫ぶ。同時に、手の上に在った赤い結晶を放りそうになり、慌てて、キャッチする。
仮にも、3次職用の装備である。少しくらい落としたところで、壊れるどころか、傷1つ付くことだってないだろう。
分かってはいる。分かってはいるが、そういう事ではないのだ。
だというのに、薄茶色の髪のアークビショップは、オーアの慌てようを見ても、何てことないかのように言うのだ。
「いいから、持っておきなさい」
冗談じゃない。
オーアは付き返そうと試みる。繊細なガラス細工でも持つかのように、戦乙女の雫をそっと包んだ手を、リーベへと突き出した。そして、首を振って訴える。
「いやいやいやいや、リーベさんも使える奴だろそれっ。使える人が持ってた方が良いって、絶対っ!!」
「あら、私はもう持ってるから言ってるのよ」
さらりと返された言葉に思わず閉口する。
それ、相当な高級品だろ、2つも持ってるってどういう事だ。
そうは思うが、それでも、それとこれとは話が別だ。
「いや、でもさぁ――」
言い募ろうとするオーア。それを片手で制して、リーベは言う。
「それに、ただあげるって訳じゃないの。それは、万が一の時のお守りであり、試金石」
「へ?」
リーベの言葉に、オーアは呆気にとられたかのように目を瞬かせる。それを、落ち着いて話を聞ける状態になったと判じて、
「そんな反応をしたって事は、効果は知ってるんでしょう? ……まぁ、そんな事はない方がいいんだけど、装備をちゃんと扱うには、力量が足りなくても、
なら、そもそも、こんな
そう思いはするが、彼女の言ってる事も分かる。多少の無茶でも、死ななきゃ安い。そんな窮状に陥る可能性は十分あり得る。そんな万が一の時の切り札として使えと。
そういう事だ。
「あぁ、万一のお守りってそういう……でも、確かに、そういう意味だとありだよな……」
「最近、何があるか分からないからね」
「ん」
本当に。
冒険者である以上、厄介事やトラブルは切っても切れない腐れ縁だが、出会う機会は少なければ少ない方が良いし、自力でそれを切り抜ける手段は多ければ多い方が良い。
それを思えば、確かに、少々、迷う。
「……ちなみに、試金石ってのは?」
ついでに気になった事を問いかけると、リーベはなんてことない顔で、軽く肩を竦めた。
「それを渡す条件みたいなものね。それ、ちゃんと使えるようになれば、問題なく転職水準には達してるから、扱えるようになったら、転職して、って事」
条件、なんてリーベは言うが、それは、オーアにとって利点でしかない。
「何度も測定に足を運ぶにはヤだったから、それは逆に分かりやすくてありがたいけど……お守り的にも確かにありだけど……んん~~~、さすがに貰っていいもんじゃないだろこれ」
問題はそこだ。
もし、戦乙女の雫が、オーアでも少し背伸びすれば手が届くような値段であれば、もっと素直にありがたく、受け取っていた。しかし、実際は、今のオーアでは逆立ちしたって、手が届かない金額のはずである。
オーアが
が。
オーアとリーベの間柄は、基本的には、ただの先輩後輩だ。それを踏まえれば、それは、ただの厚意として受け取っても良い限度を超えているように思えたのだ。
そんなオーアに、リーベは、ふっと苦笑を零す。頬に手を当て、仕方なさげに笑った。
「ん-、そうねぇ。じゃあ、オーアちゃんが転職して、今よりもっと稼げるようになったら、新しく、買ってもらおうかしら」
つまり、譲渡ではなく、貸与。
それならば、ギリギリ、許容範囲内……と言えなくもない。オーアがそれを入手出来るようになるまでの時間諸々を考えれば、それでも思う所はまだある。けれど、目の前の恩人に残念そうな顔をさせたい訳ではないし、自分にとって非常にありがたい申し出なのは、考えるまでもない。
故に、オーアは、少しだけ眉を下げ、苦笑した。
「……ん。分かった。じゃあ、甘えさせてもらって、しばらく、貸してもらうな」
そんなやりとりを経て、借り受けた戦乙女の雫。それは、当然、今も所持している。それを使えば、火力は数段跳ね上がるだろう。
(――とはいえ、だ)
発動した破魔の光の中、呻く夢魔へとレックスエーテルナを唱えつつ、オーアは思案する。
本来であれば、3次職に至れる程の力量が無ければ扱えぬ装備だ。それを
が。正直、それ自体は大した問題ではない。
問題なのは、その後だ。褒められた経験でない事は、百も承知だが、やむを得ない状況に陥り、術式の反作用の一部を受けた事がある。原因は、装備ではなく、
つまり、高確率で行動不能に陥る。
あの時は、術の強行後、実際に反動が来るまで、若干のタイムラグがあった。それを踏まえて考えれば、戦乙女の雫を使ったマグヌスエクソシズムを唱えた後、即封印を行えば、ギリギリイケるはず。
そう算段を立てた所で、オーアはきり、と険しい目を夢魔へと向ける。
(――問題は、
戦乙女の雫の力を借り、高火力で夢魔を一気に浄化。
オーアが描いた筋書き通りに事が運んだなら、良い。けれど、
結果がどうなろうとも、戦乙女の雫を使った時点で、運が良くて戦闘不能。そうでなければ、行動不能だ。となれば、もしも、夢魔を浄化しきれなかった場合、エドアルトが足手まとい2人を抱えて戦う事になる。
それはほぼ詰みだ。
今現在、夢魔がエドアルトと戦っているのは、そうせざるを得ない状況にしているからだ。
オーアが自衛しつつ、レンを守り、そんなオーアをエドアルトが守っている。その陣形が崩れれば、間違いなく、夢魔はエドアルトになど目もくれず、
先程、エドアルトの攻撃が、結界に阻まれた時、真っ先にオーアを狙ったように。
そんな状況に陥れば、さすがのエドアルトも、2人を守り切るのは難しいだろう。故に、詰みと表現した。
(……やっぱ、どれを選んでも賭けだな)
声に出さずに呟いて、オーアは思考を整理する。
現状、取れる手は3つ。
1つは、このまま、戦闘を続ける事。
メリットは、1番戦況が安定している事。
リスクは、夢魔の様子から、陣の効果時間中に倒しきれない可能性がある事。もし、陣が切れれば、エドアルトが危険であり、それを守ろうとすれば、エドアルトは攻撃出来なくなるし、オーアも攻撃する余裕はなくなる。つまり、夢魔に対して攻撃出来なくなる。
2つめは、エドアルトにビョンウンゴの方へ加勢に行ってもらい、リーベ達を待つ事。
メリットは、エドアルトが加勢する事により、ビョンウンゴ組の決着が早くなる事。そして、エドアルトがここへの案内も出来るため、彼女達の合流が早まる事だ。リーベ達が来てくれれば、どうとでもなる。
リスクは、向こうがどのくらいでケリを付けられるが分からない事。更に言えば、リーベ達が来てくれる前に、オーアが耐えきれなくなれば、the end、だ。ついでに言えば、この作戦をエドアルトが了承してくれるかも分からない。
3つめは、今考えていた通り、戦乙女の雫の使用と封印の決行だ。
メリットは、短期決戦で、ビョンウンゴ組に頼ることなく、ケリをつけられる。
リスクは、失敗すれば、ほぼ詰み。
(――個人的には、リーベさん達に頼りっぱ、ってのも、っては思うんだけどな。ここで、優先なのは、レンだ。って、なると、リーベさんが来てくれた方が確実か。なら、2かなー。向こうケリついてんなら、パーティ会話の1つや2つ入りそうだし、戦闘中だよなぁ。向こうも長引いてるってのが、ちょい怖いとこだけど、んな事言ってる場合じゃねーしな)
時間も、体力も、魔力も有限だ。
動くなら早くしなければ。そう考え、エドアルトに声をかける――より前に、当然のように紡いでいた魔術を放つ。
「マグヌスエクソシズム!」
前回の破魔の光が薄れ、消えていくのに合わせ、唱えたマグヌスエクソシズムは、再度、床から鮮烈な破魔の光を立ち上らせる。幾度となく見た光景。
光の中で戦うエドアルトへと、耳打ちを送ろうとして、ふと、オーアは夢魔へと目を向ける。
見た目とかけ離れた、重さのある蹴りを、拳を繰り出す女性。その下半身はマグヌスエクソシズムの光で殆ど覆い隠されて、視認しづらくなっている。
自然と思った。
(運が良かったな。この状態の時に、実体化解かれてたら、たぶん、気付けなかった)
あの時、
そこで、ふと、疑念が生じる。
(――運良く? たまたま? ……本当に?)
この夢魔は頭が良い。ただ、力を蓄え強くなるのではなく、力が弱かった頃のメリットを理解し、それを維持した上で、力を蓄えてきたこと。意図的か偶然か、断定はできないが、ビョンウンゴの陰に隠れるように動いていた事。実際に対峙しての感想、ひっくるめての判断だ。
そんな相手が、そんなミスをするだろうか。
あれは、夢魔にとって、切り札に近いもののはず。それを、そんな杜撰な使い方をするだろうか。
そもそも、初手で、アレを使われていたら、エドアルトは真面にくらった可能性が高い。
故に、オーアは考える。
もしも、あれが、たまたまでないのなら、あのタイミングである必要が、あったのであれば、それは――
ぞくっ。
紡ぎ出した答えに、冷たい高揚が走る。
突破口を見つけた興奮と、それが本当に正しいのかと言う疑念。これに賭けるべきだという直感とそれで本当に大丈夫なのかという不安。正と負の感情がぐちゃぐちゃに混ざったものだった。
緊張に、軽く頬が引き攣り、けれども、小さく口の端が上がる。
夢魔が実体を解いた状態とは、つまり、夢魔が自らを弱体化させた状態だ。もし、その状態でまともにマグヌスエクソシズムをくらう訳にはいかなかったとしたら。だから、マグヌスエクソシズムが効果を喪うタイミングを掴むまでは、アレが使えず、だからこそ、あのタイミングで、仕掛けてきたのだとしたら。
それは、つまり、実体を解いた状態でならば、オーアのマグヌスエクソシズムで、削り切る事が出来た、という事だ。
もちろん、現状が示すように、夢魔がしっかり実態を維持しているうえに、魔法陣の効果で
けれど、魔が
それらの情報は、知識、経験、どちらの観点からも、オーアの中にある。
それらの情報を踏まえ、考えれば、戦乙女の雫を使えば、十二分にイケる。そう、オーアに確信させるには十分だった。
ただし、この仮説が正しければ、という注釈がつく。
もしその前提が間違っていれば、全てがひっくり返されるだろう。
それを思えば、不安は強い。
けれど――
オーアは、大きく息を吐き、覚悟を決める。
眼前には眩い破魔の光に照らされた夢魔。そして、対峙するエドアルト。
丁度、
そして、今まで通りなら、そろそろ次のマグヌスエクソシズムの詠唱をし始めなければならないタイミングで唱えたのは、エドアルトを対象としたキリエエレイソンだ。
キン、と高い音を立て、眼前に構成された防護壁にエドアルトは一瞬目を見張る。が、即座に、何事もなかったかのように、夢魔との応戦を続行する。
ロイヤルガードの背しか見えない、オーアの視点からではエドアルトの反応に気づくことはなく、ただただ、エドアルトと夢魔の戦闘を注視する。
本来であれば、次のマグヌスエクソシズムの詠唱を開始するタイミングも、敢えて放棄。
そっと、取り出した赤い雫型の結晶を、ブルージェムストーンと一緒に握りしめつつ、タイミングを計る。
狙うは、マグヌスエクソシズムの光が消え始める瞬間。
「レックスエーテルナ!」
本来であれば、マグヌスエクソシズムの張り直しを行うべきタイミングで夢魔に降り注ぐ、白い光。
今まさに、盾を夢魔へと、振り下ろそうとしていたエドアルトは、慌てて盾を引き戻し、そのまま夢魔からの攻撃を防ぐ。
絶えず続いていたマグヌスエクソシズムの光は途切れたが、夢魔の実体化を固定させるための陣が発している光によって、視界の確保は出来ている。故に、夢魔との戦闘に支障はない、が。
『オーア?』
『エドアルトさん悪い。ちょっと、耐えるのよろしく』
『何か、考えがあるんだね? 了解』
さすがに訝しく思ったらしい、エドアルトとそんなやりとりをさらりと交わす。
詳しく聞くことなく、信頼して任せてくれたロイヤルガードに感謝の念を送りつつ、オーアは1つ、息を吸う。
そして、術式反動が解けると同時に、戦乙女の雫
刹那。
ぐわん。
「―――っっ」
頭を思い切り殴られたかのような、衝撃と眩暈がオーアを襲う。
理由は言わずもがな。
正規に扱うには、力量の足らない状態で、扱おうとしてるのだ。足りない分は、魔力で補え、とばかりにものすごい勢いで魔力が吸われていく。オーアに降り掛かった眩暈は、急激な魔力消耗によるものだ。けれど
そう理解したからこそ、オーアは自身を襲う不調を全て、意識の外へと放り投げ、詠唱を行い、魔力を編む。
戦乙女の雫と一緒に握り締めたブルージェムストーンが淡い光を帯び、ちかちかと瞬いた。
そして。
「っ。マグヌスエクソシズムっ!」
エドアルトと夢魔の足元から立ち昇る鮮烈な破魔の光。
無茶をしたかいはあったらしい。
夢魔は、叫ぶ間もなく、光に搔き消される。あっけないようにも思える光景。
上手くいった。
一瞬、オーアの胸に歓喜が沸き上がる。けれど、そんな場合ではない。重要なのはここからなのだから。
故に、
そのまま、オーアは床に叩きつけられる。
「ぐっ、う……」
頭を揺さぶられているような強烈な眩暈と、猛烈な吐き気。気持ちの悪さと痛みが体中を暴れまわるかのようなそれには、覚えがあった。ジェムストーンが、術式の反作用を相殺しきれず、術者に反動が来た時の症状だ。戦乙女の雫に魔力を取られ、ブルージェムストーンに籠める魔力が足りてなかったのだと、反射的に理解する。が、それ所ではない。倒れている場合ではない。
無理矢理、腕を動かす。床に手を突き、上体を起こす。時間がない。失敗する訳には。焦りが募る。
その時、声が聞こえた。
オーアが何かやろうとしているのは、分かっていた。
故に次に立ち昇ったマグヌスエクソシズムの光が夢魔を焼き、白い服の女が光に溶けるように消えても、エドアルトにとっては予定調和だった。ほっと、小さく息をつく。
だからこそ、背後から響いた重い音に振り返り、エドアルトはターコイズブルーの瞳を大きく見開いた。
「オーア!」
床へと倒れ込み、けれども、腕を床につき、支えにして、上体を起こそうとしているハイプリーストの姿に慌てて駆け寄ろうとする。その刹那。
「っ! 右の戸棚! 上段、左っ! たぶん木製っっ」
苦し気に表情を歪めつつ、オーアはエドアルトの方を見向きもせずに、声を張り上げる。その表情の険しさは、苦痛だけが原因ではない。
そう、気付く。まだ、終わっていない。
それを察したエドアルトは、反射的に地を蹴った。向かうは、オーアの視線の先。
部屋の隅に壁を背にして置いてある戸棚。2つ並んだそれらの内、右の棚の戸を力任せに引く。長らく放置されていたためか、ギ、と軋んだ音を立て、一瞬の引っかかりを見せた後、勢いよく、戸棚が開く。
瓶やコップ、細々とした雑貨などが並べられているなか、エドアルトは視線を走らせる。棚の上部、左側。と、目に留まったのは、棚の上から2段目、左奥にひっそりとあった木塊。古びた木の心臓だ。病院の戸棚には不釣り合いな代物。何故こんな所にと思うより先に、反射でそれを掴み取る。
ぞわり。
古びた木の心臓を掴んだ瞬間、怖気が強く、エドアルトの背筋を駆け抜ける。コレだと、確信した。
即座に破壊するべきだ。
直感的に、そんな衝動に襲われる。
それを行動に移しかけたところで、脳裏を過ったのは、先程、オーアと交わした会話だ。
『なら、器を狙った方が手っ取り早いかもね』
『――いや、それをやるには火力が足りない。ガッチガチに護ってるから』
確かに、そう言っていた。ならば――
ざわり。
嫌な予感と言うべき怖気が強くなる。
時間がない。そう感じた。故に。
「オーア!」
振り向き様に、エドアルトは手にした古びた木の心臓を、オーアへと投げる。
それは、直線を描き、オーアの元へ。
胸に当たって落ちそうになった古びた木の心臓を、オーアは左手で受け止める。
次の瞬間。
古びた木の心臓から、ぬっ、と半透明の指が生えてくる。
それが、指、手、腕、と伸び続けるのと、同時、それらを押し戻すかのように、オーアの右手にある札が古びた木の心臓に叩きつけられた。
刹那。
古びた木の心臓が光に包まれ、バチーーン、と強烈な高い音がその場に響き渡る。その音に、正常に封印が効力を発揮し始めた事を、勝利を確信して、オーアは不調に血の気を引かせつつも、口の端を引き上げる。
「あぁァアアああァアアーーー!!」
古びた木の心臓から、うるさい程に響く、女の叫び声。それは、だんだんと遠く、小さくなっていく。そして、声が途切れるとともに、古びた木の心臓を包んでいた光が消える。
それを見届け、オーアは、深く深く、息をついた。
「オーア! 大丈夫かいっ!?」
一目散に、オーアの元へと駆け寄るエドアルト。オーアの傍らに膝をつく。刹那、
オーアの傍の床の上に転がっている赤い雫型の結晶を見、一瞬、瞳に険しさを乗せた。
そんなエドアルトに気づくことなく、オーアは顔を上げると、ぎこちない笑みを作る。
「ん。大丈夫、ちゃんと、封印は、出来てる」
「そうじゃない。オーア自身が、大丈夫か聞いてる」
そう言って、エドアルトは、床に落ちている戦乙女の雫を拾う。
「無理をしたね。これ、オーアのだろ」
「ん。お守りと、試金石に、って、リーベさんが、貸して……」
そこで、オーアはふつり、と声を途切れさせ、緩く、頭を振る。
「や、んな事、言ってる場合じゃない。俺は、平気。けど、それ、無理に、使ったから、魔力が空っぽ。なんで、エド、アルトさん。俺とレン、ここで休憩してるから、先、向こう、手伝いに行ってくんない?」
差し出された戦乙女の雫を受け取りながら、オーアはそんな事を言う。その望みに、エドアルトは眉を顰めた。
「休むなら、ここを出た方が――」
「さすがに、戦闘は無理。部屋の外、普通に、居るだろ。ここなら、夢魔の縄張りだから、他のは、来ない。魔力、回復したら、ポタで戻れる。エドアルトさんに、護衛してもらって、外に出るより、ずっと、早いし、楽だ。それに……向こうも、気になる」
エドアルトの言葉を遮り、オーアは訴える。その言葉に、エドアルトは考えるそぶりを見せた。そして、オーアの主張に正当性を認めたらしい。1つ、息をついて、了承する。
「分かった。……無理をせず、気を付けるんだよ」
幼い子供に言い聞かせるかのようなトーンで紡がれたそれに、オーアは苦笑して1つ頷く。
「ん。……あ、エドアルトさん。これ、使って」
そう言って、オーアが差し出したのはいくつかの赤や黄色のジェムストーンだ。
「……退魔班の、試作品。魔物寄せ。気を逸らすのに、使って。余計な戦闘は、ない方が、いいから」
魔物の気を逸らす。その言葉に、エドアルトは思い当たるものがあった。
「ここに来る時に、オーアが使っていたもの?」
「ん」
「分かった。使わせてもらう」
そんなやりとりをして、ジェムストーンを受け取ると、最後にもう1度、エドアルトは念を押す。
「本当に、無理はしないように。いざとなったら、蝶の羽使って、先に戻る事。2人ともだからな」
そう言い置いて、エドアルトは身を翻し、部屋の外へと駆けて行く。
その姿を見送って、オーアは深々と息を吐く。少しだけ、気が緩んだ。
次の瞬間、金髪のハイプリーストは、音を立てて床に倒れ伏す。
「ぐ……ぅ、~~~っっ!!」
苦しさに、体を丸め、体の中を暴れまわるかのような気持ちの悪さに耐える。
気持ち悪い。ぐらぐらする。キツイ。
思考の大半がそれに占められる中、微かに残ったまともな思考が、去り際のエドアルトの様子を思い描き、息を吐く。
(たぶん……エドアルトさん、バレてたな)
不調を隠し、ほぼほぼ意地と気力だけで取り繕い、エドアルトと会話をしていた事が。
昔から何かと世話になってるロイヤルガードに、この醜態を見せたら、彼は、リーベ達の加勢に向かうよりも、こちらを優先しただろう。だからこそ、何が何でも、絶対に、取り繕う必要があった。
のだが、その辺りも含めて、丸っと察せられたらしい。でなければ、もうひと悶着あったはずだ。オーアの希望に沿う事が、最もオーアに気を張らせずに済む。そう判断したからこそ、あっさりとビョンウンゴ組の方へ向かってくれたのだろう。
魔力枯渇と術式の反動に呻きつつ、感謝7割、情けなさ3割な、何とも言い難い感情を持て余していると、オーアの背後から、ギ、と床のきしむ音が響く。
それにオーアが反応を示すよりも先に、疲れが滲んだ、けれども、どこか小生意気な声が響く。
「ちょっと、キツいよ。耐えてね」
その声に何か反応を返す間もなく、背に何かが当たる感触と共に、パリン、と小さく儚い音が耳に届く。
――次の瞬間。
「ぐっ、がッハっ、ゲほっ、けほっっ」
最初に感じたのは、魔力の回復する感覚。本来であれば、足りてないモノが満ちる感覚に安堵にも気持ちよさにも似た心地がするはずのもの。
けれど、今回は真逆の事が起こった。先程とは比べ物にならない程の吐き気に抗えず、オーアは嘔吐する。不幸中の幸いと言うべきか、一連の騒動で昼食などとっている場合ではなかったため、胃の中は空になっていたらしい。吐きだされるのは胃液のみだ。それでも、口の中に残る嫌な酸味に顔を顰め、えずくオーアの背に、そっと、小柄な手が触れる。
その手が、指が、ゆっくりと背を撫でていく。
触れられたところから、するすると、せっかく回復した魔力が抜けていく感覚がする。
それと共にだんだんと、けれども確実に、オーアの中で暴れまわるモノも抜けていくのが分かる。
ゆるゆると引いていく不調に、オーアは深々と息を零した。
こんな事が出来るのは、1人しかいない。
「……大丈夫なのか?」
「鏡に向かって言ってくれる?」
それは、こっちのセリフ。と、ぴしゃりとした言葉が返る。
声色は隠しようのない疲労に濡れているが、そんな遠慮のない物言いが出来るくらいには回復したらしい。
それにほっと息を吐き、オーアは腕に力を籠める。
どうにかこうにか、上体を起こし、身体ごと振り向けば、そこに居たのは予想通りの姿だ。
「こっちは大分良くなったから、言ってんだよ。レン。あんなの引き受けて大丈夫なのか?」
未だ床に描かれたままの魔法陣に照らされた若草色の髪の少年。レンは、オーアと同じように座り込んだ体勢のまま、軽く肩を竦めて見せた。
「
そう告げるレンの顔色は、疲労の色が濃いものの、オーアがこの部屋に踏み込んだ時に見たそれよりは、格段に良い。
部屋の隅に張った結界の中から、ここまでの移動も――――そこで、オーアは気づく。
「え!? レン! おま、結界はっ!?」
「人の話聞いてた?」
気付いた状況に、驚きの声を上げる。そんなオーアを、レンは半眼で見やった。
次いで、やれやれといった様子で息を吐き、質問に答える。
「消えたよ。ほんのついさっきだけど。じゃなきゃ、僕がここに居る訳ないでしょ。僕も結界の外側に居たんだから」
結界が消えない限り、あそこから動ける訳がない。
至極当然の事を言う若草色の少年に、オーアは頭を抱えつつも、己の選択の正しさを噛み締める。
「だよなぁっ。あーーーっっ、良かったっ、ギリギリじゃんっっ。そっちは全然考えてなかったわ……余裕で持つもんだと」
結界の変則的な形状指定は、オーアの想定以上に燃費が悪かったらしい。もしもオーアが別の選択肢を選んでいたら、レンへの守りがなくなった状態で戦闘続行。しかも、長期戦になる可能性が高かった。なんて、ぞっとする所の話ではない。
故に、深々と安堵の息を吐く金髪のハイプリーストに、レンは軽く肩を竦めて見せた。
「すごい変則的な事やるからでしょ」
「だって、そうしなきゃ、レンに悪影響あるかもじゃん」
「それは、すごくありがたかったけどね」
素直にそう言ってから、レンは横道に逸れた話題を元に戻す。
「で、オーアさんは大丈夫な訳?」
その言葉に、オーアはきょとんと緋色の瞳を瞬かせる。
「何が? あ、や、まだスキル使える気はしないし、頭ぐらぐらするし、気持ちの悪さも残ってるけど、粗方レンがどうにかしてくれたから、普通に話せるくらいには楽になってるよ」
ありがとな、と、オーアは笑う。
レンからすれば、能天気としか思えない反応を示され、少年は深々と息を吐いた。片手で額を押え、頭が痛いと言わんばかりのそぶりを見せてから、レンは言う。
「あのねぇ、キミさぁ、術式の反作用による魔力の変質も、魔力枯渇も、十分死因になりえる、って分かってる訳? それをダブルでとか、バっっカじゃないのっ!?」
実際に言葉にしていくうちにヒートアップしてきたらしい。眦が吊り上がり、語気が荒くなる。
「わっ、ちょっ、落ち着けってっっ」
「誰のせいだと思――っっ」
勢いに任せ、感情のまま立ち上がろうとした、その刹那。
カクン、と足に力が入らず、レンは床に倒れ込む。それを受け止めようと、咄嗟にオーアはレンへと両腕を伸ばす。
が、調子が悪いのは、オーアも同様だ。受け止めきる事が出来ず、結果、2人揃って、床に転がる事になった。
「あー……ましにはなったけど、まだ、全然、力、入んねぇ」
小柄な少年を腕の中に囲い、庇って、床に倒れた体勢のまま、オーアはそんな事をぼやく。
そして、レンへと視線を向ける。
「だから言ったじゃん、落ち着けって。ボロボロ具合は、俺もレンも変わんないっての。ちゃんと休まないとこっから帰る事も出来ねーし……」
はぁ、とため息をついて、オーアは言う。
「大丈夫。ちゃんと分かってやってっから。そもそも魔力枯渇の方は、ガチでまずい水準になったら、意識飛ぶから、自分の意思とは関係なく魔力奪われてるような状況じゃない限り、万一の事にはなんねーし、反作用の方も、俺の魔力質なら、青石が7割砕けずに残っても、死にはしないって、お墨付き貰ってっから。……まー、その分、普通の人より、変質した魔力の処理にてこずるから、不調が長引くらしいけど」
だから、どうにかしてくれたのは、すごくありがたい。
小さく笑ってそんな事を言う金髪の青年に、若草色の少年は、一瞬言葉に詰まった後、深々と息を吐きだした。
「分かっててやってる方が性質悪い、って、分かってて言ってる?」
じとり、とした視線を向けるレンに、オーアは、あはは、と誤魔化すような笑い声をあげる。
そんなオーアに、ため息をもう1つ。そして、レンにとって、誰よりも大切な少女を思い浮かべ、そして、この目の前の青年が、自分よりも彼女との付き合いが長いという事実を思い出す。
類は友を呼ぶ。
頭にでかでかと、そんな言葉が浮かんだのは仕方のない事だろう。それを、もう1つ息をつく事で、強制的に頭の隅に追いやる。そして、気になっていた事を問いかけた。
「そういえば、ソレはどうするの」
床に転がった札の張られた木の心臓。無事、封印出来たソレを示して言葉を紡げば、オーアの口から呻き声が漏れる。
「うー……本来なら、封印物として、大聖堂……退魔班の保管庫へ収容、ってとこなんだろーけど……封印は、問題なくしっかり出来てるし……正直言うなら、ココに放置していきたい……」
ただでさえ、あそこ、物多いんに……
これ以上、管理物、増やしたくない……
そもそも、持ってったら、確実に、報告書と申請書、出さないといけなくなる奴じゃん……
等々、力なく、ぼやいている。
その弱弱しさが、不調由来か、気が進まないという心理的由来か、はたまた両方か。
その辺りの判断はつかなかったが、何にせよ、自身の希望は変わらない。
そんな考えの元、レンは口を開く。
「俺としては、ソレがもう、僕やルキナに近寄んない、なら、何でもいーけど……」
本気でそう思ってはいる。大事なのは、今口にした点のみなのだから。
けれども、と、レンの脳裏に浮かぶのは、今この場には居ない、もう1人の聖職者。オーアの先輩らしい、女性のアークビショップだ。
彼女はどう、判断するのだろうか。
それを言おうと口を開くが、肝心のその言葉を押しのけて、欠伸が飛び出す。
「ねむい……」
一緒にぽろりと零れた言葉に、オーアは少し目を丸くした。次いで、気づかわし気に、眉を下げる。
「大丈夫か? 昨日寝てない上に、元々寝不足、って言ってただろ。ちょっと、寝とくか?」
その言葉に、レンは、紅の瞳にありありと呆れの色を浮かべ、じとりとオーアを見返す。
「あのねぇ。今、俺がそれをしたら、困るのキミの方でしょ。ここでの戦闘で、結構かなり、消耗したし、元々の寝不足もあるから、今、俺が寝たら、しばらく起きれないよ。オーアさん、今、この状況で、意識失った俺、運べる?」
「うっ……」
レンの指摘に、オーアは視線を彷徨わせる。
「元気なら……おんぶなら、たぶん……」
気まずげに、ぼそぼそと言うオーアに、レンは1つ息をついた。
「素直に今は無理、って言いなよ」
「悪ぃ……」
しょんぼりと、オーアは肩を落とす。
そんなオーアに、別に……と、小さな声が耳に届く。
「どうせ寝るなら、ちゃんとしたとこで寝たいし。こんなとこで寝たいとか、欠片も思ってないから……オーアさんこそ、休んで、さっさとココ出れるくらいには回復しなよ」
ふいっ、と視線を逸らし、そんな事を言う少年に、オーアは小さく笑う。
自分の体とは思えない程に、非常に重く感じる腕を持ち上げ、若草色の頭へと乗せた。わっ、とレンの口から驚いたような声が上がる。
が、頭に置いた手を振り払われる事はなかった。その理由を、オーアは理解していた。
単純だ。振り払う。その程度の事も出来ないくらいには、未だ、レンも疲弊しているのだ。
でなければ、こんな2人揃って、床に転がっている状態から、さっさと抜け出している事だろう。
オーア自身も、身を起こさないのではなく、起こせない、が正しい状態であるので。
(ホント、2人そろってボロボロだな)
しみじみと、そう思う。
(まぁ、何にせよ、早く回復しないと、な。
分かっていた。
今のレンの状態では、こうやって大人しくしていても、休むことにはならないと。
――「あーのーねぇ。忘れてない? 僕は半分夢魔なの。その気になれば、睡眠のコントロールなんていくらでも好きにできるの。まぁ、眠らないにしろ、眠りすぎにしろ、自然のそれじゃない分は、それ相応の魔力は消費する事になるから、必要に迫らせないとしないけどね。でも、そうやって睡眠のコントロールをしてる間は、寝不足とか不調は発生しないから安心してよ。この辺は俺が半魔で良かった点だよね」
そう、確かに聞いた。
で、あるのなら、今はまだ
それを、戦闘が終わって尚、未だに維持させてしまっている事に、少々の申し訳なさを感じる。が、レンの主張の方が全面的に正しいので、どうしようもない。故に。
「ありがとな」
そう、オーアは礼を紡ぐ。
そして、少しでも、体を休めるため。1つ息を吐き、
軽く目を伏せたのだった。
be continued
あとがき
……前話、UPしたの、2022年の4月とか嘘だろ……ってなってます。約2年前……丸2年以上いってなかっただけ良いというべきなのか……(んなわきゃない
まぁ、本当、リアル方面で色々あったのも事実なんだが、まぁ、戦闘描写は苦手分野だからね……ただでさえ遅い進みが更に遅くなるのは分かってたよ…って感情と、だからって、これは遅すぎだろ!?って自己突っ込みが同居してます。もし、待っててくれた人いたなら、本当申し訳ない。
次で終われる、……と、……いいなぁ……(淡い期待 あ、でも、長くなってもあと2話だと思います!
この話のビョンウンゴは、周囲の負の感情を掻き立てる特性を持ってます。他者の苦しみを糧とするので、それを得やすくなるように。蚊が血を吸う時、血が固まらない毒を注入してくるのと同じようなものですね(そうか?
ビョンウンゴ戦組は、大なり小なり、彼女の影響を受けてます。受けてますが……人を、特に最愛の人(兄)と
ビョンウンゴの病って、ウイルスとか細菌由来の病で、生活習慣病とか、癌とか、アレルギーとか、体の内部が原因の病気は管轄外なんじゃないかな、って思っていたり。無くなった娘さんも、ただの風邪……ウイルス性っぽい気がするし。
ホントは、ヴァレリーさんと柚葉さんのやり取り、予定では耳打ちじゃなく、PT会話でやって、夢魔戦sideでオーアがそれに気を取られる、ってシーン、入れるつもりだったんだけど……ヴァレリーさん、オーアの方、心配してるなら、向こうの邪魔しない気遣いは咄嗟にやりそう、っていうか、出来そうだよなぁ……と却下になりました。
まぁ、夢魔戦後半、予想以上に長くなったんで、これ以上
や、ホントに長くなった……これ、今回の半分夢魔戦後半が占めてるからね……おかしい……夢魔戦はギミック込みのイベント戦って感じのはずだったんだけどなぁ…………???
夢魔について
実は、ビョンウンゴが宿っていた木の一部に宿っていた。木の瘤とか一枝とかそんな一部分に同居させて貰っていた感じ。元々弱い魔だったし、いつまでも弱いままだしで、ビョンウンゴは完全スルーしていた。
まぁ、実際の所は、本文にある通り、力を蓄えつつ弱い状態を維持していた。そうしていたのは、初めはビョンウンゴに目障りに思われ、排除されないため。ただ、しばらくして、力の弱い魔の利点に気づき、そこからは本格的に力を制限し、ため込んでいた。あと、レンを作った流れはオーアが言っていたので大当たり。
ただ、代わりが出来る存在が他に居るのならレンでなくても良いが、そんな存在は他にいない。オーアはそう認識していたけど、実はここ、半分当たりで半分外れ。「代わりが出来る存在が他に居るのならレンでなくても良い」これは正しい。「そんな存在は他にいない」これ、が外れ。リーヴァ参照なんだけど、実は巫であるルキナなら、レンの代わりになり得た。
ので、レンがルキナを関わらせないようにしたのは、実はファインプレー。もし、連れてって、見つかってたら、予備として狙われてたと思われる。夢魔にとって、自分専用に作り上げた巫がレンで、天然ものがルキナだからね(言い方
そんな夢魔戦は当然のことながら、完全にオリジナル。気分はイベント戦でした。
肉体を持たず、実体と非実体の狭間を敢えて維持してるため、物理攻撃9割減、闇4属性というイメージ。物理職泣かせだし、マジ
職泣かせ。その上、外付けバッテリーよろしくバカ高いHPを常に充填しつつ戦ってたイメージ。
中盤以降、オーアが発動させた魔法陣によって、物理攻撃9割減→5割減くらいにはなったけど、エドアルトさんに不利なのは変わってなかったという裏話。エドアルトさんの火力が足りなかったのは、これも大きな要因だったり……
ただ、魔法陣の効果がその程度だったのは
あと、夢魔の倒し方はオーアがやったみたいに、一撃で体の方を倒し、器を封印するか、ひたすらHPを削り続けるか。ちなみに、器の破壊を試みる、もこちら。体を消滅させるか、器を攻撃する度に体の方が強く(器から多く力を引き出すように)なってく。ので、火力があれば、しぶといけど、こちらも充分実現可能。もし、リーベさんが戦ってれば、確実にこちら。アドラ連打か、夢魔と器がME内に入るよう誘導して双方にダメ入れるか…………リーベさんなら、前者やりつつ、後者狙うな……
使用素材: 篝火幻燈様 深淵--氷